『たかじんのそこまで言って委員会』で『ニャーゴ』というお話について、論議されていた。

 言うまでもないが、ひとつの現象に対して、いろいろな見方が存在する。「みんな仲良く楽しく」私も、それを望む。誰もが幸せになるということは、とても、いいことだ。


 【マトリックス】の映画が、最近、テレビ放映された。何度もこの映画をテレビで観た。

 私が一番、印象に残るのは、ネオとマットリックスの設計者のやり取りだ。マトリックスの設計者は、最初、完璧な世界をつくりあげた、と話す。けれど、それは、人間が望まなかった。そこには、悪が存在しなかったから。

 私は自己嫌悪によく陥る。その沼は深く、足はなかなか抜けない。一つのことにこだわりすぎるのだ。視野が極端に狭くなり、ぐるぐると同じところを回ってばかりいる。こんな世界は、ない方がいい。

 それこそが、マトリックスの設計者が作った世界なのだ。

 それが、どんな世界なのか、私には、想像がまったくできない。

 人間の感情の喜怒哀楽のうち、喜楽だけがある世界。怒哀がない世界。我々は、いくつかの感情を失うことになる。

 ところが、真のところで、我々はそれを拒否したというのが、マトリックスだ。


 私は、落ち込むと宮本輝の『避暑地の猫』を読む。昨日も読み上げた。この本は、すでにボロボロになりつつある。いつもながら、彼の文書のうまさにうならされる。そして、何よりも彼が人間の業の深い部分をきちんと理解して、正確な文章で表現できることに、深い感銘を受ける。ここに出てくる登場人物たちは、それぞれ、我々のある部分を凝縮した形で具象化してある。汚い部分も、そして、美しさも。

 この本を、私は友人に薦めた。彼女から、メールがあり、いろいろと考えさせられた、と書いてきた。

 我々は、渦中にいるとき、冷静に自分の心を分析することは、かなり難しい。そんなときに、私は、この本を手に取る。第三者的にみることにより、冷静な状態に戻そうとするが、それでも、できないことの方が多い。人間の心の中の何と不可解なことか。それでも、付き合っていかなければならない。この不可解な世界と。

 敬称略にしています。


 最初に視聴者やテレビ関係者に目につくためには、スタイルを決めた方が楽である。

 例えば、小島よしお。下着姿1枚で、『そんなの関係ねぇ』と繰り返す。正直言うと、何がいいのか、わからない。けれど、記憶に残りやすい。こんな例を挙げれば、きりがない。波田陽区も、ギター侍と称して、着流しの着物姿で、『残念!』などと叫ぶ。ヒロシも、まるで【サタデーナイトフィーバー】のジョン・トラボルタが着ていたようなスーツ姿で、甘いBGMを流し、貧乏ネタを話す。最もわかりやすいのが、ハードゲイである。特殊な服装を着て、腰を振り続ける。ある番組でビートたけし、『芸でも何でもないじゃん。』と言っていたが、その通りである。しかし、奇をてらった動作は、何度も言うが覚えやすいし、特にこんな単純な動きは、子供に受ける。また、お笑いと言う世界が奇をてらった動作を好む。力技である。


 しかし、次が問題である。世の中に出るために、スタイルを決めた方が楽であるが、そのネタは、2番目のネタで、1番目のネタは、次のために、残しておく必要がある。視聴者は、飽きやすい。だから、消えていくのだ。


 例えば、ダウンタウン。彼らには、スタイルがない。浜田が高級なカジュアルスタイルで、松本がスーツ姿。これは、別に逆でも、かまわない。彼らの笑いの質には、何ら影響がない。

 島田紳助。スーツ姿が多いが、特に決まった言葉を繰り返すわけでもない。特徴を言えば、経済ネタが強いが、彼が持っている才能のほんの一部に過ぎない。

 彼らは、スタイルがないのだ。スタイルを決める必要もない。それは、何故か。力があるから。


 クリームシチューの上田は、司会をよく勤めている。彼は、博学を売りにしている。多分、彼の司会は、視聴者もスタッフも安心して観ていられるだろう。けれど、それが、おもしろいかと問われれば、答えはノーである。

 すでに引退してしまったが、博学のお笑いとして上岡龍太郎がいた。上岡も司会が上手かった。

 けれど、彼は霊感商法というものに、かなりのこだわりを持っていた。YouTubeでも映像が残っているので、興味がある人は観てほしい。『探偵ナイトスクープ』では、そのことで怒り、途中で帰ってしまった。司会は、上手いが、何を言うかわからない、そんなおもしろい、ワクワクしたものを持っていた。特に、彼の正義感は、日本人のそれとは、かけ離れていた。私は彼から、学んだことがあった。それは、また、別の機会で書きたい。

 上田には、それがない。ただ、視聴者とスタッフを安心させるだけ。あるいは、逆に言えば、安心して任せられるお笑いの人材が不足しているということなのだろう。


 お笑いにも、ただ、単純な動きだけではなく、情緒が必要だと私は考える。最初は、いい。単純な動きは、目をひくから。お笑いでも残っている人は、情緒を含んだ笑いがある。スタイルを決めて、今、テレビに出ているお笑いの人たちも、ここを打破して欲しいと、切に願う。

 【セブン】の映画で、次のようなシーンがある。

 モーガン・フリーマンが連続犯罪の容疑者がみつかったので、捕まえに行こうとするときの台詞である。

 『こいつは、犯人ではない。』

 『何故だ。』ブラピが尋ねる。

 『こいつには、奥がない。』

 七つの大罪に沿って連続犯罪を繰り返し、ダンテの『神曲』や『失楽園』を読み、ある一定以上の教育がある容疑者。そして、モーガン・フリーマン自身も、奥があるということだ。

 秋葉原の殺人事件の容疑者は、誰が見ても奥がない。計画性があると言われているが、小学生の遠足並の計画だ。「○月○日、遠足。○時に校庭に集合。おやつ300円まで。雨天中止。」この程度の計画性である。


 だからと言って、奥がある犯罪がいいと言っているのではない。犯罪のタイプである。


 宮崎勤の死刑の執行が行われた。彼の映像を見ると、その無表情さに改めて、驚きを覚えた。私の周りにも、無表情の人たちがいた。コンピュータの世界に生きていると、仮面のような無表情な人間と接する。

 病院で働いていたときに、情報システム部に、やはり無表情の青年がいた。何人かの医師は、私の顔を見ると、彼のことを訴えた。

 『何を言っても”はい、はい。”ばっかりで、無表情で、怖い。気持ち悪い。』こういう声だ。反対に、私は、自分が無表情でないことがわかった。安心した。

 病院という場所は、特殊なところである。

 患者は、不安な気持ちを抱き、やって来る。不本意なヤマイになり、怒りに似たものを覚えたり、落ち込んだりする。あるいは、助からないと思っていたのに、医師に助けられたと思い、何度もお礼を言い、泪を流す。

 とても、人間らしいところである。『ドラマ人間模様』である。だからこそ、なおのこと、無表情の人間に敏感になる。

 私は以前のブログで、精神病には量と質があると書いた。

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 宮崎勤と神戸の酒鬼薔薇に対しては、質的なものを感じる。あくまで、私個人の感覚なので、誤解をして欲しくない。


 1年半前にバンコクに行ったときに、イスラエルの男性と喫茶店で同席した。その喫茶店は、席がいっぱいで混んでいた。向かいに座ってもいいか、と声をかけられ、私は『どうぞ。』と答えた。彼は、私に質問した。

 『日本は、変わったと僕の日本の友人が言っていた。本当ですか?』

 『はい。』私は、拙い英語で彼に話した。親が子を殺し、子が親を殺す。あるいは、兄弟身内による犯罪が増えた、と。彼は、それは、2、3年に1回くらいでしょう、と私が大げさに言っていると思っていたようであった。

 違うことを私は説明しなければならなかった。

 彼は信じられないと答えた。

 『僕たちは、確かに、パレスチナと戦っている。けれど、それは、自分たちの家族や同じ国の人を守るために戦っているんだ。』


 また、私は、以前に医大生と付き合っていた。彼は、最初の解剖の時に吐いて、その後、何度も首無し死体に追いかけられる夢に悩まされたと話した。これが、本当なのだと思う。けれど、犯罪のニュースを見ていると、簡単に人をバラバラにする。


 我々は、一体、何と戦っているのだろうか。そして、何を求めているのだろうか。


 原作は田辺聖子の短編小説である。あれだけの短い小説を、これだけの作品にまとめたことを、感心する。何よりも、出演者全員の関西弁に違和感がないのがいい。

 先日も、東野圭吾作【白夜行】のドラマを観たが、武田鉄矢の関西弁に閉口した。【白い巨塔】の西田敏行と同じ位にひどかった。特に地方のなまりを使用する場合、役者の選考はとても大切だ。この場合は、関西弁が気になり、物語に集中できない。変な関西弁は非常に耳障りなのだ。

 その点、この映画の主演者は自然な関西弁であり、原作のよさも失わずに、最後に残る感情も潔い。


 妻夫木 聡演じる大学生の恒夫は、ふっとしたきっかけで障害を持つジョゼと彼女の祖母と知り合う。それから二人の関係が始まる。妻夫木 が飄々として、何に対しても執着心を持たない恒夫を普通に演じているところが、とても、いい。そんな彼がジョゼに対して、愛情を抱く。不思議なことにそれが決して同情から発したものではないのが、わかる。

 ジョゼは、本当は違う名前であるが、サガンの小説からジョゼと名乗る。現実の中で生きるにはつらい立場にあるジョゼがジョゼと名乗ることで、彼女が実は夢見る少女であることがわかる。居丈高な言葉も彼女が傷つかないための砦なのだ。私にはとても理解ができる。

 繊細な神経を持つ人間には、2つの種類に分かれる。一つは、その繊細さをそのまま表に出しているタイプである。例えば、戸川純のようなタイプ。壊れそうな神経を持っていることが、すぐわかる。もう一つは、それを必死に隠そうとしているタイプである。例えば、やしきたかじん、のようなタイプ。彼の言葉は、常に喧嘩ごしであり、人を厳しく非難する。しかし、彼の言葉の内容を考えれば、非常に繊細な神経な持ち主であることがわかる。

 この2つの違いは何か。

 そのまま、表に出しているタイプは、それを隠す術を知らないのだ、と思う。世の中が怖くって、ただ、震えているだけなのだ。自分をどんな風に守るかわからないために、自分の殻に閉じこもる。

 居丈高に見せるタイプは、傷つかないために、最初に強い自分を見せる。私は、こちらのタイプだ。繊細な神経を持っていることを見せるということは、傷つけてください、といわんばかりである。


 続きは後で。

 私には弟がいた。交通事故で25歳の若さで亡くなった。12月の寒い夜に事故に遭った。隣の府県で働いていた弟のために両親と私と姉夫婦は病院に駆けつけた。弟はすでに結婚をしていて2歳になるかならないかの子供がいた。弟は手術中であった。何時間も待合室で私たちは待っていた。手術室から出てきた医師に義理の兄が状態を尋ねた。医師は首を横にふり、非常に危ない状況だということを伝えた。母は、『アァ。』と小さい声をあげて、顔を手で覆って泣いた。

 弟は、集中治療室に運ばれた。私と両親は、患者の家族用の待合室で過ごすことにした。姉夫婦と義理の妹は帰ってもらうことにした。

 翌日、弟は静かに寝ていた。術後は、弟は苦しみで暴れていたのだ。私は勤め先に事情を話し、会社を休ませてもらった。家は商売をしていたので、両親は休みをとった。姉は、私たちのために着替えを持ってきてくれた。義妹と姉は、夕方になると帰っていく。私と両親は、病院に泊まりこんだ。

 私は弟をこの病院で死なすわけにはいかなかった。そこで、その府県の国立大学附属病院に頼みに行くことに決めた。午後から私一人で出かけた。私はバスを何回か乗り換えて大学病院に向った。バスの中で私は何度も泣いた。弟がかわいそうで、かわいそうで、たまらなかった。どこをどう行ったのか、私は思い出せない。大学病院内を歩き回り、脳外科の教授室の部屋のドアを何度もノックしたが返事がない。諦めて、助教授室の部屋のドアを叩いた。部屋から助教授が出てきた。私は彼の顔を見るなり、また、自然に涙があふれた。その助教授は部屋に招き入れて、事情を聞いてくれた。

 弟が苦しみで暴れなくなったことを話すと医師は、あまりいい傾向ではないと話した。そして、『もし、つれてこれることができるのであれば、うちの病院で引き受けましょう。』と約束してくれた。彼は自分の名刺の裏に直筆のサインをして印鑑を押し、『これを今の病院の担当医に見せてください。』と私に名刺を手渡してくれた。『大丈夫。気を強く持ちなさい。』と彼は、慰めてくれた。

 私は、一縷の希望ができたと感じて、来るときとは違う足取りだった。病院に戻り、ことの次第を話した。母は喜び、助かると言った。


 けれど、話はそんな簡単ではない。担当医師は、私が大学病院の助教授の名刺を見せると明らかに不愉快な顔をしていた。私たち家族の勝手な行動に憤りを感じていたのだ。私たちはこのあまり評判の芳しくない病院に弟をおいておきたくなかった。担当医師は、事務的に言った。『搬送中の救急車の中で万が一のことがあっても、責任は負いませんよ。』

 私たちは部屋を出た。父は私を廊下で呼び止めた。このことは、母に言うなと口止めした。私も喜ぶ母の気持ちに水を差すようなことはしたくなかった。そして、父は私に相談した。万が一のことがあっても、かまわない。大学病院に運ぼう、と。二人で決めよう、と。けれど、私は躊躇した。下を向いて、『けど、ほんまに、万が一のことがあったら。』それ以上、言えなかった。父は黙った。まだ、20代の私には、余りにも重過ぎる責任を押し付けようとしていたのだと感じたのだろう。姉はこういうことには、頼りにならない人だった。

 母には、弟の容態が安定したら、運んでも大丈夫だと言われたと嘘をついた。


 結局のところ、弟はその病院で亡くなった。

 私に後悔が残った。弟を無理をしても大学病院に運ぶべきだったのだ。けれど、救急車の中で弟がなくなっていたならば、また、別の後悔が残る。いずれにしても、私には後悔だけだった。

 それから、私たち家族には長い間、地獄の日々が続いた。

 私は、世間と自分との間にうまく距離感を取ることができなかった。まるで強い乱視のような感じであった。そこに物があって、手で取ろうとしているのに、実際には目に見えるところにはない。もっと、右奥にあるのに、私には距離感がつかめないのだ。

 夜中にふと起き出して、『弟は、もぅこの世にいないのだ。』と思うとさめざめと泣いた。そして、馬鹿げたことを祈った。弟が生き返るように、代わりに私が死ぬように、と。そんなことは無理なことなのに。


 この映画のフランクも私同様に二つの後悔に苦しんでいるのではないだろうか、と私は考える。フランクとマギーは擬似家族であった。赤毛のアン、マシュ、マニラのように、本当の家族以上に家族だった。

 大切な人間を失い、その鍵を自分が握っていると感じているならば、この苦しみは深い。彼も私同様、うまく距離感がつかめていないような気がしているのだ。


 私の隣人は80代で、一人暮らしである。彼女に子供はいない。そして、尊厳死協会に登録している。自分の死の責任は、自分自身でとらなければならないのだ。

 私は何年か前に臓器提供の登録をしようとしたが、母に止められた。せめて、自分が生きている間はやめてくれと頼まれた。

 体と心。この二つは、リンクしている。死んだ後、自分の子供が切り刻まれるのが親にとっては辛いのだ。私は未だに登録はしていない。