亀山~鈴鹿~土山   鈴鹿越え | ゆたちゃんのブログ

亀山~鈴鹿~土山   鈴鹿越え

亀山~鈴鹿~土山   鈴鹿越えで近江の国へ


関の街並みがだんだん寂しくなってきたところに西の追分があった。トイレもある。「ひだりハいかやまとみち」の道標。関の宿はここまで。追分を過ぎていよいよ鈴鹿に向う。


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それらしい道の方ではなく、国道沿いを少し登って行くような感じ。

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甲賀まで27キロ。

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程なく右に分岐。奥深い感じに古い家並みが見えてきた。外れには常夜燈。そのところでまた国道をクロスし、左方向へ進むがまたすぐ合流。

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筆捨山を見ながら本格的に右へ分岐、坂ノ下の宿の方へ。


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紅梅白梅

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昼までに坂ノ下へと少し急がねばというタイミングで一人の旅人が無情にも抜いて行った。


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旅人が叙々に見えなくなり、視線を畑の方にやると先程から畑仕事をしていると思ってた人が!実は木造?なにも解説板が無いのでギョッ。

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沓掛を過ぎて鈴鹿馬子唄会館。ここに五十三次の名が書かれた木柱がズラリと並んでた。


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坂ノ下の宿に着く。往時、噂どおり街道一といわれた坂ノ下の宿の面影はまったく無い。


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関の街並みから坂下の宿まで結構な道のりだった。思った以上に遠かった。坂ノ下のバス停は1230分、予定より30分遅れで到着。時間的には昼過ぎになったので若干微妙となってしまったが、思考を前向きにして時間がかかったことが却ってよかったかもしれない。


Yesまたこの道を歩くことにならないようにと躊躇無く一気に前進、前進。


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なんせ、関に戻ることになったらロ-カル線で時間待ちしてたらたらと名古屋に帰らざるを得なくなり、鈴鹿越えが出来れば京都方面へ上り(道は下りですが)一目散と。気分的には大違い(笑)。だが、どちらのコースも新幹線の駅までは時間がかかるのであまり余裕が無い。万が一今日中に福岡へ帰れなくなると、明日朝の早出の仕事が大ピンチだ。


いよいよ鈴鹿越えにチャレンジ、誰も居ない。

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登山道にさしかかる脇に片山神社があった。お参りする暇は無いが、ここで腹ごしらえ(笑)。この時間は必要。腹が減ったら戦は出来ぬ。メニューはよく考えると昨日の朝食と変わらない。野菜好きで卵好きの為かw 

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例のごとく山道を小走りに登ってゆく。息が切れて歩き出し、また小走りと繰り返しているうちに国道を上に望むところで見通しがよくなった。国道を潜る感じで越え、階段を登って国道を脇に見るところまで来ると踊り場的な広場が有り案内板があった。


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更に山道を登ってゆくと馬の水のみ鉢があった。シャッターチャンスは逃さない、立ち止まってパチリ。

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そのまま、また走り出すと、一気に。程なくして勾配が緩やかになりやがて峠らしきところに着いた。伊勢の国と近江の国との県境の「界」の道標、看板が。ふと先の方を見ると、大きな万人講常夜燈が。しかもよくみると人も車も。え、これで終わり?なんだあっけない。これくらいだったんだ。敵前逃亡、撤退し二時間かけて関まで帰っていたら笑い話だった。

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まだ雪が。

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万人講は金毘羅参りの為の相互扶助の講で、金毘羅参り道中の安全祈願で築かれ、常夜燈は5.5m、38トンという大型版。


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少し休憩し、峠からの遠景など一通り写真に収め、後は土山目指して一気に下って行く。

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鈴鹿越えは公共交通機関がないのが最も悩ましい点だ。昨日、ネット見ていると同じような体験とコメント。しかも出発地点や坂下バス停到着時間もほぼ同じ。

http://tkohara.la.coocan.jp/toukaidou26.htm

この方も状況次第で引き返すべきかどうか、というところでずいぶんと研究されていたようで、今回の私と全く同じだった。スピードもペース配分も同じくらいで、結果的にこの記事からそれほどでもないのが何となく伝わってきたので助かった。


ここまで慎重になったのも、それもこれも箱根が想像通りに厳しかったからだ。笈の中山も思った以上に長かった。宇津の谷峠は天気予報と到達時刻の関係で撤退したが、現実は翌日にあっという間に通ってしまった。もちろん最初から分かっていれば強行したと思う。でもその時点で最悪のことを想定する必要があるので判断は諒、間違ってなかったと思料。


またこの鈴鹿は歌枕でも有名だ。歌枕といえば清原元輔の「・・・・末の松山波越さじとは」が貞観の大津波との関係がいろいろ書かれている。まさに千年に一度、波越さじとは・・・今回は震災直後という事も有って新幹線下り方面は結構混んでいた。お見舞いお悔やみとご冥福をお祈り申し上げます。


以下亀山~鈴鹿~土山 近江入りに続く。