ライブドアがマスコミで騒がれているときに、あるテレビ番組で、ドランクドラゴンの塚地が、その容姿が当時の堀江社長と似ているところから”ツカエモン”と称して、ライブドアに訪れた。そういう企画である。

 そして、ある会議に出席することになった。当時、占いがはやっていたので、ライブドアでも占いのサイトを作るというのである。その企画会議に出席して、いいアイディアを出して欲しいという要望だ。

 そこで、ライブドアのリーダーがツカエモンに紹介された。30代前半の彼は、ツカエモンを会議室に連れて行った。長机がある会議室に何人かの社員が集まっていた。そのリーダーの名前は忘れてしまった。しっかりした口調で話す。だからと言って仕事ができるわけではない。

 けれど、テレビ番組に出演させるくらいである。ライブドアとしては、自信があったのであろう。


 その会議で、どんな占いがいいか、話し合うことになった。ツカエモンは『台所占い』と提案した。鍋やフライパンに例えるという。その意見は、却下された。私もそれは、はやらないと思う。次にツカエモンは、『微生物占い』と提案した。ゾウリムシとかに例えるというのである。

 ライブドアのそのリーダーは、馬鹿にしたように笑い、またしても、却下した。

 別の出席者の女性が、自分の意見を話しはじめた。

 『ポケモンみたいにキャラクター占いは、どうでしょうか。』

 『ポケモンは、著作権があるからダメだ。』そのリーダーは、却下しようとした。

 『だから、ライブドア独特のキャラクターを作るんです。』

 『どんな?』

 会議は切迫してきていた。ツカエモンは居ずらくなって、そっと会議室を抜け出した。

 そして、廊下でカメラに向って、ささやいた。

 『○○さん(そのリーダーの名前)は、頭が切れます。』

 すっかり、ライブドアに踊らされていた。あるいは、そんな振りをしていた。


 私は、そのテレビ番組を観て、ライブドアは、ダメだと判断した。

 私の友人で、その頃、ライブドアの株を何口か買っていた女性がいた。私は彼女にその番組の内容を話した。彼女は、何故、ライブドアがダメなのか、わからない、と不思議がっていた。

 私は、説明した。

 一つ目の理由。

 レトロな占いであれば、”動物占い”や”回転寿司占い”がある。が、すぐにすたれてしまった。今、はやっているのは、細木和子や江原何某という人たちだ。なぜ、彼らの占いがもてはやされるのか。彼らの占いには、リアリティがあるからである。

 人々が求めているのは、オチャラけた占いではない。混沌とした世の中では、こういう人が求めてられる。もし、以前の”動物占い”のような面白みだけの占いであれば、キャラクターではダメなのだ。

 二つ目の理由。

 『微生物占い』は、なかなか、面白い。さすがは、お笑い芸人である。

 人間心理として、自分より優れた人間よりも劣った人間と比べたがる。特に私は関西に帰ってきてから、それが身に沁みた。東京に住んでいたときは、感じなかった。

 関西に帰ってきて、私の周りの人たちは、勉強できない理由として『時間がない』と言い訳した。

 東京に住んでいたとき、私は、夜中の1時頃から勉強しはじめた。仕事で残業まみれだったので、その時間しかできなかったのだ。さらに、外資系の銀行で働いていたときは、他の人たちは、お昼休みに勉強していた。決して、『時間がない』といういいわけは言わなかった。

 そして、次に、『○○さんより、マシ。』と言うのが言い訳の理由だった。

 引きこもりの子の祖母は、『暴力を振るわないだけ、マシ。』と話した。他の人も、自分の同僚の仕事のできない人を引き合いに出して、常に、自分の立つ位置を優位においていた。自分自身をかばう必要があるのだ。人は誰でも、自分よりできない人間と比べることにより、気持ちを楽に持つことができる。


 そういう意味では、ゾウリムシやのカビやのと言った微生物は、うってつけなのだ。

 『俺は、カビだったけど、お前、何?』

 『俺、ゾウリムシだよ。』

 何て、笑いあうことができる。『カビより、ゾウリムシの方がマシだ。』とか、あるいは反対に『ゾウリムシであるくらいなら、カビの方がいい。』と。”今週のゾウリムシのあなたの運勢”というのも、なかなか乙である。

 しかしながら、そのライブドアのリーダーは、即座に却下してしまった。一考の余地もないのだ。このレベルの人を代表として出演させている会社である。層が浅いのがわかる。

 しばらくして、その友人から、電話がかかってきた。『買った値段より、ちょっとあがった時に、すぐに売ったわ。』と。


 ライブドアのホリエモンが逮捕された。ライブドアの株を買っていた彼女が一緒にご飯を食べようと声をかけてきた。

 『あのときに、テレビ番組の話を教えてもらって、助かったわ。』



 私もある占いを考えた。それを開発して、公開すれば、今よりは、たくさんの人が訪れるだろう。けれど、その内容は、余りにもえげつないので、公開しても、削除される可能性がある。やめておこう。

 大分県の教員採用において、不正が行われていたという事件である。


 私の友人は教師がきらいである。彼女は言う。

 『特に小学校、中学校の教師は、常に自分より年齢も知識も経験も下の人間を相手にしてる。だから、自分が一番偉い、と思い込んでいる。口調も命令調になる。

 例えば、私たちの時代って、職員室を当番制で掃除させられたでしょう。普通、自分の職場は自分が掃除するもの。それを、生徒にさせてる。しかも、生徒が自主的に先生のために掃除したい、と頼んだわけではない。

 ろくなモンんじゃない。』


 私は、パソコンのインストラクターをしていたときに、受講者の方が『先生』と呼びかけると、必ず、こう言った。

 『先生、と呼んでくださらなくても、いいです。”○○さん”(私の名前)と、呼んでくださいね。昔の川柳にありますでしょう。”先生、と呼ばれるほど、馬鹿でなし”って。』

 それを聞くと、受講者は、クスと笑い、私を名前で呼んだ。休み時間に、受講者の人が私のところにやって来て、話しかけた。

 『インストラクターの中には、”先生”と呼ばないと、いやな顔をする人がいるんです。』と。


 家の近所の人で、元小学校教師の女性がいる。いやな人である。常に命令調で、自分が中心で、チヤホヤされないと気がすまない。人が手伝っても、『もう、いいわ。』と、ありがとうも言わない。典型的な教師である。どうしても、好きになれない。


 教師、医師、弁護士、政治家。『先生』と呼ばれる人たちは、仲間同士でも『○○先生』と呼び合う。何かしら特権階級の人たちの馴れ合いを感じてしまうのは、私のひがみだろうか。

 オバマ氏が大統領候補になった。その報道に対して、いつもニュース番組で『黒人初、黒人初』と連呼していたが、私は、不思議でならなかった。一応、報道番組である。ある人から、『黒人』と言う名称は、言ってはいけないと言われた。


 東京のマンションに住んでいた時に、同じマンションに住む60代の女性から、呼び出しの電話がかかってきた。彼女は、玄関にいると言う。私たちが住んでいたマンションは、ロビーさえも誰でもが簡単に入れないシステムだった。住人の許可を受けている人物か、そのマンションの住人以外は入れない。

 仮にその女性の名前を田中さんと言う。田中さんは、私にこう言った。

 『私は今、玄関にいるんやけど、黒人の人がな、私と一緒にマンションに入ろうとしてるから、止めたんや。そしたら、文句言うてな。玄関でもめてる。来て欲しい。』

 田中さんは、関西出身で、私といるときは、関西弁になる。

 私は、走って玄関に急いだ。そこには、180cm以上ある黒人と田中さんが立っている。二人はにらみ合ったままだ。そこへ、私がやって来たので、その男は、一瞬、ひるんだ。そんなに気が強いわけではなさそうだ。田中さんは、私の顔を見ると、ロビーに入って来た。男は、ドアの向こうでたたずんでいる。それでも、こちらをにらみつけたままだ。

 『私が"黒人"や言うた、言うて、また怒りだしたんや。"黒人"という日本語だけは、わかるらしいわ。』彼女は私にそう言った。

 そう言うと、彼女は、玄関のドアに向って怒鳴った。

 『そっちが、黒人やったら、こっちは、イエローモンキーや。ふん。』

 私は、笑ってしまった。


 この話を別の友人に話したところ、彼女は逆に怒り出した。

 『そしたら、どう呼べと言うのよ。ひどい呼び方で呼んだわけではないやん。』

 私は、答えた。『”アフリカ系何何人”って、呼ぶんや。』友人は、『ふーん。』と一応、納得した。


 ところが、今回は、オバマ氏のことを”アフリカ系アメリカ人”と、呼んでいる報道局はひとつもない。不思議である。さらに、アフリカ系の女性は、どんなファンデーションを使うのか、私は見てみたい。私たちのような黄色人種が使うファンデーションは、大体、市販されているので、わかる。白人の人も、多分、私たちの使うファンデーションのピンク系の薄い色ではないか。けれど、アフリカ系の人が、ピンクやオークルのファンデーションを使うと顔だけが真っ白になり、変な風になってしまう。彼女たちの肌色もまちまちである。一度、みてみたい。あるいは、ファンデーションは、使わないのだろうか。


 それと、耳の肌である。顔や手や足は、紫外線によるシミができてくるが、耳の肌にシミができている人をみたことがない。私も耳にはシミがない。耳に紫外線カットのケアはしていないのに。これも、不思議である。これを何かしら応用して、私たちの肌を紫外線から守る方法は、ないだろうか。

 好評だった『家政婦は見た』シリーズが終わった。

 私は、割りにサスペンス劇場に詳しいといわれるが、別に詳しいわけではない。実際、連続ドラマがおもしろくなくなったので、読みきりの2時間番組のサスペンス劇場を見ることになる。面白くって、みているわけではないのだ。

 何年か前に韓国から留学してきた女性が私に質問した。

 『日本のドラマは、どうしてあんなに人が殺されるのですか?』

 私は、答えることができなかった。毎日、どこかの局で再放送を含めると、必ず、放映されるサスペンスドラマを言っているのだろう。


 私が好きなシリーズは、『監察医 室生亜季子』やら『弁護士 高林鮎子』のシリーズである。なぜなら、出演者たちの容姿の変化が少ないからである。

 例えば、『監察医 室生亜季子』の浜木綿子、左とん平、すまけい。十数年年前の映像を見ても、変わらない。

 『弁護士 高林鮎子』の真野あずさ、橋爪功。この二人も変わらない。だから、物語に集中できる。

 片平なぎさは、余りにも、変わりすぎていて、とても、観ていて痛い。池上季実子もそうだ。若いときの再放送を観ていると、『こんなに変ってしまって。。。』と悲しくなってしまう。


 また、『十津川警部』シリーズも、TBSとテレビ朝日と2通りがある。

 TBSは、渡瀬恒彦と伊東士郎。テレビ朝日は、高橋英樹と愛川欽也。渡瀬が演じる十津川警部は、女性にもてる。関った女性は、彼に参ってしまう。ところが、何年か前から渡瀬恒彦はわかりやすいカツラをつけるようになってしまった。私がある人たちの前でそのことを言うと、隣の女性が私の腕をパンパン叩いた。『その通り、その通り。』と。

 私は続けた。『もっと、いいカツラをつけたらいいのに。お金があるんやから。』そのわかりやすい、ちょこっとのけただけのカツラの十津川警部を女性が『ステキー!』とは、言い難い。物語が空々しくなってしまう。

 ある時、この十津川警部シリーズに、大原麗子が出演した。元夫婦の出演だ。それが、また、怖かった。

 大原麗子がでてくるシーンの全てに大げさなモヤをかけていた。私は最初、自分の視力がまた、下がったのかと疑ったのだが、彼女以外のシーンがちゃんと写されている。しかも、その大げさなモヤを通してさえも大原麗子の容姿の衰えぶりは尋常ではないことが、わかった。そこまで、するくらいであれば、出演を見合わせればいいとおもうのだが、それは、私には、わからない。

 渡瀬恒彦がカツラになってから、伊東士郎の渋い演技がいぶし銀のような輝きを見せるようになった

 テレ朝の方は、どちらかと言えば、十津川警部よりも相棒の亀さんこと愛川欽也の方がメインになっていて、どちらかと言えば地味なつくりである。


 サスペンスも大体、出演している俳優の格で、犯人が誰かわかる。私が以外なのは、サスペンスの最多出演者が小野寺昭だということだ。そう言われれば、主役ではないが、よく出演している。

 そんな訳で、2時間サスペンスもさほど、興味があって観ていることではない。

 特に最近は、YouTubeで音楽を聴いたり、お笑いを観る機会が多い。あるいは、DVD。


 もし、一つだけ、再放送していほしい2時間サスペンスは?と問われたら、それは、土曜日・テレ朝の宮部みゆき原作の【火車】である。

 このドラマは、よくできていた。普通、映像が原作を超えることは、非常に少ない。なぜなら、原作を読んでいるときは、それぞれの読者が異なったイメージを抱く。そこが、漫画との大きな違いである。漫画はすでに主人公の顔や体型が絵として残っている。小説は違う。十人の読者がいれば、十通りのイメージが出来上がる。だから、映像化されたときに、ほとんどの人がガッカリする。

 【火車】は、原作も読んだが、映像の方が、私は優れていたと感じた。

 サスペンスも毎回、これくらいの作品を作ってくれると、楽しみにして観られるのだが。

 

 今年、”販売士”検定の更新のための講習会を受講した。

 そこで、担当の講師が日本人の収入に対して、次のように言った。

 『現在、日本人の収入は、M字型になっている。年収150万円以下と富裕層と呼ばれる年収700万円以上が増加したのです。』

 要するに格差である。

 私は現在、年収150万円以下である。今までの貯金を食いつぶしている。そうでなければ、暮らせない。この貯金が底をつけば、どうなるか、わからない。

 できるだけ、人に迷惑をかけたくないので、何とか生きる道を探さなければならない。


 販売士の受講内容に戻ると、講師は、『物の値段を上げることを怖がってはいけない。』と言う。いくら、工夫をしても、限界があると。私も同感だ。

 けれど、実際は、そうは、いかない。私はネットで商品を売っているが、仕入先の価格は、上がっている。けれど、ネットでは、競争が激しく、価格をどんどん下げなければ、購入してくれないのだ。

 顧客は正直で、価格をぐっと下げると、やはり、購入者は増える。それでも、『いくらにして欲しい。』とさらに価格を下げる要求をしてくる人もいる。それを全部、きいていれば、私は破産してしまう。

 私も、500円のTシャツも買えない。そんな生活はここ数年、続いている。1年半前にタイに行ったのも、付き合いと、それプラス商品の仕入れができないかと行ったのだが、結局のところ、空振りに終わった。


 給料は上がらないのに、物の値段が上がる、と言うのは、戦後初めてだそうである。

 近所のスーパーで、以前は「日清のお好み焼き粉200g」は105円であった。今は、138円である。実に30%以上の値上げである。

 近所のケーキ屋で、1ホール525円のチーズケーキが、630円になった。売れ残りが目立つ。

 お好み焼き粉は、100円ショップで同じものが105円である。いつもは、スーパーで購入していたものが、100円ショップで購入する。ちょっと遠回りになっても、この差は、大きい。

 12日と13日は、マクドナルドでハンバーガーを買うと、無料券が配られるという。以前は、近所のマクドナルドがあったが、現在は、ない。20分くらい歩いたところに、マクドナルドがあるので、行って見ることにする。


 けれど、本当のところ、こんなことが経済をますます冷え込ませる。悪循環だ。