「恩寵の法則」その7 (イタリア編) | ユニティインスティチュート

「恩寵の法則」その7 (イタリア編)


「恩寵の法則」その7 (イタリア編)


このシリーズはイタリアで開催された「恩寵の法則」のコースでの内容の一部を20回のシリーズでご紹介します。

恩寵の法則では、さらにもっと大きなものとのつながりの中で人生を生きることを学んでいくことになります。

今回はその7回目です。

人生を本質から生きるための知恵をお楽しみください。

ちなみに、日本での「恩寵の法則」は2012年3月9日(金)~12日(日) 東京で開催
されます。
https://unityinstitute.jp/schedule/booking.cgi?code=120309-11Pr_EL3_f




(はじめに)

なかなか夜眠ることができず、不眠症で悩んでいる人たちがいます。眠ろうと努力して羊を数えたりすると、余計に目が冴えてしまったり。。。羊を数えるというのは、いろいろ考えすぎるから眠れなくなるので、単純なことにフォーカスすれば退屈して眠くなるだろうというのがそのトリックなのですが、実は数えるという努力を忘れ、眠ろうという努力さえ忘れたときに、眠りは自然に訪れます。なぜなら、眠りは自然に人間に備わっているものだからです。

自分であるというのは、そういう眠りが訪れるようなものかもしれません。私たちは努力して、よりよい人間、より立派な人間になることを教えられ、そのために努力を積み重ねていきます。本来の自分であってはだめな人間になってしまうので、多くを学び、多くの教養を身につけます。

それは確かに社会に生きていくうえでは必要で有益なことなのですが、でも、慈愛、愛、思いやり、勇気、決断力など、自分には欠けているので学ばなければ得られないと思っていたものが、実は自分の内側にすでに備わっているとしたら、どうなのでしょうか?

法華経に 衣裏(えり)の宝珠の喩えというのがあります。仏性はすでに内側にあるというお釈迦様の教えなのですが、何度聞いても半信半疑であったりします。

だからこそ、いろんな形で、何度も何度も聞かなければならないのかもしれません。

そしてそれがわかるには、それが本当に意味しているものを自分で実験して、体験としてわかるしかないのですね。

それまでは、これらの教えは仮説にしか過ぎません。仮説は検証するまで真実にはならないのです。

では「恩寵尾法則」第7回をお楽しみください。




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第7回:「自分自身であるために」


さて私たちが内側に入るにつれ、私たちはたくさんの異なる資質や領域に遭遇します。
私たちが出会う最初のもののひとつは、私たちのユニークな本質、私たちが生まれながらにもっている真の才能、私たちの個性です。

というのは、面白いことに表面では私たちにはそれほど違いがないからです。
つまり、私たちは個別の体を持っていますが、表面では条件づけされています。
イタリアの条件づけは、ドイツの条件づけとは異なります。
私たちは全員が鋳型にはめられ、何らかの意味で成形されています。

もしあなたが本当に自分の個性、本当に得意なこと、あなたが生まれながらに持っているものを見つけたければ、あなたは内面に入らなければなりません。
そうすればあなたは自分の個性や才能を見つけることができます。
あなたはそこで自分のユニークな個性を発見します。あなたはあなたの本質を見つけるのです。

そのときもしあなたがさらに深く深く進めば、あなたは私たちが宇宙的資質、本質と呼ぶものを発見します。
それが慈愛、愛、思いやり、勇気、決断力、共感といったものです。

本質をリストにするならそれは何百とありますが、それらの資質をあなたは学ぶ必要はありません。
あなたは自分自身であることのための学びは必要ありません。
あなたはすでに自分自身なのですから。

私たちが求めているものはすべて自分の中にすでにあることを理解することが重要なのです。

それが本当に意味しているものを自分で実験して、体験としてわかることが大切なのです。