サイクルリサイクル
「これを見かけ出すと、夏の始まりを感じるんだよな。」
「何だよ、急に。」
「抜け殻だよ。」
「抜け殻?あぁ、抜け殻って、蝉の抜け殻か?」
「ちげーよ。これだよこれ。ペットボトルの・・・」
その透き通るような体から眺めると、うだるようなこの暑い世界が、幾分ゆるんでみえた。
わずか一日。
その一日で使命を果たし、
そのカラはごみ箱へと帰す。
ただ一つ、抜け殻を残して。
風に揺れる抜け殻だけが、ペットボトルのいた証。
その抜け殻とて、いつかは消える。
蝉の、氷の、風鈴の、
あらゆる音が、
夏の乾いた空気に響き、
多重に交錯するそのなかで、
「きっとまた、君たちの元へかえってくるよ。」
そんな声が聞こえた気がした。
落ちているには理由がある
落ちている。
バナナの皮が落ちている。
道を歩いていると、よく落ちているものに出くわす。
上を向いて歩こうと言われても、下を向いて歩いてしまうので、落ちているものが目に付く。いつもはたいして気にしていなくても、一度意識したならば、誰しもが落ちているものがたくさんあることに気付く。
道端に靴下が落ちていたり、階段に水餃子なんかが落ちていたりする。
道端に靴下?階段に水餃子?
不思議だ。すこぶる不思議。
そう思わざる得ないけど、落ちているものは、急にわいて出てくるわけでもないので、それなりの理由があってそこに落ちているわけで。
つまり、落ちているものには、それぞれそれなりのストーリーがあるものだ。
あるエライ人はいう、「落し物に因果」。









