ゆたちゃんのブログ -6ページ目

蹴上~三条大橋

331日、21時前に京都着。


ゆたちゃんのブログ

ホテルにチェックイン後、22時過ぎ、やや余裕目に蹴上目指して出発した。ここから記念とする為、写真に現在日付、時間を入れるように設定した。ホテルを出て四条河原町向うと東海道ではないが、「左京極近道」の道標があった。


ゆたちゃんのブログ


四条河原町から八坂神社、知恩院入口(華頂道)を経て琵琶湖疏水か?川沿いに右に折れ、そのまま民家の裏を通って蹴上近く、ウエスティンホテルの手前で三条通に。折角なので蹴上に出るまではなるべく三条通りは通らずに、という作戦だった。


華頂道、厳か!

ゆたちゃんのブログ


琵琶湖疏水?

ゆたちゃんのブログ


裏道

ゆたちゃんのブログ


先日到達した蹴上着、2245分。ここから最後の出発、三条通りを西進。さすが京都、古い屋敷が並び、都心に近づくにつれ新旧デザインの競演となる。


ゆたちゃんのブログ

ゆたちゃんのブログ


兵部というお店。日本の武具に加えて、西洋騎士の鎧と仮面も。シャッターの中には旧東海道のものと思しき道標が見えた。表札がなんと井伊!ポスターに井伊美術館。


ゆたちゃんのブログ

ゆたちゃんのブログ


神宮道を通過。ここを右折すれば平安神宮だ。

ゆたちゃんのブログ


2315分、予定通りでやや早め。もう夜目にも三条大橋がズームで確認できた。右手に三条バールというお店があり、ここで時間調整することにした。二杯飲んだところで後10分を切っているのを確認、少し慌て気味のチェックアウト。最後の西進となる。


ゆたちゃんのブログ


2358分、三条大橋の横断歩道の手前まで来て、同59分に欄干の傍にピタリ。


ゆたちゃんのブログ


ゆたちゃんのブログ


ゆたちゃんのブログ


カウントダウンで41日の00分ジャスト、計画通りに橋に到達した。

ゆたちゃんのブログ

ゆたちゃんのブログ

ゆたちゃんのブログ


先斗町のバーへ。

ゆたちゃんのブログ


当日アップした記事です。

http://ameblo.jp/urepi/day-20110401.html


翌日は田毎で蕎麦を食し、帰福へ。


田毎に月が。


ゆたちゃんのブログ

ゆたちゃんのブログ

最近、目標を立ててクリアーしていく、という機会があまり無かったので、今回自らに課した目標を達成出来たこと、この機会を与えて頂いた関係各位に心から感謝したいと思います。掛川で二日酔いで動けなかったり、熱中症を恐れず、真夏に小田原から箱根目指して意識朦朧となったり、御油から藤川間で雪と寒さでグダグダになったりもしました。全て状況への対応を誤ったり、軽く見たり自己管理の甘さに起因するのですが、あれもこれも今となってはいい思い出となりました。


今後の計画ですが、現在歩いている長崎街道(小倉から黒崎、直方、飯塚を経て現在筑紫野市。佐賀長崎目指して爆歩中。)、今後予定している大山街道、日光街道~奥州街道など街道ものや、なるべく、ゆた重集などシリーズで継続できるものをアップ出来れば、と考えています。

石山~蹴上(京都)② 逢坂山越え

一号線にやっと合流。ここで左折(しかし、長かったな。)、いよいよ京都方面へ。右手に京阪京津線が山側へ展開するが、また旧東海道(一号線)と合流、交差、京都方面へ並行するので、一号線同様にしばらくお付き合いして頂くことになる。


ゆたちゃんのブログ

ゆたちゃんのブログ

しばらくして大津本陣。道標の他にはなにも無い。この大津宿は東海道、北国街道と湖上ルートの分岐点となっていた。正面に逢坂山かな?見えてきた。これが最後の山、越えれば京都が目前だ。東海道本線を越えていよいよヤマに突入。


ゆたちゃんのブログ


ゆたちゃんのブログ


蝉丸神社、見ると参道を京津線が横切っている。百人一首の世界を彷彿。しばらくして一号線と交差している京津線の踏切を越えて坂は急坂となる。右手に逢坂の道標、地名由来や歌に読まれた云々。清少納言の「・・・世に逢坂の関は許さじ・・・」→許してください、旅人も青春からこっち、悉く、逢坂の関だらけだったな(笑)もっとも、鳥の空音を図るほどのまめさもテクもない、シャイなゆたちゃんでしたが。


ゆたちゃんのブログ


ゆたちゃんのブログ


ゆたちゃんのブログ


太陽を避けて左側歩道に移動、登って行く間に京津線の電車と遭遇。すぐ傍で傘が接触しそうだった。名神高速のガードを過ぎる。右手に常夜燈、左手の道路の石壁には解説板が続いている。


ゆたちゃんのブログ

ゆたちゃんのブログ

ゆたちゃんのブログ


ゆたちゃんのブログ



少しずつ急坂を登りながら西進、やっと登り詰めた所に小公園。常夜燈と逢坂の関の案内板があった。ここがピークとなっており、これから下りとなる。

ゆたちゃんのブログ

ゆたちゃんのブログ

しばらく下って行き、勾配が緩やかになった感じのところに歩道橋が有った。大谷駅辺り、道路の反対側の駅舎周辺には料理屋らしきものも見えた。歩道橋の階段を少し登ってどんな料理かな?と手をかざして見ると。うなぎ!うなぎか?止めとこう、降りて再び西進開始。それにしても東海道はうなぎだらけだったな。降り際に「これやこの行くも帰るも・・・・逢坂の関。」の看板が見えた。

ゆたちゃんのブログ


ゆたちゃんのブログ


しばらくして、そろばんの発祥地の道標。国家試験を電卓使って合格した後、就職したときにそろばんをしろと言われた時の大きなショックを受けた思い出がある。高齢の先生に「君、そろばん出来んのか」と、何か致命的な欠陥を持った言われ方をされたが、世間一般普通に電卓使われていることを強調して、何とか難を逃れた(笑)



ゆたちゃんのブログ


ガード越えて交差点を過ぎると左分岐となる。長かった京津線、一号線ともここでお別れ。結局ロードサイドの食事の店とは縁無し。近江米食べたかったな。まあ、次の機会がありますように!京都に近づいたらファミレスぐらいは有るかと思っていた。


ゆたちゃんのブログ


ゆたちゃんのブログ

分岐した後は再び旧東海道らしき道へ。右手大津市外と反対側の山裾に眺望が広がる。雰囲気のある街並みを通って行くと突き当たるように追分道標、タイムスリップした旧東海道を実感できた。右京みち左ふしみみち。勿論京道。


ゆたちゃんのブログ


ゆたちゃんのブログ


古民家鑑定の看板有り、京都らしさを実感。


ゆたちゃんのブログ


車石の解説有り。諸国より京までの物資輸送の為、車道を敷設した。花崗岩にレール状の条痕を彫り、これを繋ぎ合わせたもので牛車の混雑を解消したらしい。遅い牛さん可哀そう、後ろが支えてしまう。以前旅人が下手なゴルフしたとき後方が詰まってしまって迷惑をかけたことを思い出した。往時の物流状況に想像逞しくさせながら京みちを進んで行く。


ゆたちゃんのブログ


カメラに曇りが、レンズに雨のしずくが付いてしまった。これをティッシュで拭き取るタブーに挑戦。何とかセーフ。


一号線越えの歩道橋に突き当たる。「旧東海道をお歩きの皆様へ」の案内が。素直に歩道橋を渡り、案内どおりの道を進んで行く。


ゆたちゃんのブログ


道なりに進んで行く。とうとう京都市に入った。小万歳!そのまま西進し、山科駅の方へ進む。


ゆたちゃんのブログ


山科駅の手前に蕎麦屋があった。で昼食。にしんと揚げ出し豆腐と付き出しでお約束の純生。美味だったが、蕎麦まで到達しないタイミングでなんと歩行欲>食欲。時間チェックしてもまだ随分余裕があったが、はやる気持ちで次の客が来たタイミングで席を立った。


ゆたちゃんのブログ

山科六地蔵があった。六地蔵巡りというのが有ったらしい。ここは諸国、諸地方に向う京の出口的位置づけで、道祖神信仰となったらしい。伏見ぢざう(地蔵)と読めた!

ゆたちゃんのブログ


ゆたちゃんのブログ


山科駅前を通過。本来ならここが到着地点だった。事前に地図で確認すると結構蹴上に出るまで山道が続いている。グーグルとかで確認しても家が疎らにある程度。331日の深夜に歩くのも嫌だな、と思い今日は蹴上まで西進、地下鉄で京都駅に帰ることにしたのだ。


ゆたちゃんのブログ


五条別れ道標。読めません。


左ハ今ぐ満(熊野?)きよ水(清水) ひがしにし六条大佛(東西本願寺?) 道


右ハ三条通



ゆたちゃんのブログ


三条通を道なりに右方向に。天智天皇陵が有った。垂直日時計もあった。実は天智天皇の水時計で我が国の時刻制度が始まったらしく、それに因んで贈られたらしい。天智天皇は大化の改新もだが庚午年籍など行政改革も積極的に行った。外交上も敗れたとはいえ同盟国支援のために武力支援を行い、その後水城、防人、烽火台などの防衛体制を築いた。ある意味、今の日本に必要な人材像かもしれない。



ゆたちゃんのブログ


ゆたちゃんのブログ


程なく東海道本線のガードを越えて左折、いよいよ最後の山道。細い狭い道を山の方へ登りの道を力強く前進前進、リーチ目標地点は目の前、歩行に勢いが増した。

ゆたちゃんのブログ


登り詰めた所でやや平坦に。そこから少し降るようなところに旧東海道の道標、間違いないとは思いながら、得られる安心感がたまらない。


ゆたちゃんのブログ



ゆたちゃんのブログ


しばらくして三条通が見えた。三条通も登っている感じで、下った感じもあまり無いところで合流した。


ゆたちゃんのブログ


合流後しばらく登りとなる。脇に往年の牛車道を模した広場があった。


ゆたちゃんのブログ


ゆたちゃんのブログ


上りきったところの脇道に登って○○○、数台の車に目撃されるも、お咎め無し。助かった。


ゆたちゃんのブログ


やがて道は下るような感じとなり市街地が見えてきた、紛れも無く京都市街地。翼よあれが・・・。

ゆたちゃんのブログ


蹴上に着いた。京の都。後は331日の蹴上~三条大橋を残すのみである。

旅人は感無量の様で、交差点辺りでしばし佇み、やがて京都駅の方へ去っていった。


ゆたちゃんのブログ


新幹線で帰福へ。弁当は売り切れ、原発直後のせいか関東の方が週末は関西で過ごす人も多く、東京行きは殆ど満席だった。福岡行きも結構混みあっていたが、何とか座れた。京都駅を発って程なく、三日間のリーチ作戦を終えた旅人に、ほんの少量の酒が眠りを誘った。



石山~蹴上① 絶景!琵琶湖


リーチ作戦最終日、前日の好歩を受けて今日は比較的ゆっくり目に出発。雨はやや小降り。昨日はスーパーホテルに泊まったが設備やシステムも意外??に快適、フリーの朝食もなかなか充実していた。これからは先発ローテーションというか、森福級、まずは中継ぎリリーフ陣に加えよう(笑)石山駅に着いて北側に降りて駅前をチェック、道が線路側に続いてないのを確認し、再びホームに上がり南側瀬田唐橋方面へ降り、前日の到達点へ。時間を確認、JR石山駅のガードを潜って、せいらん商店街の幟を見ながら北進開始。


ゆたちゃんのブログ

ゆたちゃんのブログ


旧街道沿いらしく松が一本、なんとなく粟津晴嵐の松並木の名残を感じる。今回の東海道歩行も終わりに近づき、残った道は光景とか雰囲気とかゆっくり噛み締めて行きたいと、はやる自分に言い聞かせながら進んでゆく。

ゆたちゃんのブログ


NECがあった。半導体だろうか?こんな大きな製造工場があったのだ。工場を過ぎ、やがて途中で迷いそうな道を左折。

ゆたちゃんのブログ


左折。

ゆたちゃんのブログ


水路沿いの道から右手の橋を渡って細い民家の路地を通って行く。間違ったかな?傘で道幅を確認したほど細い道。

ゆたちゃんのブログ


これが東海道?

ゆたちゃんのブログ


かさ幅と道

ゆたちゃんのブログ

線路沿いの道から左折し線路を渡って若宮神社を過ぎて右折。しばらくして京阪電車瓦ヶ浜を通って、しばらくして左折し中ノ庄駅の手前を右折。さすが城下町は曲り角が多い。突き当たるところに奥村歯科があった。外観が見事に町並みに調和、個人的に景観大賞授与したい。

ゆたちゃんのブログ


ゆたちゃんのブログ


ゆたちゃんのブログ

奥村歯科、ゆたちゃん景観大賞。

ゆたちゃんのブログ


この辺りが大津市本丸町、城下町らしい町名。

ゆたちゃんのブログ


右が膳所城公園の案内板。時間もあるので琵琶湖側に出てみる。湖面が視野一杯に、感激。うっすら三上山かな?ここはまだ湖の南端の方で湖幅がまだせまい筈だがこの広さ。さすが琵琶湖、この先にず~と奥琵琶湖の方まで大きな広がりを見せている。このタイミングで近江、遠江(浜名湖)、江姫に思いを馳せる。


ゆたちゃんのブログ

三上山?
ゆたちゃんのブログ

ゆたちゃんのブログ

ゆたちゃんのブログ

ゆたちゃんのブログ


お城のような膳所市民センターを見ながら東海道へ復帰、コンビニの前に喫茶店があった。まだ歩きだしてそう時間が経ってなかったが、全体としてゆっくり予定なので○○○休憩。よく見たら旧東海道からのお菓子屋らしく街道沿いに店があり、裏に喫茶店を併設しているようだが喫茶側は誰も居ない。声かけてコーヒーを注文。まったりとした後、旅人は慣れたもので精算時にもう一度トイレへ。これが○○○が近くなってしまった理由かな(笑)


ゆたちゃんのブログ

縁台?

ゆたちゃんのブログ


琵琶湖を東に見ながら北進し、地図上でなぎさ公園を確認。再度琵琶湖に近づいているのでもう一度湖の方へ。光景は膳所城公園とさほど変わらない、軽く切り上げ、大津駅の方に左方向へ。西進開始。ふな寿司、うなぎなどの看板見ながら進んで行くが、お店はそもそも開いてないの検討の余地はない。

ゆたちゃんのブログ

膳所城北総門跡、なんと広い城だった。京極高次の大津城は関が原で廃城となり、膳所城は家康により築城された。

ゆたちゃんのブログ


しばらくして義仲寺があった。ここで入場料払って見学。芭蕉の句


「木曾殿と背中合わせの寒さかな。」


木曽義仲は江戸時代もマイナーイメージだったようだ。木曽義仲、巴御前だけでなく松尾芭蕉の墓もあった。確かに背中合わせ。しかし大阪で没した芭蕉は生前から木曽殿の隣に、という遺言をしていた。想像はつかないが三重県と岐阜県、出自か何か縁があったのかもしれない。例の辞世の句「旅に病んで夢は枯野を駆け巡る」の碑もあった。



ゆたちゃんのブログ


芭蕉の墓
ゆたちゃんのブログ


木曽殿の墓
ゆたちゃんのブログ


木曽殿と背中合わせの・・・

ゆたちゃんのブログ

雨が気になりだし早々に出発して西進開始、古い町並みが続く。意外と西進が長く辛抱どころだ。美味しそうな蕎麦屋があったが休み。まあスルー。大津祭りの由来と西行桜の解説案内板があった。西行法師と桜の精の話は有名だが、あの芭蕉が西行の跡を追い続けたように旅人も二人の足跡を追い続けたいものだ。それで旅は永遠に続く事になる。


「願わくは花の下にて春死なん、その如月の望月のころ」


2月なのか4月なのか良く分からないが、今回は桜の時期、花祭り、何よりも旅人の誕生日に花の下にて完歩を達成したい。


ゆたちゃんのブログ


大津駅近くに来た、駅前の方を確認。一本道がずれていて泊まったホテルを確認できない。

ゆたちゃんのブログ


そのまま大津の宿場街をゆっくり進行。なかなか一号線とぶつからない。思ったより時間がかかる。


大津事件の道標と案内板があった。ロシア皇太子ニコライ2世に切りつけた津田巡査を巡って、日本の司法の独立性が試された事件となった。世界情勢と当時の国際的な力関係から内閣が死刑を求めた(皇室罪の適用。)が、大津地裁で開かれた大審院(最高裁)は無期徒刑を言い渡した。なぜに大津地裁で大審院が開かれたのか疑問もあるが、政治に左右されない結果となった。無期徒刑とは島流し+懲役刑である。網走でも連れて行かれたのかな?津田巡査はその動機を北方諸島に関しての当時のロシアの対応に不満があったとされている。現在の国際情勢とかぶるところもある。

ゆたちゃんのブログ

ゆたちゃんのブログ

ニコライ二世はその後日露戦争を経て、ロシア革命で幽閉され、その後処刑されている。この事件もだが数奇な運命を辿られた事になる。


次回へ続く、次回はいよいよ大津を過ぎ、逢坂山越えて京都入りとなる

深川めし

先日東京に行ったときに深川に行ってきました。


アサリの剥き身が入った深川めしと深川江戸資料館がお目当てです。


以前美味んぼで深川めしのネタがあって一度食べてみたいと思ってました。



有名な深川宿、すぐ満杯に
ゆたちゃんのブログ


辰巳でぶっかけと炊き込みご飯+アルファ
ゆたちゃんのブログ

混ぜ込み、食しました。おなかに優しい美味でした。

味噌ベースの懐かしい感じです。
ゆたちゃんのブログ


前の江戸資料館に。

ゆたちゃんのブログ


むきみ!
ゆたちゃんのブログ

全体図です。火の見櫓と海。屋根に猫さんも。

ゆたちゃんのブログ


時そば、今何時かい?担げるようになってます。

ゆたちゃんのブログ


出世不動産に。少し先に賽銭箱、50円玉4枚投げたら

すべてストライク、奇妙な音が。

ゆたちゃんのブログ


帰りは日本橋に東海道完歩報告に。次は日光街道へ挑戦。
ゆたちゃんのブログ












ゆたちゃんのブログ

三雲~草津~石山  高名の木登り!

草津宿の雰囲気もここまで、一号線越えて分岐、野路一里塚の方へ。雨が激しくなる。小公園となっていて座る場所とかもあったが雨が振り込んできて濡れそうなので早々に撤退して西進。


ゆたちゃんのブログ

ゆたちゃんのブログ


ところがここから次の道へ行くのにずいぶんと迷った。ここぞと思う方向へ進行を試み、その度アイホンで現在位置を確認しても地図の方向と異なっている。結局6~7回繰り返しやっと道が分かった。結果的には典型的ならしき道、気がつくのが遅かった。塀には東海道の案内標示が、間違いない。


ゆたちゃんのブログ


野路の玉川は歌枕の六玉川、なんとなく情緒がある

ゆたちゃんのブログ


弁天池があった。池の中の島へ行く橋があり、浄財弁才天の参道となっている。

ゆたちゃんのブログ


ゆたちゃんのブログ

橋を渡って左手に常夜燈、しばらくして右手に同じ形の常夜燈。西、瀬田の唐橋まで4.6キロ、東、草津本陣まで4キロの表示が。

ゆたちゃんのブログ

ゆたちゃんのブログ


ここから大津。五十三次最後の宿場、大津の宿目指して天井川沿いの道を行く。


仰々しい地名の月輪から立派な立場跡へ。東海道立場の道標。


ゆたちゃんのブログ

ゆたちゃんのブログ


小さな橋を越えて一里山へ到着、一里塚跡があった。

ゆたちゃんのブログ

ゆたちゃんのブログ

ここで思案のしどころ。明日のことを考え、次の石山まで行けなければここでリタイアしたほうがいい。他の交通機関をチェックしても丁度いい具合の駅がない。


向かいの角に目の前に道標が見えた。その確認の為に横断歩道を渡り、その勢いでそのまま強行突破。今から暗くなるけど石山目標に西進。せめて瀬田の唐橋だけは昼間ゆっくり渡りたかったな。ただそうも言っていられない


ここでデジカメ終了!不思議と歩くの止めたいときデジカメも反応するのだが、今日はアイホンにバトンタッチ。途中で親切にも旧東海道の道案内があった。不思議なオブジェ。

ゆたちゃんのブログ

しばらくして交通量の多い広めの道へ。左折して赤い橋を渡って、しばらくすると右折、いよいよ唐橋の方へ。

ゆたちゃんのブログ

ゆたちゃんのブログ

ゆたちゃんのブログ


瀬田の唐橋東詰め、すっかり暗くなってしまった。この橋を渡る瞬間を自分の中で東海道踏破のバーチャルリアリティとしてきた。まさにリアリティの世界となる筈だったが、全体として暗いので良く分からない。残念、瀬田の唐橋ならまた来る事もあると信じて。


ゆたちゃんのブログ

ゆたちゃんのブログ

ゆたちゃんのブログ


ゆたちゃんのブログ


ゆたちゃんのブログ


ゆたちゃんのブログ


ゆたちゃんのブログ

二つの橋を越えて石山商店街へ。京阪電鉄の踏み切りを越え、しばらくして右折。程なく東海道線のガードと共に石山駅が見えてきた。本日ここ石山駅前で終了。


ゆたちゃんのブログ

ゆたちゃんのブログ

ゆたちゃんのブログ


ここまで来れば明日雨降っても大丈夫、夕方までに蹴上に入り、関西からの就職希望者と面接し福岡に帰る予定。明日も石山駅前から効率よく発進できる。石山蹴上間は約15.5km。豪雨?どうぞカモ-ン。幅広な借傘も健在だ。



ゆたちゃんのブログ

ぐじ(甘鯛)のわかさ焼きで一人乾杯、今日の歩きでほぼ今回の大リーチ作戦は成功したといってよい。高名の木登り?? 徒然草。

三雲~草津~石山  草津の宿、貸傘に感謝

昼食としてケーキ二個とコーヒーを食した後、旧道へ復帰、西進開始。古い町並みが続き、歩を軽やかに進めていると右手に道標があった。すずめ茶屋(田楽茶屋で、商標がすずめだった為呼ばれたらしい。)というのがあったらしい。しばらくして池沿いの道となり、足利義尚公の「鉤の陣所」ゆかりの碑があった。このとき戦った相手、佐々木六角がゲリラ戦術を用い、幕府軍を散々苦しめたが、これが甲賀忍者の基となったということである。


ゆたちゃんのブログ

ゆたちゃんのブログ


ゆたちゃんのブログ

ゆたちゃんのブログ


途中で道標を置いた料理屋あり。本物らしい雰囲気だが、良く出来た造り物なのかな?

ゆたちゃんのブログ


道標と信楽焼。よく見たらただの門柱でした。о(ж>▽<)y ☆


ゆたちゃんのブログ


しばらくして右手に善性寺があり、シーボルトが立ち寄ったとされる解説板があった。オランダの医師で博物学者と紹介されている。シ-ボルトは帰国時に日本地図を所有していた為国外追放となり、巷間スパイ説ともなったが、実は日本に対して好意的で、あの黒船のペリーに対しても日本の諸情報を提供し、早急な軍事行動をしないよう要請したそうだ。本人も還暦過ぎてまた再来日して幕府の顧問となっており、日本への想いは想像以上に深かったようだ。




ゆたちゃんのブログ


日本人妻もいて、その子には帰国しても仕送りを続けていたそうで、その子も後にシーボルトの門下生から医療学ぶことになり、江戸で医療関係に従事する事になる。Refer楠本イネ→ シーボルトは再来日時には門下生とイネに再会している。


小さいとき長崎に行った時、鳴滝塾に行ったこともあったが、シーボルトという偉いお医者さんがいて云々ということを聞いたことがある。次回の長崎街道でまた書かせて頂きます。


しばらくして川沿いの土手に突き当たる。やせうま坂と道標に書かれている。ここで東海道と追分となっている中郡街道が馬に厳しい坂となっていたことから付けられたらしい。

ゆたちゃんのブログ


馬の人形有り、みるからにやせ馬とは関係ない。


ゆたちゃんのブログ


目川一里塚。

ゆたちゃんのブログ


ベンガラ格子の古家。

ゆたちゃんのブログ


田楽発祥の地。東海道間の宿岡村目川立場となっている。これより西○○となっているが字が分からない。当時の田楽茶屋は、もと伊勢屋、京伊勢屋、こじまやの三茶屋となっている。


ゆたちゃんのブログ


ほっこり足湯の店の前に道標。栓抜き状だが穴には火を灯していたのだろう。大きく右手の方にカーブして旧草津川の天井川風土手沿いの道を西進、しばらくして新幹線のガードを越える。

ゆたちゃんのブログ


ゆたちゃんのブログ


ゆたちゃんのブログ


草津市街となり、老牛馬養生所と書かれている道標と案内板があった。

草津宿への道標が見えてきた。


一号線をクロス、大津17キロ、京都26キロの標識。もはや着いたも同然だが、「高名の木登り」ではないが、油断禁物としたい。クロスしてすぐ旧草津川を越えて土手道から左に分岐、分岐した道の入口に横町道標と大灯篭があった。東海道の定石みたいな道の展開となり、宿場の雰囲気も増し、なんとも楽しくなる。

ゆたちゃんのブログ


ゆたちゃんのブログ


上記左の常夜燈。

ゆたちゃんのブログ



街道ふれあいサロンを過ぎて追分へ。ここで草津宿の高揚が最高潮に。往時の人々も今までの想いが込み上げて来る感覚に浸ったに違いない。中仙道と東海道の追分で、文化財の道標となっている。


ゆたちゃんのブログ


常夜燈拡大。

ゆたちゃんのブログ


郵便局の前に書状集箱。宿場はなかなか雰囲気が出ている。

ゆたちゃんのブログ


草津本陣で施設へ入場、写真撮影があまり出来なかった。草津宿がわかる歴史館にも入場、栞とか冊子とか購入。今までの宿場と少し違う感じで、昔の旅人も感じたかもしれない近江商法を少し実感。

ゆたちゃんのブログ


ゆたちゃんのブログ


予報どおり雨が降ってきた。非常用の小さな携帯傘しかないの本降りになると諦めるしかなく、傘を売っているところを探しても無く、宿場内での使用の借傘をゲット。アーケードとなる。四日市以来のアーケード。長崎街道も黒崎、飯塚とアーケードの中を通っている。

ゆたちゃんのブログ


アーケードを過ぎて雨の中を西進。赤い立木神社を横に見ながら橋を渡る。

ゆたちゃんのブログ


矢倉橋を越えて、矢倉立場、「うばがもち」を売っていたところへ。ここは「急がば回れ」の語源となった所だ。旅人が遠回りの瀬田の唐橋コ-スより矢倉の渡しを選んだのに風待ちした船がなかなか来ない(笑)自分にもありそう。


ゆたちゃんのブログ


下の浮世絵にもあります。
ゆたちゃんのブログ


道標拡大。

ゆたちゃんのブログ

安藤広重の草津宿の浮世絵にもこの矢倉立場が描かれている、しかもこの道標も立場の横にちゃんと。絵の中央には駕篭かきの面々が5人一組となっている。かき手が二人、先導、後ろから押している人、掛け声をかけている人だ。なんか博多の山笠と同じ感じだ。東海道の早駕籠はあの浅野内匠頭の刃傷沙汰を伝えた例で言えば約4日半程度で到達している。従って京都まではもっと早いことになる。

ゆたちゃんのブログ


絵の鑑賞に浸って西進、やがて一号線と合流する地点でセブンイレブンに入り○○○休憩。ここで傘を買って、草津宿の借傘を返すところ、買おうとした傘の広さ大きさが分からず買うのを止めた。そのまま大津に向って西進、まあ草津宿でいろいろ買ったので許して頂きたい。

ゆたちゃんのブログ


次回、瀬田の唐橋に向けて、まだ本日の西進が続きます。


三雲~草津~石山  守ってあげたい手原ベンチ


瀬田から東海道本線、草津線で三雲へ。昨日は貴生川駅を西側に出て、三雲駅には東側から入った為に電車の方向を間違ってしまった。自らの方向感覚を恥じる次第である。


ゆたちゃんのブログ


昨日は朝から出遅れた上に草津線に乗り遅れ、やっと着いた貴生川駅でコミュニティバスを待ち、着いたバス停から旧東海道へと、復帰に相当時間がかかった訳だが、今日は三雲駅を出てすぐ旧東海道、スタートから効率が良い。三雲駅前から雰囲気のいい道を歩き出した。今回は面白い事象が。今日宿泊した瀬田を出発したのに、またゴール目標が瀬田となる事象だ。東海道歩き出して初めてのケースだ。


また、今日は、結果的に目標を大幅に超えることが出来た。これは明日大雨が降るという予報があり、今回なるべく京都に近づいていないと明日は大雨の中を蹴上まで歩く羽目になるということで、夕方以降も積極的に足を伸ばしたもので、久しぶりに達成感を感じる事が出来た。とネタばれしてしまう(笑)


道沿いには美しい東海道の花が花壇に並んでいる。町を挙げてという感じに見える。なんという花だろう。

ゆたちゃんのブログ


人懐こい犬がいた。こちら向きに尻尾全開に振ってアピールしている。近づいて写真を撮ったら意外と無愛想の表情、びっくりしたのかも、ごめんね。

ゆたちゃんのブログ


水口から石部の宿めざして。昨日の目標地点をまずクリアーしなければ。

ゆたちゃんのブログ


今回はガードというかトンネルがチェックポイント。トンネルなんか何処でも有りそうだが、分かる人はわが国の文化、地理事情に知悉している方だ。


一つ目のガード地点に三雲城の案内があった。石組みのトンネルというか大沙川隧道、そう実はここは天井川となっている。この上に川?トンネルを過ぎると土手に上がれるようになっている。弘法杉という碑も立っている。入口脇には三雲城案内の小屋みたいなのがあった。

ゆたちゃんのブログ


しばらく行くと二つ目のトンネルが見えてきた。これも天井川だ。トンネルが無ければどうみても川の土手としか見えない。川は野洲側支流の由良谷川である。天井川は砂礫が堆積し、氾濫しないよう土手を築き、結果川底が周辺よりも高くなった川だ。そんな土手に穴を開けトンネルが作られている。


ゆたちゃんのブログ

天井川となってない橋。
ゆたちゃんのブログ


紅梅、ウツクシマツの代わりに。

ゆたちゃんのブログ



石部宿に入る。ここが日本橋から京を目指して出発し、最初に宿泊するポイントの保土ヶ谷宿と同じく、京都から江戸へ行くときの最初に宿泊するポイントの宿だ。

ゆたちゃんのブログ


見付の標示、東見付となる。小公園となっており高札場や案内に加えて広重の田楽茶屋などの街並みの浮世絵もあった。


ゆたちゃんのブログ

ゆたちゃんのブログ

ゆたちゃんのブログ


年代感じる小間物屋を過ぎていしべ宿駅、少し休憩。旅人には有り難い施設。本陣跡を通って行く。


ゆたちゃんのブログ


いしべ宿、休憩施設。中には資料や往時の生活の雰囲気も。
ゆたちゃんのブログ

ゆたちゃんのブログ

ゆたちゃんのブログ


やがて右手に田楽茶屋、往時からの歴史がある。時間もないし空腹でもないので通過、残念。ここを右折、しばらくして左折し石部駅の方に。石部駅を右手に通過、ズームで。



メニューを控えるのを失念。
ゆたちゃんのブログ

駕籠らしきもの。
ゆたちゃんのブログ


右折。
ゆたちゃんのブログ

石部駅。
ゆたちゃんのブログ


駅を過ぎたところに小公園、棒鼻のような解説が案内板に書かれている。西見付となる。

ゆたちゃんのブログ


小さな松並木。

ゆたちゃんのブログ


しばらく行くと高速道路かなにかの工事現場のところで三上山が見えた。平将門の乱で有名な俵の藤太の百足退治の伝承がある。

ゆたちゃんのブログ


一号線に近づいた地点で草津線の踏切が、渡らずにここを左折、草津線に沿うように西進。左折すると久しぶりに少し寂しい道、休日で休みの工場とかもあるが、どうみても廃業放置されたままの工場が今までに結構有って、寂しい気持ちになる。早めに通り過ぎたい。

ゆたちゃんのブログ


白梅が。今回は紅梅白梅完結。
ゆたちゃんのブログ


伊勢落、由来を知りたい地名だ。

ゆたちゃんのブログ


東海道名所図会による薬師堂が現存している。和中散、旧東海道、往時のガイドブックにもある必需品の薬。旅人の胃痛、歯痛の痛み止めなど。時間があればゆっくり見たいのだが。


ゆたちゃんのブログ

ゆたちゃんのブログ

ゆたちゃんのブログ

ゆたちゃんのブログ


六地蔵、間の宿の小公園。一里塚もあり簡単な解説も。



ゆたちゃんのブログ


ゆたちゃんのブログ

ゆたちゃんのブログ

東海道を歩いている実感。


ゆたちゃんのブログ


手原、東海道名所記による話。思わず噴出してしまった。


簡略勝手に編集すると、


昔、この村の某が他国に行く用事があり、若く美しい妻を友人に預けていった。友達はこの若く美しい妻を他人が盗みに来るのを恐れ、夜はこの美しい妻の腹に手を置いて守っていた。ところが程なくこの美しい妻が孕んでしまい手を一つ産み落とした。


このことで、この辺を手孕みといい、手ばらみが手原となったそうだ。友人の美しい妻を守るために密着しすぎたのでしょうね(笑)小咄にはいいかもしれません。もちろん手原ベンチ上に座らせて頂いた。


ゆたちゃんのブログ


ここ暫くチェックしてきたが、食堂らしき所がなく、既に手原駅前を過ぎてしまった。ここ過ぎると飯にありつけない可能性が。結局ケーキ屋の丸テーブルでお昼代わり。一つでは足らずもう一個。食した後、奥さんと新幹線駅云々で世間話(栗東駅があれば初日はもっと早く行けた云々。)した後、次のポイント、草津の宿を目指して出発、次回後半の部へ続く。


ゆたちゃんのブログ

土山~水口~三雲  会いたかったyes!江姫に~


鈴鹿越えて京都を目指し、ここまで北西に向かってひたすらに歩を進めてきた。順調だと思うが、今回はスタート地点の土山着が大幅に遅れたこととその後のロスから当初目標の石部宿まで到達するのは厳しそうなのでどこか目標地点を修正する必要がある。


今郷の一里塚を越えたあたり、右側に一号線みながら、左側の先程の県道らしき道と合流また分岐を繰り返す。先の合流地点に「街道をゆく」の碑があった。何の目的かどういう理由の碑か分からないが、とりあえず写真を。


一里塚
ゆたちゃんのブログ

国道一号線
ゆたちゃんのブログ

街道の碑
ゆたちゃんのブログ



しばらく道なりにまた右に分岐するように登ってくるとやっと水口の雰囲気が漂う感じが。小さな松並木を越えて少し降るような感じで橋の手前に来ると廣重の浮世絵の碑があった。水口ではあったが、あの干瓢の奴ではなかった。

ゆたちゃんのブログ


ゆたちゃんのブログ


ゆたちゃんのブログ


ゆたちゃんのブログ



水口宿の道標に続き冠木門と看板が見えてきた。東見付跡だ。いよいよ水口の宿に入る。ベンガラ模様の家並みが続く。宿場町の雰囲気が増してきた。ここ城下町水口の宿は珍しい3筋の道(中心部が3筋に別れ、途中でまた合流している。)があるが旧街道はその真中の道である。躊躇無く真中の道を選択する。

ゆたちゃんのブログ

ゆたちゃんのブログ

ゆたちゃんのブログ


ゆたちゃんのブログ


脇本陣跡、本陣跡、高札場を越えていよいよ3筋の道の分岐点、最初の一本目、次の二本目。間違わないように。

ゆたちゃんのブログ


ゆたちゃんのブログ

ゆたちゃんのブログ


街並み途中の休憩所にからくり時計があった。聞くと15時に設定されているということで、時計を確認。人間性がいいのか日頃の行いがいいのか、丁度時間が14時57分、まるで僕を待っていてくれたかのような(笑)。つい、この時計がいとおしくなったが、15時になっても動きだす気配が無い。時間のずれとか考えて5分待ってみたがまったく動かないので諦めて進行再開。

ゆたちゃんのブログ


ゆたちゃんのブログ



やがて分かれていた3筋の道が合流し、その先に東海道石橋と近江鉄道の踏み切りと駅、水口石橋駅があった。まんま、駅名(笑)。ここにもからくり時計があったが、近くの喫茶店に入り○○○休憩。



ゆたちゃんのブログ

ゆたちゃんのブログ

笑顔で街道話を振ってきた店のお客さんに先程のからくり時計の話をすると、


「あ、あれは人間見て動きますよ。心がけの悪い人には反応しません・・・・。なんて、普通に故障しています(笑)」


ということであった。なーんだ、でもひょっとしたら、あのまま通っていたらこちら側のからくり時計が動くのが見られたかもしれない。なんてやはり日頃の行いが、とつい自虐的になってしまった。


コミュニティセンター、3階建て。

ゆたちゃんのブログ


例によって、城下町特有の曲がり角。

ゆたちゃんのブログ


曳山の山蔵。

ゆたちゃんのブログ




力石、全国的に見られる。水口石

ゆたちゃんのブログ


一里塚、この先が西見付。

ゆたちゃんのブログ



見付を越えて西進。




ゆたちゃんのブログ

街道蔵という蔵元あり。


柏木の北脇縄手並木と松林。

ゆたちゃんのブログ



右手の大きな工場がTOTO工場。東海道では茅ヶ崎以来だ。その時はキャナルシティ4階ではお隣様になります。人数と床面積は大幅に違いますが。と書いた覚えがある。甲賀工場か滋賀工場?

ゆたちゃんのブログ



水車湧水があった。三世代北脇湧遊(ゆうゆう)せせらぎ広場。

ゆたちゃんのブログ



柏木公民館にある火消しじゃなかった「ときの鐘」と浮世絵、ほんとに実物かと思った。

ゆたちゃんのブログ



バス停、ごみ保管庫も街並み調和


ゆたちゃんのブログ

横田の渡しへ左折。


ゆたちゃんのブログ

泉一里塚

ゆたちゃんのブログ










横田渡し、少し鬱蒼として往時の渡しの雰囲気らしく?感じられる。東海道十三渡しの一で、幕府管轄下とされ基本は舟渡し、季節や天候で一部土橋が利用されたらしい。脇に火袋が人も通れるような大きな常夜燈があり、灯台のような役割だったそうだ。石の上をケンケンして旧道に戻った。対岸の方へは渡れないので一号線の方へ迂回する。

ゆたちゃんのブログ


ゆたちゃんのブログ


ゆたちゃんのブログ


ケンケンパ

ゆたちゃんのブログ


ゆたちゃんのブログ


川の雰囲気

ゆたちゃんのブログ



一号線合流後、横田橋へ道なりに行こうとしたら途中で歩道が無くなった。陸橋登っても降りるところ無く反対車線側に、と数回チャレンジ、やっと橋の脇の歩道に降りられた。渡れるルートは限られており選択肢が無く、九州となんか違う感じ。



ゆたちゃんのブログ

ゆたちゃんのブログ
ゆたちゃんのブログ



横田橋を渡り終えて、橋から交差している下の道へ階段を降り、三雲駅の方へと進む。確認するとこの道がまぎれも無く旧東海道だ。取り敢えず現在時間を確認、17時20分。三雲駅に着く、次の駅は甲西。時間と距離、途中の交通機関等を考え、已む無くここで終了。約8キロも予定よりダウン、江姫縁の地にも行けなかった。出発が予想より遅れてしまったことが原因、深く総括し明日に向けて密かな闘志を胸に間違って反対電車を待つ旅人、改札を通った人が皆待機中の電車に乗り込むのを見て間違いに気付いてリュックを置きっぱなしにしてホームに駆け込んだあと、慌てて取りに戻った自称沈着冷静と称する旅人。



ゆたちゃんのブログ


ホテルにチェックイン後、京都に。来月1日、0時0分にゴールしたときの一人誕生祝と東海道完歩祝いの場所を確保する必要がある。明日以降の天気予報の雨が気になりながら、軽く一杯やった後、アルコールの締めは河道屋の蕎麦で。

ゆたちゃんのブログ



土山~水口~三雲 水口の宿近し

早朝名古屋駅を出発し、新幹線、東海道本線、草津線と乗り継いで貴生川駅を目指す。3月中旬、やはり東から西へ、ということで早朝とはいえ乗った新幹線車輌はほぼ満杯状態。草津駅に着きダッシュするも僅かなタイミングで間に合わず、次の電車まで結構な待ち時間の為、駅前喫茶店でなんとスタート前のコーヒーブレイク(笑)。


名古屋駅→京都
ゆたちゃんのブログ

草津駅

ゆたちゃんのブログ

草津線
ゆたちゃんのブログ


草津線で貴生川駅に到着。先日降りたところでバスを待っているが、時間が近づいても土山、田村神社方面のバスが来ないので、先程来待機している他のバスに確認、乗る場所が駅の反対側と分かり、飛ぶように階段を。出発直前に危ういところで間に合った。いずれにしてもコミュニティバスの市役所土山支所着が10時前になってしまった。

バスで草津線に遭遇
ゆたちゃんのブログ


バスを降りた所、平成万人燈という巨大常夜燈(最大の自然石と、何のかな?)を見て旧東海道へ。旧東海道復帰が10時2分、京都向けて出発、目標石部の宿、西進開始。

ゆたちゃんのブログ


ゆたちゃんのブログ


ゆたちゃんのブログ


今回の最終の予定到達地点は当初山科だったが、目標を粟田口か蹴上までに変更。やはり3月31日は決算日という事もあって、なるべく遅く京都入りしたい。とりあえず22時前後に京都駅に着いたら地下鉄で蹴上まで行き、そこから三条大橋まで歩く事にした。ところがあることに気が付いて修正。それは地下鉄東西線が三条経由で蹴上に行くのだが、地下鉄電車とはいえゴールを通っていくのはなんとも。それで夜の9時すぎに京都着、ホテルにチェックイン後、歩いて11時くらいまでに蹴上まで行き、それからゆっくりと三条大橋に向かい4月1日0時0分に到達する計画に変更した。従って今回は蹴上目指して最後の東海道完歩大リーチ作戦を展開する。




大黒屋本陣、高札場、旅籠跡などの他に面白い時計屋、千切屋、ベンガラ格子家など土山の宿跡など見ながら通って行き、やがて一号線に合流、合流地点に常夜燈や標識板があった。

ゆたちゃんのブログ

ゆたちゃんのブログ

ゆたちゃんのブログ


ゆたちゃんのブログ


ゆたちゃんのブログ


ゆたちゃんのブログ


細い道が右に分岐、やがて進行不可のために迂回してまた一号線へ、そのまま左分岐、しばらくして公園の中を通って野洲川を歌声橋で渡ってまた一号線に。


ゆたちゃんのブログ
ゆたちゃんのブログ

左へ
ゆたちゃんのブログ


公園
ゆたちゃんのブログ

歌声橋、真中で歌ってみる?
ゆたちゃんのブログ


ここで今日のホテルの予約を入れるがなんと空いてない。同系のビジネスホテルは全く無い。シティホテルも勿論無い。あれれ、これじゃ旧東海道歩行どころじゃないじゃん(笑)歩行やめ~!アイホンと携帯で検索、電話を掛け捲る。ただ、さすがに経験豊かな旅人は沈着冷静、まず明日の空き室を先に確認、なんとか瀬田のビジネスホテルに。次に今日の分に、殆ど断られたが大津のスーパーホテルが一室だけ空いていた。一瞬どうしようか迷ったが、先方から煮え切らない客に

「先程まで満室でしたが、つい10分前に一室キャンセルとなった分です。」

と止めの一言。

「もちろんお願いしますよ。」

ということで引きつった笑顔で即予約、まあ助かりました。



震災後に関東方面から週末に関西に殺到しているらしい。テレビとか見てて大袈裟なと思っていたが、あとになって見ると寧ろ自分の方が政府とマスコミに騙されてた感がする。海外の情報どおり、あの時点ではいったん関西に避難したほうが賢明だったかもしれない。


一号線で標識が。垂水斎王頓宮跡が右に500メートル、先を急ぐ身、時間ないのでごめんなさい。




ゆたちゃんのブログ
ゆたちゃんのブログ


斎王とは推理小説家内田靖男の作品「斎王の葬列」にも出て来るが、伊勢神宮に仕える巫女で皇女(天皇の娘、姉妹などの近しい親族)から選ばれ、斎宮ともいう。京から4泊5日程で伊勢に郡行され伊勢神宮近くの斎宮寮に着任され、年に3回だけ伊勢神宮に赴かれ神事にお勤めされることになる。その後京へ帰られる事は殆ど無く、天皇の崩御や譲位時、近親者の忌葬や本人の薨去などのみであったらしい。このシステムは文学的素養は無縁で、日頃週刊誌とネットに明け暮れている発想からは基本未婚に限ると言われても何やら勘繰ってしまうが、事実源氏物語には斎宮に同行し、別れることになる部分の件がある。

その郡行時の斎王の宿舎を頓宮という。それがここ頓宮跡だ。


しばらく行くと頓宮村の旧家の標示が。また垂水頓宮御殿跡の道標もある。退行時の屋敷と解説には書かれている。


大野市場一里塚

ゆたちゃんのブログ



藁葺き家と、松

ゆたちゃんのブログ




松並木と道標


ゆたちゃんのブログ


食事場所求めて旧東海道と並行している一号線に出て蕎麦屋に。最初どんな感じか心配したが、味は美味で良かった、きのこも一杯でヘルシー。正解。他のメニューもOK。五十三次定食、宿場定食・・ただし東海道沿いではないのだがまあ許せます。

蕎麦屋があるのはバスで土山支所に来るときにチェック済みでした。流石、自分を褒めたい(笑)

ゆたちゃんのブログ

何だろう?


ゆたちゃんのブログ


天然めだか?といえば養殖もあるのか。


ゆたちゃんのブログ


若王子交差点で一号線に合流、陸橋を渡ってクロスするように右に分岐。

ゆたちゃんのブログ


ゆたちゃんのブログ


また一号線に合流、合流地点に常夜燈と土山の宿の碑が。やはりクロスして一号線の西側を並行するように道があるが入り口には水口の宿の案内板があった。ここが水口と土山の境となる。進んで行き、振り返ると先程の案内板からすぐ右へ山へ登るように分岐する道があった。慌てて戻って右に分岐。標識があった。この道で間違いない。

ゆたちゃんのブログ


左へ分岐
ゆたちゃんのブログ
やっと水口に
ゆたちゃんのブログ


行き過ぎた!
ゆたちゃんのブログ
間違いない
ゆたちゃんのブログ


安心して次回へ続く



20110714博多山笠

朝4時59分スタートですが桟敷席の場所とりで3時に櫛田神社へ。

暑かったです。うちわが随所にパタパタと揺れ動いて。


まだ暗い。
ゆたちゃんのブログ

ゲストの森口さん。

ゆたちゃんのブログ

徐々に集まってきて。

ゆたちゃんのブログ

一番山の西流れが。

ゆたちゃんのブログ

西流れの舁き山。

ゆたちゃんのブログ

子供が可愛い。

ゆたちゃんのブログ

中洲流れ。

ゆたちゃんのブログ