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草加~越谷

遅いアップとなりました。m( __ __ )m

今年前半のウォーキングはこれが最後となるかもしれない。ところが熱射対策の帽子を忘れてきた。この時期帽子が無いと難行の街道歩行は絶対無理である。この失態に自らの段取り不足を嘆きながら、「別ジャンルでの聖地秋葉」に立ち寄った後、北千住で乗り換え、草加を目指す。

草加駅について時間を確認するともう12時近く。そういえば以前、あの熱署をものともせずに小田原から箱根を目指したドンキホーテな??ゆたちゃんを思いだすな~。あの時はお蔭様でとことん返り討ちにあい、己(おのれ)知る羽目になった(笑)。



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スタート前、腹が減っては・・・と、食事処を探す。まずは右手の量販店に。蕎麦屋さんがあればベストなのだが、なさそうで諦めて出発。お!ちょっと待て、左手のもうひとつの量販店に再度チャレンジ、階上に蕎麦屋があった。



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まあ、なんとか、そこそこの蕎麦で。休日ということもあって、家族連れが多かった。まだ一歩も歩いていないのに生ビール片手に蕎麦食いとは(笑)悦に入った最高シチュエーションで地図を広げて作戦会議を実施。ところがこの作戦会議を実施したことで重ねて失態を演じ、後でとんでもないことになるとは・・・。

帽子もなんとか一階の店で確保。駅前から旧道を左折、北進開始。北千住よりはわかりやすい。駅前の旧道ぽい雰囲気のところを歩いていくと大川本陣跡(~宝暦年間)、清水本陣跡(宝暦年間~)があった。右手にはおせん茶屋跡があった。おせん茶屋とはおせんさんに因んだネーミング。煎餅作成の工程図が解説されている。



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煎餅の店、焼き体験の店とか立ち並ぶところを過ぎて、野菜直売かのごとく店外に置かれていた「訳(わけ)あり割れせん」を購入。口に入れば一緒というか、寧ろ割る手間が助かる(笑)



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ここで用意してきた地図が無くなっているのに気づく。ああ、あの蕎麦屋で一人作戦会議したときに忘れたのだ。作戦会議した意味ないやん(´;ω;`) 

前回、草加駅に入る手前で分岐した国道に再度出る手前で情報収集。草加宿神明庵という休憩処に入る。地図とかないかな、と思いそれは無く、結果小物購入し、ここからの行き方を確認しようとして聞いてみるが、そこに居られた方の説明が何となく??? あれれ、本当に街道ファンかな?という感じだったので軽く頷いて(参考意見程度にも??)聞き流した。

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合流した地点におせん公園が有り河合曽良の像と草加煎餅発祥の解説板などがあった。

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そのまま国道を北上しようとしたら、あれ、右手に望楼のようなものがあるじゃないか。興味が湧いて右側に渡るとこちらの道が本来の旧日光街道だということに気づいた。良かった。望楼に登ってみたかったが時間の関係でやめた。下の解説で草加の名のいわれが書かれていた。



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ここから松並木が続く。草加松原だ。



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設備も立派で、スケールも含めて黒崎の「曲里の松並木」以上かもしれない。ただ曲里の方が往時の雰囲気が感じられると思う。



埼玉県の形が!
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通りと交差するときは趣のある橋が有り、ここを渡る。百代橋とある。勿論芭蕉の奥の細道から引用されたものだと思う。

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道が細くなり松原の北端へ。

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外環状のガードを潜る


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右手に、さいかちど橋のあるところ、そのまま道を渡り、北に向かって直進する。

綾瀬川沿いの道をしばらく行くと、先程の草加宿のお店の方からは真っ直ぐということだったが、前述したように少し疑問に思っていたし、どう見ても右の方のような気がする。ゆたちゃんはここまでの実績から街道歩きを極めているので大体分かるのだ。


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確信して蒲生大橋を渡ると、早速塚らしきものがあった。見ると蒲生一里塚だ。日光街道では唯一現存する。六地蔵らしきお地蔵さんも。

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そのまま川に沿って北進する。



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また5号線に合流、右方向へ。ここから真っ直ぐ越谷まで北進。



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縛られ地蔵本舗、大岡裁きの「しばられ地蔵」を思い出す。



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やがて道は越谷駅の方へ左分岐する。分岐地点には標程里があった。

あまり、草加駅附近と違い街道という雰囲気はない。



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今回はとりあえずジャブくらいの街道歩きとなったが、地図もないしこの暑さなのでまあ、よしとしよう。

永昌(諫早)~長崎  到達236km完歩!

日見の宿~長崎街道ここに始まる


国道に下りてきて道を渡ると腹切坂の解説板と碑があった。武芸で町人に負けた武士が面目立たず腹を切った云々とある。

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34号線を超えて一旦下って海側の道へ。西進し、日見の宿跡を過ぎると住宅街となりだんだん上りとなる。途中に継場跡、解説板を読むと当時の様子が脳内再現。さらに上りが急となる。

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大分上ってきて常夜灯が

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住宅が切れるところで階段が有り、登ると再び34号線に合流。超えて山に突入するも間違い、再び34号線に戻りトンネル入口まで登ってくると左手に旧道入口らしき階段があった。
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ここは当時西の箱根と呼ばれた。気合を入れて細い階段を登ってゆくと意外にも早くピークのような感じになる。

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住宅があった。家の前から山道から旧東海道サイズの幅員となる。歩いていくと峠の表示があった。この時点で16時、何とか行けそうだが、まだまだ何があるか、油断禁物。


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日見峠の道標
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新茶屋跡のところで左の細い道へ。
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峠越えの解説板があった。急な下りの道、常夜灯が右に。一緒に「日見峠路」と石碑があった。しばらくしてまた新茶屋跡の石碑が。明治に新茶屋は峠道工事の際、一時的に先程の場所に移されていたらしい。


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やっと降りてきて国道らしき道が見えた。住居表示に本河内とある。もう着いた気分だったが?本川内と勘違い、ほっ!踵を返すと後ろには旧道のトンネルが見えた。修学旅行が懐かしい。

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国道と接する地点で脇の舗装道へ。脇に「日見峠登り道」の道標が。

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意外と早く越せたようだ。そのまま歩いていくと、やがて貯水場のようなところを右脇に見て34号線に合流した。本河内の交差点で道の左側へ。

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しばらく歩いて左へ少し登って、目的は聖母の騎士修道院。ここは子供の頃来たことがある。優しそうな修道士からジュースを頂いた。そのあと出版所のような場所で布教の為の製本の仕事を手伝った。久し振りだったが当時の面影は感じなかった。


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また34号線に降りたところで暗くなってきた。正面に稲佐山が見えた。


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地下道を通って34号線の右側の道に。

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蛍茶屋跡の碑があった。一の瀬橋を超えたところに長崎街道の諫早までの案内板でこれからの行程の再確認。

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蛍茶屋の電停から裏道へ。いわゆる「食違」で直角に曲がり上の道へ。
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雰囲気は最高、最後の仕上げに突入。中川橋、シーボルト記念館を通って往時の雰囲気が豊かな通りはそのままシーボルト通りという通り。
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お馴染み、ラクダと像  冷水、鈴鹿、箱根道中??


解説板が多くなった。午後5時52分、「長崎街道ここに始まる」の碑に着いた。取り敢えず長崎街道の完歩達成!といきたいが、実は最終ゴールは諸説あり。
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そのまま西進し、大手町、お諏訪さん、万才町を経由して長崎県庁前に着いた。イエズス会本部、長崎奉行所の西役所跡。ここが最終地点。午後6時20分。長崎街道完歩。236km踏破。

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旧西役所

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長崎街道小倉常盤橋で長崎ちゃんぽんを食し、今回の街道歩きをスタートしたが、本日誕生日に 長崎駅で約束通り、ちゃんぽんとビールで一人祝杯を上げる、乾杯!

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次回の企画は・・・・・???






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いつの看板かな?
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永昌(諌早)~長崎 あと一歩

745分に福岡天神のバスセンター出発、950分に諫早インターから先日の到達地点に着いた。ゴールの長崎県庁を目指して西進開始。貝津の中核工業団地のバス停から右折し、高速のガードを潜り若葉町の方へ。

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桜が美しい、バックの山が困難を極めた

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住宅街を抜けて道標確認しながらポイントの赤松坂を探すがなかなか見つからない。やっと右手にそれらしい道が有り、分け行ったがまた下の道へ戻ってしまった。ところがそのすぐ南側に矢印標識と道標があって、この道だと確信。山道で石段、本格的で間違いなく街道。長崎方面に向かう短い下りであったが、雰囲気は充分味わえた。

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下り切って右手にしばらく歩くと道標があった。この辺りは本当に親切に案内がある。行政や近隣の取り組に感謝。しばらくしてまた高速のガードを潜る。ガードの入口には狸像、台には「久山茶屋長崎街道絵巻通」の表示。ガードに入ると壁には長崎街道各宿場での狸の街道歩きの様子が描かれていた。


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絵巻物が終わり、大きめの県道に出る。ここまで順調、やや寂しくなり、いよいよ一つ目の峠に近づく。そのまま進み久山茶屋跡のところで右折。目の前の山に向かう道となる。向かう右手に久山茶屋のマップがあった。ここから急勾配の坂となり、途中に旧茶屋の井戸跡があり、しばし休憩。坂を上ってやがて林となる。手前に長崎宿まで7里の表示。林の中を登り続けて一里塚跡、郡境石を過ぎて、また登り続ける。

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しばらく行くと標識があって、数本の分岐道が見えた。ここで十分な確認を怠った。正しい道は今まで来た道を逆進するように登ってゆくのだが、目的地の西方に進行する登りの道を急いだ。

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ところが、登りながらアイホンを何回確認してもなかなか次の目標が近づかない。焦ってさらに急ぐがやはり近づかない。登っても登っても近づかない、今までこんなことはあまりなかった。



相当登ってやっと地形の変化から方向違い、勘違いしているのに気づいた。何回も確認したため距離が少しずつ離れて行くのに気がつかなかったのだ。



それから走った、走った。秀吉が毛利と和睦して、京にとって返した時もかくの如しとばかり。走って下るあいだに初めて人とすれ違った。この人、山の中を何で走っているのかなと思われたと思う。



分岐点まで戻ったが約30分のタイムロスだ。戻ったがまだ方向がわからない。何度かいろんな方向へ歩いてGPSで方向確認する。選択肢がなくなり、迷った分岐点は更に手前だったのかと、たまたま戻るように逆方向へ向かうとGPSが正しく反応、なんと小倉向けの標識と決め付けていた標識が実は長崎方面の案内だった。



今日長崎街道最終日はこの峠を越えて矢上まで歩き、さらにもう一つの日見峠を越えて長崎まで行かなければならず基本、タイムロスは許されない。その為にある決断をした。その、ある決断とは、昼食抜きを自らに課したことである。少し大袈裟だったかな(笑)



ゆたちゃんの街道歩きは鍛錬の為ではない。あくまで自分を非日常に置き、地域の文化、歴史、地勢に触れながら恐らく二度と通らないであろう、という想いで道を歩いてゆく。その為に食事はなるべく地域の食材を嗜むこととしている。しかも一日換算で約30キロ程度は歩く為に、一定程度のエネルギーは供給しなければならない。従って食事は一大イベントであり、昼食抜きは非常に大きなペナルティだ。



ただ今回は時間がない、口と胃も素直に従う。分岐点から戻るように登ってゆくと長崎街道の道標があり、道なりに大きくカーブ、本来の進行方向に戻った。しばらく進むと目標の峠茶屋跡がすぐ確認できた。

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こんなに近かったのになんとも遠かったな!走り後の登りとはいえ気合が違い、順調に進んでゆく。いろんな遺構が残っているが、そこそこに。峠を過ぎてやがて下りとなった。眼下に高速らしきものが見えた。降ってゆくと道は二手に分かれた。道標はその真ん中を示している。良く見ると確かに道らしきものがある。直進。道はやがて大きくなり天川橋のところで街道の道標、安心した。
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左右に道があるが、これで直進かよ
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確かに道
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道標に心太の石鉢とあった、往時の旅人の舌鼓を打たせたに違いない。




進むと領界石と解説板。是より東佐嘉領とある。高速のガードを超えて南進となる。

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中里、古賀と趣のあるところから八郎川の両岸を矢上向けて爆歩。空腹が厳しいが、自らの厳しさに酔いしれていると?なんと、このタイミングで麹屋(饅頭屋)が開いている。往時の茶店もかくありなん、饅頭と甘酒。これ食べなくっちゃ何の為に歩いているの?食堂やレストランと違い時間もかからないし。中には小さな椅子もあって全くの茶店風だ。饅頭二個と甘酒、最高!本格的な甘酒は箱根甘酒茶屋以来かな。

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シンプル!
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街道モード堪能し、殆どタイムロス無く店を出た。しばらく歩き、役行者のところから山側に左折、登ったところに高速ガードが。そこから下ってゆく。やがて八郎川沿いの大きな道に合流した。

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後ろから歩いてきた地元のお兄さんと暗黙の抜きつ抜かれつ、無言の競争をやってる間に矢上の中心部に。長崎大水害の碑が立っていた。いずれにしてもゆっくりしている暇はない。これからもうひとつの大きなピーク。日見峠がある。

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矢上の中心部の大きな道路(34号線)を越え、一本中に入った旧道サイズの道を歩く。食堂らしきところが見えた。店頭のちゃんぽんの見本の後ろに長崎街道矢上宿の木工品が。脳から「時間がないぞ!」の指令が。自分に厳しいゆたちゃん、迷いなく南進。



矢上宿の解説板があった。この矢上が長崎奉行と鍋島諌早支藩が接する地点で、鍋島藩の番所があったと説明されている。この地点で左手にコンビニが見えた。危険を察知した脳が急遽スクランブル、前進指令を送り続けたにも拘らず、口と胃と両足が勝手に連帯し、数分後には車止めに座って缶ビール片手にとライフラインの魚肉ソーセージにかぶりつくゆたちゃんがいた。



本陣跡を超え、番所橋のところ、番所ずしという屋号の店があった。一旦34号線に合流するが、また右手の細い道へ。海にぶつかる手前でずっと登ってゆき、千々石湾が見えた。マンションの間を再び34号線の方へ下ってゆく。


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懐かしい!
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子供の頃ここの水族館に遊びに来て、海育ちのゆたちゃんは初めてプールというもので泳いだ。買ってもらったアイスが美味しかった。そんな思い出のペンギン水族館を確認しようとしたが、よく見えなかった。34号線の網場入口まで降りてきた。途中に日見峠まんじゅう本舗とあった。いよいよ文字通り最後の山へ。

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いよいよ、日見峠へ!長崎はすぐそこに。


松原~永昌②

諫早道に入る。「これより諫早道」の大きな道標と矢印の案内道標で確認し、商店街を後にしてJRガードを潜って桜満開の旧円融寺庭園、春日神社手前を左方向に。


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曲がるといきなり寂しい登り道へ。ただ、道標、解説板があって安心して進行。当時の武家屋敷の東端を通って鈴田へ抜けるようになっている。大村城の防衛上の観点から街道は山側に誘導されているようだ。


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やがて周囲は住宅地のような場所になり、しばらく歩くと広めの県道に合流した。合流してまもなく左手にダイレックスがあった。ここで兵站として○休息。

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また進行して左方向に分岐する道がある筈だが、分からないままアイホンで確認すると左手に長崎街道の表示があった。さすがグーグル、そのまま左の道へ。どうやら一旦右分岐し歩道橋で左方向に行けたらしい。

寂しい道を進むと長崎街道の道標が。やっと安心する。この時点で午後2時。出来ればあと30分以内には鈴田峠に入りたいのだが。しかしここから転進は出来ない。ただ前進するのみだ。


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岩松公園というところで分岐が。ここを左に。山側に入る道に長崎街道の表示が。やっと鈴田かな、と思ったら行き止まり。再び元の道へ。

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しばらくして長崎道のガード下の分岐するところを直進するも、途中で間違いに気づき引き返した。この時点でまだ峠らしきものが見えない。不安になる。



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歩いていると鈴田一里塚があった。道が間違いないこと、主戦場が近いことを確認。鈴田郵便局を超えて左に。大きな道にぶつかる。久しぶりの34号線だ。鈴田の交差点を渡って山側の道へ。


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JRのガードを潜って左に。いよいよ鈴田峠となるようだ山側に進んでいると、こんなタイミングで雛にも希な!、がすれ違う。とたん、妄想状態へ。嬉野を離れて随分経つのになんと、またしても若殿出現。

「もそっと近こう」

ストーカーか、(笑)

が、天が与えたもうた約3キロの神聖なる難行を前に妄想瞬殺、煩悩を克服。原状回復しつつ進行。

なかなか山道には入らないが徐々に上りが厳しくなり、道幅も狭くなってきた。登る途中に市街地が見える眺めのいいポイントに。


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そこから更に登ってゆくとやっと脇道があった。


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道標が続き間違いない。道標は本当に有難い。


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分岐する道も道標があり安心して進行。


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人家が見えた。見晴らしがいいのだが、遠く森の方へ道が続いている。

森に突入。

見晴らしがいいポイントで遠く、あの潮受堤防が見えた。

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道標に文化庁より歴史の道百選に選ばれた旨。峠の表示。



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例のごとく街道林の中を小走りに走りながら、進んでゆくと峠の所に解説板が。

近くに番所あとの遺構が石組みあるそうだ。探す余裕はないが横の石が当時の藩境を示すものとして解説されてあり、バックして写真をパチリ。

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小走りに戻る。しばらく道標がなく少し心配になるが、なんとなく明るくなる雰囲気となり、峠越えがなんとかクリアー出来たような予感が。

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ふと脇に番所あとの石組みがあった。ここの解説だったのか。


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やっと出口(入口とも)に着いた。解説板に大村街道との表現が。


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諫早市街が見える位置に来てやっと超えてきた実感が湧いたが、本日の目標の諫早インターまで急ぐことに気持ちを切り替え。

県道に合流。脇に長崎街道の道標。嬉しい、また二方向の矢印。分岐する地点なので親切だ。

34号線を超える。長崎ウエスレヤン大学、鎮西学院高の脇を通って諫早駅の方へ進む。


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島原普賢岳が

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もうすぐ諫早駅というタイミングで右折、いよいよ長崎方面へ。しばらくすると207号線に出て、横切ってそのまま左分岐。迷うことのないように道標有り。


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ここから南下。途中微妙な道標が。分岐道の真ん中に立っている。

どっち?


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確信してさらに進むと、あれ、道がない。地下を通れ!と道標が。長崎本線の下を潜り、地上に出ると57号線(長崎~熊本)出る。左手に車向けの島原への分岐の表示板と、丘の上に諌早城が見えた。


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57号線を超えてやや上りの道を進むと長崎街道の道標。安心して進むと突き当たって左右の分岐点へ。島原街道との追分、追分石があった。どちらに行こうかなんて誘惑が、なんてもうない。長崎は目の前。



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ながさきの方へ右折。県立長崎農業大学校の近くを進んでゆくと川のところで突き当たった。左折し、橋を渡ると橋の名前は「さよひめはし」とあった。佐用媛伝説は各地に残っている。うす暗くなってきた。渡って道なりに進むと長崎街道お馬の水があった。


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茶屋橋を通り西進し大型工場団地(諫早中核工業団地)を通り抜け、諌早インターの最短となるところから、更に進み、次回のアクセスが合理的となる地点まで足を伸ばした。目標達成!その地点から諌早インターの方へ戻るように進む。ふと踵を返し、次回進行する方向の遠景を望み、決意を新たにした。


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あと一日、リーーーィチ!

松原~永昌(諫早)

前回は松原の宿まで歩き、JR佐世保線で松原駅から諫早駅へ。同駅から博多駅までの2枚切符を購入、特急に乗り換えて博多駅まで帰った。で、残った一枚を長崎街道最後の帰りの切符とすることにした。

従って、今回は7時30分のバスで大村インター、そこからタクシーで松原駅、すぐさま健脚ぶいぶいに諫早インターまで到達目標設定。選択肢を自ら断ち、バスで博多へ帰るしかないという背水の陣とした。

前回、大村駅まで到達出来ていたら大村インターから近かったのだが、道に迷ったり、暴風下で歩行継続意欲を著しく削がれた為、敢え無く一駅手前、街道傍の松原駅でリタイアした。そんなこんなであったが、何とか本日、設定目標通りに進むことで長崎街道完歩をリーチ可能とする地点まで行くことが出来ると思う。

大村インターに着いてタクシーを呼んだが、下にタクシー乗り場が見えたのでキャンセルし、下って搭乗。時間のロスが無かった。松原には時間も料金もほぼ予定通りで到着。駅のすぐ傍の旧道に復帰。落ち着いた旧宿場らしい雰囲気をもった宿場通りを進んで行く。




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今日はなんとしてでも諫早駅、いや永昌の宿までは必達しリーチをかけたい。また諫早インターまで到達し、バスで博多駅まで帰る。これにより、最終日は諫早インターから出立、難所の峠を二つ越して、いよいよゴール長崎までの一直線だ。

その為に、今日のクライマックスの夕方に通る鈴田峠越え、ここを明るいうちに通過することが絶対条件だ。大村湾側から有明海が見えるところまで東南方向へ一気に進行する。その山越えに挑戦するのだ。

まずは大村宿目指して南進。松原宿のど真ん中を歩いていく。途中で、旧松や旅館屋敷でひな祭り、特別企画のイベントがあっていた。「どうぞ。」という誘いに乗って中を一通り見学。結構いい調度品が有って見応え有り。

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ゆっくりしたかったが、今日は後半に大きな文字通り山場がある。先を急ぐ身、早々に失礼、もう行くの?という感じの視線を背に感じながら家を出た。途中、解説板があって、本宿は小休憩として本陣も脇本陣も無く、しかも1830年に廃止となっていたそうだ。

「これより松原宿(ゆたちゃん注:逆向きの小倉方面行き旅人への標識)」という表示の、橋を過ぎるとすぐ34号線合流。

空港北口の交差点から暫く行き、発電所前バス停のところを左に分岐、旧長崎街道の道標有り。暫く行くと長崎街道の案内板があった。この郡川は大村平野を形成し古来大村を支えてきた。シーボルトの著書にも紹介され、その様子、橋がなかった為、飛び石で渡る絵が描かれている。象さんはどうしたのかな?


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このところもやはり34号線と旧道が分岐合流を繰り返す。曲りくねった旧道を新道の34号線が直線的に突き刺すように通っている。面白いことにこの逆もある。代表的な例は旧東海道の箱根だ。新道が七曲状に通っているのに旧道は直線的に下ってゆく。うっかりすると新道の距離表示に騙されてしまう。

竹松駅のところを過ぎ、大村市の市街の匂いが徐々に感じられる。


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ここに首塚が。地名の郡は「郡くずれ」と呼ばれ、島原の乱以降20年経ったとき、隠れキリシタンの存在が明らかになった。乱の凄まじさを知っているだけに、大村藩による徹底弾圧が行われた。これが元に各地域で、私達はお経を千回万回読みましたよ、と千部塔、万部塔が建てられた。

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首塚に寄って、キリスト教の妖術を警戒して首胴を別々に埋葬した当時の弾圧の様子を実感した。あの幕府軍を悉く打ち破った島原の乱も妖術のなせる業と実感されていたのかもしれない。胴塚はちょっと見え無かったので通過。


桜の奇麗な桜馬場を通って、34号線を左に分岐し、大村市街の方へ。市街地に向う住宅街の交差点でお年寄りのウォーキング風行列に出会った。


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途中で、長崎街道の道標、追分石があった。「これより左そのぎ道・・」と見える。


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迷いかけた分かり辛いタイミングで案内道標があった有難い。矢印が2方向有り、小倉方面と長崎方面が指し示されてどの道を行くべきか、自分のきた径が間違い無かったと確信できる。



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その脇にまたしても追分石。上の字は読めないが分からないが、「大村 いさはや道とまつばら そのぎ道」と見える。漢字とひらがなの組み合わせがなんとも微妙、時には片仮名の組み合わせもある。洒落なのかな?

ふと道路脇に見慣れた顔が看板に。よく見ると同級生が市会議員となっている。そういえばこの前同窓会で話したときそんなことを言っていた。でも実際看板を見ると「へー」となった。

大村宿水主町(かこまち)口の道標有り。いよいよ大村の宿へ到達。地名から船頭たちが住んでいた場所と思われる。商店街のアーケードへ。


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アーケードの入口に大村宿と表示されている。脇本陣跡の木柱もあった。商店街の中には宿場跡の解説板があった。ここは本陣通りとあった。天正夢カレーとある。ここ大村はカレーの街でもある。

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この商店街は冠木門や看板などで黒崎や飯塚以上に街道をアピールしている。

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狙いの蕎麦屋が

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その蕎麦屋に入った。ビールと山かけ蕎麦を頂いたゆたちゃんのブログ


美味。満足して、大村宿を後にした。




これより諫早街道の表示
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続く

嬉野~松原②(松原宿 大村市)大村湾沿いを南下



峠から脇道を下って行くと坂本千部塔があった。千部塔、万部塔はこんなに仏門に励んでいますよ(キリシタンはいませんよ。)、ということらしい。江戸初期に建てられたらしい。その先に、この地区、坂本の段々畑(茶畑、長崎段々畑十選)と面浮流の解説があった。茶畑と街道の案内標識を見ながら進んでゆく。




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ここで県道と合流、左分岐、意を決して(笑)心細くなる道を下ってゆくと道が金網で遮断されて何やら貼ってあるので断念。県道に戻ろうとしたが、何が書いてあったか興味が湧き、ひょっとしたら通れるかも、と引き返し、読んでみると

「あけたら締めよ。」

と書いてある。通ることは可能な感じだが、猪避けと直感。いやいや、君子危うきに近寄らず。撤退~!そのまま県道に戻って南下。


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そろそろと昼食スポットを探すタイミングとなった。その時眼前に。おおぉ!うどん屋、でも看板のみ、休みか廃業か、だろうな。



またあった、食堂ぽい。でも何か違う。メニューが少ない上に食べたいものがない。


そこから少し下ると街道は脇道に入る感じに。今度は迷いなく突入。草を分ける感じで入って行くとなんと一里塚があった。松並木というか小さな松が一本植えられていた。郷土の為に是非予算を付けて整備して欲しい。

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草分け道から普通の山道に出るところで長崎街道の道標、鳥越一里塚入口と書いてある。長崎か小倉向けの旅人向け。普通の山道から普通の田舎道を下ってゆく。



やがて県道に出た。また上りとなり、右手の国道方面に登って合流するかと思い、途中で左に折れる道が有るのに通り過ぎて、ふと振り返ると進行方向から死角となるところに矢印があるじゃないか、バ~ック!



今日はとにかく半端なく風が強いが、風速10m~20m級だ。ひょっとしたら、あの浜松以上かもしれない。細い道で家の庭先のようなところに大楠があった。



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歩いているとやがて前方が大きく開けてきた。山を抜け、いよいよ市街地が近い、もうすぐ大村湾が望めるのか。

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工事現場があった。立派な道路が建設中だ。市内に向かって伸びている。はて、こんな道路作るくらいなら街道整備して欲しい。



やっと市街地が見えてきた。新幹線のガードを潜って脇の細い道へ。長崎街道の標識が倒れている。



大村湾が見えないのが残念、ここまで来ればあとは彼杵の宿めがけて一直線。今日は出来たら大村宿まで行けたら最高なのだが、少し厳しそう。



右手にまた長崎街道の道標。上杉古墳群とある。再び先ほどの道に合流。しばらくして右手に立馬場跡。立て馬場の解説が。彼杵宿まち起こし隊とある。水場も再現されている。お金かけずに出来ますね。



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柚木というところで34号線に出会った。ここで寿司屋で食事。美味でした。何やら美味しい刺身が、聞いてみると太刀魚とのこと、太刀魚の皮を剥いであったので分からなかった。

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ここから彼杵駅の方へ。橋を渡って振り返り、遥か嬉野の方を仰ぐ。山越え出来たことを実感した。大村線の踏切を渡ると海の匂いがなんとなくした。



長崎街道の川原千部塔の道標有り。千部塔の解説が。役場を通り越して、本陣跡、続いて脇本陣跡。突き当たるような感じでやっと海に出た。しばし海と解説板を見て、そのタイミングで左折、大村湾沿いに南進へ転じる。

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ここは海路、海産物流通拠点だったらしい。
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橋を渡って本町万部塔に。下川橋を渡り本格的な海の光景が。川和渡るとなにかしら漁のような設備が見られた



大村線の踏切を渡り、34号線に合流。大村湾が綺麗だ。思わず何枚かパチリ。可愛らしい山が前に見えた。平塚の高麗山的な雰囲気、武留路山だ。多良岳の溶岩で生成、どこから見ても丸い山らしい。

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今度は山側に道案内が。なんとなくやばそう!道がなくなりバック。また国道を歩いていると右に分岐、やっぱり(バックして正解)。分岐して旧街道そのものという道へ。



旧街道のゆたちゃんの街道歩きは二度と通らないと思われるような道を時間にとらわれず、一期一会に見て歩くのが目的とは言え、この強風下で街道歩きを堪能する余裕はない。黙々と大村宿を目指す。



地図上では街道とされている線路沿いの道が行き止まりとなった。途中、以前ここに道があったのではという場所に「通行危険」の表示が。ははーん、人が通るから表示があるのだな、と塀を乗り越え国道側へ。反省。



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千綿宿の町家

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しばらくして千綿歩道橋へ。ここで旧道を外れてしまった。旧長崎街道は34号線に至る処寸断され、合流分岐を繰り返していることは前述したが、たまに見落とすことになる。国道を歩いていると左方向から合流して来た道に道標が。しまった、さっきの歩道橋の所から外れたようだ。



気がついた地点から平原の一里塚があるというところまで戻ってチェックしようとして、左方向の道をバック。ところが幾つかの交差点を過ぎたところで完全に道に迷った。諦めて戻ろうとするが???走っても走っても(歩いている心境ではない。)同じ場所へ。時間を気にしながら散々走り回り続け、やっと元の道へ。



気を取り直して国道に出て南進、松原宿方面に右に分岐。道標で確認し踏切を渡る。今日は大村の宿は困難と判断、松原駅でリターンと決定。往時の旅人も見たであろう海側の松原に映る西陽が何とも綺麗だ。松原の一里塚があった。


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松原駅へ。無人駅、待っていると電車が反対側ホームへ入る。慌てて反対ホームへ。



次回は大村インターからタクシーだな。



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嬉野~松原①  一気に大村湾へ



前回、学習したバスでのルート。天神のバスセンターまでは今のマンションから歩いて12~3分程度。朝、事前に決めていた出発時間(さすがダンドリ君。)に家を出ようとしたが、忘れ物とかバタバタした為やはり市内バスで行くことにした。ところが引越しした今の鴻臚館前のマンションの場所は東京の電車並みにバスが来るので、ついつい油断し、更に家を出るのが遅れ(なんじゃ!)、時間がなくなり慌ててタクシーに飛び乗った。



バスセンターに5分前に着いて、行き先が表示されたゲートで順番にバス待ちし、来たバスに乗り込もうとすると、事前に切符買ってないということで、(少し離れた)カウンターで買ってくるように言われた。指示に従い、行ってみると乗車券買いの待ち行列がズラリ。並んで買い待ちした為、出発が結構遅れることになった。



本当に馬鹿な話で、バスの中で買わせればいいじゃないか(と思いませんか?)。途中で乗ってくる人は皆そうしているのに。お○所仕事な奴らだ。他の乗客に「すみませんでした」と謝って乗り込んだ。出だしは自らの無知と不慣れと怠慢で波乱を含んだものに。




今回も前半から山越えがある。先日ほどではないかもしれないが油断禁物、要注意だ。嬉野インターに着いて、タクシーを呼んで嬉野温泉の方へ。途中で嬉野家代々の墓というのがあって寄ろうとしたが分からなかった。




先日の到達地点まで復帰。自らのルーツの地へ深く思い抱きつつ歩き出すと、すぐ有名ホテルの玄関口に西構口の案内があった。一気に往時の街道歩きモードに。若殿?の周りには美人腰元と侍者、想像するのは勝手。


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妄想状態の若殿?が温泉街を進んで行くと、なんと居酒屋ゆたか、あった!名刺渡したい(笑)嬉野町の豊さんは2店舗目。若殿モードはいつの間にか街道野郎に原状回復。



街道沿いの嬉野商店街が切れる頃に、目の前に小高い山が見えてきた。山に向かって西進すると国道34号線が。横切って山裾の細い道へ。入口に長崎街道の道標があった。



街道というより細い道の脇に水路があり、実家の傍の道という感じだ。徐々に街道らしくなる。やや上りとなり、登り詰めたところに一里塚風塚山があった、木がそれっぽい。


嬉野八景と水車

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下ってゆくと県道らしき道に合流、と思ったら国道だった。長崎街道の道標もあり間違いないことを確信。国道に出ると郵便局が。失礼だがこのような場所、自らの出自とはいえ街道歩き以外、まず絶対来ることはないだろう。



少し進んで大きく右に分岐、再び街道らしい道を進んでゆく。途中で左分岐、渓谷に向かう道の感じで川沿いを下ってゆく。史跡平野の渡し、という標識があった。

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川幅はそうなさそうだが雨が降れば増水し、当時は難所だったという感がある。この川は飛び石渡りの川だったらしい。細い道を対岸の土手に向かって進む。対岸に着いて右に折れてしばらく進むと、登りとなり、再び34号線に合流した。


そのまま西進かと思ったが目の前に石段があった。


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左が石段

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そのまま石段を登ってゆくと、とても道とは言えないところ。人の家の庭先だ。帰ろうとしたが、庭の更に先の方に道らしきものが見えた。あそこまで急いで行こう。私有地だぞと文句言われないかと、写真も撮らず、黙々と立ち去る。

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か細い道を道なりに行くとやがて普通の細い道が。ここから通常のペースに。気持ちよく田舎道を。少し登りつつ途中で先の方に猫ちゃんがいるのが見えた。歩きを辞め、手招きするも逃走した。



分岐する道を左にやがて下って、再び34号線へ。そのまま川下の方へクロス。俵坂関所跡という表示があった。川下の方へ下ってゆく。




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左手に寄合所みたいな公民館のような場所があった。まさに雰囲気はまさしく街道歩き。満喫~。

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下ってきて橋を渡るとやや上りへ。登る途中、郡境石があった。従是北佐嘉領(これより北佐賀領)とある。郡境石の後ろには俵坂関所跡の石碑も。佐賀県知事鍋島直紹の名も入っている。以前歴史教育で佐賀教組事件というのを聞いたことがある。旧藩主の係累が維新以降も知事という要職についていることもすごいことかもしれない。

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国道をクロスして走るこの辺の旧街道はアップダウンの難所だったに違いない。再度国道に合流し、西へ進むと嬉野温泉またのお越しを、の標識が出ていた。嬉野さんまたね、と独り言を言いながら峠に向かっていく。



長崎街道の案内が、有難い。安心感。このあたりから風がすごい、風速10m以上は間違いなくある。フードを着けていたが無駄で外し、なされるがままに歩いていく。或る意味気持ちいい。



ふと左上山間を見ると、領界石(従是南大村領、本来先程のさがの領界石と並んで)が見えた、なんと上の道じゃないか!さっきまで案内板があったのに。先ほどの案内看板は実は分岐の表示だったのだ。


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やっと俵坂の峠に着いた。これから下ってゆく。国道と別れて、左分岐がなんとなく心細い感があるが、標識があるので安心して進む。


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左へ

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さあ、これから下りだ。一気に大村湾へ。②に続く

新年おめでとうごさいます

おめでとうございます、本年は年始からラッキー。


友人から北海道のルイベを送ってもらいました。



ルイベは

学生時代、北海道でヒッチハイクしていたとき、何かの縁で

食べさせて頂いたものであまりに美味しくて、大阪に帰ってバイト

しては北海道料理の店に後輩連れて食べに行ってました。


或る意味ソウルフードとも言っていいかもしれません。


その後、福岡に来ても食べる機会は何回かありましたが、

以前程の食感、感動は無く、公私に北海道へ行ったときも

自分から好んで食べることはありませんでした。


今回送ってもらったものは「ときしらずルイベ」といわれるもので

秋鮭と違い初夏の風物詩らしいです。あの鮭児といい、奥は深いですね。


今回のルイベ、学生時代の食感は間違いなかったと確信させられた。


超美味!

解凍するときの手順で味が変わります。



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で、解説書無視して自分でやった 笑


感動のルイベとの再会で、対抗して

脂がのってるんで酒は辛口の千寿、

杯は薩摩、江戸切子と、とっておきのエースを起用。


至福のとき・・・じぶんばっかし、すみません


今年もよろしく。

第66回福岡国際マラソン

今日は福岡国際マラソン  平和台陸上競技場前マンションなう


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ズームで  ここの方がスタジアムよりよく見えそう
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塚崎の宿~嬉野宿  自らのルーツへ 二歩目

いよいよ嬉野家のルーツの地へ!美人腰元に

「もっと近う!」言ってみたい(笑)


速道路長崎自動車道のガード手前に嬉野市の表示!

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目標の一つに辿りついた。キターッ。が、喜んではいられない。今から大きな山越えがあるのだ。そこを超えて、やっと嬉野温泉の市街地に到達できる。

ガードを潜ったら不思議なオブジェが。これがかの有名な秘宝館だ。手前に追分石があった。道標を確認したが良く分からないので、とりあえず不思議なオブジェの方に。

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ここから実はコース探しの難行が始まる。興味深く秘宝館をぐるっとひと回りしたあと、古地図どおり行くと秘宝館の裏側に出る。


裏側の道とは言えない川縁に降り、そのまましばらく誰も通った感じのない道?(地図通り間違いない道。)を進む、強行するも行き止まりに。

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途中でさすがに転進、退散。大回りして損する感じで橋を渡り、川の反対側へ。


なんと長崎街道と書かれた案内の標識があった、ラッキー。


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そういえば他のブログでも同じ感じで体験した人がいた。早く気づくべきだった

ここから再び山道へ突入。遠中で人家が切れ、このまま山深く突入かと思わせたがしばらくして人家が見えてきて、その先にやや広めの道へ合流した。もちろんこれで終わりではない。

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途中で分譲団地があって、いやここは売れないだろう、と思ったらブルドーザーの音がする。かなり以前の造成と見たが、バブル期かもしれない。なんの工事か?なんとも不思議。


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しばらくして本格的な山道へ突入。やはり少し小走りに(笑)。走っている右手に瞬間茶畑が見えた。嬉野茶で名産地だ。


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全くの山の中というポイントを早足で歩き続ける。途中で道が分岐、この大事な場所でどちらへ進むかの表示がない。



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どちらに行くべきか、地図、アイホンを駆使しても分からない。意を決して左に進行。途中で一軒家が有り、近づくと人の気配はするが住んでいる生活感はない。


こんな日本昔話的なタイミングは足早に通り過ぎてしまう、が、案内標識など見えてこないので不安になり、一旦分岐点まで戻ろうとして、先ほどの家のそばを通ったとき、勇気を出して中を覗いて聞いた。

中から「長崎街道間違いないですよ、ここをまっすぐ」という応えが。失礼しました(笑)。引き返した地点からちょい進むと、直ぐに下の方に市街地らしきものが見えてきた。こんなもんです。


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やがて眺望が開け、嬉野の市街地が見えた。感激、昔の街道の旅人も、自分の祖先も同じ光景を見たことだろう。実感が湧いてきた。


やがて県道と大きな施設が見えてきた。うれしの老人ホームを通って温泉街を目指して進んで行くと追分石、前回北方で分岐した塩田道、彼杵(塚崎)道の再合流地点だ。


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上使屋、藩直轄の接待處と言っていい。

山門だけ明元寺に移された。

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国道近くで地蔵墓所があった。次回嬉野から松原宿まで歩くときにこの近くで嬉野家代々の墓所があるということで探しても分からなかった。ひょっとしたらここかな、或る意味自らの出自に関することなのでこれからまた研究することになると思う。

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国道沿いに薬屋があった。趣の或る雰囲気。薬局の裏に回って細い道を通って県道へ。佐賀市と同じく側溝に街道の絵が。



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嬉野の宿の解説板

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途中で左分岐して旧道へ。嬉野温泉で有名なホテルに行くのに馴染みのある道だ。この細い道が旧道だったのだ!改めて感慨を覚える。


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飯塚でもいつも通っている道を今回の街道歩きで通った時と同じ感慨。旧道を抜けて右に。メイン通りに。


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ゆたか食堂というのがあった。姓と同じ街で同じ名の店は嬉しい。有難う(笑)


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東構口
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番号石
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楽しみにしていた「横丁」で温泉豆腐を注文、今日やっとまともな食事。


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交通機関はバスしかないのでタクシーでインターのバス乗り場へ。ヤフーの路線情報ではバスの登録が無くて嬉野博多間は肥前鹿島まで歩いて山越え???+特急とあったがとんでもない(笑)

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嬉野インターでバス待ち、GPSで待ち時間も表示されているなど、久しぶりの長距離バスのスペックにカルチャーショック。次回のアクセスを考えながら帰福へ。


次回は大村方面へ。