すでに、感情表現という意味においては、

日本は、韓国に追い抜かれてしまった感が強い。


それは、俳優の質にも影響を与えている。

【オールドボーイ】という作品に出演している

ユ・テジが、

【春の日は過ぎゆく】の

サンウ役であるとは、

長い間、わからなかった。


全くの別人である。

その時、私は、整形手術をしなくても、

別人になれることを知った。


さて、【殺人の追憶】という映画を観ていない人は、

一応、下の予告編をご覧ください。

こちらが予告篇です。


前のブログでも、書かせていただいたが、

面白い作品というのは、

人物の描き方が、

はっきり、くっきりしていること、

少々デフォルメしているくらいが、

人の興味を引き付ける。


そういう意味では、

この映画の登場人物は、

あいまいな線は一本もない!、

と言い切っても、いいくらいだ。


特に、知的障害で顔や手に大きなやけど跡が残る

クァンホを演じたパク・ノシク。

【ギルバート・グレイプ】で

同じように知的障害者を演じた

レオアルド・デカポリオに関しても、

視聴者の中には、本物の障害者を

出演させていると思っていた人もいたらしい。


このパク・ノシクも、

どうすれば、このような顔つきになれるのか、

まったくもって、素晴らしい。

とにかく、他にほめたたえる言葉がないのだ。


日本でも、障害者の役を演じる場合があるが、

いかにも、「作っています」、

という演技で、気をいれて、

観られない。



何度も申し上げて、

心苦しいが、本当に一人ひとりの人物に

無駄がない。

もちろん、無駄が意味を持つ場合もあるが、

ほとんどの作品は、無駄は無駄だ。


【ガリレオ】という作品を観た。

うーん、ごめんなさい。

湯川何某という人物だけが、

はっきり、くっきり表現されているだけで、

他の線は、あいまいだ。


この人物は、

優秀な物理学者で、

物事を論理的にとらえることにしか興味がない。

人間の感情に、動かされることは、

論理的でないという理由で、

事件解決に、一切考慮しない。


デフォルメは、しているが、

面白いかと言われると、

少なくとも、私は、余りにも

わかりやすいという理由から、

続きを観たいとは思わなかった。

もう少し、人物像に複雑さがほしい。


また、柴崎コウの

品のない声と話し方も、

耳に障る。


(ごめんなさい。

 話がそれました。)


====ここからは、ネタバレになりますので気をつけて===





この作品に対して、

不満な点は、多くの人が感じているように、

犯人が不明な点であろう。

拍子抜けと言う人もいる。


犯人だと誰もが考える人物が登場するが、

最後の最後で、

追い詰めることができなかった。

(この俳優も、歌舞伎役者の女形のような顔立ちで、

 【菊花の香り】や【初恋のアルバム】に出演してる

 パク・ヘイル。)

にじみ出る表情が、小憎らしい。



終盤に、暗いトンネルが続く。

月日が流れ、

用水路を覗き込む一人の男。

また、ここでも、

トンネル同様、向う側に光が見えているのに、

その暗闇でさまよったままである。


その時に小学生の子供の言葉。

「普通の人」


ここには、二つの意味がある。

犯人は、普通の顔をして、

まだ、この世で生きているという事実。

そして、また、普通の人間が

犯人になりうるという事実。


以前、私の友人が、

私に相談にきた。

どうも、盗聴されているらしいというのだ。

そして、その犯人は、

向かいの人物に違いない、と。

ニートで一日中、働かず、

ぶらぶらして、目つきがあやしいというのが、

その理由だった。


私は、「違うと思うよ。」と話した。

「そんなわかりやすい人が、

 そんなことをしない。」

というのが、私の持論だ。


結局、盗聴は、どうやら会社の人で

他の会社の人の家にも、

盗聴器が、つけられていたらしい。

まったく、思いもかけない人物であったと、

彼女は私に報告してきた。


以前にも書いたが、

人の心の中の宇宙は、とてつもなく広い。

ほんの一部しか、表面に現れない。

その、ほんの一部で推し量れるものは、

限られている。






ヤフーの記事で、

【相棒 最高視聴率22.2%】の記事がでた。


寺脇康文が不憫である。

彼が、相棒を去ってから、

高視聴率が続いている。


寺脇康文演じる亀山薫が

相棒に出演しなくなり、

再出演を望む声は、少なくないが、

それとは、正比例して、

視聴率は上がっている。


テレビ朝日が気を遣ってか、

「853 刑事・加茂伸之助」という番組で、

主演として、

復活した。

しかし、もうひとつの内容であった。


「相棒」は、何と言っても、

脚本が、しっかりしている。

実は、「相棒」の人気は、謎解き以上に、

人物の描き方が、

魅力的なのだと、私は考える。


亀山薫と伊丹刑事とのやり取り、

鑑識の米沢守とのトーク、

米沢守の偏ったこだわり、

角田課長との仲のよさ、

岸辺一徳演じる小野田との力関係

(役職的には上であるが、それだけではない)


これらが、きっちり描かれていて、

それぞれ、魅力があり、

飽きさせないのだ。


「853 刑事~」を観て、

(無料動画で何話かのみ鑑賞。)

寺脇康文が画面に出るときは、

総天然色(カラー)であるが、

その他の人物は、すべて、モノクロである。

やはり、役者一人だけで、

番組を引っ張るには、

かなり、無理がある。

寺脇康文以外の人物が、

ほとんど、変わりがない人物像で、

時々、カラーと白黒が混じり、

見にくい。


そういう意味では、

「相棒」は、最初から最後まで、

カラーである。

(非常に感覚的な表現で、申し訳ない。

 理解してくれる人は、理解してくれるでしょう。)


及川光博は、

歌手としても、俳優としても、

泣かず飛ばずの中途半端な立ち位置であった。


そんな及川光博が

「相棒」にレギュラー出演となった。

彼にとっては、

すごいチャンスだろう。


それは、NHKの新撰組で土方役に抜擢された

山本耕史のようだ。

もちろん、俳優としての実力は雲泥の差であるが。。。


山本耕史もそうであるが、

一時は、この番組のおかげで、注目された。

その後、NHKで主役の時代劇を得たが、

残念ながら、その後は、なりを潜めている。


これは、どうしてだろう。

一体、何が影響しているのか。


及川光博にとって、

「相棒」が終了した後が、

本当の勝負どころだ。


そう考えると、

ジョン・トラボルタのすごさが、

思い知らされる。


「サタデー・ナイトフィーバー」以降、

泣かず飛ばずのジョン・トラボルタを起用したのは、

「パルプ・フィクション」のタランティーノ監督である。

これで、注目浴びた

その後の、ジョン・トラボルタの活躍は、

みごとだ。


私も、ジョン・トラボルタが

好きだ。

地味な役も、派手な役も、

存在感を持って、

演じることができる。


また、ジョン・トラボルタは、

タランティーノ監督のためなら、

何でもすると、感謝をこめて話していた。


特に好きなのは、

「フェノミナン」。

地味な映画であるが、

心に残る作品だ。


いずれにしても、

大きなチャンスを与えられた人間が、

それをどう活かすか、

これからが、大事だ。



東野圭吾の「白夜行」は、

私にとっては、三位一体の作品である。


三位一体とは、

 原作

 テレビドラマ

 映画

となった作品である。


この作品は、、テレビを観てから

原作を読んだ。


テレビの残念なところは、

武田鉄也の下手な関西弁だ。

財津一郎や西田敏行と

同じくらい下手である。


武田鉄也は、歌手としては、

成功しなかった。

彼の歌を聞けばわかるが、

一本調子で、うまくない。

多分、耳がわるいのであろう。

それが、下手な関西弁につながる。


けれど、武田鉄也の読解力は、

かなり、深いものがあり、

感服してしまう。

それが、彼の演技力の源と思われる。


「トラの首」のところも、

私は、気になる。

「トラの首」とは、トラの置物で、

首が不安定になっていて、

首を触ると、トラの頭がユラユラとゆれる。

武田鉄也の首も、そのようにユラユラとゆれるのだ。


主役は、綾瀬はるかと山田孝之だ。

山田孝之も、私は、あまり好きではない。

身長の低さと毛深さ、暗く陰鬱な話し方が、気になる。

身長差は、綾瀬はるかと一緒に並ぶと、

皇太子と雅子さまのようだ。

それでも、演技は、うまい。

特にこんな暗い役は、彼に適している。

彼の陰鬱な話し方が、はえる。


背の高い女優も相手を選ぶが、

背の低い俳優も相手を選ぶ。


綾瀬はるかは、美しい。

憂いがあり、

竹久夢二の作品から出てきたような美人だ。


それに比べて、映画の堀北真希は、格段に落ちる。

多分、顔の輪郭がよくないのだろう。

男の人を惑わす顔ではない。

ハリセンボンの箕輪はるかが、

堀北真希に似ていると言っていたが、

非常に納得した。

同じ系統の顔だ。


東野圭吾は、「風と共に去りぬ」の

スカーレット・オハラにこだわりを持っている。

私も、スカレーット・オハラが好きだ。

結局、動くのは、スカーレットのような人間なのだ。


南北戦争のあおりを受け、貧弱にあえぐ実家で

文句ばかり言うだけで、

稼がない妹たちの中で、

大黒柱になるのは、

気が強く、美しいスカレーットだけである。


けれど、スカーレットの容姿と態度は、

反感を買ってしまう。

誰も、スカーレットを理解しない。

本当は、彼女は、情の深い女性なのだ。

間違った愛情であっても、

長い間、一人の人を思い続けて

彼の妻さえも、守ろうとする。

しかし、それ以外の人は、

スカーレットにとっては、

意味のない人間なのだ。


「白夜行」の原作を読んで、わかったことは、

ここから、こんな風なドラマに展開できるとは、

脚本家がすごい。


本当は、主役の女優も、

いかにも気が強そうな、

黒木メイサの方が

適しているように思う。

私が男だったら、

メロメロになってしまう。


ある意味、出会うべきして出会った二人の

悲しい物語であるが、

私が感じるテレビと原作との違いは、

雪穂のとらえ方だ。


原作の方が、もっと雪穂を強い女性に描いているように思う。

人を人と思わない、一つの道具として考える。

スカーレットにとって、アシュレイ以外は、

意味のない人間だったように。






現在は、1話のみ配信であるが、

昨年末は、Gyaoで、

1~7話、数羽限定で

配信されていた。

ちなみにこちらをクリックしてください。


YouTubeでは、

一部、配信されているが、

全話を観たい場合は、

   「Uomo Tiger」

で、検索をかければ、出てくる。

ただし、全部、イタリア語で、

アントニオ猪木もジャイアント馬場も

イタリア語がペラペラだ。


本当に、面白かった。

それで、ツタヤディスカスに予約を入れたが、

なかなか借りることができなかった。


近くのツタヤに行き、

半額のときに、借りるのだが、

いつも、何巻かは、誰かが借りていた。


【タイガーマスク】の特徴は、

デッサン風で描かれていることである。

人物を描かれるときに、

黒いしっかりした線で表現されている。

こういう作風は、アニメでは、珍しい。


一応、子供向けであるが、

最終話などは、特に、陰惨で、

死闘というのに、ふさわしい。


ところで、タイガーマスクこと

伊達直人は、女性を知っていたのであろうか。

もちろん、子供向けなので、

そんな話は、一切、出てこない。

ルックスが、とてもいいので、

もてそうである。

伊達直人の無二の親友の大門大吾も、

女性と付き合う機会はなかったようだ。


これは、私の勝手な想像であるが、

伊達直人が、そういう機会があるとすれば、

アメリカ時代と言うことになる。

ただ、若月るり子の誕生日のプレゼントを買いに行くときに、

「女性にプレゼントを贈るのは、苦手だ。」と

言っていたので、

きちんと、付き合ったことがない可能性が高い。


若月るり子との恋愛感情も強いものではなく、

ほんのりとした感情であった。

それよりは、「虎の穴」という巨大組織と闘うことに

命をかけた。


梶原一騎の作品の中で、他でも有名な

「あしたのジョー」

「巨人の星」

は、個人との闘いであった。

そこが、大きな違いである。


伊達直人の人間臭さも、

また、魅力である。

彼は、自殺を考えたり、

逃げようとしたこともある。

「虎の穴」の刺客に恐れをなし、

眠れない夜もあった。


マンガとわかっていても、

途中で、怒ったり、悲しくなったりする。


「ちびっこハウス」の若月先生は、

一体、何をしているのだ、と怒りを覚える。

彼は、することもなく、

伊達直人の寄付に頼りきり、

院長室で、ゆっくりしている。

子供たちに頼まれて、

タイガーマスクのスクラップを集めている。

妹のるり子に

「お兄さんにそんなことをさせて、ごめんなさい。」

と言われるが、

他にすることがないのだ。


黄金仮面との闘いのときも、

テレビがまぶしいので、

「るり子、カラーをしぼりなさい。」と言うが、

「妹に命令せずに、自分ですればいいのに。」

と私は思う。


大門大吾も、プロレスラーとして活躍する。

リングネームは、「ミスター不動」。

仮面は、不動明王の怖い顔であるが、

服装が、不釣り合いである。

上は、シャツで、肘に布が当てがわれている。

下は、七分丈のレギンスに、やはり膝に布が当てがわれている。

かなり、貧乏くさい。

もう少し、こましな服装をさせてほしかった。


いずれにしても、

まだまだ、これらの活動が続けられれば、

少しは、いい社会になるのかもしれない。






【相棒】を観なくなって、久しい。

年末スペシャルも、観なかった。


一応、及川光博になってから、

3回観たが、

どうしても、受け入れ難く、

それ以来、観るのをやめてしまった。


理由は、簡単で、

主役の水谷豊と及川光博が

サイズの合わない服を着ているのを

観るのがつらかったから。


サイズの合わない服を着て、

窮屈な演技をするのは、

1人でいい。

主役の両方がそのような演技では、

観る方に、負担がかかる。


水谷豊も及川光博も

特徴のある声としゃべり方である。

特に、及川光博は、

まず、ボイストレーニングから

しなおしてほしい。

声が詰まっているし、

棒読みだし、

プロの俳優ではない。


若いころのように、

容姿で売るのは、きつくなっている彼は、

太ってしまい、

顔もむくみ、

その分、目も細くなった。

それであれば、演技に力をいれてほしい。


寺脇康文は、さすがに舞台出身だけあって、

演技はうまい。

亀山薫というサイズの合った洋服を

きちんと着こなしていた。


他のメンバーもしかりである。

鑑識の米沢守

捜査一課の伊丹刑事

「暇か?」課長

サイズの合った洋服を

身につけるだけの、

演技力があった。


サイズが合っていても、

それを着こなせるとは、限らない。

それなりの力が必要になるし、

ましてや、サイズが合わなければ、

相当の努力を要する。


だから、水谷豊を安心して観ていられたのだ。

脇がしっかりしていることが、

肝要である。


また、寺脇康文とは、

いわゆる、凸凹コンビであることに、

面白みがあった。

その典型が、身長差である。

まるで、巨人阪神か、ナイナイの二人のように、

  チビとノッポ、

  アホと賢こ

という図である。


だからと言って、

前に戻せと言うのでない。

新しい形は、新しい形でいい。

私もそこまで、意固地ではない。

しかし、窮屈な洋服を着せるのは、

やめてほしい。


では、相棒として、

誰がいいか、という問題になる。


阿部寛、大沢たかお、

江口洋介、唐沢敏明、

沢村一樹、竹之内豊、

(一応、50音順)、

彼らは、主役クラスである。

少なくとも、及川光博よりは、

演技力は、ある。

その分、水谷豊よりも

目立ってしまう可能性も出てくる。

視聴率は、取れるだろう。


いっそのこと、水谷豊と同じキャラの

船越栄一郎あたりだと、

ムチャクチャで、おもしろいかもしれない。

そうであれば、観ると思う。


あるいは、若返りと意外性と言うことで、

タッキーや

小池徹平

は、どや。



個人的には、

北村一輝を押したいところ。

横山やすしを演じる彼を観て、

私は、横山やすしが生き返ったのでは、

とさえ思ったほどだ。

北村一輝であれば、

洋服に自分の体を合わせることが、できる。


ところで、相棒から学んだことは、何かと言うと、

日本でも、

エルキュール・ポアロや

シャーロック・ホームズのような

ドラマを観たい人が多いということだ。


頭脳派であり、そして、

ポアロには、ヘイスティングが、

ホームズには、ワトソン君という

相棒が必要だということだ。


それが、水谷豊である必要はないと

私は、思う。

水谷豊は、好きだ。

ただ、彼には、彼にしかできない役があるはずで、

杉下右京と言う役柄があっていないということなのだ。



どちらかと言えば、

ポアロの方が、好ましい。

イギリスに暮らすベルギー人で、

「灰色の細胞」という言葉を好み、

チビで、口髭にこだわりがあり、

整理整頓を心がけている。

気障で、それが似合っていない。

時々、嫌味なフランス語が出る。

それらが、ユーモラスで、

笑いを誘う。


ホームズは、神経質なだけという感じで、

重たい。


そろそろ、相棒も終わりにして、

違う形で、

ホームズやポアロのようなドラマを

作ってほしい。