子供たちにハートのはたらきを知ってもらう By トーショー
子供たちにハートのはたらきを知ってもらう
最近あるところに宿泊したときに、偶然のきっか
けから、ほんの2、3分ですが、同宿していた250
人の高校一年生の前でハート瞑想について話す機
会がありました。
ハート瞑想について理解してもらうためには、ふ
たつのことを説明する必要があります。
ひとつはハートとは何かであり、もうひとつは瞑
想とは何かです。
私たち大人でも、ハートについてはさまざまな理
解があります。
ふつうはバレンタインデーに象徴されるように、
ハートとは異性に対する愛のはたらきであり、
「恋に落ちる」ときに活躍するものです。
しかし、チャクラシステムにおけるハートは、恋
とはほとんど関係ありません。
ハートの大切な働きは、ものごとのあるがままを
受け入れることであり、それはハートがもつスペ
ースのはたらきと関係しています。何が起こって
いたとしても、それはハートのスペースの中に居
場所をもつことができるのです。
そこから愛や慈愛、やさしさ、感謝、喜び、許し、
忍耐など、素晴らしい本質が現れます。
しかし中学を卒業したばかりの人たちに短い時間
でそのような話をすることはできません。
また瞑想という言葉の意味についても、禅もその
ひとつである、などと言っても通用しないでしょ
う。
前日に何人かの高校生にマインドフルネスについ
て知っているか、尋ねましたが、知っている人は
いませんでした。
それで、瞑想という言葉についての説明は、心静
かに内側を見ることである、というくらいで済ま
せることにしました。
大切なことは、これから大人になっていく人たち
に少しでもハートの可能性について知ってもらう
ことです。
現在の学校教育の場では、ハートという大切なは
たらきはまったく問題にされません。
OSHOもその講和のひとつで、ハートこそが私たち
に生きる意味を与えてくれるのに、学校教育の現
場では、ハートのはたらきが窒息させられ、マイ
ンドのみが力を持つようにされている、と語って
います。
教育テレビなどで「なぜ人を殺してはいけないの
か」「なぜいじめはいけないのか」などが討論の
テーマとして取り上げられているのを目にするこ
とがありますが、それにはハートのはたらきが関
係することをその場にいる人たちが誰も知らない
のですから、その議論はマインドの中で論理的な
結論を探し出そうとするものにしかなりません。
前日の夜にお風呂に行こうとして迷ってしまい、
高校生の一団と出会いました。
「何をされているのですか」と聞かれたので、「
お風呂に行きたいのですが、場所を知っています
か」と尋ねると、男子の一人がわざわざかなり距
離がある風呂場まで連れて行ってくれました。
これほどたくさんの若い人たちに接する機会は長
い間なかったのですが、彼らの純粋さは深く心に
触れるものがありました。
20歳くらいになるまでは、人の目はとても美しい
のを今までもセッションを通じて経験してきてい
ます。
子供たちの中にはハートは息づいています。
しかし大人になっていく過程で、本人たちも気づ
かないうちにハートは生活の中でその力を失って
いくように思います。
さて、今回のような機会にどのように話せば、子
供たちの心にハートの可能性が種のように残るだ
ろうか、それを考えながら生徒たちの前に立ちま
した。
そして話しだしました。
「人間の精神のはたらきには、3つの大切な場所
があります。ひとつは頭であり、もうひとつはハ
ート、そしてもうひとつはおなか、というよりハ
ラと呼んだ方が良いところです」
「頭は、みなさんが学校の勉強の中でいつも鍛え
ているところで、良く知っていますね。ハートは
胸の中心にありますが、今日の話の中では、だれ
かを好きになるというような恋愛とはあまり関係
していません。ハートは、人や自分に対して、や
さしさや親切心をもつことと関係しています。そ
してハラは、自分をしっかりともつことと関係し
ています。ハラが座っている、とか肝(きも)試し
をするとか言いますね」
というような説明をしました。
「ハート瞑想では、特にハートのはたらきを大切
にします。みなさんはときどき自分のことがいや
になったり、嫌いになったりすることがあるかも
しれませんね。ともだちや自分のことを考えると
きには、胸の真ん中に手を置いてみてください。
そうすると、ともだちのことも自分のこともだん
だんと好きになっていくことができます。自分を
好きになることは、生きていく上でとても大切な
ことなのです」
「明晰に物事を考えたいときには、額に手を置き
ましょう。するとスムーズに考えることができま
す。これは脳の研究で明らかになっていることで
す。またしっかりとしたいときにはおなかに手を
置きましょう」
とそれぞれのセンターに敬意を払いました。
短い時間で何ができたかはわかりません。しかし、
今回の経験で若い人たちにハートの体験をして
もらう大切さをとても強く感じました。このブロ
グを担当している一人であるブーティ(尾崎智子
さん)は、教育の現場にハート瞑想を持ち込むこ
とに情熱をもって取り組んでいます。あらためて
それに敬意を感じる経験でもありました。
最近あるところに宿泊したときに、偶然のきっか
けから、ほんの2、3分ですが、同宿していた250
人の高校一年生の前でハート瞑想について話す機
会がありました。
ハート瞑想について理解してもらうためには、ふ
たつのことを説明する必要があります。
ひとつはハートとは何かであり、もうひとつは瞑
想とは何かです。
私たち大人でも、ハートについてはさまざまな理
解があります。
ふつうはバレンタインデーに象徴されるように、
ハートとは異性に対する愛のはたらきであり、
「恋に落ちる」ときに活躍するものです。
しかし、チャクラシステムにおけるハートは、恋
とはほとんど関係ありません。
ハートの大切な働きは、ものごとのあるがままを
受け入れることであり、それはハートがもつスペ
ースのはたらきと関係しています。何が起こって
いたとしても、それはハートのスペースの中に居
場所をもつことができるのです。
そこから愛や慈愛、やさしさ、感謝、喜び、許し、
忍耐など、素晴らしい本質が現れます。
しかし中学を卒業したばかりの人たちに短い時間
でそのような話をすることはできません。
また瞑想という言葉の意味についても、禅もその
ひとつである、などと言っても通用しないでしょ
う。
前日に何人かの高校生にマインドフルネスについ
て知っているか、尋ねましたが、知っている人は
いませんでした。
それで、瞑想という言葉についての説明は、心静
かに内側を見ることである、というくらいで済ま
せることにしました。
大切なことは、これから大人になっていく人たち
に少しでもハートの可能性について知ってもらう
ことです。
現在の学校教育の場では、ハートという大切なは
たらきはまったく問題にされません。
OSHOもその講和のひとつで、ハートこそが私たち
に生きる意味を与えてくれるのに、学校教育の現
場では、ハートのはたらきが窒息させられ、マイ
ンドのみが力を持つようにされている、と語って
います。
教育テレビなどで「なぜ人を殺してはいけないの
か」「なぜいじめはいけないのか」などが討論の
テーマとして取り上げられているのを目にするこ
とがありますが、それにはハートのはたらきが関
係することをその場にいる人たちが誰も知らない
のですから、その議論はマインドの中で論理的な
結論を探し出そうとするものにしかなりません。
前日の夜にお風呂に行こうとして迷ってしまい、
高校生の一団と出会いました。
「何をされているのですか」と聞かれたので、「
お風呂に行きたいのですが、場所を知っています
か」と尋ねると、男子の一人がわざわざかなり距
離がある風呂場まで連れて行ってくれました。
これほどたくさんの若い人たちに接する機会は長
い間なかったのですが、彼らの純粋さは深く心に
触れるものがありました。
20歳くらいになるまでは、人の目はとても美しい
のを今までもセッションを通じて経験してきてい
ます。
子供たちの中にはハートは息づいています。
しかし大人になっていく過程で、本人たちも気づ
かないうちにハートは生活の中でその力を失って
いくように思います。
さて、今回のような機会にどのように話せば、子
供たちの心にハートの可能性が種のように残るだ
ろうか、それを考えながら生徒たちの前に立ちま
した。
そして話しだしました。
「人間の精神のはたらきには、3つの大切な場所
があります。ひとつは頭であり、もうひとつはハ
ート、そしてもうひとつはおなか、というよりハ
ラと呼んだ方が良いところです」
「頭は、みなさんが学校の勉強の中でいつも鍛え
ているところで、良く知っていますね。ハートは
胸の中心にありますが、今日の話の中では、だれ
かを好きになるというような恋愛とはあまり関係
していません。ハートは、人や自分に対して、や
さしさや親切心をもつことと関係しています。そ
してハラは、自分をしっかりともつことと関係し
ています。ハラが座っている、とか肝(きも)試し
をするとか言いますね」
というような説明をしました。
「ハート瞑想では、特にハートのはたらきを大切
にします。みなさんはときどき自分のことがいや
になったり、嫌いになったりすることがあるかも
しれませんね。ともだちや自分のことを考えると
きには、胸の真ん中に手を置いてみてください。
そうすると、ともだちのことも自分のこともだん
だんと好きになっていくことができます。自分を
好きになることは、生きていく上でとても大切な
ことなのです」
「明晰に物事を考えたいときには、額に手を置き
ましょう。するとスムーズに考えることができま
す。これは脳の研究で明らかになっていることで
す。またしっかりとしたいときにはおなかに手を
置きましょう」
とそれぞれのセンターに敬意を払いました。
短い時間で何ができたかはわかりません。しかし、
今回の経験で若い人たちにハートの体験をして
もらう大切さをとても強く感じました。このブロ
グを担当している一人であるブーティ(尾崎智子
さん)は、教育の現場にハート瞑想を持ち込むこ
とに情熱をもって取り組んでいます。あらためて
それに敬意を感じる経験でもありました。
by トーショー
知らないというシェアリング by Vijay
知らないというシェアリング by Vijay
昨年の11月のことである。
一年間やり続けたチャクラ・イベント・ティーチ
ャー・トレーニングのテレクラスの最終日。
僕はアルヴィナに、恐る恐るとあることを聞いた。
約三十年前に初めてリーラに会い、初めてハート
瞑想に出会い、それから20年ほど前に初めてOSHO
アカデミーに行き、プラサードやアルヴィナに会
い、その後はテレクラス、そしてユニティ・イン
スティチュートで、サトルボディヒーリグのトレ
ーニング、エッセンシャル・ライフ・コンサルテ
ィング、ハート・ティチャー・トレーニング、そ
して今回のトレーニングだ。
チャクラについては、その間独自に、ワークショ
ップを開いてきた。
チャクラの瞑想会もずっとやって来た。
昨年は一年間かけて、サトルボディヒーリグの本
を一緒に読み、エクササイズを体験し、瞑想する
研究会を開いて来た。
二年前からは、防音室で、週に一度のチャクラジ
ベリッシュ瞑想とハート瞑想の会を開いて来た。
そんな僕自身の30年の探求の成果として、彼らの
創り出したシナリオを元に、チャクラを探求する
ワークである。
トレーニングには、最近になって学び始めた仲間
もいて、その人たちとくらべると、自分の知って
いる量は膨大になる。
しかし、エネルギーのトランスミッションが、鍵
のワークだ。
チャクラのエネルギーに気づいてもらうのが、こ
のイベントの狙いだ。
それをできるだけのエネルギーに対する気づきが、
僕にはあるのだろうか?
最終回で盛り上がってるところに、僕は遠慮がち
に、こう切り出した。
Vijay:
他の人にシェアすると言うことで、素晴らしいイ
ベントだし、ある種の自信もできて、どんどんこ
れをシェアしていきたいなと言う気持ちもあるの
ですけれど、反面何かこう自信がなくなったとい
うか、もっともっと経験しないと本気のシェアに
はならないというような、そんな感じもしていて、
やっていきたいような、まだまだやっちゃいけな
いような、そんなところに落ち込んでいて、少し
アドバイスを頂きたいんです。
アルヴィナ:
Yes、私にはあなたがどう感じているかを理解で
きます。
と言うのもある意味であなたの経験がより深くな
り、瞑想がより深くなるにつれて、これは私にも
起こった事ですけれど、そうなるにつれて、私は
知らないと言うことに気づいてことになるのです。
というのもこの内側の次元と言うのは本当に広大
なのものだからです。
あなたのことを聞いていると、その感覚を感じて
いるのは、あなたの中で何かがより本物になって
きた、と言う感じがしています。
そしてこういったことが、瞑想を教えるティーチ
ャーみんなに、ほとんどの人に起こることだと思
っています。
最初のうち教えることと言うのは、理論的なこと
であったり、知識から教えると言う事であったり
すると思います。
そしてあなたが、本当の瞑想家であれば、自分自
身の瞑想がより深く、より深くなっていくわけで
す。
そうすると自分の知っていることや、自分が知っ
ていると思っている事から、何かを教えたとして
も、それで充分だとか感じられなくなるのです。
そして自分自身の経験の深みから教えると言うこ
とも、またいつでも楽なわけではありません。
そういうことがあると自分自身が不安になったり、
また自信を失うと言うことも、私には理解できま
す。
でも私の感じでは、あなたのシェアしたり教えた
り与える事と言うのは、より適切なものになって
きていると言う感じがします。
自信がないと言うことがあったとしても、トラン
スミッションがそこで起こっています。
あなたの中で起こっている美しい事のトランスミ
ッションが、起こっていると言うことです。
前には瞑想とか、自分がシェアすることに持って
いたのと同じような自信を持ってそれをシェアす
ることができないかもしれませんが、私の感じで
はあなたがシェアしたりトランスミッションする
ことというのは、ずっとより深いものになってい
る気がします。
マインドは疑うかもしれませんけれど、自分が言
ってることが、わかってなくて言っていると、マ
インドは思うかもしれませんが、でももし自分が
自信がないと感じるんだったら、それにもスペー
スを与えて、それに対してしっかりと、共にいる
ようにしてください。
そして、シェアリングを続けてください。
(中略)
そしてあるレベルで経験が深くなるに従って、そ
れに対する自信や確信が、減ってくるというのも
事実なんですね。
そうなると今度は違った種類の自信と言うものに
自分をただ、くつろがせることができるようにな
っていきます。
それは、知らないということを、許してくれる自
信です。
Vijay、言ってることをなるほどと思ってくれま
すか?
Vijay:
はい。聞いていて、涙が出てきました。
アルヴィナ:
今それをシェアしてくれて私は嬉しいです。
というのもこういった疑問があるときに、一番起
こりうる最悪の事と言うのは、シェアをするのを
やめると言う事ですから
ですから、ただ不安のままにシェアしてください。
そうするとあなたのトランスミッションは本当に
強いものになると思います。
アルヴィナ:
「これはあなたにも良いことだろう。? 教える
ことによって、初めてあなたは、? 学ぶことが
あるということを、わたしは観て来た。それを
学ぶということの最良の道は、 それを教えると
いう事だ。」Oshi
確かにOSHOの言う通り。エッセンシャル・ライフ
・コンサルティングをする中で、僕はクライアン
トに語る中心や本質や強みについて、自分でも聞
いて、学んで来た。
だから人に伝えることの素晴らしさは知っている
つもりだけれど、知らない、ということにも気づ
きながら伝えれば、それがまたトランスミッショ
ンになるということは知らなかった。
アルヴィナに励まされなかったら、僕はシェアし
ないという最悪のことを選んでいたと思う。
しかし、それだったらいつになったら、シェアで
きるのか?
今年になって、風が変わった。
一年間かけて作ったホームページをまずお披露目
して、一月には、チャクラ研究会と名付けて、ま
ず第一回目を大阪で。
その後、来れなかった人のために、同じ内容のも
のを二回ずつ。
近隣の加古川市でも、平日の昼間に大阪でも、別
々の主催者で始まった。
先月の研究会は場所を移して、20人の参加。都合
、大阪で、7回、加古川で3回、大阪で2回。また
続いていく。
しかし、シェアすればするほど、知らない、とい
う感覚も強くなってくる。
なにしろ、広大な内側のエネルギーの世界のこと
である。
リーラの写真を拡大して、ファイルに挟み、それ
を時々 眺めている。
リーラはいつも笑っている。
辻本ヴィジェイ 記
ハート瞑想ティチャー
チャクラ・イベント・ティチャー
https://mysticunion.wixsite.com/chakra
開催予定のイベント
昨年の11月のことである。
一年間やり続けたチャクラ・イベント・ティーチ
ャー・トレーニングのテレクラスの最終日。
僕はアルヴィナに、恐る恐るとあることを聞いた。
約三十年前に初めてリーラに会い、初めてハート
瞑想に出会い、それから20年ほど前に初めてOSHO
アカデミーに行き、プラサードやアルヴィナに会
い、その後はテレクラス、そしてユニティ・イン
スティチュートで、サトルボディヒーリグのトレ
ーニング、エッセンシャル・ライフ・コンサルテ
ィング、ハート・ティチャー・トレーニング、そ
して今回のトレーニングだ。
チャクラについては、その間独自に、ワークショ
ップを開いてきた。
チャクラの瞑想会もずっとやって来た。
昨年は一年間かけて、サトルボディヒーリグの本
を一緒に読み、エクササイズを体験し、瞑想する
研究会を開いて来た。
二年前からは、防音室で、週に一度のチャクラジ
ベリッシュ瞑想とハート瞑想の会を開いて来た。
そんな僕自身の30年の探求の成果として、彼らの
創り出したシナリオを元に、チャクラを探求する
ワークである。
トレーニングには、最近になって学び始めた仲間
もいて、その人たちとくらべると、自分の知って
いる量は膨大になる。
しかし、エネルギーのトランスミッションが、鍵
のワークだ。
チャクラのエネルギーに気づいてもらうのが、こ
のイベントの狙いだ。
それをできるだけのエネルギーに対する気づきが、
僕にはあるのだろうか?
最終回で盛り上がってるところに、僕は遠慮がち
に、こう切り出した。
Vijay:
他の人にシェアすると言うことで、素晴らしいイ
ベントだし、ある種の自信もできて、どんどんこ
れをシェアしていきたいなと言う気持ちもあるの
ですけれど、反面何かこう自信がなくなったとい
うか、もっともっと経験しないと本気のシェアに
はならないというような、そんな感じもしていて、
やっていきたいような、まだまだやっちゃいけな
いような、そんなところに落ち込んでいて、少し
アドバイスを頂きたいんです。
アルヴィナ:
Yes、私にはあなたがどう感じているかを理解で
きます。
と言うのもある意味であなたの経験がより深くな
り、瞑想がより深くなるにつれて、これは私にも
起こった事ですけれど、そうなるにつれて、私は
知らないと言うことに気づいてことになるのです。
というのもこの内側の次元と言うのは本当に広大
なのものだからです。
あなたのことを聞いていると、その感覚を感じて
いるのは、あなたの中で何かがより本物になって
きた、と言う感じがしています。
そしてこういったことが、瞑想を教えるティーチ
ャーみんなに、ほとんどの人に起こることだと思
っています。
最初のうち教えることと言うのは、理論的なこと
であったり、知識から教えると言う事であったり
すると思います。
そしてあなたが、本当の瞑想家であれば、自分自
身の瞑想がより深く、より深くなっていくわけで
す。
そうすると自分の知っていることや、自分が知っ
ていると思っている事から、何かを教えたとして
も、それで充分だとか感じられなくなるのです。
そして自分自身の経験の深みから教えると言うこ
とも、またいつでも楽なわけではありません。
そういうことがあると自分自身が不安になったり、
また自信を失うと言うことも、私には理解できま
す。
でも私の感じでは、あなたのシェアしたり教えた
り与える事と言うのは、より適切なものになって
きていると言う感じがします。
自信がないと言うことがあったとしても、トラン
スミッションがそこで起こっています。
あなたの中で起こっている美しい事のトランスミ
ッションが、起こっていると言うことです。
前には瞑想とか、自分がシェアすることに持って
いたのと同じような自信を持ってそれをシェアす
ることができないかもしれませんが、私の感じで
はあなたがシェアしたりトランスミッションする
ことというのは、ずっとより深いものになってい
る気がします。
マインドは疑うかもしれませんけれど、自分が言
ってることが、わかってなくて言っていると、マ
インドは思うかもしれませんが、でももし自分が
自信がないと感じるんだったら、それにもスペー
スを与えて、それに対してしっかりと、共にいる
ようにしてください。
そして、シェアリングを続けてください。
(中略)
そしてあるレベルで経験が深くなるに従って、そ
れに対する自信や確信が、減ってくるというのも
事実なんですね。
そうなると今度は違った種類の自信と言うものに
自分をただ、くつろがせることができるようにな
っていきます。
それは、知らないということを、許してくれる自
信です。
Vijay、言ってることをなるほどと思ってくれま
すか?
Vijay:
はい。聞いていて、涙が出てきました。
アルヴィナ:
今それをシェアしてくれて私は嬉しいです。
というのもこういった疑問があるときに、一番起
こりうる最悪の事と言うのは、シェアをするのを
やめると言う事ですから
ですから、ただ不安のままにシェアしてください。
そうするとあなたのトランスミッションは本当に
強いものになると思います。
アルヴィナ:
「これはあなたにも良いことだろう。? 教える
ことによって、初めてあなたは、? 学ぶことが
あるということを、わたしは観て来た。それを
学ぶということの最良の道は、 それを教えると
いう事だ。」Oshi
確かにOSHOの言う通り。エッセンシャル・ライフ
・コンサルティングをする中で、僕はクライアン
トに語る中心や本質や強みについて、自分でも聞
いて、学んで来た。
だから人に伝えることの素晴らしさは知っている
つもりだけれど、知らない、ということにも気づ
きながら伝えれば、それがまたトランスミッショ
ンになるということは知らなかった。
アルヴィナに励まされなかったら、僕はシェアし
ないという最悪のことを選んでいたと思う。
しかし、それだったらいつになったら、シェアで
きるのか?
今年になって、風が変わった。
一年間かけて作ったホームページをまずお披露目
して、一月には、チャクラ研究会と名付けて、ま
ず第一回目を大阪で。
その後、来れなかった人のために、同じ内容のも
のを二回ずつ。
近隣の加古川市でも、平日の昼間に大阪でも、別
々の主催者で始まった。
先月の研究会は場所を移して、20人の参加。都合
、大阪で、7回、加古川で3回、大阪で2回。また
続いていく。
しかし、シェアすればするほど、知らない、とい
う感覚も強くなってくる。
なにしろ、広大な内側のエネルギーの世界のこと
である。
リーラの写真を拡大して、ファイルに挟み、それ
を時々 眺めている。
リーラはいつも笑っている。
辻本ヴィジェイ 記
ハート瞑想ティチャー
チャクラ・イベント・ティチャー
https://mysticunion.wixsite.com/chakra
開催予定のイベント
https://mysticunion.wixsite.com/chakra/blank-9
自己アイデンティティーを超えて By ブーティ ともこ
自己アイデンティティーを超えて
島暮らしは2年目のサイクルが始まり、春には畑
を耕したり種を蒔いたり、命を育む最初の仕事が
たくさんあります。
冬の間、枯れて見えた草木も新しい柔らかな葉を
つけ、気温が上がるごとに勢いづいてきています。
この家は古民家なので隙間だらけで冬は寒いです
が、ちょうど今は気持ちのいい季節です。
こうした家は、昔、家人が基本的には家にいた暮
らしをしていたころの造りです。
この家にも昔は囲炉裏や掘り炬燵があったかもし
れません。
現在では床揚げされているところも、もともとは
土間だったに違いなく、外の畑から土の付いたも
のをそのまま奥の台所まで運び調理していたので
しょう。
いつも誰かが家にいる―そのような暮らしの中で
作られたデザインです。
その家に越して住んでみると、100年の間に人の
暮らしがどれだけ変わったのかを感じざるをえま
せん。
農業や林業や漁業、つまりそこにある自然を相手
に生業を立てていたころ、どこに誰が住んでいる
のか、そうしたことが良くも悪しくも周知の事柄
であった頃、人が持つ自己アイデンティティーは
今よりもシンプルだったと思います。
どこの誰がしは何をする人ぞ、という具合にです。
18世紀後半の産業革命は、それまでのアイデンテ
ィティーを複雑にする、最初の大きな出来事だっ
たでしょう。
自宅から離れた職場でのアイデンティティーが新
たに生まれたからです。
多くの男性は定年を迎えると職場でのアイデンテ
ィティーを失い、自分を見失ってしまいがちにな
ると聞きます。
もしも表層にしか気づきがなくて、役職や立場、
他者からの評価だけを頼りに「自分は誰か」を知
ろうとしてきたのなら、それがすべて無くなった
時どうなるのか、十分に想像ができるでしょう。
これは何も世間に限ってのことではありません。
どんなスピリチュアルな世界であってもマインド
の習性は変わらないので、その環境の中で同じよ
うにアイデンティティーを作りだすものです。
以前、長くOSHOメディテーションリゾートに滞在
しワークしていた頃、ある部門のコーディネータ
ーを務めていました。
そこには50数名の、約15か国からの異なる文化背
景を持つワーカーが集っていました。
そんな多様な人たちと日々やり取りして働くのは
ところがある時、とある出来事から私はコーディ
ネーターを降りようと思いました。
次に何をするのかを決める間「プール」と呼ばれ
る期間があり、私は仕事をせずに気の向くままに
毎日過ごすことになりました。
この時、それまで自分がしていた仕事と周りとの
関係、それにいかにアイデンティティーを築いて
すべてが突然無くなって、まるで根無し草のよう
にふわふわと心もとなく、何のために自分が存在
しているのか分からなくなるほど混乱してしまっ
たのです。
瞑想するための素晴らしい環境にありながら、そ
うしたことが起きたことはとてもショックなこと
でしたし、自分のマインドの習性を見る厳しいチ
ャレンジでした。
ですから探究者であっても、知らず知らず身に着
けてしまう、そうしたアイデンティティーには覚
めていなければなりません。
さて、近年のSNSの普及は、産業革命以来の、大
きくアイデンティティーを揺るがす出来事だと言
われています。
バーチャルの世界では、家でも職場でもない、別
の自分を持つことができるようになりました。
自由に簡単にイメージを作り出すことが可能です。
ブログやホームページ、フェイスブックやLINE、
ツイッターやインスタグラム―。
聞いて驚いたのですが、中高生でも複数のアカウ
ントを持っている人がほとんどで、4、5個のアカ
ウントを使い分けていることも珍しくないのだそ
うです。
友好関係に合わせて複数のパーソナリティーを使
い分ける時代―そんな時代に「自分は誰か」を問
いかけることはどれほどの重要性を持っているこ
とでしょうか。
さらに来るAIの時代には人間とは何かが問われる
ことになるでしょう。
現代のVUCAワールド(Volatility/変動・Uncerta
inty/不確実性・Complexity/複雑性・Ambiguity/
あいまい性)において、自分は誰かを知ること、
それは必須のことであると言えるでしょう。
ユニティインスティチュートのエッセンシャルリ
ビングは、私たちの存在を生のあらゆる方面から
見つめることを学ぶ、非常に洗練されたコースで
何も遮断せず抑圧せず隠さず、まるごとの生の只
中で自分は本当には何者なのかを知る術を学ぶこ
とができる機会は、そうありません。
また書籍「悟りのシンクロニシティ」を手に取る
ことができます。
日常を送りながら、日々直面する外側と内側に向
き合う方法が詳しく分かりやすく書かれています。
たくさんのエクササイズがイラストとともに丁寧
に紹介されていて、ガイデッドのCDも付いていま
す。
広島でも再び「悟りのシンクロニシティ」の読書
会が始まりました。
3期目です。
毎回、およそ半年かけて読み進め、互いが体験を
シェアするというスタイルをとっています。
3回目だった先日は、「内なる本質」について話
し合う中で「これまで続けてきたマインドの習慣
を本当に手放したい」と、皆が思っていること、
そしてそれを互いにサポートし合うことを確認し
合いました。
読書会が終わるころには、それぞれがどうしてい
るか楽しみです。
追記:6月10日に教育とマインドフルネス を考え
る講演会とパネルディスカッションがあります。
こちらから詳細がご覧になれます。お近くの方は
どうぞ会場に足をお運びください。
https://peraichi.com/landing_pages/view/mindfulness-hiroshima
島暮らしは2年目のサイクルが始まり、春には畑
を耕したり種を蒔いたり、命を育む最初の仕事が
たくさんあります。
冬の間、枯れて見えた草木も新しい柔らかな葉を
つけ、気温が上がるごとに勢いづいてきています。
この家は古民家なので隙間だらけで冬は寒いです
が、ちょうど今は気持ちのいい季節です。
こうした家は、昔、家人が基本的には家にいた暮
らしをしていたころの造りです。
この家にも昔は囲炉裏や掘り炬燵があったかもし
れません。
現在では床揚げされているところも、もともとは
土間だったに違いなく、外の畑から土の付いたも
のをそのまま奥の台所まで運び調理していたので
しょう。
いつも誰かが家にいる―そのような暮らしの中で
作られたデザインです。
その家に越して住んでみると、100年の間に人の
暮らしがどれだけ変わったのかを感じざるをえま
せん。
農業や林業や漁業、つまりそこにある自然を相手
に生業を立てていたころ、どこに誰が住んでいる
のか、そうしたことが良くも悪しくも周知の事柄
であった頃、人が持つ自己アイデンティティーは
今よりもシンプルだったと思います。
どこの誰がしは何をする人ぞ、という具合にです。
18世紀後半の産業革命は、それまでのアイデンテ
ィティーを複雑にする、最初の大きな出来事だっ
たでしょう。
自宅から離れた職場でのアイデンティティーが新
たに生まれたからです。
多くの男性は定年を迎えると職場でのアイデンテ
ィティーを失い、自分を見失ってしまいがちにな
ると聞きます。
もしも表層にしか気づきがなくて、役職や立場、
他者からの評価だけを頼りに「自分は誰か」を知
ろうとしてきたのなら、それがすべて無くなった
時どうなるのか、十分に想像ができるでしょう。
これは何も世間に限ってのことではありません。
どんなスピリチュアルな世界であってもマインド
の習性は変わらないので、その環境の中で同じよ
うにアイデンティティーを作りだすものです。
以前、長くOSHOメディテーションリゾートに滞在
しワークしていた頃、ある部門のコーディネータ
ーを務めていました。
そこには50数名の、約15か国からの異なる文化背
景を持つワーカーが集っていました。
そんな多様な人たちと日々やり取りして働くのは
とても楽しく、やりがいを感じていました。
ネーターを降りようと思いました。
次に何をするのかを決める間「プール」と呼ばれ
る期間があり、私は仕事をせずに気の向くままに
毎日過ごすことになりました。
この時、それまで自分がしていた仕事と周りとの
関係、それにいかにアイデンティティーを築いて
いたかに気づかされたのです。
にふわふわと心もとなく、何のために自分が存在
しているのか分からなくなるほど混乱してしまっ
たのです。
瞑想するための素晴らしい環境にありながら、そ
うしたことが起きたことはとてもショックなこと
でしたし、自分のマインドの習性を見る厳しいチ
ャレンジでした。
ですから探究者であっても、知らず知らず身に着
けてしまう、そうしたアイデンティティーには覚
めていなければなりません。
さて、近年のSNSの普及は、産業革命以来の、大
きくアイデンティティーを揺るがす出来事だと言
われています。
バーチャルの世界では、家でも職場でもない、別
の自分を持つことができるようになりました。
自由に簡単にイメージを作り出すことが可能です。
ブログやホームページ、フェイスブックやLINE、
ツイッターやインスタグラム―。
聞いて驚いたのですが、中高生でも複数のアカウ
ントを持っている人がほとんどで、4、5個のアカ
ウントを使い分けていることも珍しくないのだそ
うです。
友好関係に合わせて複数のパーソナリティーを使
い分ける時代―そんな時代に「自分は誰か」を問
いかけることはどれほどの重要性を持っているこ
とでしょうか。
さらに来るAIの時代には人間とは何かが問われる
ことになるでしょう。
現代のVUCAワールド(Volatility/変動・Uncerta
inty/不確実性・Complexity/複雑性・Ambiguity/
あいまい性)において、自分は誰かを知ること、
それは必須のことであると言えるでしょう。
ユニティインスティチュートのエッセンシャルリ
ビングは、私たちの存在を生のあらゆる方面から
見つめることを学ぶ、非常に洗練されたコースで
す。
中で自分は本当には何者なのかを知る術を学ぶこ
とができる機会は、そうありません。
また書籍「悟りのシンクロニシティ」を手に取る
ことができます。
日常を送りながら、日々直面する外側と内側に向
き合う方法が詳しく分かりやすく書かれています。
たくさんのエクササイズがイラストとともに丁寧
に紹介されていて、ガイデッドのCDも付いていま
す。
広島でも再び「悟りのシンクロニシティ」の読書
会が始まりました。
3期目です。
毎回、およそ半年かけて読み進め、互いが体験を
シェアするというスタイルをとっています。
3回目だった先日は、「内なる本質」について話
し合う中で「これまで続けてきたマインドの習慣
を本当に手放したい」と、皆が思っていること、
そしてそれを互いにサポートし合うことを確認し
合いました。
読書会が終わるころには、それぞれがどうしてい
るか楽しみです。
ブーティともこ
https://essentiallifeconsulting.jimdo.com/
追記:6月10日に教育とマインドフルネス を考え
る講演会とパネルディスカッションがあります。
こちらから詳細がご覧になれます。お近くの方は
どうぞ会場に足をお運びください。
https://peraichi.com/landing_pages/view/mindfulness-hiroshima

