マイクさんは、40過ぎに結婚をして、
一人の子供がいました。
男の子です。
彼は、その子供を猫可愛がりしていたのです。
「かわいくって、かわいくって、仕方がない」と
私にも、話していました。

マイクさんをはじめ、
他のメンテナンスの仕事をする人も、
朝、きちんとスーツを着て、
出勤していました。
そして、職場で、作業着に着替えます。
彼らにとっては、
それが、プライドを守る、唯一の方法なのかもしれません。

ある日、マイクさんが、仕事中に
倒れて、救急車で運ばれました。
私は、それを、別の住人の方から、
聞きました。

ここの「外国人ハウス」には、
私を含めて、3人の日本人が住んでいました。
あとの2人は、外国生活の長い人たちで、
20年以上、異国の地で暮らしていました。
ある意味、純粋な日本人とは、言えないかもしれません。

その中の一人と私は、仲良くしていました。
彼女から、マイクさんが入院したことを聞きました。
彼女がお見舞いに行くというので、
私は、マイクさんあてに、
手紙を書き、渡してもらいました。
彼女は家でする仕事をしていたので、
都合が付けられるのですが、
私は、ソフト開発関係の仕事ですので、
土日が出勤になることも多かったですし、
夜遅くまで、残業続きです。

私からの手紙を、マイクさんは、
「僕の恋人からの手紙だよ。」
と言って、喜んで読んでくれたそうです。

そのマイクさんが、亡くなったと聞いたのは、
1週間もしないうちでした。
私は、しばらく、呆然としていました。

仲良くしていた住人の人も、
「そんなに悪いとは知らなかった。」
と話していました。
私たちは、それぞれの部屋で、
その悲しみをかみしめ、そっと泣きました。
今でも、その時の感情で、涙がにじみます。

マイクさんのお葬式にも、
私は出ることができませんでした。
マイクさんのお葬式は、
社葬扱いにして、お葬式の費用がマイクさんの家から
出ないようにしたそうです。

「さみしいお葬式だったわ。」と、
仲良しの住人の方が教えてくれました。
彼女は、お葬式に参加しました。
私は、香典を彼女に預けたのです。
「例のお義兄さんも、お葬式には来てなかったわ。
 ただ、祭壇には、苗字だけが書かれた花輪が、あってねぇ。

 奥さんは、マイクさんの死よりも、『お金が、お金が。。。』と

 そればっかりで。

 ますます、マイクさんが気の毒になったわ。」


さんざん、迷惑をかけられた義弟に対して、
最後までいい感情は、もてなかったかもしれません。
当事者とそうでない者の違いは、大きいですから。

奥さんも、亡くなった人よりも、

明日の食事の方が気にかかるのも、

無理はありません。

それを、誰が責めることができるでしょうか。


ただ、ただ、私たちは、

マイクさんを気の毒に思うしかないのです。
家族でもなく、債権者でもなく、

ほんの一時、彼に励まされただけの関係です。
いつも、明るく、元気で働いていた彼しか知りません。


本当は、マイクさん自身が、

「なんでこんなことになったのか。」と

不審に感じているのかもしれません。



私の住んでいた「外国人ハウス」は、
特徴がありました。
一週間に一度、掃除をしてくれるというサービスが
あったのです。
テレビも外国人が多いために、
CSが完備されていました。

日本語が理解できない彼らにとっては、

英語のテレビ放送は、欠かせないものでした。

そこのマンションのメンテナンスをしていた一人に
マイクさんが、いました。
マイクさんとは、言うものの、日本人でした。
外国人が多いせいもあって、
ニックネームをつけた方がいいというオーナーの提案で、
彼は、自分のニックネームを
「マイク」と決めました。
理由はいたって簡単で、
中学の教科書でよく使われている名前だったからです。

彼は、40台後半でしたが、
若く見え、40前後に見られていました。
メンテナンスと言っても、
平たく言えば、掃除です。
マイクさんは、青山学院大学の法学部を卒業した
いわゆるインテリです。
もちろん、マイクさん自身から、
出身大学を聞いたわけでは、ありません。
同じ職場に働く別の人から、聞いたのです。
その彼が、なぜ、このような仕事をしているのか、
私には、理解できませんでした。


彼の人生は、「挫折ともがき」でした。
けれど、そんな側面は、
少しも見せませんでした。
いつも、ニコニコと笑って、
私や他の住人を励ましていました。
日常英会話にも、不自由しない人でしたので、
外国人のお世話もよくしていました。
思いやりにあふれた人でした。


実際、私も何度、
マイクさんに気持ちが楽にさせられたかしれません。
しかし、見えている部分が、

すべてでは、ありません。


マイクさんの義理の兄は、
有名な企業人でした。
私でさえ、その企業人の名前と存在を知っていました。

マイクさんは、大学を卒業後、
有名な自動車会社に就職をして、
営業をしていました。
その後、彼は、自分で事業を興しました。
しかし、うまくいかず、
会社を倒産させてしまい、
借金だけが残りました。

また、別の会社に就職しました。
その会社も辞めて、またしても、
事業を興しました。
それの繰り返しです。
借金は、膨らむばかりです。

マイクさんは、義兄に何度か無心に行ったと
思われます。
有名な企業人である義兄は、

何度かは、助けたでしょう。
「仏の顔も、三度まで」と言いますが、
助けるにも、限界があります。
その後は、音信不通です。


続きは、別の日に。                        







「トラ年」の子供がほしいという彼女から、

「セックス」を勉強するのに、

チバに協力をしてもらっているというのを聞いても、

誰も、嫉妬する人は、いません。


チバは、年上の女性と同棲をしていました。

ある日、チバが家に帰ってきたところ、

彼女の荷物がなくなっていて、

翌日、彼女の勤め先に電話をかけたところ、

会社を辞めていたそうです。


私たちの間では、

「よっぽど、チバがいやだったんだよ。」

ということになりました。


私の周りでは、

ホームパーティがよく開かれていました。

私も、何度か誘われることがあり、

私自身も開催することもありました。


ある時、また、ホームパーティに誘われました。

「トラ年」の子に電話して、

「来ない?」と誘ったところ、

彼女は、来るということでした。

その他、何人かの人に声をかけました。

結構な人が参加しました。

会場は、あるコジャレタ事務所でした。

帰国子女の人たちが、始めた事業で、

高級住宅地にある事務所を借りていたのです。


私は、「トラ年」の子に、

「よかったら、チバにも、声をかけておいて。」

と頼みました。

すると、チバは、

「○○さん(私)から、直接、

誘われたわけではないから、行かない。」

と言うのです。

私は、「別に、(来なくても)いいよ。」と

サラリと言いました。

そして、パーティは、終わりました。


翌日は、日曜日でした。

「トラ年」の子から、昼間に電話がありました。


「ごめんね。

 ゆうべさぁ、チバから電話があって、

 しかも、夜中の3時だよ。

 『○○さん(私)に、誤解されているみたいだから、

 弁解したい。

 電話番号を教えてくれ。』って、言うんだよ。

私もすっかり寝ていたからさ、寝ぼけて、

○○さん(私)の電話番号、教えちゃったよ。

わざと、3時に電話かけてきたと思うんだよね。

ごめんね。」


私は、思わず、叫びました。

「えぇ。」

けれど、彼女を責めても仕方ありません。

状況的にも、彼女に同情する余地はあります。

何しろ、夜中の3時ですから。


私は、彼女に言いました。

「誤解って、誤った解釈でしょう。

 私は、誤った解釈してへんもん。」

私は、言葉を分解するのが、

好きなのです。


私は、チバの電話番号を知っていますが、

チバには、自分の電話番号を教えていませんでした。

これだけでも、私たちの関係は、明らかです。

一方通行の関係です。

それは、私だけではなく、

何人かの人たちも、電話番号を教えていませんでした。

はたして、私たちは、

残酷なのでしょうか。


結局、チバから誤解を解く電話はありませんでした。

それ以来、私もチバを誘うことは、

なくなりました。


そして、チバとの関係は、

途切れてしまいました。













チバと初めて出会ったのは、

私が開催した「関西料理を食べる会」でした。


「関西料理」といっても、

大したものでは、ありません。

普通の家庭料理です。

それこそ、『深夜食堂』で出されるような料理です。


いつも、人気は、「粕汁」(かすじる)です。

天皇の料理番と言われたシェフが、

大好物だったのは、奥様が作る「粕汁」だったそうです。

中には、「お母さんに食べさせたい」と言って、

涙ぐむ子もいました。

「色どりが、きれい。」と言われます。

白い大根、赤い京にんじん、

黄色のおあげさん、グレーのこんにゃく、

サーモンピンクの鮭、

それらが、白い粕の中につまっているのです。

最低でも、一人が二杯を食べるので、

かなり多い目に作るようにしています。


出される料理は、すべて、関西の味つけです。

薄口醤油と、みりん、料理酒、こぶだし。



だいたい参加者は、15人から30人です。

その日は、少ないほうで、15人前後でした。

そこに、チバがいたのです。


会場は、いろいろです。

その日は、私が借りている「外国人ハウス」の

一室を借りました。


私が足りないものを、

近所のスーパーに買いにいっている間に、

チバとチバの子分のような男の子は、

すでに部屋に来ていました。

私は、留守を別の子に、

預けておいたのです。


玄関には、男物の靴があり、

一足は、先がとんがっていました。

後で聞いたところ、

チバは、とんがった、紫の靴しか

はかないそうです。

理由は、わかりませんし、

聞きたくは、ありませんでした。


さらに驚いたのは、

チバの容姿です。

背が低く、髪の毛は、かなり前に突き出したリーゼントでした。

チバいわく、

「7、3分けと、6.5、3.5分けとは、違う。

 また、傾斜にも、いろいろと角度があるんだよ。」

ということですが、私たちには、

まったくわかりません。

ただ、わかるのは、

「すごい髪型」、と言うことです。

本当に、その髪型には、驚いてしまいました。

しかも、お世辞にも、

チバを男前とは、呼べません。


チバは、よくしゃべる人間でした。

面白い話を、よくしていました。

問題は、チバの話が笑えないということでした。


その会には、

「トラ年」の子供がほしい彼女も来ていました。

そこで、私たちは、知り合ったわけです。



たとえば、何人かでレストランに行こう、

となったとします。

そのレストランが、四人以上でないと

予約を受け付けてくれない場合なぞは、

チバの出番です。

女性陣は、三名で、一名が足りない時は、

そこで、

「チバ、だね。」となるわけです。

チバに電話すると、すぐにやって来ます。


つづきは、後で。







結婚する前から、

ご主人のケチさ加減は、わかっていた彼女でしたが、

それが、毎日の生活にかかわってくると、

大変です。


彼女の身の回りに不幸が相次いだ時に、
彼女は、占い師にみてもらいました。
その占い師は、
「実印をつくるように。」と、アドバイスをしたそうです。
変な宗教ではなく、
彼女は、「古本とはんこの町」の神保町に行って、
自分と子供の実印を作りました。
自分の分が3万円、子供の分が2万円と、
合計5万円です。

私は、「安い」と言いました。
私が今のマンションを借りる際に、
実印を作った時には、4万5千円、かかったのです。
彼女は、「そうでしょう。」と同意を求めます。

ところが、「コスト意識の高い」ご主人は、
「5万円、貸しね。」と言うことで、
エクセルに、彼女向けの借金を追加したそうです。
彼女は、
「自分の分は仕方ないけど、
 子供のは、お守りだと思って、払って。」
と頼み込みました。
ようやく、2万円は、借金から引かれたそうです。

日々の生活で、
そのような形が続くと、つらいものがあります。

それに、彼は、元々、
肉体関係に非常に淡白でした。
興味がないのです。

彼女は、欲求不満に陥っていました。
彼女は、ご主人に借金をして、
ある国家試験を受けるために、学校に通っていました。
ご主人には、「独身の時に取っておけよな。」と
言われながらも、通っていたわけです。

「早く資格取って、働いて、
 (ご主人あての)借金を返さなくちゃ。」
彼女は、話しますが、
本気で取るつもりがあるのか、私には疑問でした。

その種の学校は、ある程度の融通性をきかせるために、
同じ授業を、平日の昼や平日の夜、土日等に分かれて行います。
受講生の多様性を考えているのです。
彼女は、最初、平日の昼間、通っていましたが、
あるとき、授業に行けなくなり、
別のクラスで受講することになりました。
そこで、自分好みの男性を見つけて、
アプローチしていたのです。

「コスト意識の高い」ご主人からは、
「とにかく、金をかけずに、
 家に迷惑をかけなければ、浮気してもいい。」
と常日頃から、言われていました。
彼女いわく、
「それも、それで、さみしいよぉ、○○さん。(私の名前)」
確かに、そうでしょう。

彼女は、同じ学校に通う彼と親しくなりたいために、
駅で待ち伏せしました。
そして、お茶に誘いましたが、
断わられてしまいました。
彼女は、「彼は、恥ずかしがっているのよ。」と彼の立場を説明します。
しかし、それ以後、その彼は、
同じクラスに現れなくなったそうです。

彼女は、別の相手をみつけ、
また、アプローチを始めました。
「妄想が膨らむよ。」と彼女は、言います。
私が彼女を気に入っているのは、
こういうところです。
妄想を、妄想と認識しているからです。


彼女の結婚生活は、安定はしていますが、
本当に幸せか、どうか、と問われたら、
かなりの疑問が残ります。

こんな風に、別の男性を求める彼女に
荒んだものを感じます。
けれど、現状に満足できない人は、多いです。
その中で、行動を起こす彼女を
私は率直に、非難することはできないのです。
「子供がかわいそう。」とは、思いますが、
いた仕方がありません。
彼女の学んだ「セックス」がアダになってしまいました。

せっかく苦労して、勉強したのに、

結局、結婚した相手は、

「セックス」に淡白だというのは、

なんとも皮肉なものです。

世の中、そうしたものです。