ゆたちゃんのブログ
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2017-03-26 16:00:47

越谷~幸手

テーマ:日光街道

大阪で樟葉から守口まで歩き、そのまま歩けば北浜まで完歩出来る時間であったが、関東小山で宿泊予約している為に新幹線の時刻から無念にも打ち切り、そのまま京阪電車で京都駅まで行き、東京へと向かった。東京駅には18時に着いて東北新幹線で小山に向かった。越谷に行くのに小山とはこれ如何に。実は連休でホテルが取れなかったのだ。周辺ホテルも満杯で、小山東横インが空いていたので予約したのだ。朝、6時過ぎに小山から越谷目指す。

 

ところが、出だしから大きなミスを犯した。前日、宇都宮の有名バーの小山支店らしきところで軽く飲んで、帰りにミックスサンドとスープ購入。実は自己設定したスタートは明朝6時過ぎなのに東横インの食事は7時からなので出発に間に合わない。そこで調達したのだが、うかつにも購入時間節約しようと、なんと切符まで買ってしまった。

 

朝6時半過ぎにホテル出発、小山駅に着くとぎりぎりのタイミング。ところが買い置きの前日付け切符は無残にも機械にはじかれた。駅員にも拒否され慌てて買い直した。持っていたICカードのことも忘れていた。自らのボケを恥じる。かつホームを間違え、戻るタイミングで栗橋行電車は出発!一本乗り遅れるという二重のミスを犯してしまった

 

朝早く越谷に着くことが最大命題だったが、大幅に予定より遅れる。南栗橋経由で越谷に着いたのが結局8時23分、早起きした意味ないやん。もうどうでもいいや、久し振りに駅前の松屋で追加の朝飯を食った。これだったらゆっくり東横インで食してくりゃ良かった。

 

駅前から街道へ。所々に町家が。北進し、川を渡ると東海道サイズの道に。北越谷の高い大きなマンションを通り過ぎるとやがて東武スカイツリー線のガードを超える。ガード下でおじさんが鳩に餌付けしていた。住宅地じゃないからいいか!ガードを越えしばらく同線に並行に進むが、今度は同線を踏切で超える。北進し4号線バイパスを潜り、間久里という地点に到達。さらに北進し、陸橋で4号線に戻った。

 

せんげん台を超えて春日部に入った。今回の目標は古河まで。無理なら栗橋というところだ。その為に一泊目の宿泊は幸手に取ってある。ここまで到達しないと計画は大幅に狂う。

 

4号線のつまらない道路をひたすら進行。右手に備後一里塚の石碑があった。

 

宇都宮、小山、古河はまだ遠し。春日部駅方面の交差点を過ぎ東武野田線を超えたところで蕎麦屋が。時は12時過ぎで、タイミングはバッチリ。まずは生ビールで乾杯。蕎麦出るのが遅かったが、出て来た天ぷらはメチャ美味しかった。

 

気分よく店を出て、北進すると程なく分岐、一宮交差点を春日部駅の方に。春日部駅の周辺に近付いていくと本格的に宿場町の雰囲気が漂う。屋号の由来を解説した和菓子屋さんがあった。脇本陣跡、本陣跡町家が続く。やがて旧高札場を右折、北方向に。

 

大きな橋を渡り古い静かな住宅街を通る。小渕の一里塚を探すも分からず、ストレス。あとで道路を写した写真に小さく写っていた。追分の道標へ。もちろん左日光道の方向へ。左手に小渕山観音、北春日部を経て杉戸に入った。

 

単調な4号線を進み、途中で旧道を左分岐、杉戸宿の方へ。本陣跡地前の交差点を過ぎる。多少の町屋はあるが遺構は殆ど残っていないし、解説板もない。枡形のところに古民家。

東京駅食堂なんてある。

 

いつの間にか宿場は通りすぎ、4号線に出たところにファーストフードの店が見えた。TBSの某番組の某司会者が、執拗に叩き続けた為に経営が悪化し、結果的に某パン会社に経営権譲渡された会社だ。そこでアイスクリームを頂く。

 
古利根川越え

 

長い時間、北進が続き、やがて幸手に入り、恒例の左分岐、車が多い。東武日光線踏切を超えてしばらく行くと幸手市街になり、交通量が増えて来て歩き辛い。突き当りのスーパーのところを右に、更に道なりに緩い左カーブを。突き当りを右に幸手宿の本通りへ。

趣のあるカフェがお出迎え、街道雰囲気のある街並みの楚々とした感じがいい。本陣知久家跡の解説板があった。飯村医院の地点で終了、まだ17時過ぎだが、ここで右折、予約していたホテルへ向かう。スタートは散々だったが、何とか早めに着いた感じだ

 

幸手の宿泊施設は実に微妙だった。変った構造の部屋。部屋に入ると出前のメニューが置いてあった。もちろんルームサービスではない(笑)。フロントに入るとき裏側にあった飲食店に行くと、なんと焼肉屋。入らずに周辺を歩くも食事できる飲食店らしきものは全くない。しょうがなく戻って焼肉屋に入ったが、一人客とか見えない。なんか違う。入口で待っていたが、従業員も案内に来ることはなく、そのうちに団体がどやどやとやって来た。たまらず店を出て思案しつつ、このタイミングで部屋にあった出前の意味がやっとわかった。

 

出前を頼む、このあとハプニング発生!ビールとちゃんぽんを食したあと、ズボラしてパンツ一丁のまま器を少し開けたドアの外に。ところがなかなか。もう少し先の方に置こうとしてドアを更に開け、体を乗り出したところで自動ロックのドアが閉まってしまう。

ガチャン!「あーっ!」

 

一瞬慌てるも沈着冷静に判断、エレベーターはまずいので階段使いフロント向かって駆け下りる。ところが運悪く、階段下で妙齢の女子の団体一行ズラリと鉢合わせ。一行は見て見ぬふり。冷静を装っているが、さぞびっくりしたに違いない。

 

フロントに告げて階段を駆け上がり、階段の影で、フロントの方が来るまで待った。長い時間だったが、来てもらい無事部屋に入れた。少し変わった構造の部屋で落ち着かなかったが、なんとか眠りに落ちていった。

2015-11-27 09:03:48

島原半島ツーデーマーチ

テーマ:街道野郎番外編

いつもながら、歩きは続けていますが、先日、他人と一緒に、決められた

コースを歩くという、いわゆる他流試合に、ゆたちゃんとしては初めて挑むことになった。


案内によれば、20キロのコースで結構アップダウンがあり、しかも6時間でゲートが閉まることになる。

楽そうだが、実はこれまでは(現代版)茶店で飲み食べ、近くの遺構をチェック、寺社に礼拝しながらのウォーキングで、平均時間は時速3キロ弱という超スローペース。なので、このペースではゴール出来ないことになる。


で、事前に2回、大濠公園の周回コースをスピード練習(夜間かつやや赤い顔しながらではあるが、時速6キロ、2週40分ペース)、実施。

何とか4時間台では歩けそうな感じになってきた。

感触をつかみ、いざ本番へ。

前日から宿泊し、ホテル出発前にはリュックチェック、荷物は最低限に。

荷物は殆ど車に置き、携帯も軽いアイホンと日焼け止め、飴玉、小銭、地図、タオルと最低限に。

なんと確保したペットボトルの飲み水も半分捨てた。なるべく軽量に!

これがプロのウオークマン(笑)、と自画自賛しながらスタート地点に。

9時のスタート前には地元高校の太鼓の演奏が。



右手が眉山、左が普賢岳(平成新山)。

スタートから主催者から出発前に撮影して頂いた、禁断のマイ画像。

(太陽光線対策から完全防備)




たまたま撮影後、即スタートだった為にいきなりトップ集団後方に位置した。

赤のゼッケンが先頭。


スタートから5分程度の間に、最先頭とは少しずつ離れ、後方から数人にパラパラと追いつかれ、そのまま抜かれていく。

なるほど、今の自分のペースではトップ集団について行くのは無理と判断したことと、秋とは思えないものすごい熱射対応で、最初のチェックポイントでコース外へ。

一旦準備したばかりの完全武装を解除。ジャンパーを脱ぎ、日焼けどめを塗って半袖姿に。トイレも行き直し、再びコースに。

再スタートがどの程度の位置なのか分からないが、先頭は全く見えない。

しばらく抜き続けるが、途中でペースがほぼ同じとなった。ここで抜きつ抜かれる状況となる

いい年したおっちゃん、おばちゃん同志でなんともいえない無言の競争と不思議な連帯感という感じで歩き続けた。

上り続ける2番目のチエックポイントの前で、太腿のあたり、ズボンのポケットに何か重い違和感なものが有るのに気づいた。出してみると宿泊したホテルの部屋の大きなキー。あちゃー。何が軽量化、ウォーキングのプロ!!!の所持品チャックをスリ寝けている(笑)


携帯にもホテルからの電話が着信している。 電話すると、笑いながら「終わってからでいいですよ」

ということで再び爆歩、



取得した佐久間邸


なんとか3時間台ギリギリでゴール出来た。



たまにはみんなで歩くのもいいもんですね。

2014-01-05 15:47:34

お正月のおご馳走①

テーマ:ブログ

お正月*:.゚アケマシテヽ(´∀)ノオメデトウ゚.:+

昨年、ルイベを送って頂いた友人からまたルイベが届きました。

開けてみると瓶詰めが二個。

あれ、ゆたちゃんは冷凍がご所望とご存じの筈なのに???

早速、解凍しいただくと、がっぴょーん!

今まで味わったことがない、最高。

一見「なめろう」とか「ずけ」とかに近いが、別物。

気がつくと一瓶が無くなりそう。慌てて冷凍庫へ。

添付の解説にも自信の程が。しばらく日本酒が美味しく飲めます。







2013-11-20 12:21:56

切手収集から見る我が国歴史観へのアプローチ②

テーマ:切手収集

日清戦争勝利記念切手が明治銀婚に次いで発行された記念切手である。

(明治29年8月1日発行)

下記の画像、有栖川宮と北白川宮の二人の肖像が描かれている。


左有栖川宮   右北白川宮
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共に2銭と5銭の計四種類である。(2銭、5銭は明治銀婚と同じ、理由は前記事参照)

実はこの二人は共に発行された年に没している。

なぜこの二人が選ばれたのか、これは戦勝を大いに祝うというより、戦争による様々な犠牲への慰霊というのが通説?であるらしい。相手国含め当時の列強への配慮とも言えるものだ。ならば、まさに切手利用による国策情報発信だ。



ところが、この通説?に一石を投じる見解がある。ゆたちゃんもこの見解を支持したい。

幕末から明治にかけては倒幕運動の時代から西南戦争まで、実に様々な日本国民を分断した戦争が行われた。西南戦争以降、日本は富国強兵、殖産興業政策で列強と比肩されるまでになった。この段階で、日清戦争という国難は国民総力をかけての戦いであったが、この戦いに挙国一致で勝利したことで当時の国策が正しいことに合わせ戊辰戦争、西南戦争による国民感情の払拭があったのではないかということだ。




それはこの二人の過去に基づいたものだ。有栖川宮は戊辰戦争の際、東征大総督として官軍のトップで、一方北白川宮は上野の山に立てこもった彰義隊の盟主で、東北に落ち延び、奥羽越列藩同盟でも擁立され、いわゆる賊軍の象徴であった。



この二人が日清戦争という国難で共に清国と戦い、共に戦勝した年に病死した。「勝利」と「死」をもって過去のわだかまりを払拭しようとしたというのだ。




この二人を選んだことが当時、政府や軍部を独占していた薩長の思惑があったとしたら「切手」の重みは計り知れない。

2013-11-20 11:14:10

瀬高~山川

テーマ:豊前街道

今回も思いついて熊本の拠点から出発した。朝早く起きて何もする事がないし、なら歩こうか、しかも熊本を起点にするのは初めてで少しワクワク感が。

決断したならば出来るだけ早く瀬高に着いて太陽が高くならないうちに行けるところまで行く、アクセスを考えて出来れば南関、万一厳しい時には山川でリタイアし、高速バスで福岡熊本何れかに、という狙いである。ところが、またしても天は我に味方せず、電車の時刻の関係で出発が遅れ、瀬高駅に着いたのがもう午前8時過ぎだった。





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瀬高駅から前回の到達地点目指して、勢いよく駅出たとたん、戦意喪失させる熱射ビームを浴びる。今回は熊本からなので標準装備(帽子、代えタオルetc)無しという最悪のパターン。駅前とか、帽子が売っている店などありそうもない。

線路際の二里石を確認し、早速スタート。

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国道のすぐ南側の細い道を進行。


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今日は良ければ南関までという戦略だったが、これではとても山川でもとんでもない。途中で国道に出て小さな商店で日焼け止めを、特別に朝から開店していた比較的大きなスーパーでは涼みながらゆっくりと帽子を探したがさすがに売ってなかった。

街道に戻り、しばらく南進、一旦国道に出て、左折し二の丸のところで右に行く。ここから何回も道に迷った。暑さで思考力が全くないのだ。迷路を抜けるようにやっとまた国道に出て、進む道の方向を見やると遠く一直線に続く道の先には日陰らしきものは全くない。

久留米の自衛隊のところと同じ感じ。立ちどまり、自分との戦い(笑)タクシーを呼ぼうか?どうしようか。なかば放心状態でしばし。



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その時、ふと灼熱の空を見上げるとなんと雲の動きが!太陽を下の方から覆うかの如く動いている。今だ!やっと天は我に味方した。決行、国道から左折して田圃道へ。太陽は雲に隠れて来た。広い田んぼ道には日陰も逃げ場もないので有難い。



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再び太陽が顔を出してきた。太陽に向かって東へ一直線、途中でJR新幹線のガード下に飛び込んだ。もちろん涼しくはないが熱戦を浴び続けるよりはましだ。日差しが少し弱まり、落ち着いたところでガード下から決行。田圃道を大きく南東進し、新幹線でよく見る建物に向かって進行。


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途中で右折、再び国道に合流後、大根川の橋のところを左折。川に沿った道で左右に木々が見える。やはり緑は有難い。雰囲気もよく久し振りにタイムスリップした。



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川原田橋の手前を道なりに右へ。


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往時の雰囲気が残る街並みを歩いていく。山川町清水という集落だ。家が少しまばらになってきたところから少し登るようになり、左右竹林となる昼間から暗い感じの道だ。怖い感じだがこの暑さの中では有難い。やがて、下る感じ道が見えてきて木々が切れ、先ほどの209号線が見えた。



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209号線に合流した時点へ出たところでまた熱射ビームがビシビシ。三里石が道路左手にあった。この里程石は、解説があり、柳河(川)城下、札の辻から各里程に設けられたということだ。




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尾野の交差点には祇園宮、天満宮の二鳥居が並んであった。珍しいことではないのかな?



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左手にパーキングエリアの表示があった。ダンドリ男のデータで、バスの待ち時刻は約15分。ここから進んでも、交通機関はなくなる。まだ11時前だが文句無しにリタイア。リタイア!というかある程度覚悟しての迷い無きリタイアだ。

山川パーキングエリアへ左折。高速道路を潜り熊本行きの方へ回り込み、高速道路上へ。パーキングエリアから高速バスにのるのは初めて。車で走っていると高く感じるが意外と低い感じの階段を上がる。





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上がってみると、なんと店があった!オアシスいや天国。クーラーの効いた店内に猛突、まずはソフトクリーム一気食い、次にペットボトルの水をほぼ一気飲みしてわれを取り戻し、バスを待った。

帰りは乗客が数人。先程まで熱射浴び続けた歩行からクーラーの効いたまるで天国のような車内で熊本へ。体は充分冷えたので通町で降りて上通りの「こむらさき」で大盛りを頂いた。

次回はいよいよ南関だ。しかし豊前街道は、その後の行程で更なる試練をゆたちゃんに与えることになるのだ。

2013-11-09 10:26:49

切手収集から見る我が国歴史観へのアプローチ①

テーマ:切手収集

街道を歩くことにより、江戸から明治期にかけての往時の行政、文化に触れて再確認することが出来て、改めて自分が受けてきた戦後教育に疑問を持つことになった。



その一例。東海道箱根道中、東坂をようやく登りきり、しばらくして芦ノ湖が見え、一気に下ると、芦ノ湖湖畔にケンペル像を見つけた。



***当時のブログより



《元箱根のケンペル碑・・・興味深いです。



大正期にこの地に別荘を持っていた貿易商バーニーの建立による。






ケンペルは江戸初期に来日した医者、博物学者で箱根を愛し、景観を絶賛し、薬草なども採集した。



帰国後、ロンドンで『日本歴史(日本誌)』を執筆した。その序文にいわく、



「本書は、隆盛にして強固なる帝国の歴史なり。」



「本書は、勇敢にして不屈なる国民の記録なり。」



らしいです。





また、バーニーは



「其人民は謙譲、勤勉、敦厚にして其拠れる此の地は最も天恵に富めり。新旧街道に会合するこの地点に立つ人よ、この光栄ある祖国をば更に美しく尊くして、卿等の子孫に伝えられよ。」



と結んでいる。》







前置きが長くなったが、実は保有している中に我が国最初の記念切手(特殊切手)、明治天皇銀婚式記念の切手がある。



郵便制度では遅れを取った日本が記念切手発行はほぼ列強と同じ時期である。



これは切手発行が単に郵便料金納付の証票の為だけではなく、欧米に広まっていた収集ブームが我が国でも財政確保に資することや、国家行事宣伝、インフラの誇示、国事情報発信に利用可能と考えたものと思われる。



また出来栄えもなかなかで、この辺の力の入れ方も上記背景となったのではないかと思うし、日清戦争前の時期で他の列強への力の誇示が窺われる。





このような歴史的背景の中で発行されたマイ明治銀婚切手の収集は以下の画像





上段  発行日付印付き



中段  未使用分



下段  通常使用済分


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発行日付印付きの拡大画像


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これは当時の消印がローマ字表記だったのではなく外国向けの欧文印である。明治27年3月9日に発行されたものだが、使用されたものではなく当時の外国人収集家が局に持ち込んで押印を依頼したものと思われる。局も長崎局なのでその蓋然性は高い。若しくは日本で最初の記念切手が発行されることを知った外国人収集家が、国内の知人に頼んだとも考えられる。



117年前に発行されたもので、もはや生存者もいない過去のことではあるが、あまり詳しいことは書かないが、まだまだ想像をかき立てられ、一枚の切手の情報からとんでもない脳内ストーリーが生まれてくる(笑)


2013-10-23 06:39:01

京街道踏破

テーマ:京街道

先日京街道を踏破しました


距離は約56.9キロで


通常なら二泊三日で行く距離だが


今回は仕事で京阪神に行った時


ついでに歩くことにしたので


結果的に延6日かかってしまった



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到着した


北浜高麗橋は関西の聖地日本橋だ


西日本の各街道の起点となっている


手を合わせ、旅の無事に感謝



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新大阪で、学生時代の思い出の


熊五郎ラーメン


学生時代と同じくラーメンライスで



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珍道中記は後日・・・・

2013-10-06 12:38:25

羽犬塚~瀬高

テーマ:豊前街道

羽犬塚~瀬高

今回も歩くかどうか迷っていた。で、前日からの用意もまともにやってなかった。朝起きて天気予報を確認すると現地は雨また曇りとなっている。ということは、熱射ビームはないし行ってみようかと、説得力ない論理で自分に言い聞かせ、半信半疑状態のなか携帯傘持参で博多駅に向かった。またこんな動機不純なタイミングでは電車も非協力で9時47分の電車に乗り遅れ、次の快速は目的地の手前まで。結局実質的にそのあとに博多駅を出発した普通電車、快速電車に乗り継ぐ羽目になった。

乗っている間に、チェックポイントの確認をしょうとするとコピーしていた街道解説、地図一式を自宅に忘れているのに気がついた。普通ならば断念ものだが、(以前小田原宿、佐賀の宿でも同じことがあった。佐賀の宿では奇跡的に佐賀駅の中に朝から開けてある本屋があって、しかもマニアックな本に関わらず、売っていたのだ。今回はさすがにそれは望めない。)昨日ルートチェックしたばかりなのでスマホさえあればなんとかなる自信があった。

羽犬塚駅に着いて前回到達した地点に復帰したのは前回と同じく昼近く(11時26分)となっていた。


近くの恋木神社(女性の参拝客多し)鳥居にはハート形のオブジェ。
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駅前の諏訪神社
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南進開始し、すぐ山ノ井交差点に着く。横断し、ここから209号線に並行する細い道へ。少し風情を感じながら歩いていると途中で雨がポツリポツリ。電車に乗り遅れなければ今頃もう船小屋駅を通過していることだろうにと、自らの優柔不断さを嘆きながら傘をさした。



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坊津街道(薩摩街道)との道標があった。


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尾島というところでまた209号線に合流。

右手に源平合戦の遺構があった。源平合戦は壇ノ浦の合戦の後もまだまだ続いていた。この戦いの後、組織的な戦闘としては最後となる山川町要川の戦いへと続く。この豊前街道は筑後地方が源平合戦、熊本に入ると西南の役と、まさに歴史的に戦いの舞台となった。



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雨は激しく降ってきた。歩行意欲が著しく減退してきた。

尾島十字路を過ぎて右方向へ。雨脚が更に強くなった。もはや歩いている場合ではない。何とか船小屋までたどり着いて新幹線で帰ろう。筑後広域公園に突き当たった。大きな公園、駐車場も広い。但しこの雨、当然ながら駐車場には殆ど車はなく余計に寂しさを誘う。




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公園の脇道を進行する。確かに想定通り太陽熱射はないが、豪雨の中の高温多湿という状況下、ストレス満載で歩く。歩道は水溜りとなってきて、路肩の上をバランス取りながら歩いていく。そのうち少し雨足が弱くなってきて、秋津島、道標と何とかカメラを撮れた。先の方に船小屋駅が見えてきた。取り敢えず帰れる。一安心。

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なんとか船小屋駅にたどり着く。リタイアする前に折角なので新幹線駅とその周辺を見よう。在来線の駅が隣接。なんとも寂しい施設をひと回りして取り敢えず西側の地産地消風レストランで食事。ところがなんと雨が止んできた。人生こんなもので、食事が終わり歩きはじめるとまた豪雨が来るのだ。


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地産地消のチーズが乗ったハンバーグ。もう歩かないので生ビールも。食事も済み、併設の施設をチェックなどしてタイミングずらし、外に出て確認すると雨は止んだままだ。濡れた服もなんとなく乾いてきた。ならば、よし、決行に変更!

鹿児島本線を超えて旧道へすぐ左折、また右折して元の道へ。このあたりも明確に記憶していた。ややこしい感じだったので事前チェックしておいて良かった。前方に何やら祠みたいなのがある、よく分からず行基橋を左折。??ひょっとしたら行基像だったのかな。



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橋を渡ると何やら昭和の雰囲気。土手に不思議な構築物が。駐車場でもない??




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その先、酒屋の先の細い道を間違って右折、レトロな、つげ義春的な空間という感じのところを通って右折。実はここで正しい道へ戻ったことが後でわかった。

道なりに進んで中山大藤を左折。赤い鳥居、お稲荷さんらしきものが見えた。ここも直進が正しかったようだ。道なりに進んで三軒屋交差点を左折して正しい道へ戻る。左手には山門高校。お茶屋前の交差点に。本当に懐かしい光景だ。右の空き地がお茶屋跡ということだ。



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横切って昭和レトロの道へ。突き当たって道になりに左に行くべきところ、また間違って一筋南の道へ。寒ざらしの店やなぜか水車が玄関にある家など通り、来迎寺を過ぎたところで間違いに気づき、左折して八坂神社へ。大提灯を見損なった。



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来迎寺
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八坂神社

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北原白秋の姉の嫁ぎ先、菊美人醸造元を始め、大きな町家が立ち並ぶ。往時の素封家が忍ばれる感じで前方に矢部川が見えてきた。



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瀬高橋で矢部川を渡る。右手に大きく高い山が見えた。この近くにそんな高い山はない。が、山の形から自らの幼児時代を過ごした島原半島の普賢岳(現在、平成新山、噴火当時雲仙岳と呼ばれた。)とすぐ気がついた。



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橋を渡り、右折、町家が並ぶ。道なりに左に。伊能忠敬の測量基点の地の碑があった。当時、17年の年月を費やして全日本地図を完成させた。本当に偉大なことだ。



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209号線を超えて右手に小川が見えてきて、川沿いの道となる。交差点を過ぎて右手の道に回り込む。すぐに街道を寸断している鹿児島本線に突き当たり、瀬高駅最短距離地点となった。ここで今日は終了、瀬高駅へ。今日も何とか辿り着いた。距離は短かったが、体力的には消耗した。



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2013-08-31 09:47:03

府中宿(久留米市御井)~羽犬塚宿

テーマ:豊前街道

春先が全く動けなかったので街道紀行も中断、豊前街道も府中宿(久留米市御井)でストップしたままである。ただ秋口までには何としても熊本まで到達できる道筋をつけておきたい、ということでとにかく府中から少しでも南進することに決めた。



とはいうもののこの暑さ、気も進まない向きもあって、前日にとにかく朝起きて決めることにして就寝。朝起きても暑いとか雨がふるぞとかグダグダしつつ出発。結果的に前回到達した地点に復帰したのはなんと昼近くとなっていた。



ただ歩く決断をしたご褒美に、今日は久留米ラーメンを特別に脳内許可頂いた。とは言っても久留米駅前で頂くのはあんまりとお思い、バスに搭乗。とりあえず前回のバス停に。バスを降りた途端に全身に浴びた熱線ビームの直射日光から即行コンビニ。日焼け止めを調達した。そういうことで熱々の久留米ラーメンへの執念は失せてしまう。

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道路で少しでも影を探しながら前回到達地点、高良山鳥居前へ向かう。目の前に高良山大社が。電信柱の細い影が有難い、影に沿って斜めに歩く。やっと着いた。こんなことで歩けるのかな、着いた時点で帰ろうかな、なんて弱気筋も。次元は低いが自分との戦い(笑)

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府中宿を進行。進行方向にあるバス停とバス路線を確認しながら、リタイアのタイミングを計りながらの情けない進行。ゆたちゃんは寒さにも弱いが暑さにも弱いのだ。

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いつもの町屋の風景。坊津街道府中宿の解説板チェック、大鍋屋、下宮社を確認。やがて宿場街を抜けると交差点。


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交差点を超えて信愛女学園脇を南進。暑さのストレスでいつものような写真撮りも出来ない。道向こうに何やら石碑と解説石、ズームでチェック。



びっくりした。からくり儀衛門はなんと久留米出身だったのだ。全国的に活躍し、西洋技術や天文学を学んだ。後に鍋島藩のアームストロング砲制作にも関わった。(実は軍艦島の炭鉱も鍋島藩の管轄下にあった。)継承された会社は後に芝浦製作所として東芝の前身となった。まさしく東洋のエジソンだ。


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自衛隊基地に突き当たる。太陽の位置を考えれば右回りすべきところ距離的観点から自衛隊基地を左回りに半周、この辺で路線バスともお別れというタイミングで、ここから続く熱射ゆらゆらの影の欠片もない道を睨み、すくみ10分程度立ち止まって自問自答。決断して行軍開始。前を向くしかない。



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ふと前に青木繁の看板。そうか青木繁も久留米か。浦山公園が見え、橋を渡るとその先に成田山の菩薩像。右手に住宅街を登るように進む。

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やがて下って今度は菩薩像の顔が見えた。その先国道沿いにリンガーハット。ここで食事。精一杯休もう。野菜一杯ちゃんぽん。クーラーで体を冷やす。


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長めの休憩後、3号線をクロスして上りの道へ。暑さで結構長く感じた。自衛隊演習場だ。日除けがない。松林欲しい。登りきって下る途中少し木陰が有り安心。野添橋を渡って民家がちらほらするがいつの間にかまた演習場の鉄条網が続いていた。


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大きくカーブして演習場が切れたところに田舎の六つ角。西の道へ。

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突き当たって左折すると境橋が。どこの郡境か?やがて相川というところで209号線に合流。ここからしばらくは209号線を南下の道となる。

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広川を超えたあたりで筑後市となった。サイロが見えた。牧場?


広川

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中の堤の交差点で右に分岐。この道が薩摩街道の一部である旨の解説板があった。


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再び合流後、上原々交差点で左折、すぐスーパーのところで右折、209号線に沿った細い道を南下。途中に旧坊津街道の道標有り。

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209号線に再合流後、羽犬塚小学校に羽犬の像、坊津街道の解説板、同街道お茶屋跡の解説板があった。羽犬のいわれはいろいろある。いわれはまた次回に譲ることとする。

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六所神社に着いた。寄ってみると室町初期の恵比寿信仰の起源ともいえる男女双体の像で資料価値の高いものであった。

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戻って右折、鉤形を南下。山頭火の歌碑と坊津街道の道標が並立していた。


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すぐに羽犬塚駅前からの道に着いた。今日はここまで。
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諏訪公園を横に駅に向かった。生ビール売ってるカフェ無いかなと探すもないよね。駅について見ると駅前に酒屋らしきものが。スタンディングの飲み屋でアメリカンスタイルで生ビールで乾杯。出だしは大変だったが(笑)

2013-07-31 08:08:58

朝倉街道(山家)~府中(久留米)

テーマ:豊前街道

先日長崎街道道中、冷水越えをクリアーし、意気揚々と通っていた朝倉郡山家でたまたま祭りの大名行列に出会い、雰囲気マンモス(古!)の中、ふと気になるポイント(番所跡)に到達した。左手に筑豊線の線路が見え、その先には街道らしきものが確認できた。ここが薩摩街道の追分と確信し、多分遠くない将来、ゆたちゃんがここを起点に鹿児島向けて出立するタイミングを思い描いたものだ。

本年正月、大手門の自宅から太宰府まで、いつも通り初詣の歩き初め。参拝した後そのまま山家まで足を延ばそうと思ったが、スタートが遅かった為暗くなり中止。止むなく翌日朝電車、タクシーで山家に到達した。先日の地点を再確認、遥か熊本城下札の辻に思いを馳せて出立。今日はまず府中(久留米市御井)を目指す。



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本来ならこの付近にあるべき薩摩街道と長崎街道の追分石は、現在市の博物館に移設してあるらしい。従って、その確認は後日に回し、数百m先の日田街道と薩摩街道の追分を目標に東へ進む。

筑豊線の踏切を超え、田園地帯へ。右手山頂に基地らしきものが見えるので三郡山?

途中に雰囲気のある店が。今日は定休日らしい。「山ぼうし」というカフェとなっている。このさつま街道を意識している感じだ。街道ファンに違いない。


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小学校の地点に。この辺りかな?と学校側に寄って行ってみるも何もなし。戻ってしばらくして右側に追分石を確認できた。府中(久留米)側に右折する先はやや先なのだが、よく見ると本来の右折する道はこの追分石のあるところだ。道は川で寸断されて通れないがその先が今の道に合流している。右折して386号線石櫃の交差点を横切る。


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田園地帯の細い道を南下南下、県道に突き当たる。ここで左折、県道らしい広い道に出る。若干車が多いので途中から旧街道らしい脇道を通りながら東進、やがて川をわたり右折。

右折して道が間違いないか不安があったが、二基の国境石が見えてきて一安心。「従是北筑前國」「従是南筑後國」とあり、解説板もあった。久留米藩と筑後藩で建立されたらしい。今も筑紫野、筑後の境として機能している。

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橋を渡って先程から見えていた可愛い山を左手にやがて上茶屋というところに出た。更に

直進し一里木へ。街道らしきネーミングだ。田んぼの横に一里塚跡があった。解説板もある。

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県道に出て立石交差点を右折。中学校横を通る。しばらくして筑後小郡IC近くの高速(大分自動車道)のガードをくぐり、「本当にここでいいのか」という感じの左手の細い道へ。→真ん中に見える道です。

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甘木鉄道を超えて県道へ。県道を超えてすぐ右斜めに向かう松崎の宿方面へ。



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ここから雰囲気が一変。宿場の雰囲気満載。立派な構口の石垣がお出迎え、その先には鉤形、その先広い道を左折すると旧町並み。旧油屋の観光案内や町屋風の家などが続く。

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鉤形

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やがてまた鉤形を右折、少し荒れた感じに。途中に恵比寿信仰?南構口の石積みが見えた。ここでまた田舎道に。


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やがて下岩田というところで県道に。十字路をそのまま直進し左折。南進。すると正面に山並み、耳納山脈?場所を確認すると古飯地区とある。


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郡境石があった。北は不明だが南は御井郡と見える。その先広い道に出る。


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さらに左折して大きな道に出る手前の細い道を右折した。その先は道らしきところをいろいろチャレンジするも結果的に断念。一旦大きな道を経由して平方陸橋で右折する。茶屋橋を渡る。




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川沿いの道が気持ちよさそうなのでそちらへ下る。もういい加減腹減ったタイミングで目の前に大きな建物と「山賊鍋」の看板。実は先程の松崎の宿あたりでチェックモードになったのだがなんせお正月、こんな田舎で店なんか開いてる筈がない。



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即行入店するもランチは3時まで。仕方なく天ぷらそばがあったので、それと生ビールとした。お味は、まあ正月なのでいいのじゃないでしょうか。

田んぼ道を右折、西陽一直線。何も考えずに前進、前進。



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久留米駅前のタワーマンションと、周辺とミスマッチな市役所のビルが見えた。意外と近かったような、遠かったような。やっと県道に来て左折。と、大型車が猛スピードで通過、巻き込まれそうになる。歩道が無い、ピンチだよ!

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古賀茶屋を超えて天満宮の西宮側道橋を超える。西鉄甘木線の踏切を超える。あの思い出の「北野」はここから左折して一直線。もう今日の目標は近い。ゴールが迫るとペースが速くなる。



目の前に高良山、山頂近くに筑後国一宮高良大社が見えた。だんだん大きくなってくる。あとちょっと。


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筑後川を渡る
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神代橋を渡る。元寇の際の神代浮橋の話が解説されている看板があった。直進し、間違いに気づいて引き返し左折。歩道がなく車が多い為、一旦土手沿いの道を経由して県道へ戻った。


浮橋の解説

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宿場町の雰囲気となってきた。高速を潜って北構え口跡へ。一気に府中宿に突入。高良山鳥居前の坊津街道府中本陣跡についた。宿場町の雰囲気が漂う。初詣の為、車が多い。整理のためのガードマンの姿もあった。



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山裾の大鳥居は往時、街道を往来した人も癒したに違いない。高良山は一度登っているので今日はここで帰路に。JR駅の方に向かったが運良く途中にバス停があった。バスに乗って久留米駅方面に。小さくなった高良山に一瞥し、再来を誓う。

(付記)

薩摩街道は豊前街道、坊津街道など呼ばれている。また薩摩からゆたちゃんが進んでいる道は出水筋と呼ばれ、それぞれ意味はあるのだ。ゆたちゃんが分かり易いのは薩摩から小倉までがさつま街道、そのうち熊本から小倉(豊前)までが豊前街道とする分類で、今回はそれで。


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