ユニティインスティチュート -194ページ目

「恩寵の法則」その7 (イタリア編)


「恩寵の法則」その7 (イタリア編)


このシリーズはイタリアで開催された「恩寵の法則」のコースでの内容の一部を20回のシリーズでご紹介します。

恩寵の法則では、さらにもっと大きなものとのつながりの中で人生を生きることを学んでいくことになります。

今回はその7回目です。

人生を本質から生きるための知恵をお楽しみください。

ちなみに、日本での「恩寵の法則」は2012年3月9日(金)~12日(日) 東京で開催
されます。
https://unityinstitute.jp/schedule/booking.cgi?code=120309-11Pr_EL3_f




(はじめに)

なかなか夜眠ることができず、不眠症で悩んでいる人たちがいます。眠ろうと努力して羊を数えたりすると、余計に目が冴えてしまったり。。。羊を数えるというのは、いろいろ考えすぎるから眠れなくなるので、単純なことにフォーカスすれば退屈して眠くなるだろうというのがそのトリックなのですが、実は数えるという努力を忘れ、眠ろうという努力さえ忘れたときに、眠りは自然に訪れます。なぜなら、眠りは自然に人間に備わっているものだからです。

自分であるというのは、そういう眠りが訪れるようなものかもしれません。私たちは努力して、よりよい人間、より立派な人間になることを教えられ、そのために努力を積み重ねていきます。本来の自分であってはだめな人間になってしまうので、多くを学び、多くの教養を身につけます。

それは確かに社会に生きていくうえでは必要で有益なことなのですが、でも、慈愛、愛、思いやり、勇気、決断力など、自分には欠けているので学ばなければ得られないと思っていたものが、実は自分の内側にすでに備わっているとしたら、どうなのでしょうか?

法華経に 衣裏(えり)の宝珠の喩えというのがあります。仏性はすでに内側にあるというお釈迦様の教えなのですが、何度聞いても半信半疑であったりします。

だからこそ、いろんな形で、何度も何度も聞かなければならないのかもしれません。

そしてそれがわかるには、それが本当に意味しているものを自分で実験して、体験としてわかるしかないのですね。

それまでは、これらの教えは仮説にしか過ぎません。仮説は検証するまで真実にはならないのです。

では「恩寵尾法則」第7回をお楽しみください。




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第7回:「自分自身であるために」


さて私たちが内側に入るにつれ、私たちはたくさんの異なる資質や領域に遭遇します。
私たちが出会う最初のもののひとつは、私たちのユニークな本質、私たちが生まれながらにもっている真の才能、私たちの個性です。

というのは、面白いことに表面では私たちにはそれほど違いがないからです。
つまり、私たちは個別の体を持っていますが、表面では条件づけされています。
イタリアの条件づけは、ドイツの条件づけとは異なります。
私たちは全員が鋳型にはめられ、何らかの意味で成形されています。

もしあなたが本当に自分の個性、本当に得意なこと、あなたが生まれながらに持っているものを見つけたければ、あなたは内面に入らなければなりません。
そうすればあなたは自分の個性や才能を見つけることができます。
あなたはそこで自分のユニークな個性を発見します。あなたはあなたの本質を見つけるのです。

そのときもしあなたがさらに深く深く進めば、あなたは私たちが宇宙的資質、本質と呼ぶものを発見します。
それが慈愛、愛、思いやり、勇気、決断力、共感といったものです。

本質をリストにするならそれは何百とありますが、それらの資質をあなたは学ぶ必要はありません。
あなたは自分自身であることのための学びは必要ありません。
あなたはすでに自分自身なのですから。

私たちが求めているものはすべて自分の中にすでにあることを理解することが重要なのです。

それが本当に意味しているものを自分で実験して、体験としてわかることが大切なのです。




「恩寵の法則」その6 (イタリア編)


「恩寵の法則」その6 (イタリア編)


このシリーズはイタリアで開催された「恩寵の法則」のコースでの内容の一部を20回のシリーズでご紹介します。

恩寵の法則では、さらにもっと大きなものとのつながりの中で人生を生きることを学んでいくことになります。

今回はその6回目です。

人生を本質から生きるための知恵をお楽しみください。

ちなみに、日本での「恩寵の法則」は2012年3月9日(金)~12日(日) 
東京で開催されます。
https://unityinstitute.jp/schedule/booking.cgi?code=120309-11Pr_EL3_f




(はじめに)

「私の反逆、私の新しい人間とは「ゾルバ・ザ・仏陀」だ。人類は魂のリアリティを信じて物質を非現実なものとするか、物質のリアリティを信じて魂を非現実的なものとするかのどちらかだった。これまでの人間を精神主義者か物質主義者に分類することはできるが、誰も人間のリアリティをあえて見ようとしたものはいなかった。人間は両方をあわせたものだ。人間は精神だけではないし、つまり、ただ意識だけで存在しているのではないし、ただの物質(肉体)だけでもない。物質と意識とがすばらしく調和している存在なのだ」OSHO

レディガガは「クリエイティブティが存在における最大の反逆だ」というOSHOの言葉を引用して「反逆者」というOSHOの本が最も好きだと語っています。
http://dotsub.com/view/ea274ca7-5f1d-4443-9fbe-79d7b42771a7
http://terran108.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/lady-gaga-i-lov.html

彼女はこの現実世界で最も成功しながらも精神的なものをも生きる「ゾルバ・ザ・仏陀」をめざしているのかもしれません。

ゾルバというのはギリシャに生きた享楽主義者であり、物質世界に生きた人間とされています。
http://terran108.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/lady-gaga-i-lov.html

仏陀は説明するまでもなく、精神世界を説いた人の代表です。

その両方を生きることが、本当の人間だということを「ゾルバ・ザ・仏陀」とOSHOは語っています。

内側というのは内面の世界である仏陀を表し、外側というのは物質的な世界であるゾルバを表しています。

内側の世界と外側の世界を同時に生きるとは、この「ゾルバ・ザ・仏陀」、新しい人間として生きることを表しています。

では、恩寵の法則 第6回をお楽しみください。




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6回目
「内側と外側を同時に生きる」

内側の法則を学ぶことは交通規則と同じように重要です。

同時に、瞑想がもたらしてくれるものを学ぶことは、交通規則を学ぶこととはとても違っています。

瞑想は私たちの気づきを拡大します。
自分の内側に対する気づきが拡大すると、突然、内面にあったものが成長しはじめます。
あなたが気づくものが何であれ、気づくことによって、それは成長します。

もしあなたがただ内側に入れば、それだけでもそれまでとは違った多くの変化が訪れます。
しかし、もしあなたが外側の人生と関わらないで、内側にとどまるために、自分の修道院のなかで生きることにすると、それは退屈したものとなり、あなたの内面はあまり成長しません。

内面が表現されるためには外側を必要とします。
ですから外側と内側の両方が重要なのです。
ただ内側に入って自分の内なる本質を発見し、そして自分の家にひとり閉じこもって座っているだけでは、あたなに多くのものは得られません。

もしあなたが本当に自分の人生で変容を望んでいるのなら、内側と外側の両方が重要です。
それが私たちが提供しているものです。

私は過去に外側を無視して内側に入ることだけに何年も費やしてきた経験から
私たちには外界も必要なことに気づきました。
両方が同じくらい必要なのです。
外側を持たない内面はすこし悲しげで、ドライで、何かが欠けています。

また内面がなく外側だけだと、たくさんの物を持っていても、本当の満足を得ることはできません。
素敵な家とか、何であれ外側で自分が望むものを手に入れるために多くのエネルギーを投入してもそれを手に入れたとき、実際にはあなたがそれまで期待していたような感じをそれはもたらさないかもしれません。
それは満足なものではないかもしれません。それはあなたを幸福にしないかもしれません。
なぜなら私たちが本当に求めているものは内側とつながること、そこにある質とつながることだからです。

ですから、そこに外側だけがあっても、これらにつながる内側の質が伴わなければ、たとえ外側の欲しいものをすべて手に入れても無意味に思われるのです。
また外側でも生き生きと活動できることなしに、内面だけにいても、それはほとんど干からびた、少し貧弱なものになってしまうのです。


「恩寵の法則」その5 (イタリア編)


「恩寵の法則」その5 (イタリア編)


このシリーズはイタリアで開催された「恩寵の法則」のコースでの内容の一部を20回のシリーズでご紹介します。

恩寵の法則では、さらにもっと大きなものとのつながりの中で人生を生きることを学んでいくことになります。

今回はその5回目です。

人生を本質から生きるための知恵をお楽しみください。

ちなみに、日本での「恩寵の法則」は2012年3月9日(金)~12日(日) 
東京で開催されます。
https://unityinstitute.jp/schedule/booking.cgi?code=120309-11Pr_EL3_f




(はじめに)

もし私たちが「自分の中に美しい宝物がある」ことを、
子供のころから教わっていたら世界は違って見えたかもしれません。

日本では、海外のように親が人前で子供を褒めることは昔からあまり習慣としてなかったように思います。

「うちの子はきかん坊で・・とか、お宅のお子さんは頭がいいのにうちの子は・・・」
と人を褒めるのに自分を小さいものとします。

そんなことを聞いて育つと、自分に自信を持つことが難しくなっていきますその上、子供のころから両親や先生たちに、誰かのようになることを期待されて育つと自然に私たちの意識は外を向いてしまいます。

内なる宝を見つけるには、まず内側を見ることから始まります。
人が自分に言うこと、期待することに耳を貸すのではなく。

では『恩寵の法則」その5をお楽しみください。



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第5回:「内なる宝物」 


「恩寵の法則」は革命的なアイディアです。

私たちは、「懸命に働いて、あの山を克服すれば、少なくとも人生の終わりには、何かいいことが待っている」と教えられてきました。

しかしながら、あなたが向かうであろう天国はどこか遠くにあるのではなく、内側にあります。それはすでに内側に存在しているのです。

私にはそれが真実だとわかります。
何年にもわたって、私は何度も何度もそのことを繰り返し理解してきたからです。

しかしこのことは、私の言葉を信じるのではなく、それが自分にとって真実か否かをあなたは自分自身で発見しなくてはなりません。

ここで私がしているのは、皆さんに、素晴らしいものはすべてすでに内側にあると提案しているのです。

もしそれがあなたの人生に思い当たらないなら、ただそれにあなたが気づいていないだけです。

もしあなたが自分の本質に気づいていないのなら、それはまだ種子の状態であり、まだ眠っているのだということです。

それは眠れる巨人です。

それはそこにあるのに、私たちの注意があまりにも他のことに向けられているため、美しいものは、ただそこで見つけられるのを待っているのです。

本当に必要なことは、ただあなたの注意を広げて、自分の中にほんとうに素晴らしい何かがあるのだと気づくことです。

私たちが自分の内なる本質について気づいていない理由は、私たちが外を見るようにと、人生は外側にあるのだと教えられてきたからです。
子供のときに内面に入ることを誰からも教えられなかったからです。

本来ならば、小学校の一年生の最初の授業は、

「どうすれば自分のユニークな素晴らしい本質を発見できるか」

であるべきだと思うのですが、実際には学校で習うことは
外側の世界で生きていくための訓練を受けるのです。