鳴海~宮~富田(四日市)①
宿泊した錦三から金山経由で鳴海へ。
今日、宮(熱田神宮辺り)経由で四日市まで辿り着ければ何とか初日の遅れを取り戻し、4月1日に三条大橋ゴールが現実のものとなってくるのだが。四日市まで行ければ、次は関まで足を伸ばし、関を基点に鈴鹿越えが出来る。四日市まで行けなければ次回の基点が亀山となる蓋然性が高くなり、鈴鹿越えが夕方になる。公共交通機関も無いので出来れば昼前に鈴鹿越えにチャレンジしたい、その為には今日がポイントとなる。
鳴海着。駅前からそれらしい道を通るが、殆ど道標も案内板も無い。無かったのか確認できずに通り越してしまったのか分からないがいつの間にか市街地を通り過ぎ、国道の方へ。
常夜灯があった
天白川を越えて大きな東海道の案内石碑があった。少し薄汚れてよく見えないが雰囲気はバッチリ。
石碑
すぐに笠寺一里塚が見えた、なんとホームレスが陣取っている。ダンボールの中には人の気配が。邪魔だけど、寒いだろうなと文句もあい半ばに。
しばらくして笠寺が、大きなお寺。門前町の雰囲気があって楽しい。
楽しそうな商店街を抜け大きな道を通り越した辺り、とにかく寒くなってコンビニで貼るカイロを購入。
指が曲がらなくなった。
塩付街道、塩がこの辺りに集められて美濃、信州に運ばれていたらしい。
鎌倉街道も
名古屋市内。呼続越した辺り、道標あつた(熱田)
名古屋特有の広い道
の陸橋を越えて道なりに、しばらくして道沿いに左方向に分岐
準備中→握れません(笑)
左折する
JR踏切
名鉄常滑線
ガード越えで雰囲気が。宮地区の案内板。
実は昨年名古屋に来たとき、順調に来る事が出来れば、ここを通るはずと思って写真撮ったものだ。実際は旧東海道は一本、海側の道だったので、違っていたのだが、この場所が間違いなく一年前の光景だ。確認後、一人笑みしながら宮の渡しの方へ。
一年前熱田神宮側から
今回旧東海道側から
道標
行列があった。ひつまぶしかな?蓬莱軒想い出の場所、熱田神宮まで来たのでここで確認。
宮の渡し、感激~。
この間、ゆっくり滞在。四日市が遠くなった。
でも折角の旅情はゆっくり味わいたい。
岡崎~鳴海
岡崎~鳴海
三河安城駅から岡崎駅へ。岡崎駅から愛知環状鉄道中岡崎駅へ。駅降りると八丁蔵通りの案内が。昨日の地点から八丁味噌の聖地へ。
岡崎二十七曲り、八帖。なるほどテーマパーク風だが歴史を感じてしまう。八丁とは岡崎宿中心から八丁という意味らしい。
突き当り、如何にもという感じの道がここで終了。
西京、江戸の分岐道標。
八丁蔵通りを右折、しばらくして大通りに出て先を見ると矢作橋が。矢作橋、この地で日吉丸と蜂須賀小六が会ったのだ。渡り切るも橋周辺には何も無く、そのまま大きな通りを進行してしまって不思議になり、ふと後方を振り返ると、先程の橋を越えた辺り、道路の反対側から右折しているそれらしい道があった。少しだけ引き返す。ここに出会之像オブジェがあったらしい。
岡崎城は桶狭間の後、徳川家康が入場し今川家より独立し、また、矢作川は豊臣秀吉が蜂須賀小六と出会った場所なので、お二人の天下取りの起点とも言える場所である。
古い佇まいの町並みが続く。
浄瑠璃姫、新蒲原にありました。遠州から連れ戻されて矢作川の支流、乙川に身を投げたといわれている。
国道へ合流。しばらく進行。
ラーメン屋とマクド。ここでしばらく休み。
松並木を再び。
雲竜の松、すごい横に広がっている。上よりも横に成長、荒れ狂う大蛇か雲か山か地を這う竜の如し、的確なネーミング。
来迎寺一里塚があった。二対。
再び松並木。知立の松並木。
ここを抜けて知立市街へ。馬市で有名なところだ。広重の浮世絵にも登場。歌川広重が実際は東海道を歩いていないのではという話があったが、知立で馬市、宮で熱田神事などタイミングよく見たとは考え辛いということだった。
池鯉鮒宿の案内道標。
知立の市街地へ、迷い込みそうな道なのでGPSでしっかりチェックしながら慎重に進んで行く。
そろそろ食事タイムに。ここで食事探さないと後は厳しそうだ。大通りに出る少し前、ふと横を見ると喫茶店が開いていた。日曜開いているのはママさん喫茶と寿司屋(笑)。喫茶店に入ると聞く間もなく、はいそこに、と座らされた。強烈そうなママさん、従順に座って、出来るものを聞いて、焼き蕎麦とビールを注文。
大通りを越えて市街地を抜けて一路名古屋へ
一号線に合流し、途中一里山で右折して旧道へ
刈谷市のいもかわうどんの説明が。きしめんの元祖?その名のルーツは紀州麺、雉麺など諸説あるらしいが、平うちうどんのルーツは間違いなさそう。
境国道から反対側の分岐へ、おっかなびっくりで通過。
境川、境橋を越えて三河から尾張へ。境橋、尾張と三河双方で橋を架けたらしい。従って中程より東西が板橋と土橋という構造だったらしい。
名鉄豊明駅前の喫茶店に入る。ここでもう大丈夫と傘を置いてきた。昨日の事もあってなかなか手放す勇気がなかったのだが、2.14のチョコを頂いたのでお返しに傘ぐらい(笑)苦労を共にした傘に感謝してお別れ。
国指定遺跡、阿野一里塚を過ぎて、三田内科クリニックがあった。先程の解説版に江戸時代に名医の誉れ高い三田邸云々とあったが、末裔?
左折分岐
桶狭間、時間が無い、ごめんね次回に。
有松絞り。ここはまた来て見たいランキングに入るほどの街並み。
碧南信金、美味しそうな蕎麦屋さん。宮田醫院、GJ。街並み景観との調和感。
有松の街並みを過ぎ、ガードを潜ると辺りは暗くなってきた。
17時半鳴海駅南口が見えた。とにかく寒いので駅の方へ行きたくなるが、我慢して西行。しかし北口辺りで気持ちが萎えた。少し厳しいが、宮の渡しまで行ければと思っていたが、一日目の強烈な雪中行軍で、無理しないというか自分に甘くなったかいずれか(笑)
ここまで!
錦で一杯飲んで、その後カレーうどん!で締め。本日も地産地食。
御油~岡崎②
一号線から右へ、寒々しい常夜灯があった。県道を越えてしばらくして藤川の棒鼻にぶつかる。奇麗な棒鼻の形だ。往時の雰囲気が蘇る。歌川広重の藤川棒鼻宿の浮世絵は当時に思いが馳せられるものだ。大名行列と街道沿いの雰囲気が。
藤川宿の問屋場、本陣、脇本陣など街並み、宿場の雰囲気は十分、だが味わう余裕は無くそのまま進行。
西棒鼻、ここも奇麗に整備されている。学校の傍というのがいい。
人も車も増えてきて、松並木も余裕で見れるようになってきた。県道から左折して岡崎の宿の方へ。
大平一里塚から国道へ。インターチェンジの地下ガードを潜ったりして再び国道へ。やっと雪が少なくなってきた。
陸橋が無くマックへ行くのに長い信号の横断歩道を北へ、西へ、南へ。終了後北へ、東へとまた元に戻り、国道沿いを右折。
岡崎二十七曲へ冠木門が待っていた。
有り難い事に、道標に各曲がりの距離と方向を示されている。結構順調に来たがやはり途中で市の予算からか道標がなくなる。確かに曲がる地点を手持ち資料で再確認し、進行しているうちに道標復活。
だんだん暗くなりつつある。川沿いの道からほぼラストに近くなってくる。それにしても暗くなるスピードが速い。もう真っ暗となった。
このタイミングでローソンがあった。ここで一人作戦会議。アイホンで現在地確認。このまま行くべきかどうか、どこで終わらせるか検討会議。ところが現在地が結構駅に近い。終了!いいタイミングで会議したものだ。結果的にここまでリカバリー出来た事はかなり大きかった。
今日はとんでもない目にあったけど、良くここまで来れた。ローソンで考えることにしたのもいいタイミングで正解だった。そのまま中岡崎駅から岡崎駅経由で三河安城に。
三河安城駅で蕎麦屋に。自然薯そばで一杯。至福のとき。最高でした。
またまたガード
またガード
御油~岡崎①
今回は完全に(世の中)甘く見ていました。反省!
横須賀での仕事が終わり、横浜でスタッフと別れ、そのまま新幹線で豊橋へ。その為、荷物が着替え5日分、パソコン、仕事の資料など通常より余分な量があるのに、逆に装備は不十分でコートなどもごく普通のものでした。まさか、仕事先に行くのに東海道歩く格好では行けないからね(笑)。唯一、以前買って未使用となっている緊急用の合羽のみで後は現地で調達などと安易な考えであった。
天気予報は当初金土日の3連休では金、日が晴れ、土曜が雪であったが、前日から冷え込み、当日の朝も雪が舞っていた。それでもしばらくしたら止むだろうなどと楽観的、希望的観測でホテルを出発した。
御油に着いたのが8時15分、豊橋駅前とは格段に違う。南国育ちにとっては、ほぼ吹雪状態。道路渡る為の地下道入り口までの数メートルを早足でかけ抜けて、道路を横断、潜って出口に出てみると猛吹雪?。ふと横を見るとコンビニが見えたが、まずは用意周到の合羽を取り出す。ギョェーッ、合羽とは名ばかり、単にゴミ袋の左右上部がハサミで数センチカットされて、そこから手が出せるようになっているという表現がふさわしい。即行コンビニに走り、傘と合羽調達。
これでなんとか格好が付いた。コンビニ出てm寒い中、入口付近で着込む。丁度いいことに先ほどの緊急用合羽はリュックにかけ、左右上部の穴からリュックの肩にかけるところを引っ張り出し担いだ。
一応完璧。
ただ、歩きだしたものの防御されてない袖口と膝下に吹き続ける雪が纏わりつき、何回も振り払うもだんだんびしょ濡れに。水もしたたる・・・・状態。カメラも湿気?で蓋が閉まらなくなった。
おなじみ御油の広重の浮世絵。
赤坂の宿に着いた。御油の宿からすぐ近く。宿間では最短かな。
事前チェックの大橋旅館に着いた。来たかったので感激だが、このタイミングなんで、微妙です。現存する化石のようなw旅籠屋。江戸時代から続いている旅館だ。今この東海道沿いに2軒あるらしい。当然、雰囲気を味わう余裕も無く、通り過ぎる。
お休み処「よらまいかん」があった。とにかく休みたい。体制建て直しが必要だ。まずは入って休む、もちろん暖などは無いがとにかく雪から逃れられる。体が冷え切っているので、休むことにした。入ってみると若者二人ほどまったり先住。隅の方でこの先どうなるか脳内シュミレーションしながらポツンと。しばらくして決断、ただ、暖が取れるわけでも無く、じっとしていても駄目なので立ちあがって出発。外のトイレに行き、熱源放出。
デジカメが更に調子が悪くなり、まったく使えなくなってきた。湿気からか?調子が悪くシャッターが切れない。合羽の中に入れて映すときだけ出して使うというように防御していたが、残念。アイホンに切り替え、暫くしてアイホンも調子が悪くなる。だましだまし、使ったり再起動したりしてなんとか。だんだん靴も濡れてきて、靴下までビショビショに。袖口から肘までもじんわりと。とうとう撤退も視野にすべきでは、という心境までなってきた。
一号線に合流し、どこにも場所なくしかたなく道路沿いで熱源放出。ガードレールにお世話になりました。この状況で誰も文句言わないと確信しつつ。
ズブズブ
本宿へ。一号線と分かれる地点の宿の案内板の写真を撮ろうとして足を乗せたところ、雪の下が御影石、すってんころりんという感じですべり、仰向けに転倒してしまう。石で頭打たなくて良かった。これで駄目押しのぐだぐだ状態、回復不能の最悪のケースだ。(笑)。
何とか立ち上がり、休息場所探して前進。ただ、こんな天候では休める店は開いてそうもないが、とりあえずしばらく何も考えず前進。
東海道の道標、少し安心。
右手に本宿駅の標識が見えた。即行本宿駅へと退避。状況次第では、「I shall return」と発して福岡へ帰ってしまおうかと考えていたが。
でもひょっとしたら喫茶店でもあったらな!という期待もあったんだが。
天は甘くなく、あったのは売店だけでした。もちろん開放状態の駅の改札の前でしばらく寒さに耐え、最終決断の時期を窺ってると、よく見ると奥の方にドア付のジョージアコーナーというのが。ドアを開けて、とりあえず風は入ってこない。暖かい自販機コーヒーを買ってここで約1時間、暖房とかは無く相当寒いが風は無い。なんとか冷え切った体を少しでも寒気から避けなくちゃ。
足元は水溜り状態。一時間退避して体力、気力がやや回復。雪は止まないがせめて次の駅くらいまでも前進して再考、と出発。予定クリアーはとうに諦めたが少しでもカバーし、大差の勝負でのラストワントライにチャレンジ、次に繋がる様に。
気がつくと既にお昼時となっている。暖が取れる場所が見つかり、食事休息が出来れば少しでも先に足を伸ばせるのだがと発想がやや前向きに。どこか暖かいところないかな?
歩いていると、やっと一軒、幸運なことに寿司屋(蕎麦も)があった~。入ってみると一瞬店の客、従業員に緊張が走る。やっぱりこの格好ではね。ここでもやっぱり、ゆっくり時間をかけて食事、B級のうづらの卵、手羽先と暖かい蕎麦頂きました。出発。なんとか少し雪の勢いは収まっている感じだが、それでもまだふりつづけている。
東海道に復帰してしばらくして先程あった中学校に通う生徒がパラパラ。こんなホームレスか脱走兵ごとき格好なのにその中の一人の女子中学生が「こんにちは。」と元気よく挨拶してくれた。感激!こちらも大きな声で「こんにちは~。」元気をもらい、俄然ファイトが沸いてきた。あまりにも単純。
ゆっくり、沈着冷静と言い聞かせながらまったりと西に進行しているうちに、何とか、東海道を歩いているという、いつもの実感が少しづつ回復してきた。一号線経由で左折して藤川の宿の方へ。少し明るくなり何となく人の気配が感じられるようになってきた。
以下②へ続く。
長崎 島原の青い理髪館
二川~御油
二川~御油
二川駅は駅前が旧東海道。従って中継地点という意味では無駄が無くここを躊躇無く選んだ。駅前からすぐ旧東海道へ復帰。進んで行く。途中で右に分岐。火打坂という場所。ネーミングからいかにも・・・という感じの場所の坂でない方の道を通っていく(笑)。
豊橋まで7Kmの表示、もうすぐ
しばらくして左折。延々と西を目指して直進。
旧東海道のクロマツ跡があった。
近所のお使いらしきおばさまと抜きつ抜かれつやってる間に、前方にうっすらと豊橋市街が見えた。感激。
ズームで。
やがて並行していた一号線に合流
MACで一休み、コメント無しw
その前に飯村一里塚、休んで良かった。まず通り越しそうなポイントにあった。
しばらく一号線だ。一号線の道はあんまり面白くない。早く吉田宿に着かないかな。
陸橋が見えた。いよいよ、吉田宿、豊橋市街だ。道を曲がる地点に常夜灯有り。
道標で旧東海道を確認。が、ここで迷ってしまう。想定したルートを進むが、宿場の跡らさしきものは殆どなかった。曲尺手までは間違いないと思ったのだが・・・残念。
途中でまた道標確認。直進していたら右側から来た道に右折する旧東海道の表示が!現在直進している道がここから東海道に。結果的にここで旧東海道復帰。結構道案内が各要所地にあるのだが、部分、部分の案内になっており、それに頼り過ぎると結果的に道に迷う事となる。
早速。西木戸、ということであっけなく吉田の宿ともお別れ。
吉田宿を考える会。高札場。
豊川を渡り、左折して食事場所を探す。
豊橋川にお城らしきものが。
みな閉まってます。
魚市場やら豊川放水路やら延々と歩き続けて、あった。
割烹料理屋、営業中の表示。入ると「すみません、今日は団体が。」ということで門前払い、まあ日曜日だからね。
やっぱりまた連続寿司屋か、でもしょうがないな。
名前が宿場、まあ許せます。納得して入店、魚市場近くだし海鮮丼で。
味はバッチリ美味でした。
良く考えたら、田舎で寿司屋なら確かに開いてそう。
越えてしばらく進行し、近くの工場の裏でお世話になり、
一号線に合流。名古屋62k、岡崎22キロの表示が
跨線橋を通ってしばらく行きやがてそれらしい道に左折
御油一里塚が。
御油に着いた。18時なのでまだ行けそうだが体が冷え切っておりあまりに寒いのでリタイア。
留女、力強そうですね。女性は戦後強くなったと言いますが
江戸時代からなのでしょうか(笑)
帰りの新幹線、一人作戦会議と昨日の非常食のソーセージ
豊橋経由で掛川まで。今回でほぼ東海道を手中に収めた感があったが、次回の御油で手痛い手ほどきを受け、天竜川を越える大ピンチとなった。甘くないです。続きます。
完歩信認のお願い(爆)
東海道完歩について、今でも疑いの目でみる人がいるのは驚きです(笑)。私の日頃の行いが悪いのでしょうか。車で移動しながら写真撮ったのではとか、何かの事件のアリバイ工作で、行ったふりしているのではなどと言いたい放題。人様に後ろ指指される事はやってないですよ(笑)。
以前も富士山登頂したときも人が登った写真をもらったのでは?なんていう御仁もおられました。たまたま、お盆に東京出張のとき、山手線から富士山頂の温度が表示されているのを見て、突如として我片雲の風に誘われて漂白の思いやまず、翌朝、気がつくと中央線に乗って大月駅に向っていました。五合目、河口湖畔までバスで、一休止し吉田口から登り始めて本八合で山荘に宿泊。翌日朝に山頂に到着、帰りは須走口から下山したものです。帰福後、知り合いに山頂での写真を見せると、合成じゃないかとか、ヘリで運んでもらったのではとか。私の行いというよりやはりやっかみでしょうか(爆)。今回も4月1日エントリーのマイ画像を確認して頂いてご信認をお願いします。
ということで今これからのプロジェクト、ポスト東海道を計画中です。長崎街道、中仙道や甲州街道の街道系、奥の細道や熊野古道などどうですか、と奨められていますが、少しクリエイティブな面も出して生きたいと思っています。
弁天島~二川
浜松駅から朝8時10分弁天島駅へ、旧東海道復帰。旧東海道を歩き出した当初はなるべく早くという思いで七つ立ち(「お江戸日本橋~。」。朝4時出発。)などチャレンジしたが、いずれにしても10時間程度は歩くので、ゆっくり食事しながらホテルを7時半くらいに出発するのがベストと考えて行動している。
同駅から中浜名橋を越えて西浜名橋の方へ。両方の橋はあまり眺めがよくなかった。結局、旧東海道沿いの浜名湖は見せ場無く通り過ぎてしまった。遠江(浜名湖)は今回諦めて、近江(琵琶湖)に期待しよう。それとも次回は姫街道(浜名湖の北側ルート。新居関が厳しかった為、当時の女性が避けるように通ったルート。)にしようかな。
橋を渡ると程なく新居の駅前を通過し、そのまま右方向に分岐し新居の関の方へ、旧道らしい雰囲気になってきた。
面白い新聞販売店。
結構本格的な関所跡だった。御客さんらしき人いないので協力の意味で入ろうかも思ったが、今日の予定はあまり時間が無いので、スルー。
旧東海道らしい街並みを左折、仮に直進して左折すれば旧東海道と並行している寺町通りとなる。街並みの雰囲気を楽しんでいるとやがて街並みが途切れるような感じになり棒鼻にぶつかる。棒鼻とは宿場の入り口に位置し、警備目的の為、一度に大勢の人が通らないよう枡形となっており、大名行列はその地点で先頭から隊列を整えたので棒先から棒鼻と言われるようになった。ここの棒鼻もその特徴が良く分かるものだ。従って、ここで新居の宿ともお別れということになる。
旅籠
旧宿場街を抜けて県道にぶつかる。右折して暫くして右前方に分岐、白須賀の宿の方へ。
先ほどの県道と並行に西進、この道は浜名旧街道との標識となっている。延々と続く同一方向への長い道のり、寒い中で周りの光景もあまりに変化に乏しい。数時間程度がものすごく長く感じられ、ふと、この俺は何をしてるんだと少々辛い感じの弱音が。
松並木が続きます。
なにやら不思議な看板が。
立場跡の表示、そうでしょう。こんな退屈な道には絶対必要(笑)。
秋葉信仰の二本の石柱、幟などの支柱と推測。まき木?これは幟のさおと推測。誰か教えてください。
宿跡らしきものがちらほら、やっと国道が見えてきた。この手前を右折して山道を登るような感じで白須賀の宿の方へ。宿場案内が雰囲気を誘う。今までの宿跡は元宿といい、従前はここにあったのだが洪水や津波などで今の山手の宿場跡に移転したらしい。途中の潮見坂、眺めは最高だ。広重の絵の場所と近似。
登りきったところに、休憩所「おんやど白須賀」があった。なにか売店やら食堂やら食べ物期待したが勿論何もない。奥の方で先ほど旅人を追い越していった方が持参していたらしい弁当を食べていて、お茶のサービスを受けられていた。「備えあれば憂い無し。」の雰囲気でこちらを見ていた。ただ、こちらはあくまで地産地食を徹底する方針なので備え無し。今まで弁当用意して行ったのは箱根西坂くらいだ。
空腹時に人が食しているのを見てもしょうがないので先を急ぐ。とはいっても食事できる場所とかは全く無かったし、今後も期待出来そうもない。
しばらく歩いても店らしきものは殆どない。ましてこの辺にコンビニ作るようなオーナーもまずいないだろう。するとストア(と書いてある)?というより昔の小店的なところがあった。ラッキー。で物色するも何も無く魚肉ソーセージを非常用に買い込む。静岡ではチキンラーメンだったが(笑)
曲尺手通過、曲尺手(かねんて)とは宿場はいろんな大名行列がかち合う可能性があるということで見通せないように道をカーブさせたもので、大名行列は斥候から情報を得て対処していた
古い街並み。楽しみながら進む。火防etc。
宿場街並みを越えて県道へ合流。
ここで意外な標識が!
ここより「愛知県」、やっと無駄に長い静岡県から解放された。調査不足により知らなかった分だけ嬉しさが増しました。
・・・となればこれが境川。
食事する場所は旧宿場の街並みでは全く皆無だったが1号線沿いならあるだろう、期待しよう。
国道に合流。マックの看板、ここから6キロの表示が。車なら文句なしだが(笑)。この際、ファーストでもスローでも構わないので。
先の方に店らしきものが。なんかの事業所なのか?近づくと飲食店、レストランでした。
選択肢無く入店。客0でしたが
定食に土手焼き追加。赤味噌・・・名古屋を実感。
正解、親切な上に美味でした。
キャベツ畑を横に見ながら、さあ、豊橋へ。
延々と続く国道を
やっとガードが見えてきた。
二川の宿の方へ、やっと国道を離れられた。
ここで資料館に入る。何で入ったか、またネタをいわれるのでノーコメント。結構面白い資料がありました。また番外編で公開。
浜松へ帰り、今日はアクトシティで宿泊。今回は完璧予定どおり。
浜松餃子!









































































































































































































































