ビッグダディ。
テレビ朝日系列で、「ビッグダディ」という番組を見た。
4男4女の大家族モノだ。
私は大家族モノが大嫌いだ。
考えもせずに、まるで猫のようにボコボコボコボコ子どもを産んで、挙句家の中はぶっ散らかってメチャクチャで、母親や父親はのべつ幕なしに怒鳴ってばかりで、暴力を伴う兄弟ゲンカは当たり前で、勉強部屋も確保されず、うちにはお金がないから中学を出たら働けという。
一体これの、どこが美談だというのだ?
しかし、この父親は違った。
友人の保証人になって借金に追い回される日々に、女房は逃げた。
岩手で整骨院を営み、ひっそり暮らしていたが、「女房が逃げたからといって子どもに不憫な思いはさせない」との考えのもと、食器洗いも自分でやっていた。
子どもに不憫な思いはさせないということの意味はよくわかる。
ほかの子どもが食器洗いや掃除や洗濯などしなくていいのに、母親がいないという理由でなぜ自分はやらなければならないのかという、子どもが感じるであろうみじめさのことだ。
カネも掛かるし、このままでは中3の長女を高校にやれないと考えたビックダディは、なんと奄美大島に移住する。
Iターン制度があり、家賃補助・就学補助などがあるため、家計には優しくもなる。
それに加えて畑を耕しニラを収穫したり、川でエビを取ったりしていた。
驚いたのは自由に育てているようでいて、子どもたちが実に仲がよく、返事がすごくいい。
サバイバルにしても教育にしても、実に頼もしいビッグダディだった。
「信頼する」ということ
私には2人の兄がいるが、今は2人ともほぼ絶縁状態だ。
私宛の手紙が手違いで長兄に行ったものを転送してきたが、それは会社から会社の封筒を使ってのものだった。
彼は自分の都合で(私が原因ではなく)転居したが、私に新しい住所を知られたくなかったのだろう。
次兄も似たようなものだ。
なんでこんな奴らにと、悔しいと思う。
私がまだ、10代のころの話だ。
長兄はほんとうに口先だけのお調子もので、軽々しい言葉を私に対して並べ、信じた私をひどく傷つけた。
次兄はある事柄で私やまだ生きていた父親に、ひどい迷惑を掛け、私をひどい人間不信にさせた。
水谷修氏は言う。
「君たち子供は、1人の大人に裏切られると、なんだ大人なんてと、全ての大人に背を向けてしまう」。
そうだ。少なくとも私がそうだった。
世の中に、自分の味方をしてくれる大人など、1人もいないと思っていた。
水谷先生はさらに続ける。
「違う。1人の大人に裏切られたら、周りの10人の大人を信じろ」。
「そうやって、世界観を変えていくんだ」。
そのためにもがいているのが、今の私だ。
私は何度、保護司との約束を忘れただろう。
約束の時間を大きく遅れたり、日時を変更してもらったりしたことが、何回も続いたあとのことだ。
2週間前にした約束を、久しぶりに忘れずに約束の時間通りに訪ねたら、蚊取り線香が焚いてあった。
私が蚊に刺されないようにと、来るか来ないかわからない私に、焚いておいてくれたのだ。
家族を信じることがなく、また家族から信じられることのない私を、信じてくれる人がいる。
そして私はおっかなびっくり、他人を信じようとしている。
「信頼」という、感情を取り戻すために。
牛丼狂想曲
吉野家の牛丼が2年7ヶ月ぶりに復活したが、米国産牛肉だけでは100万食をまかないきれないため、今回はメキシコ産も使っているという。
理解に苦しむ。
「吉野家の牛丼の味が出ないから=吉野家の味が変わってしまうから」という理由で、ほとんど牛丼のみを提供していた会社が、ヨシギューをヨシブーに変えてまでも2年7ヶ月も耐えたのだ。
なぜもう少し待って、「100%米国産」にしなかったのだろう。
安部社長の言いぶんは大筋において正しいと思うだけに、そこのところがどうにもわからないのである。
そういえば安部社長の言葉に、こんなのがあった。
「私は当初米国産牛肉の安全性を説き続けていたが、否定する人はどこまでいっても否定する。あるとき私は考えを変えた。吉野家の牛丼の安全性は、わかる人にはわかるしわからない人にはわからない」。
私も同感で、米国産牛肉は「食べる人は食べるし食べない人は食べない」ということでいいのではないかと思う。
その代わり「食べたくない」という人の権利は尊重されるべきで、そのためには産地の特定やトレーサビリティーの確保が重要なのだ。
つづく、つづく。飲酒運転。(2)
日本人はアルコールとその代謝産物であるアセトアルデヒドの解毒酵素の分泌が、世界でも最も少ない部類に入るのだそうだ。
古舘伊知郎が報ステで、「だから酒豪が美とされるのだ。周りが皆酒に強ければ酒豪なんかいないわけだから」と言っていたが、言い得て妙である。
ここまで飲酒が日常的に定着したのには理由があって、その大きな理由は政府が約2兆円の酒税収入を当て込んできたということが大きい。
カネを手に入れたその弊害が飲酒による健康被害と飲酒に対するモラルの低さで、結局のところ社会全体の損失を出している。
街角に自動販売機が立ち並び、テレビで飲酒意欲を煽るCMが流れることにも理由があって、それは政府がメーカーを甘やかしてきたからだ。
甘やかした理由は前述の酒税収入と、メーカーから流れる自民党商工族への巨額献金である。
また実家が造り酒屋という政治家が権力の座に就いた歴史などもあって、酒造メーカーに有利な税制制度が適用されてきた経緯もある。
その結果が飲酒による健康被害と飲酒に対するモラルの低さ………と因果は巡りめぐっているわけで、今日の社会状況も長い時間を掛けて作り出されたものなのだ。
最近になってようやく周知されてきたが、タバコがやめにくいのは意志が弱いからではない。ニコチンが薬物で、身体的依存性と精神的依存性を生じるからだ。
アルコールもれっきとした薬物で、身体と精神の双方に依存性を生じる。その薬物に対する「渇望」は、厳罰の壁すら越えてしまうだろう。
「乗るなら飲むな飲んだら乗るな」は実に正しいスローガンだが、「わかっちゃいるけどやめられない」のも酒なのだ。
だから飲酒運転の厳罰化はひとつの方向性であるだけで、それだけではそれほど大きな効果は期待できないだろう。
補聴器物語(2)
補聴器のカタログを見ていたら、面白いことが書いてあった。
それは難聴者の症状の経過に関するものだったが、面白いことに(?)難聴者自身も周囲の人間も、どこもほぼ同じ経過をたどるのである。
私も兄弟たちも、母と話しているときには何度も「は?」「なんだって?」などと聞き返されて、いい加減イライラした。友達にも「耳が遠い人と話すと周りが疲れる」と言われたということだから、周囲の人も疲れていただろう。
情状証人で出廷してくれたとき には、どうなることやらと思っていたが(壇上の裁判長と証言席の間にはそれなりの距離があるが拡声マイクはない)、やはり裁判長の言うことを、は?は?と聞き返し、裁判長が嫌そうに何度も言い直していた(情状が悪くなったかもしれない)。
高齢を原因とする加齢難聴で起こる、本人と周りの状況に、この「聞き返しが多くなり、周りが疲れる」というのが挙げられる。
またこのような状況が起こってくると、悪いと思うのか見栄なのかしらないが、「生返事をする」ようになる。
内容をよくわかっていないくせに、わかったような返事をするのだ。
だから内容に食い違いが生じて、これもトラブルの原因になる。
あとは「本人が年寄りみたいだと装用に拒否感を示すケース」というようなこともカタログには書いてあって、まったくどこの年寄りも似たようなものだと驚いてしまう。
うちの母親の場合には当てはまらないが、「本人が申し訳ないと思って周囲と疎遠にする」などという場合もあるという。
あんまり難聴が進むと、音声刺激の不足から痴呆症状が進んだりもするというから、たかが難聴と侮れない。
共通して言えることは、本人が困ったり、周囲とトラブルになったりしないためにも、「早め早めの装用」なのだそうだ。
補聴器はまだ買いに行っていない。
本人は耳と髪にほとんど隠れてしまう外観と、重さをほとんど感じない装用感のよさと、若者の音響機器のようなオシャレなデザインですぐにでも欲しがっているのだが私の財布の都合がつかない、というのは冗談で、足の小指付近を2か所骨折したのだ。
トイレに起きた時にすべったのだというが…。
今日で2週間だが、まだ医者の許可が出ないのでギプスが外れず、しばらくは買いに行けなさそうだ。
つづく、つづく。飲酒運転。
公務員やら民間人やら、有象無象の人々による飲酒運転が続きに続いている。
忘年会や新年会のシーズンでもないのにこれだけ続くと、日常的な飲酒運転者も相当いることが予想される。
それを受けて、自治体の処分や法律面でも、処罰が相当強化されようとしている。
もしもの時自分がどうなるかという点では、そうとう困っている人も多いと思うが、私は酒を飲まないのでほとんど関係がない。
宗教の戒律でとか病気の治療中でとかいうわけではなく、ただ単に体が受け付けないというだけだ。
ほんの少量で気分が悪くなる。
飲みニュケーションとか言っている人間がいまだにいて(サイバーエージェントの藤田晋もそうだっけ)、酒を飲まない人間というのは特に職場で居心地が悪いものだ。
酔いどれて裸踊りをしたり、上司にタメ口をきいたり、大声で歌って近所から苦情が来たり、玄関の花瓶を落として割ったり、ゲロを吐いたり小便を漏らしたり、喧嘩をして警察を呼ばれたり、場合によっては留置場に入ったり、そういう「酒の席での失敗」をあからさまに皆の眼前で披露して、酔いがさめたその後に襲ってくる猛烈な後悔と真摯な反省という「サラリーマンとしてのカタルシス」を、「酒の上でのこと」と安易に容認したり、ことによっては好感したりする風土がこの国にはある。
飲酒運転の厳罰化はそういった日本的風土を一掃するねらいもあるようだ。
いい機会だから徹底的にやって、酒豪を恥とする雰囲気を作ってほしい。
イッキ飲みやイッキ飲ませも減るだろうし、飲酒運転事故や飲酒ひき逃げも減るだろうし、いいことづくめだ(あ、酒税収入も減るかも)。
厳罰化のほかに何ができるかという点では、何があるだろうか。
やはり子供のころから、「酒は場をわきまえてスマートにたしなむものだ」という教育を行うことだろう。
飲酒行為の先には、「法の垣根」があって、飲酒も度を過ぎるとあっさりとその垣根を越えてしまう。
追突さん に空手チョップ 、飲酒運転で人をはね足を骨折させたオッサン、飲酒検知拒否のとび職 に吉野家のレジを叩き壊した鉄筋工 。
殺人ホームレス だってことの発端は酒だし、元ヤクザの老人 なんか酔っ払って自分の衣服に火をつけ、大やけどしたらしい。
そうやって酒で人生を棒に振りかねない、あるいは振ってしまった人間の、なんと多く、また哀しいことか。
でも酒に酔って女子高生に痴漢をしたという植草教授は、何なんだろう?
あれは、単純に酒のせいでもないと思うが…。
40過ぎていきなりバタバタと性犯罪を犯すというのも、理解できない。
補聴器物語
しかし私は、「補聴器は必ず両耳でするもの」となぜか思い込んでいたから、30~40万くらい費用がかかって、それではとても買えないなと思っていた。
母親も母親で、「補聴器は携帯ラジオみたいな形をしている」となぜか思い込んでいて、年寄り臭くていやだとかたくなに装用を拒んでいた。
ところがいっしょに買い物に行ったイトーヨーカドーで、たまたま見かけたテナントの補聴器店を通りかかったときに、すかさず母親を誘って、有無を言わさず試用させてもらったところ、母親も私も認識を一変させることになったのである。
店の人に調べてもらったところ、母の耳は「左は老人性難聴と思われるが、右は耳道の形状に問題があって補聴器装用は不向き」ということで、「必ずしも両耳装用は必要でない」ということだったのである。
またその店はドイツ・シーメンス(私にとってのシーメンスのイメージはMRIだった)の取り扱い店だったのだが、その店のイチオシの機器 でも14万円台で買えるとのことだった。
ほかにも驚いたことはたくさんある。
耳穴にスッポリおさまって隠れる小指の先ほどの大きさの「耳あな型」のほかに、耳に掛ける「耳掛け型」があって、耳掛け型は形が大きいだけに少し割安になる。しかし「大きい」といっても、婆さんの耳の裏側に、簡単に隠れてしまうほどの大きさである。
指で耳をふさいだときに音がこもるが、補聴器のイヤホンでそうなってしまわないよう、空気が抜ける構造になっている。
また周囲の音が大きければ、自動的に補聴器が音を小さくし、反対に周囲が静かならば音声が大きくなり、そういった使用者の生活音のパターンを補聴器自身が学習して、先に先に音量を調整していくというのだ。
当然ながら聞こえる音域は使用者によって個人差があるものだが、それは販売店にあるパソコンソフトで、使用者個人に合わせて細かくチューニングされる。使用を開始したあとも、細かく調整していく。
そしてとにもかくにもオシャレなのだ。 デンマーク・ワイデックスの、このカラフルさはどうだろう。
i-podのヒットにつれて世間では耳掛け型のヘッドフォンが流行っているが、ここまでの華やかさはない。
ほんとうに、使える人がうらやましく思えてくるのである。
また意外だったのだが、精密機器は日本のお家芸で補聴器でも独壇場だと思っていたのだが、補聴器に関しては、どうやらそうではないらしい。
ドイツのシーメンス、デンマークのワイデックス、アメリカのベルトーンが日本でも世界でもブランド品で、純国産のリオン はかなり後方を追随している感がある。
リオン(リオネット)は「高温多湿の日本に調整されている」を売り文句にしているが、例えばシーメンスは世界110ヶ国で使用されていて、日本よりはるかに高温多湿の東南アジアや、寒冷な北欧などでも問題なく動作しており、日本人向けを考えた場合の人種による耳の形状の違いや、言語の周波数の差異などの問題もクリアしている。
リオネットが勝てるのはせいぜい価格くらいなもので、シーメンスの15万円相当品が7万円ぐらいというところだろうか。
それでも悪くはないが、私の母親はシーメンスの入門モデルである「シエロライフ」のクリスタルレッドを欲しがっていて、私は近々出費を強いられそうな気配だ(ローンだが)。
保護司の不在
久しぶりに保護観察の話題になるが、1週間ほど保護司は不在にしていた。
61年前に戦死した父親の慰霊に、C島へ行っていたのだ。
保護司は現在の自分や家族関係についてはよく話してくれるが、戦後まもなくのことは、あまり語らない。
一言、「新しいお父さんが来て…」と言うのを、聞いたことがあるだけだ。
継父継母の問題は、家族内部の問題と外部からの目という二重の問題を同時に内包するから厄介だし、価値観が今ほど多様化していない昔では、そのころ少女だった保護司に、外部の目を必要以上に意識させたのかもしれないし、ある種のコンプレックスを抱かせたのかもしれない。
私の父親は終戦時14歳だったが、戦争についてはほとんど何も語らなかった。
学徒動員で軍需工場に駆り出され、威張りくさった下士官に頬を張られたというぐらいだ。
戦後の農地改革も、恨めしかったらしい。
当時の大地主の豪農で、多くの小作人を抱えていたが、農地改革によって所有地は二束三文で買い上げられたのち、小作人に分配され、今度は小作人がそれぞれの地主となった。
その途端、「道で会っても挨拶もしなくなった」ということだ。
戦争についてどういう考えだったのか、私はあまり知らないが、山本五十六は好きだったようだ(ドラマを熱心に見ていた)。
「東条が全部わりいんだよ」と呟いていたことも、そういえばあった。
東京裁判の記録映画を熱心に見ていた。
厳罰化とのバランス(1)
刑罰が厳罰化されたから、それとのバランスを取るという名目で、杉浦法相はいろいろなことを私的委員会に諮問しようとしている。
まず、犯罪者の刑罰は「施設内処遇」と「社会内処遇」に大別される。
施設内処遇というのは文字通り刑務所内で矯正することであって、社会内処遇とは保護観察処分のことだ。
犯罪者処遇が2通りしかないという現状では、「収容率が118%を超える過剰収容の問題」にも、「性犯罪・薬物事犯といった常習性の高い犯罪」のどちらに対しても確実な対処ができない。
そこで注目されているのが、創設を諮問している3つの制度である。
「奉仕活動」 ・・・ 道路清掃や老人ホームでの作業などの義務づけは、20カ国以上で実施されている。
罰金を払えないがために、収監されて労役場(実際は刑務所)にいる人間への救済。
ただ、この制度の対象者は全受刑者の1%程度だという試算があり、差別が心配。
「ハーフウェーハウス」 … 昼は一般市民と同様に生活して仕事を探したりしながら、夜は「ハーフウエー
ハウス」と呼ばれる鍵のかかる専用施設に拘禁される制度の導入が主眼。
刑務所に閉じこめる「施設内処遇」と、保護観察による「社会内処遇」の中間
に位置づけ、犯罪者の社会復帰を促す狙いがある。
有職者の再犯率は約8%と、無職者に比べて5分の1だ。
「自宅拘禁」 … 保釈率を上げ、大都市の拘置所などの定員オーバーを軽減する。
保釈後に罪証隠滅や逃亡の恐れが生じないように、イタリアなどで実施されている
自宅拘禁や出国禁止などを想定。
自宅拘禁をどう実現するのか、対象者への全地球測位システム(GPS)の装着などが
議論になりそうだ。
(起訴前に国選弁護人を雇えることになったことについては、また後日)