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塚崎の宿~嬉野宿  自らのルーツへ 一歩目

前回は目標通り塚崎の宿(武雄温泉)まで行けたこともあって、今日は気持ちよく歩ける筈だ。


今回は前後半の山道がメインとなり、用意周到(笑)。事前チェックは冷水峠以来だが、嬉野までの山道を何回もシュミレーションしてきたので大丈夫。



前日、島原で、クライアントのイベントがあったので、朝早く、島原鉄道で諌早を経由して特急かもめで肥前山口まで行って普通電車に乗り換え、武雄温泉までと思ったが、なんと肥前山口には止まらないようなので、佐賀まで行き過ぎて、武雄温泉行きのJR特急を待つ形となり効率がわるい。


他の佐世保回りとかシュミレーションしてもなんとも???




結果として、肥前鹿島で降りて、そこから普通で肥前山口まで行けそうなので、それを選択、同じ特急を待つのだが僅かながらのコストダウンに。



知らなかった!


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武雄温泉駅に着いて、肥前山口から武雄温泉までの特急料金を払いに行ったら改札で「有難うございます。と言われる。黙って出ても良かったかな。正直者にはきっといいことがある。


前回は武雄温泉駅前から最も近いところで終了したので復帰は早い。駅前の神社のある山の横を通って八並で旧道へ復帰。


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宿場全体をチェックしながら西進開始。





諏訪神社というところでまたお年寄りにナンパされる。写真を撮っていたところでデジタルカメラの撮り方を教えて欲しいということで話し掛けられ、住所まで聞かれた(笑)




先を急ぐ身で、なんとか振り切って西進開始。鍵型道路から宮野町の夢本陣へ。突き当りが札の辻となっている。

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取り敢えず楼門の方へ。以前来た時に高名な山門はチェック済みだがもう一度周囲をぐるり、やはり趣がある。辰野金吾と清水満之助(現清水建設。)の匠によるもので釘は一本も使用されてないそうだ。


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戻って商店街へ。更に右折して国道に並行に走る道に。


札の辻


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ここで左に見えた御船山の写真を撮っているとお寺から出てこようとした車が写真を撮り終わるのをずっと待っていたようだ。


気がついて頭を下げて道を開け、車の方を見ると、なんと雛には希な超美人!思わずナンバーを控えたくなったが(笑




今日一日も感謝ということで、煩悩に迷うことなく西進、再び鍵形道路を通って牛の鼻へ。



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ここを過ぎると道が極端に狭くなり、やがて市街地を過ぎて畑の中の道となった。左側にJR佐世保線、その先に国道が並行に走っている。

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途中で並行する国道を横切って山道に入るのだが、タイミングを図っていると鉄道を斜めに横切る道らしき跡があった。

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「危険」と書かれた標識が。どうみても線路の先にも道らしきものがあり、この道に間違いない。



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線路を渡り、先程の道らしき跡を進んでゆき、やっと細い道になった。

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そのまま進んでいると左手に平行する国道沿いにコンビニが見えた。ここで調達しに行っとかないと、最後の店かもしれない。一旦旧道をはずれ、国道沿いのコンビニエンスで食料調達、多分これからは調達できる店、スーパー等は少ないとの判断はGJだった。





少し早かったがピザのデニッシュを1ピース買って、いつもの車止めに地図を敷き座って食す。食しながら見えた御船山が綺麗だった。もちろんパチリ。飴玉に加え、万が一のライフラインの魚肉ソーセージも調達、リュックの奥深くに収納。トイレも済ます。完璧。





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旧道に復帰して西進。しばらくして国道に合流すると、すぐ左折する旧道を確認できた。国道を左折し、いよいよ山に迫っていく。山道へ突入。


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左手を見ると御船山はまだ存在感を保持している。



川沿いの田舎道を歩いてゆき武雄市水道課の案内板のところで嬉野に向かう道に合流した。

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人通りは殆どなくなり、車が時々通り過ぎる程度である。やがて右手に大きな池が見えてきた。左手にはこちらへ~、という感じで誘惑の山道の愁眉が・・・。その後も次々と入口が顕れ、旅人ゆたちゃんを誘う。ここは先人たちのブログで十分チェック済。騙されず、大きな道を進んでゆく。



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つい、入りそう!先は行き止まり。
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やがて下りに。思ったより早い感じで峠となった。相変らず車の通りは少ない、人はもちろんだ。



下ってゆくと家並みが見えてきた。まずは難所第一弾終了。

住所は東川登となっている。もう川登なのか?という感じだが、あくまで東が前に付いている。東海道のときもそうだったが、基本西進なので進行していると住所が東○○から○○、西○○と経過するパターンが多い。


目標としていた富士コンクリートの工場があった。意外と住家が多い。ずっと先に大きな道らしきものが見えた。この辺りから人家がそこそこに。



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山にどんどんぶつかる様に進んでゆき、亀水というところで突き当たった。と思いきや先に細い道有り、34号線を超えて(南側)狭い道へ入るがすぐ西へ曲がり、34号線と平行に細い裏道を進んでゆく。



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しばらく進み。再び34号線を横切って反対側(北側)へ進むが、やがて再合流した。


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そのまま国道沿いを進んでゆくと貴舩社につく。ここも面浮立の祭りが有名だ。他人のブログで好評な、近くの蕎麦屋を探す。あった。でも休みかな?あるには有ったが休みどころか廃業、売り物件になっていた。




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横のコンビニで少し休んで、売っていた甘酒を買って、例によって車止めに座り、嗜む。微妙な味わい。そしてリフッレッシュ再出発。



しばらくして武雄南インター近くの西九州自動車道のガードを超え、なんとも辛い直進モードに耐える。やがて遠目に交差点が見えた。


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距離は結構あったが、なんとか日の出城の交差点のところまで到達。


交差点近く、右川棚、波佐見、直進嬉野の標識。



少し降る感じで進んで行くと今度は嬉野温泉まで5kmの表示が。


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第二歩目に続く





西田橋(鹿児島)~伊集院

さつま街道踏破は長崎街道との分岐点、筑前の国朝倉街道から出発し、肥後経由で薩摩に向かい、桜島が眼前に広がる姿でのゴールをイメージしていたのだが、

(。>0<。)。


これからの時期の南進は太陽嫌いのゆたちゃんにとって厳しいものがあり、止むなく太陽を避けるように薩摩からの北進にしたのだ。






西田橋(鹿児島)~伊集院


昨年、鹿児島のマルキュー?カ○ーノに仕事に来て以来、久しぶりに鹿児島に向かうことになる。博多から新幹線で出発、鹿児島中央9時半過ぎ着。駅前でまったりとしたあと、出発地点とされている西田橋へ。


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西田橋へ着いて一旦甲突川を渡って遺構を確認。ここが薩摩街道の出発地点という物的確認をしたかったのだが残念ながらそのようなものはなかった。気が付かなかったのかな。西田橋を10時15分出発。


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西田橋西口から出発、薩摩半島横断は無理でも(笑)最低目標の伊集院までは17.5キロの距離だ。JRのガードを越えて遠目に山手が見える。右手には鶴丸高校。しばらくして日枝神社が見えるあたり、左手に遺構の水路。日枝神社を横に通り過ぎて急に登り道になる。

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さらに登り続けると水上峠という表示が。そこを超えると武岡団地があった。更に右に登り続けて武岡小学校の歩道橋の手前で右折、薩摩街道出水筋の道標があった。ここで武岡台公園を経由してまた元の道に戻る。


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時刻は午前11時半、このまま市街地を抜けると店とかは無くなりそう。そろそろ食事をなんとか確保しないと。お土産センターに入って食堂らしきものを探すがない。とりあえずライフラインの確保で目の前のコンビニで「ばくだんおにーに(高菜、明太、昆布、鮭入)」と缶ビール調達。



登り道の途中で、ふと振り返って桜島方面をチェック、逆走していなければこの地点で鹿児島着を感慨深げに見たことだろう。



しばらく行くとなんと、麺処があるやないか。休日歩いていく中で、このような店が開いていること自体が奇跡だ。やばい、危険を察知した旅人は、道路際の蕎麦屋の看板の設置されてる台石の上に座して、店の人にチェックされながらもコンビニで調達したおにーにを頂き、何とかかわすことにした。



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こうして食し、危険回避したと安心したにもかかわらず、あろうことか理不尽の胃が更に麺処に連れて行くよう我侭を。意志の弱い旅人は、なされるがままに麺処へ。



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ここでかき揚げ蕎麦○を食した。何か茶色の飲み物が。さっきの缶ビールは??

蕎麦は完璧。麺が田舎風。先を急ぐ身、早々に済まして席を立った。


ここが峠となる地点で最後と思われる桜島のビューポイント。残念ながら雲がかかっていた。



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リアルな、かかしがこちらを見ていた。グラサンで今風な感じ。少し気持ち悪い、で写真はカット。

伊集院向けて歩いている道がなんともリサイクル関連産業の多い道で、街道の趣はあまり感じられないが、贅沢は言えない。あまりに何もないので、せめてロードサイドの店の写真でもとを撮っていたら店の女主人からものすごく怒られた。謝ったが、街道歩き続けて初めて文句を言われたが、あまり好まない人もいるのかなと少し配慮するように反省。



島津そばの看板、食べてみたい。面白くない道を我慢しながらトボトボと。チェックポイントの北部清掃工場の分岐点に到達。薩摩街道出水筋の道標、安心して進む。



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更に登り続けるところでたけのこが路上販売されていた。実際に歩いている道から成長しすぎたたけのこが群生しているのが見える。


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展望が開け、遠目に建物。人と車が密集している。先程から案内看板があるチェスト館に違いない。



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チェスト館、ネーミングが鹿児島そのもの。松元に向かう四つ角を超えて広場に入ると想像通りファミリーが多い。ここでまったりとしたあと、施設全体を街道資料などくまなく探すも無く、ベンチでアイスを食し、水分補給して再び大きな道を日置に向かって西進する。途中で右に旧道へ。山門を潜ってまた大きな道に復帰。その先に薩摩街道100mの表示。確かに100mほど進むと左分岐の表示があった。




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分岐点には道標と案内看板が。ここから約2キロの道が旧出水筋の雰囲気を残しているそうだ。出水筋は大口筋、高岡筋と主な街道の中で最も重要な街道と解説されてある。筋は街道のこととある。本道は妙円寺詣り道ともある。



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この妙円寺詣りとは鹿児島県民には慣れ親しみがあっても他県の者にはあまり馴染みがないが、実は関ヶ原の島津義弘公がとった行動に由来するものである。この時の島津勢がとった行動、その後の徳川対応はあまりに有名なのでここでは省略するが、今回のゆたちゃんが歩いた道は鹿児島から妙円寺詣りの道とほぼ同じだった。



工場の敷地らしきところを過ぎると急に道が細くなり、山道風になる。入口には丸に十字のお馴染みの家紋があった。




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竹林のなか、標識を確認しながら進むと大きな家があったが一軒のみで再び山道風に。案内板通りに街道らしくなってきた。



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どっちかな?
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五本松、ここは旧道時代の休憩地点だ。ここまで結構長く感じた。



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しばらく山道、やがて民家部落が見えてきた。ここで山道は終わりかな?きよふじ橋を渡り、広い道へ。合流手前に薩摩街道出水筋の道標。



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しばらく歩くと人、車が増えて市街地に。沿道の工場の前に兜のオブジェがあった。さすがチェストー薩摩。伊集院インター入口を過ぎる。鹿児島城西高校が右手に。野球、サッカーの名門校。サザンクロスのメンバーも確かここに。

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伊集院駅前方向に。永平橋を超えた。橋の銘文は西郷隆盛の筆らしい。

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伊集院駅前に出た。今回はここで終了。



遠目に駅の先にトンネルが見える。次回はそこを通るのだろうか。駅に向かうと島津義弘公オブジェがあった。島津義弘公は勿論理解できるが、大分駅前の大友宗麟公は微妙、大分発展に何か貢献したのだろうか?



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伊集院駅から電車で鹿児島中央へ。新幹線はまだまだあるのでここで食事。生ビールと黒豚、おでんで一杯。途中でフリーの黒酢を一気飲み。そこそこにして新幹線に乗り、博多までは約一時間ちょっとかな。ほろ酔い加減で寝るまもなく博多到着。

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伏見街道、山科~丹波橋

仕事の関係から報告書の提出が終了したので、やっとブログが更新できます。

意見書提出前にブログ更新すると、

「よくそんな時間があるな」

などと

依頼者からの皮肉混じりのコメントを頂くことを恐れた訳じゃないですが、自分に厳しいゆたちゃんなんで(笑)。

伏見街道、山科~丹波橋

名古屋から京都へ。京都駅からJRで山科駅へ。そこから歩いてスタート地点の山科追分まで行こうとしたが、まだ少し距離があるので京津線で追分駅まで乗ることに。

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着いて駅を降りて外へ出ると山が近くなり京都の紅葉がすぐ近くに見えた。地下を通って一号線の反対歩道へ。ここから一号線と旧街道の分岐点まで戻って旧街道を西進すれば確実なのだが、方向感覚理論値へ突進(急がば回るな)。分岐点に戻らずそのまま一号線を西進、この辺りかなと石段を登って旧道へ。

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丁度山科追分手前に着いた。流石。



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ここ山科追分(髭茶屋追分とも言う。)を伏見(至大阪)方面へ。いざ出発。先日はここを直進し京、蹴上、ゴール三条大橋の方へ向かった。今回は左方向へ浪速高麗橋を目指す道へ。時間は11時16分、今日は夕方に京都市内で用事があるので中書島ぐらいまでなら、約束の時間までには近鉄で京都へ帰れると、とりあえずその付近までを目標と設定。

さすが京の近く。町家風が続き、なかなか風情がある。


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各所に追分道標が多い。名神高速の京都東ICの下を潜って、道標がコレクションかな、というぐらい庭中追分道標だらけの家を過ぎてしばらくすると一号線にぶつかった。


道標だらけ

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目の前に蕎麦屋があった。地下道から道を渡ろうとすると手前の道路沿いに別の蕎麦屋が。昼食の誘惑が・・・・ここで昼食決定!いつも昼食難民状態となるのでここで。

二件の蕎麦屋を目の当たりにして究極の選択状態、比叡山麓の蕎麦というキャッチできまり!手前の蕎麦屋で昼食。うな重と蕎麦のセットを食した後、地下道から一号線を横切って南下。



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往時の雰囲気や遺構もない、つまらない道をしばらく進んで行くと山科大塚というところで、西進してきた一号線に、またしても地下道を潜ってクロスし、南進を続ける。

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新幹線のガードを潜った、しばらくすると道標があり、ひだりおおつ(大津)みち、みぎうじ(宇治)みちとある。




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その先右手に皇塚とあった。桓武天皇伝説や大津皇子に因んだものかも知れないが、地名の大塚といい古代の陵の存在が彷彿とされる。


道路際にはまた愛宕山の洒落っぽい常夜灯があった。左手には行者が森の小山が見えて、光景はなんともいいバランスに。途中ミニストップでコーヒーブレイク、リフレッシュして出発。



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行者が森の小山

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可愛い野菜直売所があった。


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一里塚み~っけ。しかし解説とか案内板が無い。変な感じだが取り敢えずパチリ。通り過ぎて一号線追分交差点以来の名神高速のガードが見えた。


一里塚もどき

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間違った、ガード手前に本物の一里塚。奈良街道の一里塚である旨の解説があった。道路標識も奈良街道とある。旧奈良街道はその名称も起点、終点もいろいろだが、今回の山科追分から大坂に向かう京街道のルートは奈良街道、別名大和街道の一部となっている。



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またしても愛宕山常夜灯があったがこの辺の常夜灯は少し形が違う。さすが京都。名神高速のガードを潜る。

このあたりは小野町となる。小野小町縁の地である。途中で宇治に向かう道から右方向に分岐。

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柿の木

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道なりに進み、再び常夜灯。よく見ればなかなか優雅。風よけもあってお洒落。往時の旅人も京の優雅さに触れたのかもしれない。



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途中史跡境界の道標がある四角を右折するのだが、少し先の小野家縁の随心院に立ち寄る。



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小野小町の恋文を捨てたとされる文塚、鏡となった化粧井戸など興味深い。


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東海道大磯の化粧坂にも同じ様なものがあった

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悲恋とされる深草少将の百夜通い、は語感自体が超シャイなゆたちゃんには超!超(´<_` )羨ましい。

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怖いです
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また旧道に復帰。もと来た道からは右折する方向に進む。

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小野駅を通り、勧修寺のところで左折。案内板有り。見ると右明智塚、左中臣遺跡とある。まるで時代を超えて日本史の坩堝みたいなところだ。

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ここ勧修寺は三条右大臣ゆかりの地である。

「名にし負はば逢坂山のさねかづら・・・」

三条右大臣の碑有り。



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ここを右折、名神高速のガードに突き当たり、ガード沿いに道なりに西進。


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今までの歴史を感じる趣とは違う。左手は完全に森風、といっても旧街道とは遠い雰囲気の道、我慢して進んでゆく。右手にも山が見えるようになった。

かなり歩いた感じで、名神高速と分かれてやや南進に。深草というところ、山状態から市街地の感じになったところで右へ分岐。再び旧街道といった雰囲気のところとなる。桓武天皇陵の案内道標有り。

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しばらくしてやや広い道に出たがすぐまた左分岐。狭い坂道を登るように行くと道はやや広くなり、町家風な街道のイメージになり、突き当たる感じで左右に道が別れている。右折して道なりに。

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やがて下にJR奈良線を下に見て橋を越えてJR藤森駅前(JRでJRを冠している駅名は珍しいのだ。)に。


さすが赤穂浪士大石内蔵助の山科遊び
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右折し京都教育大学の前を通って突き当たりを左折、墨染駅のところを右折、線路を越え墨染橋を渡る。


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大きな交差点を左折し、廓跡、両替町とそれらしい地名のところを通ってゆく。

大石内蔵助も来たのか?


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釜敷き地蔵が!苦しんでいる方はどうぞ。竹矢来の町家が趣を深める。

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丁度いいくらいの時間、ここ丹波橋のところで17時前となり、今日は早めに終了。

近鉄線で京都へ。用事済まし、帰福へ。

牛津~塚崎(武雄温泉)

早く歩かないと誕生日までに長崎までゴール出来そうもないが、目標にこだわらず、ということで、前回久しぶりに長崎街道へ出立。佐賀をなんとか出発したものの、目標の遥か手前でリタイアという悔しい思いをした。


で、今回は何とかリベンジを果たしたい。それで目標を武雄温泉(塚崎)とした。今までの実績からは簡単ではないが、なんとしてでも達成したい、とはいうものの、基本、無理はしないポリシー優先であることは当然だが。

特急で佐賀駅、普通電車に乗り換えて牛津駅に着いて出発。西進開始。この辺り駅前の通りそのものがなんとなく風情がある。


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やがて牛津大橋を渡る。今まで長崎方面には、公私問わず車でよく出かけたものだが、その際この橋が大きな目印だった。


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渡りきってしばらく行くと国道に合流した。合流地点に個人名を冠した道標があった。私設道標?この辺は石工の町らしい。地名からしての上砥川の歩道橋のところで左に分岐。

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旧道を南進して道なりの感じで右折、その手前に宿場羊羹とあった。覗いてみる。反応して左ポケットのチョコのお菓子を食べた。突き当たって右に曲がった先に長崎街道の案内があった。このまま進むと国道に合流し、暫くして江北町役場、肥前山口の駅に到達出来るらしい。


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国道に出ると右手にかんかん石の小公園に。実際叩いてみる、紛れも無くカンカンと音がする。往時の長崎街道の名所であった事が案内板に解説されていた。



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しばらくして右に分岐して旧道へ、というより国道の方が大きな弧を描くように左方向へ分岐している。こちらは真っ直ぐに直進。直進する道が2~3本あるが、歩いている道に案内板有り、確信して西進。

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右手に長崎街道ふれあい公園とあるが、街道の面影らしきものは何も無い。ネーミングだけかな?しばらくしてまた新宿と言う地点で県道へ合流。肥前山口駅へ着いた。(この辺りからまたしても胃拡張気味?食事のスポットを探さないと食いっぱぐれるかもしれないという勝手な理由でアンテナを巡らすが、駅前なのに有りそうも無い。)

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駅前から右折して山側に進み、細い道を左手に。えびす信仰が続いている。本当はここで右手に回り込むのだがおそらく寸断されていると考え、左方向の一旦大きな道に出ることに。で、再びすぐ旧道へ右折。


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道標があった
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山に向って長めの一直線、小田宿に向かって西進。右手に小田宿公園有り、ここもネーミングのみ。山にぶつかる手前で、鉤の手状の所を左折、宿の中心へ。

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宿場のような町屋風が続き、気分はいい。やがてケンぺル、シーボルトの紀行文にも書かれた大楠が有り、解説板もあった。昔はここに馬頭観音があったらしい。

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やがて、国道に平行に進行するような道になる。ここで不肖の胃袋が脳内懇願した為、国道側をチェックしながら進行する。やっとラーメン屋みたいな店があり、入って有名なタロメンを頂く。キャベツ入りうどんが微妙なみかけと味わい。従って写真カット。

旧道復帰するとまもなく横辺田代代官所跡、1800年代前半の土井家住宅を経由して、大町宿を通ってゆくと恐ろしく昭和初期のような街並みが続く。


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やがて赤坂という所で国道に出た。ファミマのパーキング車止めを椅子にして缶コーヒーブレイク、休憩。


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休息後西進開始、焼米橋経由して北方駅前を通過。焼米橋は往時船運などで栄えた、明治以降は旧炭鉱の往来、物資の拠点ともなった。

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再び右分岐、追分へ。彼杵道と塩田道、再び嬉野宿で合流することになるが、当然その合流地点も長崎から小倉に向かう道中では彼杵道と塩田道の追分となり、本地点が合流地点となり、想像するに単純なようで感慨深い。


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しばらくすると道は左へ分岐するが、実際に分岐する道はなんとも街道とは言い難い細い道。何度も確認しても間違いないので進む、アイホンのおかげ。と、すぐ右手に十三塚と解説板が。間違いなかった。



左の道です
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ひとりしか通れない家の裏のような道を上り下りして又国道へ、そのまま横切って国道の南側へ進むが、木之元神社経由して再び国道に出る。北側に神社の鳥居が見えた。


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国道を渡って神社手前の左に登るような細い道を進むと、細い道はやがて二車線の道に。右手の中学校のフェンスにあいさつ運動の看板。あいさつ通りに来て、すぐに疲労困憊の旅人へ少女の大きなあいさつの声が聞こえた。本当に力づけられる。北方宿の案内板、本陣跡、伊万里往還への道を経由し、34号線に戻って武雄方面に向かう。



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長崎自動車道武雄北方インターのガードを潜ったところで。時間も経ってきて、武雄温泉駅へは最後の山道があり不安なので一つ手前の駅、JR高橋駅で帰るかどうか一人会議しながら西進。

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次回のアクセス考えれば、絶対武雄温泉までいければいいのだが、とりあえず2段構えで道なりに進んで行く。

ここで、本来もう少し早いタイミングで国道分岐すべきところ信号、車の通行量の関係で高橋駅の方へそのまま国道を進む。

途中、信号の地点で道を渡って旧道へ復帰した。旧道を通っていたら本来なら正面に見える地蔵様の地点へ。ここで思案、駅の方へ戻るか、進むか、まだ時間あるので駅へ帰るアクセスが可能なところまで行って考えよう、と進んで行く。

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西方向へ左折し、長崎街道見て歩きの案内板で確認し、安心して西進を続ける。



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高橋駅からかなり遠くなり、本来の目標、武雄温泉駅を目指す道を前進することにした。遠目に武雄の象徴的な御船山。

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正面に見えていた手前の山が近づいてくる。その山越えになるように進む。ところが今歩いている登り道がどうみてもつい最近出来た新道で、想像していた山道とは大分違っていた。ただ現在地点が街道上であるかどうか確認が出来ないので、不安が急に募ってきた。

上り詰めたところで地元の方に確認し、間違いないことが分かったが、同時に教えてもらい、一旦下って、閻魔大王の像を確認することに。再度登ってゆくと先程はチェックできなかった六地蔵があった。ちゃんと確認しておけば降る必要は無かったのだが、やはり少し焦っていたかもしれない。


ここで大王のお裁きが!


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上り詰める手前で分岐し又合流するが、その地点で長崎街道の碑が。新道はここまで。ここで佇んでいたおじさんに武雄駅の確認をした。間違いない、確信して駅方面に向う。



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追分の道標確認しながら、降ってゆく。遠目に御船山の姿がやや大きくなった。宿場道のような道となり八波の石塔の地点に着く。夜泣き地蔵も同所にと解説書にあるので、隣のお店の人に聞くが、夜泣きかどうか知らないが地蔵ならそこだよ、と返ってきた(笑)



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ここで今回は終了。今日は少しリベンジ、この調子なら復活!これから続く山道コースにも耐えれそうだ。

駅に向った。遠目に特急が佐賀方面に行くのが見えた。間に合わないので少しゆっくり行く事にする。ところが駅に着いてびっくり、特急が1時間に1本しかない。




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ついさっき行ったばっかり。夕食の店を駅前から温泉街まで回って探すも休める店は影も形も無い。駅に戻る時に、地元の寿司屋が一軒開いていたのでそこに入る。地元の銘酒「東長」を一杯飲みながら、少し、満足感を覚えながら寂しく電車を待った。

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佐賀~牛津

久しぶりに長崎街道を歩くことにした。まだ全長の半分以下なのに完歩予定日の誕生日までもうあまり時間がない。

なので、集中作戦展開し、なんとか初期目標である誕生日までには長崎到着を!・・・ 。

じゃなくゴールは長崎と決めつけずに、自らの出自である嬉野市か幼少期を過ごした島原市に変更してもいいので、取り敢えず佐賀から西に向かって歩を進めよう、と自らに課したノルマを柔軟に取り払い、そのうちに何とか初期的モラルを回復出来ればという想いで出かけることとした。

少し体調が悪い?博多駅で佐賀駅までの往復チケット購入したあと、電車の中で一人作戦会議をしようとしたとき詳細地図の用意がないことに気づいた。久しぶりの歩行ということで感が少し?大幅に鈍ったかのかもしれない。

特急で佐賀駅に着いて、時間は朝9時過ぎ、この時間に本屋なんか開いてもないし、仮に開いててもまさか街道の地図はないだろうと期待しないまま探した。ところが、本屋が有るじゃないか!しかも探しているなんと目当ての本(地図付き)まであった。

速攻調達!ではなく、冷静に。A3版でかなり重いので(笑)一部写し取り、後は脳内記憶することにした。普通に置いている(売れる)本ではないので本当にラッキーだった。

9時49分に旧街道、龍造寺八幡宮復帰。

同地点の街道案内板で確認するとかなり間違いやすい、城下町の曲がりの多さはどこも同じ。どう考えても地図なしでは困難であった。やっぱり本買ってくりゃよかったかな。

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いざ、出発。早速追分石が有った。ながさき、こくらへの道標だ。当時の道標の風格がある。


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自らの出自とはいえ、我が人生では長崎、福岡に縁があった為、佐賀に対しては○○の感(失礼なという人は、自虐ネタの「はなわ」参照。)があったが、それは払拭され、寧ろ現代とのコラボに関しては、規模は別として東京、京都に匹敵する感じがする。福岡の方が逆に歴史から言えば京都、奈良に次ぐくらいのレベルの歴史的遺構があっていいと思うのだが、近代的経済的都市計画からすれば邪魔くさいのだろうか、歴史を感じさせる整備された施設が本当に少ない。そんな事を考え、風情のある町並みを歩いていく。恵比寿信仰がまたこの風情に微妙な味付けに。



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やがて大きな道にぶつかる。左折する時点で、またしても追分道標。往時の旅人の旅情に触れるようだ。大きな道手前の少し細い道を左折。風情な感覚(江戸時代の篤志家が私費を投じて作った。)の古い橋を渡って、その水路を確認。



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その先の護国神社でクランク状になっているところを右に、先ほどの大きい道に再び出会い、越えた先のところを確認すると、なんと伊勢神社が。この道はお伊勢さんの参道となっているようだ。「九州のお伊勢さん」とある。しかも今、何か縁日となっているようだ。今日は建国記念日、大伊勢神宮大祭。突きあたった所に神社の入り口があり、人混みがすごい。



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境内に入ってみると、いろんな出し物の舞台やら屋台が並び、テントの中には伊勢うどんもあった。ここでゆっくりしたかったが、「後ろ髪惹かれ組」と「まったりしとって委員会」の脳内葛藤の末、先を急ぐ身、そそくさと旧道へ。



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再び、狭い道を右折する。追分石があり、また左折右折。城下町の特徴の曲り。私設犯科帳があった。自転車盗とか、面白い方というより町並みに合っている。その先に恵比寿様、鯛負い恵比寿像が見事だ。


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北面天満宮があった。一国一社の天満宮で、鍋島直茂が佐賀城築造の際、移築したものだ。


この辺りの六座は穀物、木工、煙硝、縫工、金銀、鉄砲の各座があったとみられ、その繁栄を窺うことができる。この宿場の規模、さすがに鍋島藩の当時の大きさを感じる。



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築地反射炉は当時のオランダの文献などを参照して作られたものだ。燃焼には石炭が利用された。例の軍艦島炭鉱は当時鍋島藩の管轄下にあった。この反射炉に使われたものであろう。日本で始めての蒸気船や大砲(アームストロング砲)制作の為のものだ。



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長崎街道を通りながら何かしら疑問に思うことで、当時は九州は文字通り9の国があった。それが明治の廃藩置県で7つになったのだ。全体的に統合されたにもかかわらず肥前の国は2つに分かれている。

本来統合されるべきタイミングで分割されたのは武蔵、肥前の両国だけだったらしい。薩長土肥の力関係だったのか、佐賀の乱の影響か?研究不足だがやはり長崎の存在が大きかったと思う。当時の長崎は旧天領で、なお、唯一の海外からの情報拠点でありそれにより学問、技術、各種資本が集積されていた。明治以降も国際港的な位置づけは継続(日米修好通商条約)しており。ここを乱を起こすような県から分離させたのも分かるような気がする。

一方佐賀も、府構想まであった長崎に県庁所在地を取られるのは嫌だったという話もある。いずれにしても現代の市町村統合と同じく政治的な駆け引きが展開されたと思われる。

ついでに対馬、壱岐もどう考えて(地理的経済的)みても福岡に近いのだが、維新以降の行政区分では長崎になっている。これは当時壱岐を管理支配していた勢力が、対抗勢力との関係(遠交近攻)で平戸氏に隷属したからだ。このことから廃藩置県で平戸と共に壱岐は長崎県となった。また対馬は厳原県と言う名称を使用したこともあったが、やはり一県では負担が大きすぎるということで近くの壱岐と共に長崎県となったらしい。こんなところに歴史の奥深さを感じる。

話は逸れたが、街道を左折、右折、もちろん追分道標、往時と思しき道標が必ずある。外溝のふた石の大名行列も続いている。これなら地図無しでも迷わずに済んだかもしれない(笑)



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また追分道標があった。しかも解説板付きで江戸中期の作とある。この道標が江戸時代からあったとは本当にすごい。指差しも当時の作とすればユニークかな。三叉路で指差しがながさき、こくら、いさはや渡海場とあった。


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やはり風情がある建物だと思ったら景観大賞。しっくい壁の2階の窓が特徴的に感じた。


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道に沿った家が鋸状となっていることに気が付いた。疑問に思っていると、やはり解説板があった。意味はわかるがその効果は何とも納得しがたい(笑)



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やがて薬屋が登場した。久保薬局だ。雰囲気は往時そのもの。「醫局監製。牛黄清心圓」の看板が特徴的で、往時のもので、解説がされていた。薬の調合は当時も藩の医局で検証されていたようだ。


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地蔵橋、長崎街道と表示された橋があった。手前に街道の解説板が。大きな地蔵さんも。



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やがて、国道208号線が見えてきた。渡ろうとすると右手に三瀬蕎麦の看板が。

まだ11時、なんといっても、蕎麦っ食いが蕎麦喰いに来た訳ではないので当然通過するべきところ、なんと足野郎が脳内制御に従わず、不肖の胃袋と結託して・・・気が付くと蕎麦屋に入っていた。今日はなにかリズムがおかしい。三瀬蕎麦の誘惑は半端なかった。しかもこの後ろめたいタイミングで贅沢にも生ビールと自然薯蕎麦とは!

後日、写真見ただけで美味しそうな三瀬蕎麦を美味しく頂いてバタバタと旧道へ。遠目に高橋が。今日はアクシデント続きで予定よりペースがとんでもなく遅い。スタートからのモラル低下に蕎麦屋の件の自己嫌悪が追い討ちをかけてさらに低下。完全戦意喪失気味。

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蕎麦屋を出てしばらくすると遠目に変わった橋が見えてきた。

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高橋はその名のとおり高い橋だ。本庄江航行に支障がないように高くなっている。優雅な品のいい橋で、形も格好いい。佇んでいると、もう歩きを止めたくなる感じだ(えっ!)。遠目に天山山脈。橋の降り口には左こくら、右ながさきを指差しした追分道標があった。


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再び34号線へ。しばらく西進。右に分岐するところで別れの松が。日光街道、東海道の泪橋と同じ。刑場近くで親族と涙の別れとなった場所だ。足元の道標にはなにが書いてあるか不明。ただ、山形のtopと往時の道標であることは間違いない。

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207号線と並行の風情のある道をとおっていると再び207号線に合流。面白くもない道を我慢して行くと左に佐賀森林公園があった。


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その先から思ったより広い嘉瀬川を越える。超えたところの左手に千鳥饅頭本家とある。もともとここにあったもので、炭鉱労働の飯塚に拠点を移したものらしい。


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やがて左手に分岐、道標もある。香椎神社を経てまた207号線に合流。


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久保田宿の表示。

小城市に入った。左分岐、牛津宿へ。

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町並みを確認しながら右折すると正面に乙宮社が見えた。宿の遺構をみながら進んでゆくとJR線の踏切を渡る。左手に牛津駅が見えた。時間はあったが、次の肥前山口まで目指すなんて戦意喪失のまま今日はここで終了。距離はたったの約11キロ、完全に失敗、消化不良、不肖の胃袋だけ満腹状態。怠惰、欲望に負けた一日だった。


乙宮社
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PS.その日、牛津駅から普通電車に乗って帰ろうとしたが佐賀駅で特急に乗り換えずにそのまま神崎駅に行き、先日の心残り(refer 中原~佐賀 神崎宿)のラーメンを食し、胃拡張となった旅人がいたそうだ。



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北千住~草加

北千住~草加





浅草橋から秋葉までつくばエキスプレス、秋葉から地下鉄日比谷線で北千住まで。北千住駅を降りて旧道へ。案内板や標識に日光街道(4号線)はこちら、とあるが、騙されてはいけない。旅人ゆたちゃんが歩くのは旧日光街道なのだ。





前日の旧道到達地点に復帰。今日も帰りの飛行機の時間の為、一応お昼くらいまでを目標とするのでやはり3時間程度しか時間が無い。で、今日は草加辺り、埼玉入りで締めくくる目標設定とする




千住ほんちょう商店街。昨日歩いてきた道はサンロード商店街、「宿場通り」とある。駅前から旧道を右折すると、すぐ本陣跡と解説板があった。




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東京電機大学移転歓迎!
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商店街には過去の街道祭りの写真が飾ってあった。シャッターには日光街道の浮世絵風絵が描かれている。よく見たらシャッターの浮世絵にはすべて花の絵がコラボしている。

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右手に小公園有り、かすれて見えない千住宿の案内図や高札場跡の解説板と冠木門があった。管理は良くないが設備そのものはGJ。


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シャッターの絵は続いていて、街並みに調和している。要するに、街道満載の商店街で一体感があって、満喫できる。しかし、こんな商店街もやがて途切れて、水戸佐倉道日光街道との追分地点へ。道標有り。


横山商屋


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千住絵馬屋吉田屋 際物問屋

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水戸佐倉道追分
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進行方向、遠目に土手のようなものが。途中下妻道中との追分を超えると荒川の土手がはっきりと見えた。神田川、隅田川に次いで荒川超えでやっと街道を歩いている実感が湧いてきた。


下妻道追分

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土手に登り、全体が開けた。広い、大きい。もちろん遠州、駿河の大きな川とは比較にならないが多摩川や相模川と一緒くらいか、それにしても久しぶりの規模だ。この川が大正時代に隅田川から通水された人工河川らしい。橋のたもとまで来るとなんと富士がうっすらと見えた。意外に大きく見えたのでびっくり、ついでにスカイツリーも確認した。

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うっすら富士が見えます
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対岸に渡って、スロープから道路へ。一旦西進し、途中川田橋で右折、北進する。往時なら先程の下妻道中からこの地点に、今の荒川を斜めに横切るような感じで道は続いていた。しばらくして左手に石不動尊、右に鎮座(立)?する地蔵様は以前荒川土手下にあって、道路拡張の際、こちらへ運ばれたらしい。以前のあった場所を見るように安置されている。

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やがて右から来た道と合流する地点で日光道中の道標があった。その先にガードが見えた。東武鉄道、梅島駅だ。


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駅を超えたところでコーヒーブレイク。2階の喫茶店で一人作戦会議。目標と経過時間、到達時間等を再確認。問題ない。





島根というところで環七を超えて、下町らしい雰囲気から住宅地のような所へ。竹の塚を過ぎて増田橋のところで追分道中の道標石。


交差点の郵便局のディスプレィ


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道路標識で右日光街道の表示、分かっていてもついつい。騙されてはいけない!(笑)

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大きな煙突がある清掃工場を超える。足立区の清掃工場。



草加バイパスを超え、国道4号線側へ。毛長橋へ。

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国道4号線に合流。水神橋を通る。


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東京と埼玉の県境となる毛長川を超えて埼玉県へ突入。大きな神社有り、用を足そうと入るも鍵が。ド○チの神社。良く見るとなんと東海道野郎としては縁の深い神社だ。これも公共心の無い方の所業の所以か。


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しょうがなく谷塚駅近くで早めに蕎麦屋に入る。まあ、なんとも。

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火炙り神社。八百屋お七のような謂れがあるらしい。



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草加せんべいの店があった。地元の客と思しき方が数人おられたので迷わずに入店。観光客より地元客の多い店の方が有難いということは、博多で十分学習済み。



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やがて左分岐、旧道は草加駅の方へ。分岐箇所に木の道標。

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草加駅へ向かう道に入ると4号線から雰囲気が一変した。駅前となる地点で道路元標確認後、草加駅から羽田へ。


草加駅
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中原~佐賀

快速で鳥栖駅、普通電車で中原駅へ。帰りが佐賀以西になることを考えたら二枚切符(往復特急券)で行っても良かったのだが、やはりこれまで歩いた距離感を実感したかった。中原駅に着いて、前回到達地点の、少し遠めの東寒水(しょうず)に急いだ。9時13分、旧街道復帰。


J1鳥栖
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普通電車で
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中原駅
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東寒水
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復帰場所に道路元標があったが、道から少し離れている為、文字まではよく見えない。右折して西進開始。右手に地蔵堂、地蔵信仰かな?これから寧ろ本格的な恵比寿信仰の地域となってくるのだが。典型的な田舎道をしばらく行き、西寒水を経て34号線に合流。

佐賀神崎方面へ、赤い鳥居が並んでいる佐賀成田山というところを経由し群境から上峰町へ、再び吉野ヶ里町に入り、久留米に分岐する道へ。ここから右折して旧道へ行くのだが、必死で追分道標らしきものを探すがない!諦めて南西方向に進行し、また34号線が見えたがここを超えてしばらくすると戦時中、大刀洗飛行場目達原分校として、特攻隊の基地ともなった、現在の陸上自衛隊の目達原駐屯基地に。ここから西進となり、進んで行くと左手に吉野ヶ里役場が見えた。


佐賀成田山

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特攻隊の歌碑 欣然と南方の空に・・・

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その先に追分石があった。久留米分岐の追分ではなかった(笑)背振とか、白花堂?なんて文字が見えるがよくわからない。やがて田手宿に入る。入った途端、久しぶりに旧街道の雰囲気が味わえた。瞬間タイムトリップ。土手にぶつかり左折。童心に帰り土手上に上がってみた。戻って長崎街道田手宿の道標あり、安心感を増す。ノスタルジックが味わいながら、しばらくして田手川沿いの土手上の道に。


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やがて右手に橋を渡る。渡り切ると南西の神崎宿方面に道が伸びている。田園風景が佐賀らしい(笑)「さが~」という風景を見ながら進んでゆくと徐々に西進方向へカーブ。丁度西進となった地点に「ひのはしら一里塚」があった。長崎街道で唯一築山が残った一里塚である。もちろん登ってみる。

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ここから西の方にしばらく行ったところに神崎宿はある。東木戸口辺りに着いて周りをチェックしてもあまり遺構らしきものはない。ここで食事としよう、なんせ神崎は麺の有名どころである。島原と同じく小豆島(播州赤穂圏内)にその起源があると言われている。この辺はまたレポートしたい。ところが、うどん屋、蕎麦屋がないかな、と探しても影も形もなく、仕方なく道沿いのラーメン屋に。まあ、麺には間違いないが(笑)



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ラーメンとともにおでん+生ビールを食した。地元の敬老会らしき一団が陣取り、小宴会の真最中。頼んだおでんとラーメンが同時到着、お婆ちゃんが、「ラーメンは後が良かったね」と言ってもらったが、先にラーメン頼んだのでこちらが悪い「いえいえ」と返した。おでんビールを早めに平らげ、すぐラーメンを食したがやはり少し延びていた、残念。結果、ラーメンはまたもう一度来て、ちゃんと味わいた程美味だった。おでんは色合いが完全に静岡風だった。

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恒例の店を出るタイミングでトイレを借りようとすると、お爺ちゃんから「ここよりも公衆トイレがいいよ」と言われた。店を出て鉤の手状のところを左折し、確かにきれいなトイレがあった。


鈎の手?

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今の神崎宿
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しばらくして右折、川沿いらしい方に向かい、川のところまで来ると、やっとそれらしい追分茶屋が有った。蕎麦もあるじゃないか、残念、ここまで我慢すべきだったのかな。しかし、絶妙なラーメンにも会えたので前向きにラッキーと思うことに決定。茶屋の前に小公園、ここに神崎宿と案内板と西木戸口の道標があった。

麺屋さん
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追分茶屋
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大きな橋を渡り、左折して南進、ここから面白くない道が延々と続いた。土手に上がったり、降りたりと街道歩きを堪能しながら南進。新宿というところで川とお別れ。

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雨が少し強くなり、レインコートを上から着る。光景が変り少し歩きやすい道となった。姉という地名。遠目に国道らしきものが見えてきた。左手は用水用と思われる堰になっている。


国道264号線にぶつかる。本来の地図ならもう少し手前で分岐するのだが、気付かずに目の前にコンビニへ、トイレ休憩とミニストップなのでコーヒーも頂く。再度道を渡って右方向へ。途中右分岐、本来の道に合流し直進するとしばらくして六地蔵に。


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六地蔵からまた往時を思わせる光景が近づいてきた。境原宿だ。風情を味わいながら遺構を確かめながら進む、だが、ここで道路元標石を探すのに時間がかかってしまい、結局見つからずに後にした。

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信心の厚いうどん屋さん


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境原宿を後にして西進。ここまで来ればまっしぐら、佐賀へと急ぐ。


細い道と国道を何度もクロス


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郡境石  従是・・これより
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佐賀へ!汚れてる標識
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大友氏と龍造寺の今山の戦いでしょうか?

戦死した将を弔った塚
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細い道と恵比寿様
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構口という大きな交差点のところへ。着いた!


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ここで県道と分かれ、構口橋からは本格的な宿場の風情となった。佐賀の宿は鍋島藩城下町で、やはり七曲り。佐賀は何回も来たことがあったが、今回の様に街道からのアクセスはもちろん初めて。このことで佐賀の意外な一面が見えた。比較的大きな町は都市計画で重厚長大な施設重視で、街道整備等地味な事業は無視されがちだが、佐賀は個々の施設に歴史を感じる事が出来、全体としての調和もあり見応えがあった。



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というところで佐賀の宿は特集記事にしたい。帰りに行き付けの光楽園にて食事。



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帰福へ。




大濠の花火大会

高いところから見れました。





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最後です
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下手な写真撮り続けて、ビール飲むのを忘れてた


о(ж>▽<)y ☆




引越し

長くいた平尾(薬院近め)から、昨年11月末に大手門に引越し



明治通り、昭和通りの近くで、赤坂駅近くなので便利です


博多駅、空港も近く、先日空港に行ったとき、


マンション出てから空港カウンターまで25分でした


福岡は空港が近いですね、新幹線も20分以内に行けます







高いところからはこのように見えるらしいです


ふ~ん


荒津大橋と志賀島
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西公園と玄界島

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百道方面と能古島
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大濠公園
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平和台鴻臚館と油山方面
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裁判所と警固今泉方面
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花火大会も良さそう


金華山岐阜城から見た長良川の花火はすごかったな



日本橋~北千住

久しぶりに秋葉に行った。羽田空港でパスモをタッチした時、残金200円しかなかったがモノレールにとびのった為に秋葉原駅でPASMOSUIKAに現金チャージ、これで今回は万全。用事が終わったのが15時前、ここから予定通りに、まずは聖地日本橋へ。


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地下鉄日比谷線の三越前で降りて、やや南下。道路元標広場に着いて、手を合わせ、一人厳かに出発式。

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戻るように信号を渡って三越横から宇都宮目指して出発。

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左手に三井日本橋タワーを過ぎるところで右折。角のビルに大きな写楽の絵が。右折した先の方に首都高速のガードが見える。ガードを地下道で超えると大伝馬本町通りの表示、まだ日本橋の喧騒からそう遠くないがいきなり旧道を感じる光景となった。


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少し歩くと日光街道、本通りの道標があった。正面にスカイツリーが見える。雨がぱらつく。

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ローソンで傘を購入。雨中の行軍となる。途中で左折するタイミングを間違い、一本遅れて左折。小伝馬町3丁目の表示だ。ここから旧街道とは少し無縁の雰囲気だが一応江戸通り。鞍掛町、馬喰町となんとなく往時の雰囲気の地名の中を進んでゆく。

問屋街の道標があった。確かに有名な卸屋さんのビルが続く。歩道にはハナミズキが。

浅草橋に着く。靖国通りと交差する大きな交差点を越すと郡代屋敷跡の案内板があった。橋を渡ると神田川には屋形船が何隻も。浅草見附跡の案内板があった。ここが川を背にして東北、関東一円を睨む外堀城門の一つだ。


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JR線ガードを潜って今夜投宿の東横インに不要な荷物を置いて再出発。ホテルの名前がアキバ浅草橋???営業上かな、そういう自分もアキバが近いと勘違いして予約したのだが。

まあ、日光街道沿いにあったので幸か不幸か(笑)、かえって良かったのかもしれない。荷物は減ったが、今日はスタートが3時という遅いスタートなので、なんとか北千住を目標とすることにしてホテルを発つ。

まずは雷門経由で言問橋から泪橋の方へ目指す。幕府の米蔵由来の蔵前交差点を通って厩橋の交差点に。確か前橋城も以前厩橋城と呼ばれていた記憶がある。



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さらに浅草の交差点に。手前に駒形どぜうの看板が!久しぶりだが、まだ時間が早いのでもちろん通過。



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交差点通過時にスカイツリーがよく見えた。開業前だが展望台にたくさんの人が。羨ましい(笑)


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雷門の方へ。いつも観光で来るのだが今回はウオークインで登場。人ごみを避けながら仲見世を街道歩き。途中でふと見ると浅間神社があった。富士信仰の象徴だ。当地の浅間神から分祀されたものである。
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江戸歌舞伎の象徴の旧浅草猿若町を経由して言問橋西へ。ここから泪橋、山谷を通っていく。山谷堀公園を過ぎると遠目に南千住駅が見えた。



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泪橋の交差点に着く。ここは処刑される囚人と今生の別れとなっていたことがその由来である。品川宿の先、京急立会川のところにある浜川橋(別名泪橋、処刑場は鈴ヶ森。)と同じだ。


明日のジョーの丹下拳闘倶楽部もここにある設定だった。


南千住駅

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南千住駅の歩道橋を超える。今までみなみせんじゅう、と発音していたが、駅の看板見てびっくりした。今まで注意されたこともなかったが、周りの人はまあ、敢えて指摘するほどのことはない、という感じだったのかもしれない。

しばらく北進して須佐能神社のところで大きな国道に合流、4号線は車で通ったことはもちろんあったが歩くのは初めてだ。隅田川にかかる千住大橋を超える。対岸に着くところで左手にいろいろな芭蕉の遺構が見えた。


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松尾芭蕉は奥の細道で旅立つ時、ここでお見送りの人と別れた。矢立初めということで、今で言うブログ初めということかな。東海道の川崎市の八丁畷と芭蕉の句碑と同様だ。おくの細道の旅立ちの地、ここが奥の細道の聖地となるのかもしれない。

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しばらく北進し、4号線から分かれてJR北千住、千住の宿の方へ。ここで宿場町の雰囲気が一気に増す。分岐入口には宿の案内とやはり芭蕉像が。


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この辺りは天正時代から水産関連の足立市場があり、都民の台所となっている。やっちゃ場(せり場)の解説板有り。「行く春や鳥啼き魚も目に涙」の句も往時が忍ばれるものである。芭蕉立像の座石は当時のセリ場の石らしい。

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千住仲町、商店街の方へ。問屋場、本陣跡があった。
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だんだん暗くなって北千住の駅が近くなった。今日はここまで。近くで食事処を探す。恐る恐る店のドアを開けるとカップルが数組、ここは良さそう。料理も接客もばっちり、今日は良かった、食事が全て(笑)

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駅前でラーメンの締め。

浅草橋のホテルへ。