原作は田辺聖子の短編小説である。あれだけの短い小説を、これだけの作品にまとめたことを、感心する。何よりも、出演者全員の関西弁に違和感がないのがいい。

 先日も、東野圭吾作【白夜行】のドラマを観たが、武田鉄矢の関西弁に閉口した。【白い巨塔】の西田敏行と同じ位にひどかった。特に地方のなまりを使用する場合、役者の選考はとても大切だ。この場合は、関西弁が気になり、物語に集中できない。変な関西弁は非常に耳障りなのだ。

 その点、この映画の主演者は自然な関西弁であり、原作のよさも失わずに、最後に残る感情も潔い。


 妻夫木 聡演じる大学生の恒夫は、ふっとしたきっかけで障害を持つジョゼと彼女の祖母と知り合う。それから二人の関係が始まる。妻夫木 が飄々として、何に対しても執着心を持たない恒夫を普通に演じているところが、とても、いい。そんな彼がジョゼに対して、愛情を抱く。不思議なことにそれが決して同情から発したものではないのが、わかる。

 ジョゼは、本当は違う名前であるが、サガンの小説からジョゼと名乗る。現実の中で生きるにはつらい立場にあるジョゼがジョゼと名乗ることで、彼女が実は夢見る少女であることがわかる。居丈高な言葉も彼女が傷つかないための砦なのだ。私にはとても理解ができる。

 繊細な神経を持つ人間には、2つの種類に分かれる。一つは、その繊細さをそのまま表に出しているタイプである。例えば、戸川純のようなタイプ。壊れそうな神経を持っていることが、すぐわかる。もう一つは、それを必死に隠そうとしているタイプである。例えば、やしきたかじん、のようなタイプ。彼の言葉は、常に喧嘩ごしであり、人を厳しく非難する。しかし、彼の言葉の内容を考えれば、非常に繊細な神経な持ち主であることがわかる。

 この2つの違いは何か。

 そのまま、表に出しているタイプは、それを隠す術を知らないのだ、と思う。世の中が怖くって、ただ、震えているだけなのだ。自分をどんな風に守るかわからないために、自分の殻に閉じこもる。

 居丈高に見せるタイプは、傷つかないために、最初に強い自分を見せる。私は、こちらのタイプだ。繊細な神経を持っていることを見せるということは、傷つけてください、といわんばかりである。


 続きは後で。