シルヴィ・ギエム 「ボレロ」

ひとつ前の 演目が終り カーテンコールの中
既に オーケストラ・ピットへ 人が現れ始めると 意識は もう そちらへ
そう ギエムの舞う ボレロのみ 生演奏だから
拍手も止み オーケストラの 調音が始まると
いよいよ 緊張感が 高まっていくのを 感じる
暗転したままの舞台 スネアドラムが リズムを刻み始める
絞られた スポットの光が ギエムの 手の動きだけを 追う
ボレロの 麻薬のような 呪術的なリズムに ひとつ ひとつ 楽器が加わって 厚みを増す
ギエムの 円卓を 囲んで踊る 裸身の男達 コール・ドの数が ひとり ひとりと 増していくように
生オーケストラ なればこそ 音の所在まで はっきりと伝わる そこにあることの存在感
ギエムの身体 すべてが 露になり 音も 踊りも 繰り返しながら 限りない増幅を 始める
まさに 欲望の 儀式
音と舞いの 同心円の中心 赤い円卓で 踊る姿は まさに 神への捧げ物
神へと乞い願う 祈りの同心円は クライマックスへ向けて その輪を 拡げてゆく
息をするのさえ 苦しくなる
ギエムの 伸びやかな肢体 その動きも 逆立つ髪も さらに 激しさを増し
コール・ドの 舞手 すべてが そして 会場 すべてが 円卓を 囲む
最後の 二小節
天を突いた ギエムの 指先 一転して その身を 地に平伏す
一瞬の沈黙の後 湧き上がる 歓声
まさに この時こそが
ここに 在ることこそが 唯一 意味あることと思える そんな一瞬
ギエムは やはり ギエムで
ボレロは ボレロであった
「 ベジャールの魂を日本へ連れてきたい 」
そんな ギエムの言葉もあって 叶った 再演
わずか 15分足らずの 祝祭に
彼女を通して ベジャールを 神を 感じた思いだった
すべてに 感謝

いよいよ明日は・・・

いよいよ 明日と迫った ギエムのボレロ
関係書籍などを 眺めて 一人前夜祭です(笑)
トップの写真は 二人とも この世を去ってしまいましたが(泣)
ボレロを振付ける ベジャールと それを舞う ジョルジュ・ドン
今夜は 少し お付き合いいただいて・・・
コリオグラファーとしての モーリス・ベジャール
「ボレロ」 そして 「春の祭典」
この 2作品が やはり 私にも 特別なものに 思えます
「ボレロ」は 明日の楽しみに 取っておくとして(笑)
今夜は 「春の祭典」を
この作品で ベジャールは コリオグラファーとしての 地位を確立したと 言えるでしょう
「ボレロ」 とも通じるのは 生と性 そして 死と再生
舞踊の原点ともいうべき主題が 真っ向から描かれていると言うことでしょう
初演時 裸体を思わせる衣装と その大胆な振付は
スキャンダラスなものと 否定的な評価も受けた この作品
評論家の 三浦雅士は ベジャールについて そしてこの作品について 次のように述べている
「ベジャールのように人を勇気づけるコリオグラファーは稀だ。しかもその勇気づけは舞踊の根源から差し出されるのである。『春の祭典』も『ボレロ』も、高度に洗練されてはいるが、骨格は原始的と言っていいほど舞踊の原初の姿そのものである。『春の祭典』も『ボレロ』も性を表現して比類がない。性においては太古も現在もない。人間においてそれはもっとも強い力を持つ。美もその結果にすぎない。」
また ベジャールの死に際しては このようにも
「人は融合し、分裂し、さらに融合しているのだ。感動するとはそういうことだ。人は感動し、我を忘れる。そして新たな我を手に入れる。誰もが、それと気づかずに、小さな死と再生の儀式を繰り返しているのだ。(中略)ベジャールの舞台はつねに、この人間の神秘を歓びのうちに体験させてくれるということなのだ。(中略)私にはそれはほとんど奇跡に思える。この奇跡はおそらく、二十世紀を真剣に生きたベジャールというひとりの男の豊かな愛によってのみ可能になったのである。胸苦しいほどの愛によって。ベジャール、それはひとつの巨大な愛、巨大な肯定だ。」
震災復興への チャリティ・ガラとして 行われる明日の公演
出演者も ギャラ無しでの 参加なのだそうです
今 私たちに必要なものは 不安を拭い去る 力強い 生と性の大肯定なのではないかと 思います
明日 シルヴィ・ギエムの 身体を通して
ベジャールの そして ドンの 姿が 見られるのではと 楽しみにしています
「春の祭典」 作曲 ストラヴィンスキー 振付 モーリス・ベジャール
※ 初見の時、この曲はこんなに面白い曲だったのかと気づかされた記憶があります。
メロディのヒダまで、振付によってふりがなを振ってもらったような。
自然な色

「 自然である 」 とは
誤解されやすくて
控えめであるとか 地味であるとか 求められたりするけれど
自然の 色や 形は むしろ
息を飲むほど 鮮やかであったり
溜息が出るほど 艶めかしかったり
そう
こう書いて ふと 思うのは
息を 吸ったり 吐いたり
呼吸こそ まさに 自然なる行為だな ということ
けど
時として 息も出来ないほど 苦しくさせるんだから
愛は 偉大ですね
「 ナチュラル 」 なんて 言い方もあるけど
「 ナチュラル・メイク 」 とか ね
わかるけど ちょっと 思っちゃう
だったら すっぴんで ・・・ いえいえ
それ以上は 申しません
厳しい時代 酸いも甘いも 噛み分け 荒波に揉まれ
本来 自然なはずの姿が 不自然に 見えてしまうこともあるでしょう(笑)
年齢なりの 自然 それでいいんだと思います
けれど
装う気持ち それも 大事ですよね
自分らしい 自然な 装いと 色を
長い 秋の夜の ような
深い影に 宿して
しっとりと 大人のお酒を 飲む なんてのも いいですね
「 色彩のブルース 」 ego-wrappin'
※ 遠い約束 リズムでかわしましょう・・・