正直言って、こんなにいい映画とは、
思わなかった。
同じ子供を主役にした映画でも、
【点子ちゃんとアントン】よりも、
この映画の方が、私は好きだ。
もぅ、何度、【運動靴と赤い金魚】を観たことか。


裕福でない家に暮らす幼い兄と妹。
妹のぼろぼろの靴を、兄が修理に出した帰りに、
間違って、なくしてしまう。
そのことを両親に内緒にして、
この兄妹は、工夫して、
兄の一足の靴を、代わり番子に使うことにした。


そこで、イランの学校事情を調べてみた。
イランでは、午前中で終わる学校と、
午後から始まる学校があるらしい。
妹は、午前中の学校に通い、
兄は、午後の学校に通う。
その間に、兄の運動靴を取り換えるのだ。


視点として、「運動靴」においたのが、
焦点がぼけないで、
この家族の在り方が、よく、あらわされている。
主軸があって、その周りを
丁寧に見せることにより、
より近く、主人公たちの置かれた立場がわかる。


私たち日本人は、イランの国のことを、
あまり、よく知らない。
テレビ等でも、アメリカやヨーロッパのことは、
報道されるが、イランを取り上げる番組が、
そんなには、ない。


この兄と妹の表情の豊かさに、
感嘆を覚える。
また、妹の美しさに目を奪われた。
特に朝礼で、自分のなくした靴を履く女の子を
見つける様子は、笑ってしまった。
兄の泣きそうな顔は、万感胸に迫る。
運動靴を入れ替えて、履くと言うことに、
多くの意味が含まれている。


何気ない日常を描くときに、
その中にある喜怒哀楽を
どのような形で描くのかは、
とても、難しい。


大きな出来事があって、
その中で、人間を描くよりも、
実は、複雑な構成が必要になる。


最後、兄の気持ちは、妹に通じることは、
なかったが、
妹は、父によって、新しい靴を手に入れる。
そして、兄の分も父が買ってあげた。


兄は、赤い金魚に慰められながら、
報われない思いを、かみしめる。
思いだけで走り切った兄の足に、
水ぶくれができている。
その傷跡を、金魚だけが知っている。


こういう日常こそが、
私たちの生活を、人生を、形作っていくのだ。

私の周りには、かなり、シルバー世代が多く、集まってきます。

彼らや彼女たちの多くは、

若い?世代で話をしてくれるのは、「あなた、だけ。」と言います。

前にも書きましたが、私は、「修行」と思って、

我慢して話をしているからです。


でも、彼らはそんな風に思わないようです。

私が本気で、

彼らの話をおもしろいと考えているようです。

「そんなぁぁ。」


それでも、中には、若い世代と一緒に行動できるシルバーもいます。

そういう人は、現在を楽しんでいる人たちです。

例えば、韓国ドラマを観たり、

旅行に出たり、コンサートに行ったりする人は、

ほとんど、昔話をしません。


私がよく行くお店の人も

70代の女性ですが、

有線を聴いていると、

「あ、これ、福山雅治やない。」と話しかけてきます。

彼のファンらしいです。

「ソン・スンホのコンサート、行ってきた。」

などと、話をします。


私の母も、「ダウンタウンのごっつええ感じ」のDVD等を

私が送ったりしているので、

「まっちゃん、おもしろい。」とか、

「岸和田少年愚連隊、マンダさん、ええなぁ。」とか、

話すので、近所の若い世代と話ができます。


平日のお昼に、パソコンを安価で教えていると、

(それは、市や国の補助金で安価になっています。)

シルバーだらけです。

この世の中は、シルバーのためにある、

と思われるくらいです。


もちろん、私も、日々、若さが失われていきます。

それは、毎日、鏡を見ている自分が一番、

よく理解しています。

自分で何とかできることでも、ありません。


それにしても、止まらぬ「少子高齢化」を

何とかしてもらいたいものです。

このままでは、「猿の惑星」ならぬ

「年寄りの惑星」になりそうです。


きっと、こんなに高齢化社会になる前は、

そうでないがゆえに、

「長生き」や「百歳」が、夢だったのでしょうか。









私が住んでいる尼崎は、

兵庫8区になり、

注目されている選挙区の一つです。



私自身は、

ここで生まれ育ったわけではなく、

ただ、交通の便がいいので、

JR尼崎の近所に暮らしています。

ですから、本当の事情は、

わからないのですが、

やはり、このエリアは長い間、

公明党の大物の冬しば氏の牙城でした。

それが、今回は、揺らいでいるようです。



近所の公明党指示の方が、

また、冬しば氏への投票のお願いに来られました。

出会うたびに、

お願いされます。

「今回は、ややこしい人が出馬するから。」

と言うのが、大きな理由です。

それは、田中康夫氏のことです。



今日は、その近所の方が、

「昨日は、冬しばさんも、顔色が変っていた。

 今度は、本当に危ない、と言うてはるわ。」

と、必死で私に頼み込みます。



先日、JR尼崎駅のエレベータの中で、

見知らぬ年配の女性と一緒になりました。

外では、幸福実現党のすみだ氏が

一生懸命に声高に、演説をされていました。

まったく、見知らぬ同士ですが、

私たちは、話をしました。

「大変やなぁ。」(立候補者のこと)

「そやけど、今回は、あんまりやわねぇ。(自公民政権のこと)」

「あんまりやわぁ。」

と、いろいろ5分くらい、話していました。



要するに、

私たちもこれではいけない、と言うことなのです。

もちろん、これまでも、何回か

自民党が政権からはずれたことがありました。

けれど、結局、公明党と手を取ることで、

元に戻ってしまいました。

民度が問われるのです。



31日の日曜日の真夜中には、

体制がはっきりするでしょう。

阿倍氏、福田氏、麻生氏が当選するのかも

楽しみです。


ヤフーのみんなの政治をみてみると、

本当に、国民が怒っているのがわかります。

http://seiji.yahoo.co.jp/giin/rev/index.html?g=2009000255&s=0&p=1

http://seiji.yahoo.co.jp/giin/rev/index.html?g=2009000610&s=0&p=1

http://seiji.yahoo.co.jp/giin/rev/index.html?g=2009000254&s=0&p=1


とにかく、

時間は待ってくれません。

40日なんて、アッという間です。

投票率が上がることは、いいことです。

私たちが与えられた権利を、

行使するのです。



はてさて、それぞれの立候補者の心中や、いかに。

それが、結果としてどのようにつながるのでしょうか。


【ノルウェイの森】が2010年秋に映画化されるそうです。

たいへん、ショックです。


作者の村上春樹氏は、今まで、

映画化を断り続けていましたが、

説得されて、承知したということです。


ワタナベ君は、松山ケンイチ、です。

彼が、いいとか、悪いとか、と言う問題ではなく、

やはり、古い考えと言われるかもしれませんが、

この作品に関しては、

アンタッチャブルで、そっとしておいてほしかったのです。


ワタナベ君は、

見かけは、普通で、目立たない風貌ですが、

彼は、ファッションに、彼なりにこだわりを持っています。

それは、人から「おしゃれ」と言われる類のものでは、ありません。

そして、彼の中にある「何か」を感じた人間だけが、

彼に近づいてきます。


特に、彼は、しゃべり方に、

特徴があります。

サリンジャーの「キャッチャー・イン・ザ・ライ」(ライ麦畑でつかまえて)の

主人公のような、話し方と言うことです。

これを、どんな風に、表現するのでしょうか。

私も、この小説は、読んだことがあります。

「ライ麦畑でつかまえて」は、

【セオリー】という映画で

殺人者がこの本を買いあさっていました。

ジョン・レノンの殺人者もまた

この本に執着していたのです。

また、ケネディの暗殺者とされているオズワルドも、

この本にこだわっていました。

多くの意味を含んだ本であることは、

よく、わかります。

ワタナベ君は、どこか淡々としていますが、

本当は、熱い心を持っています。

人一倍、敏感な神経です。


松山ケンイチは、顔に特徴がありすぎるのです。

見た目が、普通だけに、ワタナベ君の何かを感じる人間は、

彼の容姿にとらわれないのです。

監督が、フランス人と言うことですので、

もしかしたら、【デスノート】のエルを観て、

彼に何かがあると思ったのかもしれません。

ワタナベ君は、一回、会っただけで

覚えられる顔立ちであっては、いけないのです。

もちろん、それは、私の勝手な

想像のものですから、

「チャンチャラ、おかしい」と言われれば、

言い返す言葉もありません。



私は、以前のブログでも書きましたが、

精神のバランスを失った友人がいました。

彼女と私の関係は、他の人には、理解できないでしょう。

また、理解を求めるようなものでは、ありません。

ワタナベ君とキスギの関係に似ています。

非常に特殊なものなのです。

それ以来、私にとって、【ノルウェイの森】は、

バイブルになりました。


村上春樹氏の作品には、
日本人独特の湿気がありません。
重たい題材であっても、
彼が描くことによって、
陰鬱さがなく、それでいて、
心にきちんと形跡を残してくれます。

そういう意味においては、
フランス人の監督が、
描くことは、いいことかもしれません。

けれど、
やはり、かたくなと言われても、
【ノルウェイの森】だけは、
そっとしておいて、欲しかったのです。

主演は、蒼井優。

彼女は、綾瀬はるかや仲間由紀恵同様に

決して派手な美人ではない。

どちらかと言えば、地味である。

何人かの女性の中で、

目を引くタイプの美人ではないところが、いい。


好き嫌いは別にして、

神田うのは、人目を引く美人である。

そういうタイプとは、一線を引いている。


竹久夢二や吉行淳之介が

好みそうな、はかなげな感じが全体から漂う。


この話は、【おくりびと】同様、

主役が端正な顔立ちである点が、

不満である。


蒼井優、演じるスズ子は、

つまらないことから、罪を犯して、

前科者となってしまう。

彼女の人生は、ここで、大きくつまずく。


近所の目もあり、

家にいられなくなった彼女は、

必死で百万をためて、

引っ越す。

自分の過去を知らない人のところで、

暮らすのだ。


ところが、ここでは、

彼女の容貌が邪魔をする。

男性が寄ってくる。

男性は、どちらかと言えば、

神田うののような派手な美人よりも、

実は、蒼井優のような美人が、好きな人が多いのだ。

わずらわしくなった彼女は、

引っ越す。


たとえば、

この設定で、主役が、

森三中やハリセンボンのメンバーであれば、

どうか。


多分、彼女たちに声をかける男性は、

極めて少なくなってくる。

どこに行っても、

朝、バイトに出て、

夕方、家に戻る。

この繰り返しだ。

関わりにならずに暮らすことが、

容易にできる。

ところが、

残念ながら、蒼井優、である。


以前、ある事が、報じられた。

一人の女性が、

死後、何日も誰にも見つけられずに、

部屋で放置された。

その後、職場の同僚たちは、

彼女の事をこのように評した。

「彼女は、人との関わりを避けていました。」

この女性の人生が、

どのようなものであったかは、

それ以上は、報じられることは、なかった。


【百万円と苦虫女】という映画の最後が、

暗い印象を残さないところは、

この点に、大きく影響している。


蒼井優のような、地味な美人では、ダメなのだ。

地味な普通な人か、

不細工な人間でないと、

この映画の「人と関わりたくない」と言う

本質が、伝わらない。

そして、そこから、何が生まれるか、観たいのだ。


【おくりびと】も

主役の本木雅弘では、

顔立ちが端正すぎる。

できたら、本木雅弘は、主役ではなく、

別の形で参加した方が、良かった。

私は、想像する。

【おくりびと】の主役が、

小日向文世であることを。

普通の人、あまりにも、普通の人っぽいからこそ、

この映画が活きてくる。


【百万円と苦虫女】も

別版として、本当に誰とも深くかかわることなく、

生きていくものを、観たい。

現在の世の中にとっては、

簡単なことだ。

多くの人間が、人との関わりを欲していながら、

避けている。

「ひきこもり」が典型的な例だ。


この映画に出てくるような、

関西弁で言うところの「イッチョ噛み」の人々は、

そんなに存在しない。

せちがない世の中である。。。