朝日のような夕日をつれて

微妙な頃合いの空の色
時が止まったかの穏やかな凪
暮れてゆくのか
明けてゆくのか
時計はどちらにも進みそうな景色に
ふと 浮かんだ
「 朝日のような 夕日をつれて 」 は
昨年 解散した 鴻上尚史主宰の第三舞台の処女作名
*
ひと頃 「 核戦争後 」 という舞台設定が
舞台や映画でも 当たり前のように使われていた
テクノロジー的には やや後退するも
人は意外と 元気に逞しく 生きていたりして
その姿は むしろ 懐かしくも見えるようであったり
ただ違うのは 夕映えの赤が 放射能の赤であったり
灰色の雪に それらが混じっていたりとか・・・
*
「 近未来 」 を 思い描く時に
そこに 「 リアリティ 」 があったのだと 言えるのかもしれない
「 3.11 」 「 フクシマ 」 を経て
「 リアリティ 」 は 「 リアル 」 となった
いま 舞台のような非日常を 私達は生きているのだけれど
それもやはり 日常となってしまえば 劇的なるものは損なわれ
汚染も 被曝も 昔からそこにあったかのように 当たり前のように 暮らしてしまう
*
そんなことを ぼんやり考えていても
時計の針は進んでゆく
時は 言い訳をしないけど 理屈でも無く ただ 歩みを止めない

すっかり 暮れて
誇らしげに 街が 灯りをともす
明けてゆく一日もいいけれど
暮れてゆく一日は 猶 いい
なによりも 一杯の酒が 喉を潤し 一日を流してくれる
暮れてゆく景色は 豊かで 優しく 厳かで
切なく やるせなく 割り切れぬ一日にも 静かに 幕を下ろしてくれる
だらしがないと 言わないで下さい
二杯 三杯と 更にぼんやりとした頭にも
流しちゃいけないこと 終わりにしちゃいけないことは 分かっているはず
そして
とりあえず
繰り返し 日は上るのだと
明日の幕が 上がることだけ 信じて 覚悟を決めればいい
「 Cincinnati kid ( original mix ) 」 JJ Vianello, The Soul Bullets
※ 映画の Ray Charles版では無く・・・
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お客さまっ !
『 お客さまっ、空いたお皿をお下げしてもよろしいでしょうか ? 』
『 はい 』
*
すると
お箸も
取り皿も
み~んな 下げられてしまいまして

テーブルの上には この二皿だけが 残されて (笑)
*
食事も粗方進み お茶かお口直しを という段になれば
目の前に 油の浮いたような皿が残っているのも 嫌なものだし
彼女は マニュアル通りの セリフと 素敵な笑顔だったのでしょうが・・・
どんな仕事にも 段取りや手順というものが生まれるのは 当然なこと
手際よく 質の高いものをと 考えて それをそう呼ぶのであれば
一概に マニュアル化を 否定するものでもありませんが
何ゆえに その時 その場で その言葉が その行為が 求められるのか
やっぱり 心が無いとね・・・
*
それでも 私が口にするその料理も
生産から流通 さまざまな人の苦労を経ている
このご時勢 非正規雇用 アルバイトと 厳しい状況で働く人も少なくない
最低賃金が 生活保護の給付額を下回るとか
明日への不安に追われては なかなか仕事に意欲を持てと言われてもね
だからこそ 働く人への 感謝は忘れず
「 オレは客だ ! 」 そんな振舞いには注意したいものです
でもね
お箸は持ってっちゃダメ ! (笑)
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食べ残しの写真一枚というのも なんですので
美味しそうなのを^^

まずは 白でいただき

次は 赤でいただきました
彼女は イタリアから来て 三年になるそうです
日本語もお上手で
慣れない苦労もあるだろうけど 頑張ってほしいものです
っていうか
そんな 余裕ありげに 語っている場合ではなくて
自分が頑張らなきゃなんですけどね
食っていくというのは ほんとうに 大変なことですけど
ごはんを おいしくいただいて バテずに 頑張りましょう !
「 ラーメンたべたい 」 矢野顕子×上原ひろみ
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