宮脇 流の「昭和を話そう」 ( BOSSのブログ) -5ページ目

宮脇 流の「昭和を話そう」 ( BOSSのブログ)

70年代や、あの時代に輝いていたアレやコレや。
クリエイティブディレクターが語る、「思い出のエッセイ」です。

Gメン75

梅雨のこの時期は、かつて雨の日に楽しんだ記憶を幾つかシリーズで紹介しよう。まず初めは、テレビ番組から。写真のレコジャケは、1975年に放送を開始した「Gメン75」の主題歌「面影」である。しまざき由理が歌うこの曲とともに、滑走路をGメンが横一列に歩くタイトルバックがなんともカッコよかった。この番組はシリーズとして82年まで続いたのだが、私の記憶に鮮明なのはやっぱりスタートメンバーなのだ。黒木警視総監の丹波哲郎以下、夏木陽介、藤木悠、倉田保昭、原田大二郎、藤田美保子、岡本富士太というキャストだった。同じTBS系だった「キイハンター」に少し似ている感もあったけれど、だからこそ土曜の夜9時はTBSで決まり。
雨の夜だって、充分に楽しかった。ところで、この番組は76年になっても77年になってもタイトルは「Gメン75」のままだった(82年以降のスペシャルを除く)。そのこだわりは強く、全シリーズでボスは丹波哲郎だったのだ。そんなにも長く、一人の俳優が同じ役を続けるドラマも少ない。「熱い心を、強い意志で包んだ人間たち」というオープニングのナレーションは、まるでこの番組を制作したスタッフのことを言ってるようだ・・。と、感じたのは、私だけだろうか?
懐かしくも頑固な、昭和の番組だった。

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ルームライト

フォークソングと言えば、かつては反戦だったり、反権力の歌だったりしたけれど、70年代あたりから徐々に変わっていった。フォークソングがポピュラーになっていったのは、やはり吉田拓郎の存在があったからだろう。思わず口ずさんでしまう彼の名曲は数々あれど、私はこんな曲が好きだった。写真のレコジャケは、1973年に由紀さおりが歌った「ルーム・ライト(室内灯)」だ。作詞 岡本おさみ、作曲 吉田拓郎。時代が生んだ二人の天才の詞と曲に、由紀さおりの静かなヴィブラートが冴える。もはや、フォークソングの域は超えているものの、当時はその新しさに少なからずショックを受けた。♪あの薬屋の角を左に曲がると 車はスピードゆるめ 私は降りる・・♪という岡本おさみの日常の情景描写が、独特のリズムと美声によってそのイメージを広げていく。これがコラボレーションの魅力である。由紀さおりは、ピンク・マルティーニとのコラボで、2011年には世界20ヵ国以上でCDを発売。デジタル配信も手伝って、その歌声の人気は日本でもたくさんの支持を集めた。あの頃 衝撃を憶えた「ルーム・ライト」も、今思えばコラボの感動だったのだ。美しい声は楽器となって、ピアノやギターと重なっていく。フォークも、演歌も、これからはコラボによって、新しい音楽を生みだしていくのかもしれない。

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青春時代

ヒットしている時は、なんとなく聴いていたけれど、後になってジワジワと心に響いてくる曲がある。写真のレコジャケ、森田公一とトップギャランの「青春時代」もその一曲と言えるだろう。この曲がヒットした1976年〜77年は、フォークソングが低迷し、ユーミンを筆頭にニューミュージックと呼ばれた曲が台頭してきた頃。若くて、新しい音楽が芽吹き始めたのに、なんで今さらこんなオッサングループが ??? なんて、思った若者も少なくなかったはずだ。♪青春時代が夢なんて、あとからほのぼの思うもの・・♪という歌詞も、なんだかやっぱりオッサンくさくて、しっくりはこなかった。だけど、あれから40年が過ぎて、青春をほのぼの思う自分がいるのに気がついた。♪青春時代の真ん中は、道に迷っているばかり♪ はい、その通り。いつからいつまでを青春と呼ぶのかはわからないけれど、ただ夢中で走り続けている時を " 青春 "と呼ぶような気がする。そして、夢中で走ってきたそんな自分を、褒められるようになったら、きっと青春を卒業したに違いない。ちなみに、森田公一 の作曲&歌で有名なCMソングがある。日本香堂のお線香のCMで歌われる「青雲のうた」だ。青い春を卒業したら、次は青い雲。歳を重ねても、人生は青が深くなっていくのである。

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