ユニティインスティチュート -25ページ目

母と娘のつながり Byブーティともこ

つい先日、ほぼ一年の闘病生活を経て母が旅立ち

ました。

 

80過ぎまで病気らしい病気もせずに、

自ら「よい人生でした」と、ありがとうの言葉を

周りに残しての最期でした。

 

容態が変わって意識が朦朧となり、

だんだんと変化してゆく呼吸を見守りながら、

この命をつないでいる橋掛けである呼吸の不思議

を目の当たりにして畏怖のようなものを感じてい

ました。

 

親子という特別な縁――母とは同性ということも

あってか、父とはまた違った関係性にありました。

 

 

母の引き出しからは昔の私と弟の母子手帳が出て

きました。

 

私は母の胎内に卵として生を受け、完全な繋がり

の中で滋養され、そして個として生れ落ちました。

 

母子手帳をみながら、胎児であったころに母が注

いだであろう母性愛を今も感じている自分がいる

ことに気づきました。

 

やがて成長とともに個としての人格が形成され、

母とは異なる考え方や感じ方を持ち、

私たちの価値観は大きく異なってゆきました。

 

それゆえに、私はありのままの自分がそのまま

受け入れられ愛されていないと感じ、

長く葛藤の中にありました。

 

母親はまた、完全に一体であったという不思議

から個となった後に生きるための糧をくれる第一

の存在であり、

 

母親からの愛をもらうことと生きることは

どうしても切り離せない事柄である以上、

母から否定されていると感じることから来る

自己存在の不安定さは、否応なしに深い内省に

私を導いていったようにも思います。

 

 

最近のUIのニューズレターに掲載されている

第2チャクラの呼吸、つながり、それらが最初に

経験されるのは、へその緒で繋がっていた母親と

の関係ではないでしょうか。

 

 

繋がり、愛を必要としていること、

そして同時に個として尊重し合えること―。

 

私たちが自分という存在への問いかけに意識的に

なり、表層の思考や感情と内奥にある本質の理解

をもって誰かと関わるということ、

 

それはあるがままの自分を生きるために

必要不可欠な条件だともいえます。

 

 

生存のために愛を必要としているという呪縛を

解くには、その愛の源泉が自らの中にあることを

発見すること――それは瞑想の旅を始めて間も

なく出会ったハートへの気づきの大切さの中で

知ったことでした。

 

若かったころ苦しかった母との関係は、

相互の考え方や興味や価値観が違うことは

そのままであったとしても、私の中で結び目が

一つずつ解けるにつれて変化してゆきました。

 

否定されたと感じる痛みと愛への枯渇が次第に

薄れていったからです。

 

 

最後の数か月、母は足に痛みがあり、よく擦って

いました。

 

ハートのプレゼンスから触れる、そのタッチを

母は気持ちいいと言ってくれて喜んでくれていま

した。

 

言葉を介せず、ただタッチを通して愛を交流して

いた穏やかな時間でした。

 

そしてまた、傍にいないときには電話をかけて

様子を尋ねたり伝えたり・・・言葉に乗せても

愛は行ったり来たりしていました。

 

今は手を伸ばしてその足に触れることは出来ず、

言葉をかけることもできないけれど――。

 

 

昨日のこと、今一緒にチャクライベントティー

チャートレーニングを学んでいるダヤから交換

セッションを受けました。

 

私たちはハートチャクラのトレーニングを受けて

いて、ハートの質である愛をどのように与えたり

受け取ったりしているのかに気づくエクササイズ

をガイドしてもらいました。

 

エクササイズに使った実際の状況は亡くなった母

との交流でした。

 

肉体としての存在がそこにない今、確かにそこに

ある愛をどのように与えたり受け取ったりして

いるのだろう、それを感じたいと思いました。

 

母を想うことで、愛を与え同時に受け取っている

自分がいること、そして与えて受け取る中で、

ふたたび私と母は重なっていました。

 

母の胎内にいたように、幼子として胸に抱かれて

いたように――そしてまた私も母を抱いていまし

た。

重なり、円環のなかで愛を与えて受け取り、

より大きな愛のエネルギーの中で私と母が重なっ

ていました。

 

肉体がなくなり、肉体と共にあった思考や感情を

離れて、存在のエネルギーの中に私たちはいまし

た。

 

それは決して失われない、いつでも開かれている

フィールドです。

 

母の旅立ち、それは私がこれからの人生を生きる

ことへの励ましです。

 

その日、深い感謝と共に手放しになって旅立てる

ように、と。

 

つい個人的なことがらを綴りました…。

読んでくださってどうもありがとうございます。

 

ブーティともこ 記

https://essentiallifeconsulting.jimdo.com/

「未知なる世界」にくつろぐ by黒田コマラ

4月から公開が始まっていたけど、

見逃していた映画を昨日見ました。

 

「Lion ライオン〜25年目のただいま」

 

この映画を見たことのない人のためのプチストー

リーです。

 

インドの貧しい家庭に育った5歳の男の子

「サルー」が迷子になって家に帰ることができず、

遠く離れたオーラストラリアに住む夫婦の養子と

なり、

 

そこで育てられ幸せに暮らすのですが、

サルーは大人になって自分のルーツを知りたい

思いにかられ、25年後にGoogleマップを使って、

自分の家を探し出し、実の家族と再会するという

実話をベースにした映画です。

 

 

「家族の絆」「信じる心」

「自分のルーツを探す」など、

いろいろな映画の解釈はありますが、

今回も私の個人的関心に引きつけて、この映画を

通してつぶやいてみます。

 

 

5歳の小さな「サルー」は、駅でお兄ちゃんと

離ればなれになり、停車中の長距離電車にひとり

で乗り込んで、疲れて眠ってしまいます。

 

電車は出発して、そのままサルーは1600キロ

離れたカルカッタまで運ばれてしまいます。

 

小さな男の子が、喧噪としたカルカッタ駅に降り

立ち、混沌とした大きな町に放り出され、

探し求める「兄ちゃん、お母ちゃん」

という叫び声と、目の前に迫ってくるサバイバル

の恐怖の感覚には、心が痛みます。

 

 

それは、私がまだ5歳ぐらいのときに

親とはぐれて迷ったときのパニックの感覚を

思い起こさせました。

 

なじみあるものから突然切り離され、知っている

世界への扉が閉じてしまったような感覚。

 

周りの世界が突然巨人の世界のように見え、

ことばも理解できず、ひとりぼっちになった感覚。

 

 

この映画の中でサルーはインド社会が抱える問題

に直面し、危険にさらされながらも、彼の感性と

幸運さによって生き延びます。

 

この映画の映像の美しさと、

5歳のサルーの純粋な感性があったからかもしれ

ませんが、それは恐怖の体験というだけではなく、

私にいろんな感覚をもたらしました。

 

それは、まったくのUnknown(未知)を目の前に

して、深淵がどこまでも広がっていくような感覚、

「ここ」「今」しかない感覚、

それは私に瞑想の体験を思い起こさせます。

 

 

ディズニーの映画には、子供が未知の世界に迷い

込むお話はよくあります。

 

不思議の国のアリスの童話の中では、アリスが

「名前のない森」に迷い込みます。

 

その森でアリスは鹿に出会います。

二人は仲良くお話をしながら、森の中を一緒に

歩くのですが、森を出たとたん鹿が突然

「あなたは人間なのね」

と驚いて逃げてしまいます。

 

私たちがマインドを通して世界を知覚すると、

過去から自分の知っている、なじみのあるもの

とのかかわりの中で生きています。

 

5歳のときに迷子になった私が恐怖にとらわれな

ければ、そこはワンダーランド(不思議の国)

だったのでしょう。

 

私たちが生まれてきたときに、

世界はワンダーランドでした。

 

そしてまた、私たちが老いて死を迎えていくとき、

今まで世界で親しんできたものや

人たちとのつながりを手放していく中は、

いろんな価値観を手放し、世界をもう一度ワンダ

ーランドとして体験する機会かもしれません。

 

 

私は瞑想を始めた頃、家に帰れない夢をよく見ま

した。

 

あせって、いろんなことをして帰ろうとしても、

どんどん帰る道が目の前で消えていったり、

帰る乗り物の出発に間に合わない。

 

どこか映画の「サルー」の話とつながりますよね。

 

自分の慣れ親しんだ世界を後にして、

内面の世界に気づきをもたらす瞑想の体験が

私の中で「家に帰れない」という形で夢に反映

されたのでしょう。

 

私たちの知っている世界、意識の表面から、

内面に気づきをもたらすとき、

それは「未知なる世界」に入っていくような感覚

かもしれません

 

何かをしようとしないで、

わからないでいることの中にくつろぐいでいる。

 

そして今ここで起こっていることに気づいている

と瞑想が自然に起こります。

 

プラサードがハート瞑想をガイドするときに

こんなふうに紹介するのを聞いたことが

ありますか?

 

「私を観光バスのツアーガイドだと思って

 ください。

 皆さんはリラッックスして、ただガイドに

 耳を傾けてそこにあるものに気づくだけです」

 

未知の世界を観光するときに、安心できるガイド

がいることは助けになります。

 

ユニティーインスティチュートでは、

毎月1回、無料のハートガイド瞑想をライブで

配信しています。

 

黒田コマラ記

 

ハートガイド瞑想「パワー オブ ハート」

 

スケジュール

7月26日(水)午後8時

8月24日(水)午後8時

9月14日(木)午後8時

 

お申込みはこちらからどうぞ。

http://tinyurl.com/ydcyrgj7

BHのトレーニングを受けて(SBH10期卒業生の声)

今年3月にサトルボディヒーリング(SBH)トレーニングを

修了されたクマリさん。

 

クマリさんに「SBHのトレーニングを受けて」を

語っていただきました。

 

どうそお楽しみください。

 

 

    ☆ ☆ ☆

 

ハートに始まりハートに終わるそんなレッスン

でした。

 

その人のことをまだ何も知らないのに、

肩にふれると涙があふれ出た。

 

自分には、泣く理由が何もないのに・・・

 

家族の死について語られるのを聞き

そうだったのかと思う。

 

 

あるときは突然、自分の中に混乱を感じたり、

でもリリースすることによりバランスを取り

戻し、穏やかなスペースに戻っていく。

 

そんな感じでものごとが起きていく時もあった。

 

そのうちに、人のエネルギーも自分のエネルギ

ーもつながっているということに気づく。

 

どこからどこまでが自分のエネルギーで、

どこからどこまでが人のエネルギーということ

が言えなくなり、繋がっている・流れていると

いう感じがする。

 

そして、ハートに戻ることによってバランスが

生まれ、自分自身が再び流れ出す。

 

コース修了後、自分自身にサトルボディヒーリ

ング(SBH)を行うことが多くなった。

 

 

1日の終わりにチャクラの上に手を当て、

エネルギーをリリースしたり、

必要な本質につながり、その変化を感じる。 

 

迷ったら、あるいはそうでなくても、ハートに

戻る。

 

そうすることによって、痛みがあってもなくても、

起きていることに、楽にシフトするようになった

ようにも思います。

 

また、チャクラのエネルギーを感じることで、

より立体的に自分自身と関わっているようにも

感じています。

 

 

もちろん、今でも人生は私にいろいろな顔を

見せてくれます。

 

動揺したり不安になったり・・・。

それでも優しく、愛情深く、そしてリアルに

自分自身とかかわるツールを手にしたように

思っています。

 

 

コース受講中には私を悩ませたリーディングも、

最後のセッションを受けることで、深く癒され

ました。

 

複雑な路線をたどろうとする私に(笑い)、

とてもシンプルなセッシションで、学ぶことが

多かったです。

 

スタッフの方や仲間と言葉を交わすことに

よっても、自分の思いがクリアーになることが

ありました。

 

 

コース修了後、卒業生と一緒に交換セッションを

する機会に恵まれました。

 

エネルギーのリリース後に、

今どんな本質につながればよいのかハートに手を

当てて待っていると、

 

「感謝」という二文字が湧き上がり、

頭の中では「えっ???」という思いでした。

 

リリースするエネルギーは、何となくもう

いらないものという思い込みがあったのです。

 

それがあったからこそ、経験できたことがあった、

守られてきたことがあった。

そんな思いが生まれました。

 

不思議な不思議な感覚でした。

 

クマリ記