私の友人の平田は、私に話しかけた。
『あの人、加藤のこと、ほんまに好きやで。
 待ってる間、加藤のことばっかり、
 しゃべってたもん。
 見た目も、素敵な人やん。
 今日かて、加藤のために、会社休みはったんやろ。
 なんで、アカンの。
 私やったら、つきあうで。』


私だって、彼を愛せたらどれだけ、いいだろう、と思う。
彼は、私を大事にするだろう。
もちろん、他の女性と深い関係になることもあるだろう。
それでも、私を想ってくれるのに、違いない。
彼は、私にいろいろなことを強いることは、わかっている。
タクシーの乗り方一つ見ただけでも、それは、簡単に想像できる。
それを差し引いたとしても、
彼の強い想いは、私を守ってくれるだろう。
けれど、それは、無理なのだ。


私は、何年か前に好きでもない人と付き合い、
本当に、牢獄につながれているような毎日であった。
その人も、いい家のお坊ちゃまである。
ただ、「線からはずれている」ようではなかった。
小さなときから、私立の幼稚園・小学校・中学校・高校と通い
国立大学に合格して、その国立大学の大学院に進み、
有名IT会社に就職した。
彼にとって、劣等感を感じることは、
一浪したことであった。
おうちは、別荘を持ち、
彼のお見合い相手は、例えば、元阪神タイガーズの監督の娘だったりする。
彼は、それを、冗談で話をしたが、
関西で、相当のおうちであることは、十分、うかがい知れる。
彼は、マスコミに関して、怒りを覚えていた。
彼の姉が離婚して、マスコミがあること、ないこと、書きたてと言うのである。
仮に私の姉が離婚しても、親戚の間では、多少の噂になると思うが、
マスコミは、何の興味も持たないだろう。
つまり、そういう家の長男である。
私は、1mmさえも彼が好きでは、なかったのだ。
酷な言い方かもしれないが、正直な気持ちだ。
私は、そんな気持ちしか持ち得ない人とつきあうべきではなかった。
その彼を、私は、精神のバランスを崩した私の友人に紹介したことがあった。

喫茶店は、その会社から、歩いて5分くらいのところであった。
わかりやすい場所にある。
私が店に入っていくと、ドアが見える位置に座っていた私の友人の平田が、
私に向って、手を上げた。
『加藤(私の名前)、ここ、ここ。』
私は、その席に近づいて行った。
彼は振り向いて、私を見た。
立ち上がり、またしても、私のコートを後ろから脱がせた。
この行為は、私をいたたまれなくさせた。
これは、彼の望む形であって、
私が望むそれではない。
確かに、多かれ少なかれ人間関係においては、
どちらかが、残りの一方の価値観に合わせなければならない。
オーケー、それは、私も理解できる。
けれど、どうしても譲れない点もあるのだ。
私は、本当は、こんなことをして欲しくはないのである。


私と彼は、いすに座った。
『どうやった。』
平田が、私に訊いた。
『うーん。多分、アカンと思う。』
『どうして。』彼が言った。
『仮に合格しても、私は、あそこで、よぉ働くことはできへんと思う。』
『どうして。』彼は、さらに、訊いた。
『人事部長さんが、興味があるんは、私とZさんの関係みたい。
 何回もしつこく、しつこく、訊かれました。
 要するに、私がZさんと深い関係にあって、
 それを利用して、コネを使って、会社に入ろうとしてると思てはるみたい。』
私は正直に答えた。
彼は、怒り出した。
『冗談じゃない。手も握ったこともない女なんだ。』
それは、私に対するあてつけのようにも、私には聞こえた。
これだけ尽くしているのに、手も握らせない。
『ちゃんと、僕の方から、説明をするよ。
 だから、心配しなくて、いい。』
不快感は、彼からは、去らなかった。
結構、顔に出すタイプである。
『いいんです。
 申し訳ないんですけど、このお話、断ってもらえませんか。
 本当に、ごめんなさい。
 仮に入社しても、私もつらいだけや、と思うんです。』
『わかった。
 別の会社をさがしてみるよ。』
『いいです。
 結局、どこでも、そない思われるんです。
 ほんまに、ごめんなさい。』
彼は、黙った。
彼にとって、私が上京することは、大きな喜びであった。
それが、壊れてしまった。
私にしても、彼の努力が実らなかったことは、
本当に申し訳ない気持ちでいっぱいであった。


彼は、気を取り直して、夕食を取りに行こう、と提案した。
私は、断ろうと決めていた。
『ごめんなさい。
 今日は、これでホテルに戻ります。
 何や、疲れました。』
これ以上、一緒にいることは、つらかった。
彼は、残念そうであったが、無理強いはしなかった。
平田も、私の横で、黙って聞いていた。
彼は、レシートを持って、入り口に向った。
その時は、潔かった。
私と平田は、喫茶店に残された。

それから、エレベータに乗って、役員室に入った。
Zは自分の友人に、挨拶をしていた。
私もその人に頭を下げた。
『このたびは、ご迷惑をおかけしまして、本当に、申し訳ございません。』
『いいえ。気にしないでください。
 Zの頼みですからね。
 早速ですが、ウチの人事部長が待っていますから、面接を受けてもらえますか。』
なかなかの好青年である。
Zは、私のその部屋を教えてくれた。
彼が、私のことをその友人にどんな風に説明しているか、私には、わからなかった。
聞いたこともないし、また、聞くつもりもなかった。
聞いたところで、どうなるというのだろうか。


人事部長と言う人は、最初から、私に対して、いい印象は持っていなかった。
そして、私と会うことによって、彼の答えは確信に変わったようであった。
彼は、入社したら、どんな仕事をしたいかと私に訊いた。
しかし、それは、あくまでも、おざなりの質問に過ぎなかった。
私の熱心な答えには、彼にはまったく無反応で、『はぁ、そうですか。』
としか答えなかった。
人事部長が興味があるのは、私とZの関係であった。
『Zさんとは、どういう関係ですか。』
彼は、ジトとした目で、私を見た。
『友人です。』
『どういう友人ですか。』
『うまく説明はできないです。でも、ただの友人です。』
『Zさんも、そう思っていますかね。』
『そうだと思います。』
『そうですか。』
『Zさんとは、どこで、知り合われたのですか。』
私は、かなりうんざりしてきていた。
要するに、この人は、私が女を武器にして、Zをたぶらかし、
この会社に就職しようとしている、そんな風に考えているのだ。
それは、ミエミエである。
けれど、それは、正しいのかもしれない。
他人から見れば、誰だって、そう見えるに違いない。
何だかんだ言っても、私もZの気持ちを利用しているのだ。
『美術館です。』
『ほぉ。美術館、ねぇ。珍しいですね。どんな風に知り合われたんですか。』
『言わないといけませんか。』
『いえ、別に、かまいませんがね。』
私は、自分なりに、自分を抑えていた。

とにかく、Zに迷惑をかけることだけは、避けなければならない。
そして、もう一つ、決心していた。
この会社で働くことは、しないでおこう。
仮に、働いたとしても、かなり、いづらいことは、容易に想像できる。
私が本当にZとつきあっていたとしたら、
多分、この会社で働いていただろう。
たとえ、その会社で、女を武器に就職したと陰口をたたかれとしても、
好きな人と一緒の街で暮らせるのであれば、我慢もできたのだ。

人事部長は、近いうちに、結果をお知らせしますから、と私に告げた。
面接は、終わった。
結果は、すでに、出ていた。
私は、その会社を出て、二人が待つ喫茶店に向った。

何枚かの絵を観た後で、彼は、私たちにお手洗いの場所を教えた。
『僕は、ここで待っているから。』
彼は、壁にもたれかけた。
友人の平田は、歩きながら小声で、私に話しかけた。
『なんで、私がお手洗いに行きたいのが、わかったんやろ。』
『そういう人なんや。』
何から何まで、完璧にこなさないと自分自身が許せないのだ。


面接に行く会社まで、タクシーで行くことになった。
彼は、駅前でタクシーを止めた。
上座である運転席の後ろに、私を座らせようとした。
私に、『どうぞ』と手招きをしたのだ。
私が、タクシーに乗ろうとすると、彼は、私に指示を与えた。
『まず、シートにおしりをのせるんだ。
 それから、両足をそろえて、ゆっくり中に入れる。』
私は、彼の顔を下から眺めた。
「やれやれ、マイフェアレディアか。」
もし、オードリと私に共通点があるとしたら、
背が高く、やせているという点である。
身長169.5cmで、体重50kgちょっとという私は、やせっぽっちであった。
(今は、だんだん太ってきて、一年中、ダイエッターである。)
けれど、この私の体型も、きっと、彼の好みであったのだ。
彼は、太い女性を、好まない。
そんなことは、口にしたことはないが、多分、そうだろう。


彼は、平田には、私の隣に座るように、勧めた。
彼は、私の友人には、座り方については、何も言わなかった。
そして、彼は、助手席に座った。
面接は30分ほどで終わる予定であるから、
Zと平田は、会社の近くの喫茶店で待っていてくれる、
と言うのである。
悪い、と私は言ったが、二人は同意してくれた。
待ち合わせの喫茶店で、まず、私の友人を降ろした。
それから、私と彼は、その会社に向った。
会社に入ったときには、さすがに、私は自分でコートを脱いだ。
彼は、すでにその会社の役員となっている自分の幼なじみに挨拶をすると言う。
会社の前について、受付で、手続きをした。

バーテンダーの人たちは、グラスにお酒を注ぐときに、
グラスの底から、指一本分、指二本分を、
ワンフィンガー、ツーフィンガーと注文を受ける。
それとは、別に、女性の大事な部分の大きさや深さを表すときに、
ワンフィンガー、ツーフィンガーと表現するのだ。
『この女は、ワンフィンガーだ。』とか、『あの女は、ツーフィンガーだ。』
という具合である。
「花電車」については、ここでは、詳しく説明はしない。
「花電車」とは、電車をきれいな花で飾り、
お祭りなどで使う。
「花電車」は、見るだけで乗れない。
これが、ヒントである。
「花電車」は、だれでもが簡単に見れるものでは、ない。
それなりのルートが必要みたいである。
私には、そんなルートはないし、参加することは、できない。

私は、あくまで知識だけの人間である。


けれど、お金持ちで遊び人の彼が、そういう場所を訪れないはずはない。
ただの放蕩息子ではない。
彼の趣味趣向は、大体、わかる。
私が思っていた通りだった。
何度も言うが、彼が私に特別な感情さえ持っていなければ、
私たちは、いい友人になれた。
私は、彼の人間性にとても関心があったのだ。
彼だって、気楽に私に話をできただろう。
私も、彼から興味深い、いろいろな話が聞けたはずだ。
そんな人とめぐり合う機会は、そんなにたくさんないのだから。
何度も言うが、私が興味を抱いたのは、
彼の人間性である。