ここのところ、ナチがらみで、申し訳ないのであるが、

YouTubeにて、全編、【ワルキューレ】が観られた。


もともと、主役のトム・クルーズは、

ドイツ人の顔をしていない。

そのせいで、あまり、興味がいだけなかった。

YouTubeで、無料であれば、いいか、

と鑑賞した次第。


この映画を観る前に、

やはり、BBCのドキュメンタリーを鑑賞していたので、

全貌は、ほとんど理解していた。

こちらをクリックしてください。



そして、シュタウフェンベルク大佐の役者は、

BBCの役者の方が、ものすごく、合っている。

いかにも、ドイツ人の伯爵と言う風情が漂っている。

シュタウフェンベルク大佐の威圧感がヒシヒシと、映像から感じられる。

シュタウフェンベルク大佐のご子息は、

トム・クルーズが背が低すぎるし、

緊張し過ぎている、と話したそうである。

(身長のことは、言うたりな!)


ドキュメンタリーは、時間の関係で、

短い時間にまとめられているが、

映画よりも、こちらの方が、

わかりやすく、

結果がわかっていながらも、

「体の不自由な人に、現場で、爆弾作らせるなんて。。。」

と、観ている方が、焦ってしまう。

真夏に、制服をきちんと着こんで、

しかも、屋外よりも暑い屋内での、作業である。

ところが、映画では、この真夏感が

まったくと言っていいほど、感じられない。

7月20日が、決行日なのである。

かなり、暑いはずである。

BBCの方が、映画以上の出来栄えである。

それは、詳細を描いているか、いないかの

差ではない。

観ている人間に、緊張を与えられるか、どうかである。


シュタウフェンベルク大佐は、

右手を失くしていたので、

右手には、濃い色の袋をかぶせていた。

そして、右手をいつも、少し、

折り曲げているのである。

そのさまが、何とも言えず、

格好いい。

正しい表現ではないかもしれないが、

それは、シュタウフェンベルク大佐であるがゆえである。

そして、左手は、

中指と薬指を失くしていたので、

手袋を身につけていた。

左目も失くしていたために、

黒い眼帯を顔につけている。

独特のスタイルである。

それが、凛としている。



以前、あるドイツ人と話した時に、

彼が私と、私の友人に、

「ドイツ人で誰を知っている?」

と尋ねたことがあった。

私は、ドイツ人の有名なギタリストの名前を

挙げたが、友人は、

「ヒトラー」

と答えた。

彼は、不快であったのだろう。

「他には?」

と続けた。

シュタウフェンベルク大佐の名前を挙げれば、

喜んだかもしれない。


それにしても、ヒトラーは、

強い運の持ち主である。

ヒトラーがこのときに、亡くなっていれば、

世界は大きく変わっただろう。

けれど、それは、

あくまで、「たら、れば」の話であって、

現実味はない。

死ぬべき時を間違えば、

さらに、みじめな死を迎えることになる。


我々、日本人とドイツ人は、

国民性が似通っていると、よく、言われる。

「木を見て、森を見ず。」

と言うのが、その特徴である。


たとえば、ユダヤ人強制収容所では、

囚人にシラミが何匹、いたのかまで、

記録されていたと言う。

どんな風に数えたのか、知りたいくらいである。



ところで、戦時中、

日本でも、このようなクーデーターを

もくろんだことが、あるのだろうか。



追記:ネットで調べたところ、ドイツでは、

    真夏でも、30度を超えることはないらしく、

    その上、湿気が少ないために、

    かなり、涼しいらしいです。

    ごめんなさい。



彼女の話は、いつも、決まっていた。

それは、自慢話ではない。

妄想なのだ。

そして、大きな問題は、

彼女自身が、妄想だと感じていないことだ。


彼女は、喫茶店を経営している。

かつては、市会議員であった。

その関係で、何人かの政治家の名前を、

よくあげた。

彼らが、彼女のことを、重要視していると思いこんでいる。


彼女の言うことを、本気にしている人たちがいる。

私も、最近までは、そうであった。

けれど、それらが、彼女の妄想である事は、

周りの人たちは、知っていた。


一番、わかりやすいのは、

彼女の作る料理である。

料理と言うのは、

食べた人間が、作った人間に対して、

「おいしい!」と褒めるものである。

オーケー、簡単なことだ。


けれど、彼女の場合は、

別である。

作り手である彼女は、

何も言わないお客さんのテーブルに行き、

「おいしいでしょう!」と

強要する。

「おいしい。」と言うまで、

何度も確認をする。


では、おいしいかと言うと、

答えは、「ノー!!」である。

たとえば、巻きずし。

彼女の作る巻きずしは、

ほうれんそうとニンジンが使われている。

味は、ほとんど、ついていない。

私は、きゅうりのシャッキリ感が欲しいし、

かんぴょうを、甘からく煮詰めているのも、

必要だ。

けれど、それは、彼女の巻きずしには期待できない。


ある時、飛び入りのお客さんがカレーを注文した。

そして、いつもの通りに、彼女は、

「おいしいでしょう!」と近づく。

お客さんは、それには答えず、彼女に質問した。

「このカレーには、シーチキンが使われているんですか?」

想像してほしい。

カレーにシーチキンを入れれば、

まずいに決まっている。

それほど、まずかったのだ、と思う。

彼女は、答える。

「松坂牛のヒレを使ってるのよ。おいしいでしょう!」

私は、驚いた。

それなのに、おいしくないのだ。


店を改築する話が出た際に、

何人かのお客さんが、

「料理を出すのを、やめたら。」

と提案をした。

すると、彼女は、即座に断った。

「今までのお客さんが、逃げてしまう。」と。

つまり、今までのお客さんが彼女の料理目当てに、

店にやってきていると思いこんでいるのだ。

実際は、違う。

どの料理にも、だしが何もきいていない。


極めつけは、コーヒーのまずさだ。

とにかく、さめて、ぬるい。

一杯、350円である。

私が、ボランティアでお店の手伝いをしているときに、

お客さんが、私に言った。

「コーヒー、熱いのを、頼むわね。この間、ぬるかった。」

こういう申し出は、初めてではない。

けれど、彼女は、こう言う。

「おいしいコーヒー、淹れるわね。」


多くの人が、彼女に注目して、

重要視していると、妄想している。


決して、悪い人間ではない。

いつも元気だし、気分にもムラが少ない。

しゃべりだすと、止まらない。

隣に座っていると、

夜、耳の奥がジンジンして、

眠れない、と言う人もいるくらいだ。

手よりも口を動かしている時間が、長い。


どこかの縫い目のそろっていないのだ。

そして、彼女の周りに集まる人たちの中には、

怪しげな人たちも、存在する。


本日、ある事業について、

打ち合わせがありました。


ある土地の特産品を販売するために、

事業を立ち上げるか否かの、

打ち合わせです。


どうなるかは、わかりませんが、

今は、その調査段階です。


そこへ、公明党の大物議員である

冬柴氏があいさつまわりに来られました。

三人で、事務所にて打ち合わせをしていたのですが、

一人の方が、

「あっ、エライ大物が。」

と声に出されたので、見てみると

冬柴氏でした。


田中康夫氏も、対抗馬として

立候補されるので、

かなり必死になられているのでしょう。


2009年8月30日の衆議院選挙は、

よほどのことがない限り、

民主党の政権交代が確実視されています。

仮にそうなったとしても、

私たちの生活が大きく変わることは、

ないでしょう。


私は、選挙は、

高熱が出たときくらいしか、

行かなかったことがありません。

ほとんど、全部と言っていいほど参加しています。


20歳以上という国民に対して

選挙権が与えられるようになるまで、

私たちの先祖は、闘ってくれました。

一部の人しか持ち得なかった選挙権を

解放してくれたのです。


その苦労を思うと

無駄にすることは、できません。

自分が投票した立候補者が

当選しても落選しても、

それは、結果であって、

仕方ありません。


今回の選挙も、

ぜひ、多くの方が参加してほしいものです。

選挙権と言う権利を放棄してほしくないのです。

最近は、ドキュメンタリーをよく観ます。

Truthは、わかりませんが、

Factは、きちんと歴史に残っています。



【ソフィーの選択】を観てから、

ホロコースに関する映像を

DVDやYouTubeで観ています。


やはり、ドキュメントと言えば、

NHKかBBCが制作した作品になってしまいます。


BBCが制作した【アウシュビッツ】「Final Solution」という作品が

NHKで放送されたようです。

私自身は、DVDで借りて観たのですが、

BBCが制作した作品に対して一部、割愛しているようです。

YouTubeでは、BBC版だけですので、

比べてみると、よくわかります。


ガス室で亡くなった方たちは、

私は、そんな苦しみもなく、亡くなったと思っていました。

けれど、それは、私の大きな間違いであり、

彼らは、もがき苦しみながら、

死んでいきました。

このDVDを観て、初めて知りました。


YouTubeで「Holocaust」という単語で、

検索をかけるとひどい映像が映し出されます。

集団心理の醜さが、

地獄絵巻となって、

目の前に現れてきます。


以前、外国人ハウスに住んでいた時に、

一度だけ、ユダヤ教のラビと会いました。

確かに、異様な印象を受けました。

独特のひげを伸ばし、

背の高い帽子をかぶって、

黒装束でした。



ナチスの中でも、

  ラインハルト・ハイドリヒ

という人物に、興味を持つ人も多いことも知りました。

こちらも、YouTubeで

  「Reinhard Heydrich」

で検索してもらうと、わかるのですが、

上品な容貌をしています。

彼が、”金髪の野獣”や”第三帝国の首切り役人”

と呼ばれて、恐れていた人物とは、見えません。


実質的に、「最終解決」と称して

ユダヤ人の根絶を計推進した人物です。


ラインハルト・ハイドリヒの映像を見ていると、

イギリスのチャールズ皇太子や

【風と共に去りぬ】のアシュレイという風情です。


多分、彼が多くの人の興味をひくのは、

この彼の容姿と彼の心の在り方の

大きな格差が理由となっています。


たとえば、

ドラエモンを見ていると、

非常に、わかりやすいのですが、

  のび太、は、いじめられっこ

  ジャイアン、は、いじめっこ

  スネ夫、は、太鼓持ち

見た目と役割が一致しています。

私たちは、こういう対照には、非常に安心感を抱きます。



これが、もし、次のような設定であった場合、

どうでしょう。

  のび太、は、いじめられっこの振りをしながら、ジャイアンを操っている

  ジャイアン、は、いじめっこ役を、のび太に強要されて演じている

  スネ夫、は、ジャイアントとのび太に気を遣いながら、太鼓持ちをしている


のび太は、常に自分が被害者になるように位置づけながら、

ジャイアンを加害者にしたてて、

悪いことをさせている。

そして、いいところだけを、のび太が、持っていく。


これは、見た目と合いません。

そこには、戸惑いが生まれます。

ラインハルト・ハイドリヒも、また、

そのギャップがあるからこそ、

違和感とともに、ある意味、魅力があったのかもしれません。


マンガの世界、

特に子供向きは、わかりやすい設定が受けます。

けれど、実際、私たちが住んでいる世界は、

そんな風にわかりやすくできているわけでは、

ありません。


ラインハルト・ハイドリヒは、

暗殺されてました。

早かれ遅かれ、処刑される立場の人でした。


金髪碧眼で、さらに長身、

ヴァイオリンを弾くことが、趣味で、

頭が切れる男。

家族を大事にして、特に子供をかわいがっていました。

さらに、何分かの1は、ユダヤの血が流れていると

噂されていました。


その噂の真偽は、わかりませんが、

彼の心にどのような影響を与えたのか、

それは、小さくなかったと思います。

映画を制作するにあたって、

巨額のお金が必要だと

長い間、考えられてきた。


それを否定したのが、【イージーライダー】という映画である。

低予算であっても、

いい映画は、作れる。

そして、内容こそが勝負なのだ、と教えてくれた。


その最たるものが、この【ドッグヴィル】である。

その低予算を示すように、

工場で撮影されたというその情景に驚く。


かなり長い間、辛抱を強いられる作品である。

私も、途中で観るのをやめようと

何度も考えた。

場面9まで、じっとこらえて観てほしい。

けれど、最後まで観る価値はあった。

この映画は、無冠であるが、

ある意味の評価を受けている。


【ドッグヴィル】と言うのは、

村の名前であるが、

もしかしたら犬畜生が住んでいる村

という設定かもしれない。



長い長い退屈なまでの布石があって、

初めて、後半の激しさが際立つ。

私は、しばらく、この主役のニコール・キッドマンの気持ちを考えて、

眠ることができなかった。

それほど、インパクトがある映画である。



人の心の宇宙と言うのは、

果てしない。

実際の我々の姿かたちの何万倍も広がっている。

マイナス方向とプラス方向が、

時々入り交じり、いびつな形の宇宙が形成されている。

人の心を形にした時に、

それは、どんなに周りの人を驚かせることだろうか。



この作品においては、

プラスからマイナスの急降下が存在しており、

そのドロドロとした心の宇宙が、

形になって現れている。

プラスの加速に比べて、

マイナスの加速は恐ろしいまでの力で、

背中を押されていく。

そして、その醜さに、

第三者の私たちは愕然とするのだ。



この映画を観たときに、

私は、「高校生コンクリート詰め殺人事件」を思い出させた。

監禁した少女を、数人の未成年者がレイプし、

サウンドバック代わりに毎日、殴り続け、

彼女のほんの少しのミスでも、

彼らの標的となり、いたぶられ続けた。

そして、亡くなった彼女をコンクリート詰めにして、

遺棄した。

非常に衝撃的な事件であった。


閉鎖された世界で、一人の犠牲者のもとに、

その世界の住人の悪意が集中する。

それを細かく描いた作品である。

我々の中に潜む悪意が、このようにさらされるのを、

恐ろしい思いで、後々まで、ひきずられる。


この後の、「マンダレイ」も、

また、人の中に潜むある側面を表してくれている。

一体、この監督の中にある心の宇宙の形はいかなるものか。