映画を制作するにあたって、
巨額のお金が必要だと
長い間、考えられてきた。
それを否定したのが、【イージーライダー】という映画である。
低予算であっても、
いい映画は、作れる。
そして、内容こそが勝負なのだ、と教えてくれた。
その最たるものが、この【ドッグヴィル】である。
その低予算を示すように、
工場で撮影されたというその情景に驚く。
かなり長い間、辛抱を強いられる作品である。
私も、途中で観るのをやめようと
何度も考えた。
場面9まで、じっとこらえて観てほしい。
けれど、最後まで観る価値はあった。
この映画は、無冠であるが、
ある意味の評価を受けている。
【ドッグヴィル】と言うのは、
村の名前であるが、
もしかしたら犬畜生が住んでいる村
という設定かもしれない。
長い長い退屈なまでの布石があって、
初めて、後半の激しさが際立つ。
私は、しばらく、この主役のニコール・キッドマンの気持ちを考えて、
眠ることができなかった。
それほど、インパクトがある映画である。
人の心の宇宙と言うのは、
果てしない。
実際の我々の姿かたちの何万倍も広がっている。
マイナス方向とプラス方向が、
時々入り交じり、いびつな形の宇宙が形成されている。
人の心を形にした時に、
それは、どんなに周りの人を驚かせることだろうか。
この作品においては、
プラスからマイナスの急降下が存在しており、
そのドロドロとした心の宇宙が、
形になって現れている。
プラスの加速に比べて、
マイナスの加速は恐ろしいまでの力で、
背中を押されていく。
そして、その醜さに、
第三者の私たちは愕然とするのだ。
この映画を観たときに、
私は、「高校生コンクリート詰め殺人事件」を思い出させた。
監禁した少女を、数人の未成年者がレイプし、
サウンドバック代わりに毎日、殴り続け、
彼女のほんの少しのミスでも、
彼らの標的となり、いたぶられ続けた。
そして、亡くなった彼女をコンクリート詰めにして、
遺棄した。
非常に衝撃的な事件であった。
閉鎖された世界で、一人の犠牲者のもとに、
その世界の住人の悪意が集中する。
それを細かく描いた作品である。
我々の中に潜む悪意が、このようにさらされるのを、
恐ろしい思いで、後々まで、ひきずられる。
この後の、「マンダレイ」も、
また、人の中に潜むある側面を表してくれている。
一体、この監督の中にある心の宇宙の形はいかなるものか。