私には弟がいた。交通事故で25歳の若さで亡くなった。12月の寒い夜に事故に遭った。隣の府県で働いていた弟のために両親と私と姉夫婦は病院に駆けつけた。弟はすでに結婚をしていて2歳になるかならないかの子供がいた。弟は手術中であった。何時間も待合室で私たちは待っていた。手術室から出てきた医師に義理の兄が状態を尋ねた。医師は首を横にふり、非常に危ない状況だということを伝えた。母は、『アァ。』と小さい声をあげて、顔を手で覆って泣いた。
弟は、集中治療室に運ばれた。私と両親は、患者の家族用の待合室で過ごすことにした。姉夫婦と義理の妹は帰ってもらうことにした。
翌日、弟は静かに寝ていた。術後は、弟は苦しみで暴れていたのだ。私は勤め先に事情を話し、会社を休ませてもらった。家は商売をしていたので、両親は休みをとった。姉は、私たちのために着替えを持ってきてくれた。義妹と姉は、夕方になると帰っていく。私と両親は、病院に泊まりこんだ。
私は弟をこの病院で死なすわけにはいかなかった。そこで、その府県の国立大学附属病院に頼みに行くことに決めた。午後から私一人で出かけた。私はバスを何回か乗り換えて大学病院に向った。バスの中で私は何度も泣いた。弟がかわいそうで、かわいそうで、たまらなかった。どこをどう行ったのか、私は思い出せない。大学病院内を歩き回り、脳外科の教授室の部屋のドアを何度もノックしたが返事がない。諦めて、助教授室の部屋のドアを叩いた。部屋から助教授が出てきた。私は彼の顔を見るなり、また、自然に涙があふれた。その助教授は部屋に招き入れて、事情を聞いてくれた。
弟が苦しみで暴れなくなったことを話すと医師は、あまりいい傾向ではないと話した。そして、『もし、つれてこれることができるのであれば、うちの病院で引き受けましょう。』と約束してくれた。彼は自分の名刺の裏に直筆のサインをして印鑑を押し、『これを今の病院の担当医に見せてください。』と私に名刺を手渡してくれた。『大丈夫。気を強く持ちなさい。』と彼は、慰めてくれた。
私は、一縷の希望ができたと感じて、来るときとは違う足取りだった。病院に戻り、ことの次第を話した。母は喜び、助かると言った。
けれど、話はそんな簡単ではない。担当医師は、私が大学病院の助教授の名刺を見せると明らかに不愉快な顔をしていた。私たち家族の勝手な行動に憤りを感じていたのだ。私たちはこのあまり評判の芳しくない病院に弟をおいておきたくなかった。担当医師は、事務的に言った。『搬送中の救急車の中で万が一のことがあっても、責任は負いませんよ。』
私たちは部屋を出た。父は私を廊下で呼び止めた。このことは、母に言うなと口止めした。私も喜ぶ母の気持ちに水を差すようなことはしたくなかった。そして、父は私に相談した。万が一のことがあっても、かまわない。大学病院に運ぼう、と。二人で決めよう、と。けれど、私は躊躇した。下を向いて、『けど、ほんまに、万が一のことがあったら。』それ以上、言えなかった。父は黙った。まだ、20代の私には、余りにも重過ぎる責任を押し付けようとしていたのだと感じたのだろう。姉はこういうことには、頼りにならない人だった。
母には、弟の容態が安定したら、運んでも大丈夫だと言われたと嘘をついた。
結局のところ、弟はその病院で亡くなった。
私に後悔が残った。弟を無理をしても大学病院に運ぶべきだったのだ。けれど、救急車の中で弟がなくなっていたならば、また、別の後悔が残る。いずれにしても、私には後悔だけだった。
それから、私たち家族には長い間、地獄の日々が続いた。
私は、世間と自分との間にうまく距離感を取ることができなかった。まるで強い乱視のような感じであった。そこに物があって、手で取ろうとしているのに、実際には目に見えるところにはない。もっと、右奥にあるのに、私には距離感がつかめないのだ。
夜中にふと起き出して、『弟は、もぅこの世にいないのだ。』と思うとさめざめと泣いた。そして、馬鹿げたことを祈った。弟が生き返るように、代わりに私が死ぬように、と。そんなことは無理なことなのに。
この映画のフランクも私同様に二つの後悔に苦しんでいるのではないだろうか、と私は考える。フランクとマギーは擬似家族であった。赤毛のアン、マシュ、マニラのように、本当の家族以上に家族だった。
大切な人間を失い、その鍵を自分が握っていると感じているならば、この苦しみは深い。彼も私同様、うまく距離感がつかめていないような気がしているのだ。
私の隣人は80代で、一人暮らしである。彼女に子供はいない。そして、尊厳死協会に登録している。自分の死の責任は、自分自身でとらなければならないのだ。
私は何年か前に臓器提供の登録をしようとしたが、母に止められた。せめて、自分が生きている間はやめてくれと頼まれた。
体と心。この二つは、リンクしている。死んだ後、自分の子供が切り刻まれるのが親にとっては辛いのだ。私は未だに登録はしていない。