ユニティインスティチュート -7ページ目

セラピストの本質 by VIJAY

2015年に肉体を離れたオランダのセラピスト
のビレッシュは、OSHOに、セラピストにとっ
て大切な質とは何かを尋ねました。

1979年1月30日、彼は手紙でその答えを受け取
りました。

OSHOの答えは以下です。

OSHOとの深いつながり。
クリスタライズ(結晶化)したプレゼンス。
真正さ。
喜んでリスクを冒せること。
冷静さ。
謙虚さ。
気づき。
愛すること。
明晰に見 ること。
肯定性。
クライアントの投影に捕われないこと。
何かを「する」という必要性を持っていない
こと。
ゴールがないこと。
現在を受け入れること。
独断的 な考えをもたないこと。
柔軟性。
真の自信。
答えを与えるよりも多く問いかけること。
恐れがないこと。
自分の必要性のために操作しないこと。
成熟しているこ と。
人生経験の豊富さ。
苦悩の経験。
ユーモアのセンス。
軽やかさ、深刻でないこと。
遊びに満ちていること。
見通しを持つこと。
「構造があるもの」に対して も
「構造がないもの」に対してもくつろいでい
られること。
個人であること。
ユニークであること。
セラピストという役割の後ろに隠れないこと。


表層で学んだ知識やテクニックではなく、本
質から生きることをOSHOはセラピストに求め
た、と言えます。

本質というのは、チャクラのエネルギーの本
質的な部分とも言えますから、これを読むと
、すべてのチャクラの本質を生きることを勧
めたとも言えるでしょう。

僕はこのOSHOからのビレッシュへの伝言を何
度も読み返しています。

2008年にビレッシュに初めて会ったときに、
「世界一のセラピストにしてください」と頼
みました。

ビレッシュは「イエス、イエス」と答えてく
れました。

これは、OSHOがビレッシュに「あなたは世界
一のセラピストを養成しなさい」と頼んだこ
とがあるからです。

それから三年後のワークョップでは、「来年
私は、VIJAYのエンライトメントをトレーニン
グしないといけないから、日本にまた来日す
る」と突然言い出したので、僕は狂喜乱舞し
た覚えがあります。

日本に三回連続で来日して、次の年にもう一
度来てくれるのかどうかわからないときだっ
たので、突然の来日宣言に驚いたし、エンラ
イトうんぬんは前の夜のつたない英会話から、
僕がエンライトメントしたいことを理解し
たからだろうか?と思います。

しかし翌年に3.11が起きて、高齢のビレッシ
ュの肉体を心配する人たちに止められて、四
度目の来日はかないませでした。

だから当たり前の話ではあるけれど、僕は世
界一のセラピストにはなっていないし、エン
ライトメントのトレーニングもされていませ
ん。

OSHOとの深いつながりはあるけれど、ビレッ
シュとOSHOほどのつながりではありません。

と考えると、本質は自分の本質であつて、他
の人と比較できるものではないことを思い出
します。

クリスタライズ(結晶化)したプレゼンス。
真正さ。喜んでリスクを冒せること。冷静さ。
謙虚さ。気づき。愛すること。明晰に見 る
こと。肯定性・・
といったところで、肯定性がちょっと足りな
いかな・・と思うかなあ。

人生経験の豊富さ、というのは、普通の人生
とは違った経験は豊富だと思う。

それ故に、苦悩の経験には、自信があります。

それだから、ユーモアのセンス、軽やかさ、
深刻でないこと、というのも最近はあるよう
な気がします。

「構造があるもの」に対して も「構造がない
もの」に対してもくつろいでいられること。

というのは僕にとっては大きな言葉で、長い
間、構造のないセッションやグループのやり
方に慣れて、それからエッセンシャル・ライ
フ・コンサルティングという構造のしっかり
あるセッションを何年間もやって、今は構造
のあるなしを自由に使い分けれるようになっ
てきました。

セラピストという役割の後ろに隠れないこと。

という部分も自信はありますが、年若いクラ
イアントが大半の中、自分の話ばかりはして
られないし、考慮の必要な部分です。

「私のセラピスト達に、あなたの仕事は、自
分自身でいて、自らをさらけ出し、偉大なセ
ラピストになるのではなく、自分も人間なの
だということを示すことだ、と いうことを言
いたいと思います。

あなたは、口で言うだけでなく、行動するべ
きです。もし人々に自分自身を見ることを求
めるなら、あなたも手本となって、内側を見
なければなりません。

そうすれば人はあなたを信頼することができ
ます。

人がセラピストを信頼すれば、たく
さんのヒーリングが起こります。」

と、ビレッシュは語っています。

チャクラ・イベントのトレーニングでも、「
自分自身の経験と実例を使うことが大切です
」とプラサードやアルビナから教えられまし
た。

「そうすることで、あなたのトランスミッシ
ョンはずっと強力になります。あなたが自分
の経験をシェアすることで、参加者は感動し、
インスピレーションを感じます」とマニュ
アルでも強調されています。

語り口は違いますが、同じことを言ってるよ
うに思います。

ビレッシュは言います。

「例えば、私が子供のとき、つき指のような
けがをしたら、お母さんのところへ走ってい
って泣いたことを覚えています。

お母さんは私の指にキスをして「ほら、もう
大丈夫よ。」と言ったものです。

これが基
本です。

「私は愛に値する、愛をあたえ、受け取るこ
とができる」と言うことなのです。」
ビレッシュ


僕たちの先生は、もう少し科学的に説明して
くれますが、エッセンスは同じ・・・愛です。


辻本VIJAY 記

エッセンシャルライフ コンサルタント

ハート瞑想ティチャー

チャクラ・イベント・ティチャー

https://mysticunion.wixsite.com/chakra


「女性性に開く」を体験して By 黒田 コマラ

「女性性に開く」を体験して  By 黒田 コマラ

女性だけで集い、
自分の中にある女性性と男性性のエネルギーに
気づきを向けていくことは、興味深い体験でした。

ユニティインスティチュートのコースは
参加者に女性が多いのは常なので、
一見外からはその様子は何も普段と
変わらないようなのですが、

「女性性に開く」というテーマで
女性だけが集うことで生まれる雰囲気は、
あえて言葉にするなら、最初からその空気に
「くつろぎ」が漂っていました。

男と女が一緒にいると
陽と陰の間をエネルギーが流れ、
男と女の間にホルモンの刺激があり
ある種の緊張や反応があるかもしれません。

でも女性だけで集うと異なったレベルの
「つながり」が生まれます。

アルヴィナはそれを「シスターズ」と
呼んでいましたが、
男性が集うとおそらく「ブラザーズ」という
つながりが生まれるのでしょうね。

その「くつろぎ」の中で、
自分の内側に気づきをもたらすことが
とても容易に起こり、

その「つながり」の中で、愛と共感が生まれ、
より深みを分かち合うことが容易になることが
このコースの素晴らしさだと思います。

女同士で集まって、男性への不満を発散するよう
なこともあるからか、
女性だけの集まりというと、周りの男性が
ちょっと引く感じを持つのかもしれませんが、
このコースの中ではその分離にこそ
痛みがあることに気づけます。

いろんなエクササイズを通して、
自分の中にある女性性と男性性のエネルギーに
関連した条件付けに「愛のある気づき」を
もたらしていきます。

「女性とは…こうあるべき、こうあるべきじゃない」
という条件付けを、
私たちはあらゆるところから受け取っています。

おばあちゃんから
「直毛は女の子、大人の女性はパーマをかけるもの」
と、子供の頃言われたことを私も思い出したりして
苦笑しました。

おばあちゃんは明治生まれの強い女性だったから、
その時代を生きた彼女の価値観がその表現に反映
されていたのでしょう。

同時に親族の中では「賢い女は嫌われる」という
雰囲気もありました。

私たちの中には女性性のエネルギーと同様に
男性性のエネルギーもあって、子供の頃に様々な
条件付けを受け取っています。

女性が、内なる男性性のエネルギーに関連する
条件付けに気づくことで、外側の男性に投影してい
ることに気づきが生まれます。

ありのままの人として見えれるようになることは、
分離を超えた愛の始まりです。

だから、この女性のコースに、男性は緊張するこ
とはないのです。笑

条件付けに意識的になっていくプロセスの中で、
慈愛の気持ちにつながり、痛みを癒して、過去を
手放していくことで捕らわれから自由になり、
女性性と男性性の本来の資質に開き、さらに、
それを超えたスペースにつながっていきます。

私たちはその両方のエネルギーを、自分なりのユ
ニークなあり方で表現しています。
そのバランスは半々ではりありません。

「べき」という縛りから自分を解放するとき、
この二つのエネルギーの自分なりのバランスの表
現が見つかっていきます。

それが 全体性を生きる New woman であり 
New man の始まりですね。

Much love to all the sisters and brothers

黒田コマラ

女性性に開くに参加して

女性性に開くに参加して

昨年の年末に、日本で初めて行われた、
アルヴィナの女性性に開く、のコース参加し
て、何かが軽くなりました。

女性のみのコースという特別な感じに、
ワクワクしながら参加しました。

女性として生まれてきたことから、
成長の過程で、たくさんの条件付けが、
知らぬ間に自分を制限してきていることは、
あまり意識することなく生きていました。

そんな私が、大人になり、幸運にも、
本質に生きる、のコースを学び、
初めてELCのセッションを、Aさんから受けた
時、それは本当にすばらしいものでした。

それは、何年も前で、少し曖昧なところもあ
りますが、良い意味であっても、目立つこと
への恐れ、自分のままでは価値がない、
というような、言葉が出てきたのを覚えてい
ます。

その時、Skypeを通したハート瞑想の中で、
手がハートに置かれたまま、自然に涙が溢れ
て、止まりませんでした。あたたかな受容を
感じながら、解放感というか、    
軽くなったような、心地よさがありました。


女性性に開く― 女性であることのパワー ―
というコースの中で、再び自分の中の女性性
にも、やはり似たテーマが残っていたことに、
あらためて気付くことができました。

自分自身は、女らしくしなさいなどと、
いわれたこともなく、サッカーをしたりして、
伸び伸びと育ったと思っていたのに。

例えば学校の中でも、社会でも、
女性は、目立ち過ぎたら損をする、とか、
女性は、子供を産んで一人前、とか、
女性は、笑顔がきれいでないととか、
女性は家庭にはいるもの、など、
けして信じていたつもりはないけれど、
様々な刷り込みは残っていて、
自分を責めるような感覚、が、存在していま
した。

それらは、意識にあがってくると、
それだけでも、なにか解放されるような感じ
もあり、思い込みと共にいて、そしてそれは
悪い意味でなく、感謝し、ハートで包み、
ゆるしのワークは、今の自分に、スペースと
心地よさをもたらしてくれました。

ハートから、男性性と、女性性の
それぞれを感じてゆく、という瞑想のワーク
は、とてもわかりやすいものでした。
アルヴィナのガイドと、コマラの通訳の声と
共に、自然に女性性、男性性もどちらもを
再発見し、統合してゆく、というワークです。

自分の中の女性性と男性性とを表す、
自分の内側からでてきたそれぞれのイメージ
が、感じられたことで、変化がもたらされる
感じがありました。

それは、確かに自分の中には、男性性の感覚
も、女性性の感覚も、どちらもあって、片方
だけが大事だということではなく、どちらも
大切なのだ、と実感する体験でした。

ワークの中で、男性もまた、様々な条件付け
に、つらい思いをすることもあるのかもしれ
ない、などという思いも、ふとよぎりました。

私は女性として生まれてきたけれど、ハート
から内側を感じていったときに、男性性も、
女性性も確かに両方があるということを
体験できるような機会は、貴重でした。

そして、連綿と受け継がれてきた、女性で
あること、母から、おばあちゃんから、叔母
から、それらの長い歴史、命のつながりの
おおきさに気付き、感謝を味わう時間でも
ありました。

コースを受けて、自然に母への慈しみが、
沸き上がってきて、心配症過ぎる母に、自然
に感謝を伝えることができました。

そして、自分が頑張りすぎているとき、内側
の女性性をおざなりにしていること、にも、
気付きやすくなったように思います。

このコースは、講師も、通訳も、参加者も
女性のみの、受容的な、あたたかな安全な
雰囲気の中で行われました。

女性として、あまり見たくないものには、
日常の中では上手に、内側の深い井戸に沈め
ていたものが、溶けてかるくなるような、
体験だったと思います。


今年も、11月30日から、12月2日の3日間で、
女性性に開く、のコースが開催されます。
今回は、愛のある関係というテーマです。

関係性の中に愛をもたらすことに、フォーカ
スすることにより、どのような変化がもたら
されるのでしょう。

今から、とても楽しみです。

by ラリート