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ワタシのイエはココから


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必要とされているわけでもなく、意図されているわけでもなく、予期されてもいない。


それが、偶然ということ。

「髪の毛をほったらかしてたら、坊主になりましてね。」



「髪の毛をほったらかしてたら、坊主になりましてね。」

ってなわけもなく、


オシャレ であるかもしれないし、

反省 であるかもしれないし

失恋 であるかもしれないし、

出家 であるかもしれない、



坊主という髪型には、そうしているワケがある。









石に見返りを求めるな



石のことが愛しくて


どんなに語りかけても

どんなに笑顔を振りまいても

どんなに大切に想っても


石。



石は何も感じてくれないし、何の行動も起こしてはくれない。



ワタシは石に興味があるけれど、石はワタシに興味すら持たないのだから。

弁慶の泣き所


「弁慶の泣き所」では、少々古くなってしまったので、
これからは、「ヒョードルの泣き所」にしよう。


でも、強い人って、すねも強そうだ。


と思ってたら、


「アキレス腱」なんて、神話のはなしだ。

カーブ注意



道路にカーブ注意とかいてある。

カーブに気をつけなければ・・・・


なんだけど、



カーブ注意があるのなら、

スライダー注意、するどく曲がるので注意!

フォーク注意 この先、崖。注意!

ナックル注意 この先、風の抵抗によって道がコロコロ変わるので注意!


なんてのもあっていい。


この際だから、注意を中尉に置き換えてもおもしろい。


スライダー中尉。 キレ者な感じがする。

フォーク中尉。 安心感がある。

ナックル中尉。鉄拳制裁されそうだ。



ストレート中尉なんて曲がったことが大嫌い。

カーブ中尉とは犬猿の仲だ。


使い方いろいろ(下)



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時計を漬物石として使ってもいいし、お魚をオブジェにしてもいい。


用途に制限などありはしない。




ただ、

人工のものが、ある目的のために造られているのに対して、天然のものは、(他の)目的のために存しているわけではない。


時計は、時間を知らせるために存在するけれど、魚は刺身や煮つけとなって食されるために存在しているわけではない。

使い方いろいろ(上)


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モノの使い方はいろいろだ。

こう使わないといけないということはない。


コーンを物干し台に、モップを物干し竿にして洗濯物を干す。

ってこともある。



↑ 洗濯物というのは思い込みで、猫用ノレンとして存在しているかもしれないし、芸術作品として展示している可能性だってある。

デカい愛嬌


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天狗の鼻は、デカい。


宇宙人の目は、デカい。


チェブラーシカの耳は、デカい。



一部がデカいと、愛嬌が醸し出される。




ちなみに、

鼻もデカくて目もデカくて耳もデカくて口もデカくて頭もデカくて・・・


っていうのは、ただのデカい人だ。


それはそれで愛嬌がある。

ポジティブな悩みとネガティブな悩み



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嫌いな食べ物があるとして、


それをどうやって食べようと悩むのが、ポジティブな悩み。

それを食べようかどうか悩むのが、ネガティブな悩み。



嫌いな食べ物があるとして、


食べた結果、やっぱり食べなきゃよかったと悩むのが、ポジティブな悩み。

それを食べようかどうかまだ悩んでいるのが、ネガティブな悩み。



挑戦・努力することによってできる悩みが、ポジティブな悩み。

行動するかどうか悩んでいるのが、ネガティブな悩み。


それが、

ここでいうところのポジティブな悩みとネガティブな悩み。

Appealing of 極端


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端っこには、魅力がある。

例えば、20世紀の終わりと21世紀の始まりには、ただそれだけで何ともいえない高揚感があったように。


端っこには、魅力がある。


高と低・小と大・最初と最後といったものも端っこだ。


とっても高い山やとっても低い山には、それだけで足を運ぼうと言う気になるけれど、それ以外の山々には、何かしら由緒がないと注目もしないものだ。


また、


お母さんがスーパーから茄子を買って帰るのは、何でもない日常だけど、その茄子が世界一小さな茄子だったり、世界一大きな茄子だったならば、それだけでもう我が家の一大事件だ。


さらに、


最初に○○した人ってのはどう考えてもすごいし、最後の○○する人ってのもやっぱりすごい。

人類史上最初にスキップした人には無条件に偉大さを感じるし、史上最後のスキップ職人ときくだけで、伝統の終焉を感じるようでものすごく悲しい。




地球最初の生物や地球最後の生物の馬力に比べたら、

中間に生きているボクらなんて、とても取るに足りない存在だ。