大分県の教員採用において、不正が行われていたという事件である。


 私の友人は教師がきらいである。彼女は言う。

 『特に小学校、中学校の教師は、常に自分より年齢も知識も経験も下の人間を相手にしてる。だから、自分が一番偉い、と思い込んでいる。口調も命令調になる。

 例えば、私たちの時代って、職員室を当番制で掃除させられたでしょう。普通、自分の職場は自分が掃除するもの。それを、生徒にさせてる。しかも、生徒が自主的に先生のために掃除したい、と頼んだわけではない。

 ろくなモンんじゃない。』


 私は、パソコンのインストラクターをしていたときに、受講者の方が『先生』と呼びかけると、必ず、こう言った。

 『先生、と呼んでくださらなくても、いいです。”○○さん”(私の名前)と、呼んでくださいね。昔の川柳にありますでしょう。”先生、と呼ばれるほど、馬鹿でなし”って。』

 それを聞くと、受講者は、クスと笑い、私を名前で呼んだ。休み時間に、受講者の人が私のところにやって来て、話しかけた。

 『インストラクターの中には、”先生”と呼ばないと、いやな顔をする人がいるんです。』と。


 家の近所の人で、元小学校教師の女性がいる。いやな人である。常に命令調で、自分が中心で、チヤホヤされないと気がすまない。人が手伝っても、『もう、いいわ。』と、ありがとうも言わない。典型的な教師である。どうしても、好きになれない。


 教師、医師、弁護士、政治家。『先生』と呼ばれる人たちは、仲間同士でも『○○先生』と呼び合う。何かしら特権階級の人たちの馴れ合いを感じてしまうのは、私のひがみだろうか。