金融機関追加
先日、知り合いからメイルが届き、まだ静岡ならもう4月1日の京都三条大橋は無理じゃないかとの内容でした。
大丈夫です。3月決算やらで少しアップが遅れているだけで。
実はもう難所の鈴鹿峠越えが終わり滋賀県に入りました。
従って休日にもう一回行って、ゴール地点の三条大橋の近く(蹴上、粟田口)に到達し、
3月31日夕方にみずほ、新快速、地下鉄で蹴上まで行き、
4月1日の0時0分にゴールの予定です。
あと、他のメイルやら感想が
「文章はいいから写真をたくさん貼ってくれ、ただし風景だけだぞ!」
「分かってます、芸能人じゃないので自分の画像は(笑)」
「トイレネタが多いんじゃないか?」
「分かりました。心得ます。」
「いつもいいもん、食ってるな。」
「今からB級がどんどん登場!なんせあの愛知、三重ですぞ!」
タイトルテーマに戻ります。
関の宿の街並みに。GJです。ただちょっと違う感じもありますが
こんなGJも!
雰囲気壊されませんよね。
次に銀行。百五銀行。
cf ???
浜松(高塚)~弁天島
浜松(高塚)~弁天島
朝一番で東京へ。午後から新幹線で東京を発って浜松へ。途中で小田原付近から富士山が見えた。吉原、富士川も懐かしい。浜松から電車で高塚へ。ここ高塚には弓道部のある高校があるらしく、弓をもった学生によく会う。皆さん弓は家に持って帰ってるみたいで電車でも乗降時は大変そうだ。
今日は高塚から弁天島まで歩くつもり。旧東海道へ復帰。近くにある高塚地蔵院は徳川家康の正室の築山御前の肌身地蔵を祀ったものだ。織田信長に甲斐との内通を疑われて討たれたのだが史実はどうか。この辺りになると徳川家康の幼少期以降の話が多くなってくる。
舞阪方面へ。
松並木が見えてきた。道標もあった。根元には十二支の石碑が。
舞阪の宿。
公営トイレ、有難うございます。合流分岐、早い話クロス状。
可愛い一里塚。
西町常夜灯。
橋の方へ。
北雁木と解説。石垣が残っている。
弁天島、地名は弁財天から由来する。
日没。
駅入り口。
ホテルに帰る途中、あまりに寒いのでアンダーシャツを買い、明日は二重に着込む予定。
明日は浜名湖がどのように見えるのかな?あまり、旧東海道上には絶景といえるポイントはなさそうだが。なんて思いながら弁天島~二川の準備をして就寝。
湖畔へ。今切れの渡し。浜松からこの旧東海道は姫街道という浜名湖の北側のルートと分かれることになるが、名の由来は女性がこのルートを主に通った事によるが、この今切れの渡しという縁起の悪いネーミングと弁天島過ぎたところの新居の関が非常に厳しかったことがその理由とされる。今切れの地名は、浜名湖が室町時代?に洪水の後、海と繋がった為にそう呼ばれるということらしい。
Cafe&Bar TRip
家の近くの浄水通り沿いに新しくOPEN。
オーナーバーテンダーは癒されるにもほどがある
なんて雰囲気なので、たくさんのお客さんが癒しを
求めて来店しています。
店名どおり、お店に入ると夢空間をTripできそうです
が、節酒中なので飲み過ぎないようにしなくちゃ。
磐田~浜松
磐田~浜松
昨日の学習機能が働いて、朝は何とか予定通り出発。駅前の大きなくすの木を写真に収め東海道に戻ろうとすると、なんと実は駅の近くを左折する道が旧東海道であった。ラッキーで、そのまま分岐して進んで行く。
道標もあったりして旧東海道に間違いない。それにしても風がすごい。スタジアムコートでしかもフードで顔を覆って完全防備。鼻水対策でティッシュをコンビニで買い込む。感覚は氷点下。来る前のアイホンの予想では静岡は11度~3度ということで通常コートでと思ったが、ある種予感があって、やはりスタジアムコートにした。これで助かった。
駅前からの道に道標確認、安心して宮之一色一里塚、常夜灯を過ぎて、少し広めの道に合流、分岐。折からの寒さに加え、今日も風がすごい事になっているが、覚悟してというより若干闘志が(笑)。途中で住宅地の真中を左折して天竜川の土手を目指す。
土手に上がると遠州冬の西風、川側からすごい勢いで横殴り状態、思わず体がよろける。先述の闘志はすぐ消滅。片道1車線の道路の左手に細い白線の歩道がある。車の空いたすきに早足でその歩道へ。渡ると、すぐ右側を大型車が猛スピードで通過していった。ここで死んでなるものか。そうはいっても天竜川から土手上に吹く横殴りの西風には耐え切れずほぼ四つんばい状況で、匍匐前進。道路側に飛ばされて大型車の下敷きにされないように。
土手道からやっと橋の方へ、手前の橋は先ほどの片道1車線の橋で幅員がそう広くない上に歩道がない。土手側の道路から大型車が右折レーンまでも一杯に使って左折していた。さすがに渡る勇気がない。歩道があると聞いたが、リタイア?念のため車の空いた隙に先のもう一つの橋へ。こちらに歩道があった。助かった。
最初の橋
二つ目の新しい橋
さすがに、ここは現代の東海道の最難所と言われる事が分かる。橋の中程から浜松の市街地らしきものが見えた。確実に浜松は射程距離だ。
西側
橋を越えて左折、中野町の街並みへ。中野町は東海道どまんなかの意味もあるらしい。中野町の入り口、六所神社の裏の天竜川の土手には乗船場跡が。
中野町の街並みを楽しみながらやがて県道へ合流して左折、天竜川駅の方へ。この辺からトイレ探すもない、天竜体育館、ラッキーと思ったが日曜休みのようだ。一号線ガードを潜り、とらちゃんボタンや変わった格好の松見ながら喫茶店、ファーストフード、スーパーなど探しても何もなく、とうとう天竜川の駅近くになり、このまま前進するか天竜川駅に行くかの選択。天竜川駅までは500メートル、往復1キロのロスとなる。やむなく駅を選択、入場券を買ってトイレへ、戻ってしばらくしたらコンビニがあった!残念。アクトシティが叙々に大きくなり浜松市街へと近づいてきた。
合流。
ガード。
とらちゃんボタン。
迷惑な松?
天竜駅前。大幅ロス。
浜松駅前に近づいてきて蕎麦屋が。少し競りすぎかな?と思いながらつい入店。入ったときの雰囲気、しまったと思ったが鴨なん蕎麦美味、個性的な味で正解でした。
ジグゾーショップ。
アクトシティが大きく。
浜松駅着、アクトシティに登ってトイレ。富士も見えました。
強風の為・・・やっぱり。
更なる進行を決意、浜松の駅から浜松の宿へ、チェックしながら高塚駅を目指す。
市街地を抜け新幹線ガードを潜って横断歩道を渡って南へ延々と進む、途中右折して今度は長々と西に向って高塚まで。
高塚駅着、掛川駅まで行きFDAのバスを待つ事に。
風除けとしか思えない。
掛川から福岡へ。
掛川~磐田②
ど真ん中過ぎて、東海道も後半戦、西へ磐田市向けて、身も心も昼食難民状況を恐れながら店らしきものを探す旅に。
喫茶店の看板、こんな感じの喫茶店は日曜日まず開いてないが、開いていました。なにか食事出来ますか?と尋ねると、
「カレーでもしょうが焼きでも焼き魚でも何でも。」
ということで一番早そうなカレーを注文。美味しかったです。ご近所のご婦人方が少しずつ入ってこられ満杯状態に。昔は喫茶店は男性客が多かったのですが、妙齢の女性の女子会風溜まり場的な雰囲気になって・・・、おっとこれ以上は
「物言えば唇寒し、からっ風。」
優しいママさんでした
食事後、即出発。しまったもう一回トイレに行っとけば良かった。いつも思うのだが最初にトイレに行く為出発時にもう一回行った方がいいのだが。忘れます。
旧東海道沿いに道標や案内板を整備した公園が2箇所あった。それぞれに東司、雪隠のトイレあり、雪隠を利用させて頂いた。
東司は公共心の無い方が・・・排泄意欲がそがれた。
雪隠を利用。
東司
雪隠
途中、古戦場木原権現社に関が原に出立した徳川家康公の座石があった。もちろん周囲確認後座ってみた。
川井の交差点、磐田まではまだ遠い
県道から分岐
国道を経由して磐田市に入る。
どうも道が違うと言う感じでアイホン殿の登場。
こちら側か、良かった。
左の道が旧東海道でしょう。
先ほどのガードを潜ったあたりから間違っていた感じだが、暗くなりそう、分岐点方面をパチリ。
明治の道、三ヶ野坂を登ってゆく。道標確認、間違いなくここが旧東海道だ。
またしても日が落ちてきた。明るいうちに見付神社に行きたい。
国道に合流した地点に遠州鈴が森、名古屋128kmの看板も。鈴が森の結構急な階段を上って見る。ここで転落、討ち死にしたら洒落にならないな。国道から分岐し静かな道へ。
常夜灯がある、なにか方向違いの印象であるが、そのまま進行し見付神社側に分岐し、やっと着きました。
絵馬とお守りをゲット。ついでにこのカラッ風だけは大変とメイルと送信したら、今は実家の大分に帰っているようで、やはり「風は大変です、毎日思い知らされています」とお礼の返信が来た。
旧東海道に復帰したが、見落とした一里塚を探しバック。探していたら先ほどの常夜灯前に、やはり道を間違えていたらしい。そのまま暗くなった道を駅前通へ。
磐田駅まで2キロの表示、そんなにあるのか必死で磐田駅へ。
着いた磐田駅。
ホテル着、今日はまぐろと牡蠣とラーメンで反省、学習効果で二度と間違いは犯さない、軽めの飲酒で明日の鋭気を。
掛川~磐田①ど真ん中27次目
掛川~磐田①(袋井まで)
今日は昨日が約30キロ弱歩けたので、あわよくば今日も浜松宿路の半ばまでも行ければ、と密かに思っていたが、昨日焼酎飲み過ぎて二日酔いになるという大失態。出発が2時間遅れることに。しかも、掛川の七曲地点に戻った為、計3時間のロスとなった。
ホテル出発が9時半、しかも調査不足で掛川の宿はなんと昨日分岐で迷った末間違ったところからだったのでそこまで戻ることにした。そこから分かり辛い七曲り、各本陣、問屋場をチェックし、掛川城(山之内一豊とは郡上八幡、土佐、伊勢亀山でも)を廻って旧東海道に復帰したら10時半を過ぎてしまった。3時間のロスで昨日の貯金は消え、寧ろ借金が残った感がある。
それに福岡の知り合いが結婚して磐田市に住んでいるので見付天神で安産祈願することにしていたこともあって、目標の磐田越えから、なんとか磐田駅まで辿り着くことに変更せざるをえなくなった。
復帰地点の清水銀行掛川支店から袋井に向かって進行。片道一車線の1号線に合流し大池橋を超えて左折。道なりに延々と。
トイレが近くなり探し続けるも全く無く、山道ならお構いなくやるのだが中途半端な住宅地ではそれも出来ない。右手に公園があった。物置小屋みたいなものがあって、トイレではなさそうだが、後ろに廻って周囲を確認、ごめんなさい。この先ガードを潜る地点を勘違いして道が分からなくなった。聞く人もいないのでアイホンで確認、川の位置を勘違いしているのに気付いた。橋を渡っていると前方に松並木が現れた。この先が間の宿(間の宿(あいのしゅく)宿場と宿場間の休憩用の宿場、宿泊は禁じられていた。)原川だ。
しばらく行き地下道を通って国道沿いに進み、袋井に入る。川沿いに道をとり、いかにも東海道と思しき雰囲気で歩いて行く。「どまんなか」の表示(東海道の丁度ど真中、27番目の宿場。)が目立つ。
間違った!
袋井に入った。
からっ風で凧が名物
途中で大きな道と合流した時点で道が分からなくなる。アイホンで何度も歩いてGPSの動く方向を確認、やっと分かったのは全然別方向、自分の方向感覚に対し自信喪失気味に。
市役所前を通り過ぎてどまんなか茶屋へ。ここで食事と思っていたが、御茶しかなかった。リタイアされた感じの方が数人。店の前で写真を撮っていると
「中に入んなさい。」と何回も言われ暖を取らせて頂いた。
「寒いのは承知していましたが、風がすごいですね。」
「えっ?遠州のからっ風、今日はいいほうですよ。」
ということでした。静岡に生まれなくて良かった。
茶屋の皆さんに挨拶し、磐田市へ。飯に有り付けなかったので旅人は食事できる店を求めて歩いて行く。ど真ん中過ぎた!!!藤枝~掛川② 大井川から掛川
茶子ちゃんが待っていました。なんと道が再び工事中。またかよ、という感じで迂回して旧道に復帰、今回は簡単でした。
金谷駅に向う道は古式豊かさを感じさせる町並みが続きます。
金谷宿
やっと金谷駅に着きガードを潜り石畳側の方へ。県道をクロスして登り道へ。
ふと振り返れば富士山が見えました。
県道を横切って石畳の方へ。石畳茶屋で食事。
とろろ蕎麦と磯辺焼き。
石畳。
すべらず地蔵、受験生らしき親子が来ていました。お参りをしようとするとどうぞ、と言ってくれましたが合否の結果で、あの時!と恨まれてもよくないので、お先に、と言って待つことに。
石畳登りを越えてしばらく田舎道を、また下りとなる
再び茶の字の山、粟ヶ岳が姿を現した。
結構長い下りが終わって間の宿、菊川の里に着く。
間の宿らしく楚々とした町並みを抜けて、県道らしき道を横切り一気にのぼりとなる。そこから茶畑の間を延々とのぼりが続く。ここからが小夜の中山だ。峠かと思いきやまた登り。やっと久延寺らしきものが見えてきた。
境内の前で初老の老人が話しかけてきた。なんでここに夜泣き石があるのか?ということだったので、もともとあった場所から1号線側に移した話は聞いていましたが、ここにあるんですかと答え、そのあたりの文献をお見せした。私の答えより、寧ろ文献が気になったみたいで、そちらのほうに関心を持たれたようだ。今は米国在住ということだが掛川出身で、故郷への思いに駆られて来られたみたいだ。
夜泣石の伝説は調べて頂くとして、私的には寧ろ夜泣石が二つあることが不思議でそっちの方がミステリーで興味深い。調べるとこの石を担保に資金調達とかあったらしい。
ここから徐々に下って行く。道路脇には小夜の中山を歌った歌人の碑が続く。途中で分岐があり、左折し更に下って行きます。
分岐点、間違えやすい。
まだ眺めがいいです。
夜泣石のあった場所。
竹藪を過ぎた辺りから一気に下りとなり、日坂の宿の入り口となる。日坂、にっさかと読みます(西坂がなまったという説)。
日坂の宿は旧宿場の街並みが続く、本陣跡ではボランティアらしき老人たちが一生懸命解説してくれた。きちんと保存してあり、まだいろいろ見たい所もあったが先を急ぐので軽くお礼と記帳して後にする。掛川向けて一直線。早く行かないと暗くなる。この時期は日が本当に早い、寂しい道が続きそうなので暗くなる前に掛川市街地に着きたい。
下木戸跡を後に事任神社からまっすぐ南下、一号線のガードを越えて東海道らしい道へ入る。もう暗くなって来た。また丁度デジカメのバッテリーが切れてアイホンに切り替え。左折して、しばらく1号線の脇道へ。伊達方一里塚を過ぎて再び1号線に合流し、また左折して分岐、これから掛川市内へ。
ガードを超えて左折。
分岐。
しばらくして虫の知らせがあって間違える筈はないが、暗いので取り返しがつかなくならないようにアイホンでチェック。違う?良かった、でも道は無かった感じだが?
後方確認。この道か!
引き返すとあり得ないような道これでは絶対誰でも分からない。でも間違いない、アイホンGPSで継続チェック。誰も分からんよ。w
こんな道だよ、これでも東海道か。
普通の道へ。
淡々と市街地を目指す。早く明るいうちに掛川市街に入りたい。
何とか市街地に着いた。掛川の宿の案内も確認。徐々に進んで行き、四差路があった。東海道の道案内があり、暗くてよく分からない。矢印の道標は明確にどちら向きなのか?らしき道を進んで行き、とりあえず暗くなった為方針転換、駅とホテルを目指す。理想的には明日駅からそのまま浜松側に行ければ良いが、掛川の宿のチェックの結果大きく間違い、翌日に前述の四差路まで戻ることになった。でもまあ、予定通り着いたからいいかな。
今日は一応達成。前回のロスを少し取り戻した。ところがこの気持ちの緩みからか、夜に大失態、次の日のスタートは大幅に遅れることになってしまった。
大失態の巻
続きます。
日坂の宿の案内。
下りきって大きな道を横切ってに日坂の宿へ。
藤枝~掛川① 大井川まで
今日は大井川越えや岡谷の宿の石畳がメインと思っていたが、実はその後の小夜の中山越えが大変でした。意外に長く続く登り坂もですが、下りの西坂側の急斜面は素人なら車でも運転困難ではないかと思えるほどだった。
前日からFDAとバスで島田入り、東海道線で藤枝へ。前回の遅れを取り戻す為にスタートDASHが大事かなと今日は掛川までなんとしても辿り着く気迫十分。
前回藤枝駅から少しでも島田側に行こうと思い、下青島まで行った。後で地図で確認すると六合駅までは余裕で行けそうな感じだった。残念だったが、とりあえず少しはカバー出来たのでそれを活かしていざ、7時38分スタートダッシュ!
いきなり下青島から変化に乏しい道を行く。松並木がちらほらと見えたのは電車で確認済み。あの道沿いが旧東海道なんだなと分かる。先の方の松並木が道に対して直角に連なってるのは曲がり道ではなく概ね寺や神社である。ちょっぴり旧東海道のプロとしての自信が(笑)
長々と歩き、一里山交差点で県道に合流。合流後、たんたんと道を進んで行く。それもあって早めに六合駅の分岐を右折してしまったが、アイホン殿の活躍で修正。正しく先で分岐し、また合流。栃山橋を越えて島田市街へ。
島田宿。
島田駅を通過、9時49分ここからがスタートのつもりで。
無線基地らしき下に「茶」の字のある山、粟ヶ岳が見えてきた。この山の寒暖の差や朝露が山茶にいいらしい。この先を東海製紙工場沿いに左折し大井川川越遺跡の方へ。
町並みは立派に再現されている。当時の生活や人足達の様子が髣髴とされるような、設備も維持管理状況も立派だった。有料閲覧でも全くおかしくない施設や当時の物品がふんだんに置いてある。非常に参考かつ勉強になった。
蕎麦屋さんでトイレをお借りして、お礼に川渡しの川札購入。
川会所。
雰囲気のいい並木道、ここで歩く姿勢が悪いせいか突然腰痛発生。だましだましするカッコウでヨチヨチ歩き。少しづつ痛み回復。こんな調子で掛川~大丈夫かな?大井川川沿いに到達。
大井川、話は聞いていたがとにかく長い。渡りだしてもなかなか中間店らしき場所まで進まない。富士川、安部川と一味、二味も長さが違うみたいだ。ここを肩車で渡るなんて想像できない、子供を肩車したとしても途中休みがなけりゃ大変だ。
中間点で両方の対岸に向ってパチリ。長いです。
後半へ。
宇津の谷から藤枝
宇津の谷から藤枝
前日のリベンジを図るつもりだが、少し引きずってモラル低下、やる気無く、朝時刻も確かめずに藤枝駅北口のバス停のほうへ。おっと、ちょうど宇津の谷行きバスが出るところでした。いまだ神は我を見捨ててはいない。ラッキー、いい時間に着けそうだ。
昨日の結果を受け、なんせ念には念をということで宇津の谷を調べると、パワースポットとか魔除けとかいろいろ出てくるのでやめた(笑)そこまでなら歩道の無い1号線のトンネルのほうがまだましかな、なんて思いもあったが勿論正攻法で山越えに挑戦。
バスを降りて勘違いして歩道橋から迂回して宇津の谷集落の方へ。直接行けばよかった。集落は殆ど当時の雰囲気が残っているかのようでした。なんて見た事があるような言い草(笑)明治のトンネル行きの道標が、いよいよ山越えルートが近づく。山越えルートの登り口、もろ山道じゃないかよ。
坂下地蔵を通って1号線に合流し藤枝市に入り、少し歩いて分岐。川沿いの田舎道を進行、岡部の宿を目指して行く。
岡部宿。
岡部の宿公園を過ぎて、県道から旧東海道と同じ幅員の脇道に入る。空腹感で、路上と言っても軒先にあるみかんの路上販売を頂く。もちろん200円払ってだが、家の前なので安全だろうという判断で、しかもその場で食べるのは文句なかろうということでへたり込んで食した。美味であった。3個残しリュックに入れ立ち上がって再び進行、程なく常夜灯見ながら県道に合流し、ひたすら南下して藤枝市街地を目指す。大きな道ほど変化に乏しく、歩いても長く感じてしまう。
岡部の松並木を過ぎてようやく一号線のガードを潜る。潜る前で昨日バス停で見た一里塚があった。仮宿、ネーミングが気になる。越えた辺り、街並みが続く。油がいと??
昨日バスで見た一常夜灯
鬼島建場を過ぎて県道の方へ。
静鉄ストアでトイレ有難うございます。
ところが工事中で道がない!!!
東海道回り道の看板が???少しは分かっているみたいだ(笑)
回り道して迷うがアイホンで確認しながら復帰。
藤枝市街へ
白子。
本願の松。
勝草橋、そのいわれが興味深い橋を渡る。
サッカーも中。藤枝は過去に藤枝東高校
という超強豪高の地元だ。
志太一里塚。
藤枝の宿を過ぎてまだ相当時間があった。とりあえず行ける所まで行こうということで、島田の方角を目指す
西友有難うございます。
帰りの時間が心配で下青島の追分の碑まででバック。藤枝駅までに追分にかかる碑があった。藤枝駅から飛行機のバスが出発する島田駅までJRで。多分島田まで歩いてても間に合ったかもしれないが、飛行機に遅れると悲しいので良。
バスが来るまでの空いた時間、島田で一杯。










































































































































































































































































































