ZEN
外国人が知っている日本語第一位が、「ふじやま」や「げいしゃ」でなくて、「(然)」となって久しいこの頃。
今回は「雑然と整然」の話。
雑然と整然、この2つには魅力があって、雑然の力・整然の力というものが存在する。
例えば、
雑然としている部屋には、散らかっている豪快さやだらしなさ
整然としている部屋には、整えられている几帳面さや潔癖さ
を感じることができるのだ。
また、
雑然としているんだけど、当人には整然に感じられる部屋ってのもあって、
一見散らかってるように見えるんだけど、実際は当人の使い勝手の良いところに物が置かれているってこともある。そうなれば、一挙両得の感じさえするほど。
雑然も整然も、しすぎている部分におもしろさがある。
みなさんも「ZEN」を感じてみてはいかがでしょう。
写真
整然としてたはずなんだけど、今は雑然としているキャベツ畑。
親近感を沸騰させる
誰だって恥かしいときは、隠れたくなるもの。
それは、人でも物でも同じ!
街中でよく見かける地面に突き刺さってる銀のやつ、チェーンで仲間同士とつながってたりなんかして、みんなでトウセンボしてるんだけど、通りすがりに「私は何某です。」って話しかけられたこともないし、「君はなんて名前なの?」なんて、聞いたこともなかったし、今まであまり興味を示してこなかったから、名前なんてまったく知らない例のアイツ。適当に言っちゃえば、「棒」。
その「棒」。そいつにだって恥かしいことがあると、こうなる。
決して、マットをかぶされてるわけじゃない。
いやいや、むしろ、自らかぶってるのだ。
そう強引に考えると、名前も知らない「棒」にでも、親近感がわいてくる。









