いじめからの緊急避難
いじめは日本だけに特徴的なものではない。
どこの国にもいじめはあって、日本よりもひどい態様の国がある。
人間というのは異質なものを排除する本能がある。
だからいじめはなくならない。
それよりも、自分がたとえ「異質」とされるものであっても、うまくやって行ける能力を身に着けることのほうが、効果が大きい。
「いじめなんていうのは、昔からある」。
前者は、私と話をしていたある医者が言った言葉である。
何と言うか、すごく寒々しい。
後者は昼のワイドショーだ。
アホ。昔あったからって、今もあっていい理由にはならないだろう。
死を目前にしている子どもに必要なのは、とにもかくにも「緊急避難」だ。
その緊急避難とは、「環境を変えること」であるから、大人が手段を提供してあげられることだ。
1つは、「話を聞く大人が常にいる」ということである。
いのちの電話や子どもの人権110番など、「ここで君たちを待っているよ。ここまで手を伸ばしておいで」という形の普及が進むとよい。
2つは、文字通りの避難だ。いじめを理由として、物理的に学校を変える。
そのためには、「当事者である学校と、教育委員会が、積極的にいじめを認定すること」が必要だ。
一瞬にして廃虚に変わった 北海道佐呂間町
佐呂間町に竜巻が襲来したという。
佐呂間町と書くとピンとこなくても、サロマ湖と書くと分かるだろう。
湖の一部をオホーツクに口をあける汽水湖で、サロマ湖に沈むロウソク型の夕日というのが、神秘的だ。
私は高2の夏休み、北海道を一人旅していた。
佐呂間町へは網走からヒッチハイクで行ったのだが、降ろされた場所には、「泊まってけや」と掲げられた汽車の客車が2両あった。ここで寝ろということなのだろう。
少し歩いたところに、「佐呂間町ホタテ館」というのがあって、入り口でホタテのキーホルダーをいただいて、ホタテに関する展示物を見た。
そこからそれほど歩かない場所に、ガイドブックでも有名な1軒のすし屋があって、大賑わいだった。
とにかく地元の海産物がてんこもりで、客が若いと見ればシャリは大サービス。
いろいろ自分のことを店の夫妻が聞きたがるのが、若干鬱陶しかったが、彼らは彼らで、私が珍しかったのかもしれない。
若い客は大学生のグループに多かったが、高校生の一人旅は当時でもあまり見なかったからだ。
そんな北海道一周3週間の一人旅を終え、家に帰ると、親に捜索願を出されていた。
佐呂間はそんな思い出のある町だ。
私がヒッチさせてもらった、簡易トイレを運ぶトラックのおじさんや、その他の人たちが、無事であることを望む。
亡くなられた方には、衷心よりお悔やみ申し上げ、ご冥福をお祈りします。
前科者の就職(2)
前回書いたことだが、前科者の全てが就職に難渋するわけではない。
またみんながみんな協力事業主の下で働くわけではないし、ハローワーク経由で就職するわけではない。
逮捕直後、会社もクビになりこの先どうなるんだろうという状況のときに、その後の心配ということでかなりの部分を占めていたのは、やはり再就職のことだった。
前科者が普通の企業に就職できるのかなという、茫漠たる心配があったのである。
そのことを取り調べの刑事に言うと、「できるに決まってる。江戸時代じゃあるまいし、入れ墨入れて見た目で分かるようにするわけじゃないんだから」ということだった。
保護観察所は、保護観察中の早期就職を強く勧める。
保護観察中の再犯率が、有職者の7.1%に比べて、無職者は40.4%と群を抜いているためだ(平成16年)。
保護観察官は、「観察期間が終わると、こちらでは対象者が何をやっているかわからなくなってしまう」という。再犯がうんぬんというより、「制度が相談にのってやれる期間に生活を立て直してほしい」ということだ。
凡人閑居して不善を為すという言葉は本当で、ヒマがあると人間はよからぬことを考えてしまう。
いやな仕事をいやいややって、忙しすぎて過労死なんぞしたくはないが、多少「時間がない」と嘆く状態であっても、ヒマよりは忙しいほうが精神的にもよいようだ。
美談にしてはいけない
熊本県を除く46都道府県で世界史の履修不足が起きていた問題で、校長が自殺した。
死者に鞭打つことを承知で言うが、この人は責任感が強いわけでもなんでもなく、むしろ無責任ではなかろうか。
本来であれば教師は、「何があろうが生き抜くこと」や「集団の圧力(≒いじめ)に屈しないこと」、「命が大切なものであること」などを、その姿を持って、自らが何が何でも生き抜くことで示さなければならないのだ。
同じことは、新任女性教師が自殺した事件 にも言える。
もちろん管理職たる校長が「一命を副えて」生徒をかばおうとしたことと、新任教師の自分への見限りとは性質が異なるが、「教師」の自殺であることには違いがない。
職責や職位だけが、教師のすべてではない。大人が目の前でのた打ち回りながら、苦しみ、もがき、他人に助けを求め、ブザマに自分を立て直してゆく。
その姿を見る子供たちは、どれだけの信頼を大人である教師に寄せ、そして勇気付けられることだろうか。
だからその意味で、教師の自殺は生徒の自殺以上に罪深い。
本当に世間知らずだと思う。
少し壁にぶつかったからといって、こんなに簡単に、あっさりと死ぬことが、社会に対する罪だということには思いが至らなかったのだろうか。
ほんの一例を挙げれば、ワーキングプアと呼ばれる人々がいる。家計の主たる維持者が、フルタイムで働いても、収入が生活保護水準を下回り、平均的な生活すら維持できない人々のことだ。
あっさりと命を自ら絶つことが、不安定な就労環境で、文字通り明日の見通しすら立たない中で、それでもなんとか生きていこうとする人たちの意志と勇気をどれだけくじくかということを、考えてみるべきだ。
それは言い換えれば、困難に直面する社会の多くの人々に、「こんなに簡単に死なれちゃやってらんねえよ」と思わせてしまう罪である。
自殺ということは、いさぎのよいことでもけじめをつけることでも責任を取ることでもなんでもなく、個人的な逃避以外の何者でもないことは、自明の理である。
ほんの少し関わり方を変えるだけで、死ぬ必要すらなくなった
そうした別の世界の手に入れかたを生徒に自ら示すべきだったのだ
前科者の就職
横山秀夫の新刊に「真相」 というのがある。
主人公はかつて犯した強盗殺人の従犯という罪が、すでに刑を終えているにもかかわらず、なぜか世間にしれてしまう。
そのためにアパートは追われ、就職が決まらず、パチンコ屋で夫婦で住み込みをしている。
なぜそのようなことが起こるかというと、企業がコストのかからない簡易的な身元調査として、「ネットで氏名を検索する」からだというのだ。
一昔前までは以前の新聞など捜すのに大変な手間がかかったが、いまはそこそこ大きな事件であれば、地方新聞社のウェブサイトにも掲載されて、簡単に検索できてしまう。
その弊害だというのだ。
そんなことを以前保護司に話したら、保護司会で保護観察官に話を聞いてきてくれた。
身柄を拘束されていたり、服役していたりして、履歴書上空白期間ができてしまう人は、職務経歴を詳細に書く書式になっている履歴書は使わずに、就職情報誌に付属の、職務経歴欄が簡素にできている履歴書を使うとよいそうだ(もっとも職務経歴書を別途に提出させる企業も多いので、限界はある)。
また地域のハローワークには当然、希望者が前科者であると知った上で雇用する「協力事業主」が登録されているし、それ以外の事業主にも「暗黙の了解」の上で、前科がある就職希望者をあっせんする職員が、どのハローワークにもいるそうだ。
保護司なり保護観察所の紹介でその担当職員にあっせん(職業紹介という)を依頼すると、「暗黙の了解」で、先方企業には履歴書上の空白期間を伏せるなりなんなりして、紹介してくれるという。ハローワーク職員の、表に出ない仕事のひとつである。
もしバレたら? という、保護観察所・保護司・対象者・ハローワークにとっての不都合は常にあるが、それは「そのときはそのとき」なのだそうだ。
うーん、なかなかすごい。この世の中、ともすれば血も涙もないものに見えてしまいがちだが、じつは無償の愛とでも呼べるものもたくさんある。筋を通そうとすれば通るというか、少なくとも公的関係には、そういうことも多い。
昨日は保護司との面接日だったが、旦那はどこかに出かけてしまっていたので、晩御飯をご馳走してくれた。
近所の食堂から出前を取ってくれたのだが、帰りがけにスーパーで弁当でも買おうと思っていた私には、うれしい誤算だった。夕食代が浮いたからだ。
私の保護司は、表紙に「保護司手帳」と金文字で書いてある手帳を使わずに、ミスドの「スケジュールン」 を使っている。
私があげたものだが、手帳としての基本的な機能は充実していて、人前で取り出してもありふれていて目立たないからということで、重宝しているのだそうだ。保護司は対象者のプライバシーには最大の配慮をしているので、第三者に「あぁこの人保護司なんだな」と分かってしまうことまで、嫌がるのである。
ポイントが貯まったので、来年のものを昨日プレゼントした。シルバーのバインダータイプである。
番号持ち運びスタート
1兆7,500億だったか。
つくづく孫さんは、高い買い物をしたと思う。
ソフトバンク同士なら定額で通話もメールも無料になるというが、その戦略が失敗であったことは「LOVE定額」で証明済みだ。
話せば話すほどオトクになるというが、肝心の通話が低品質なのではどうしようもない。
何時間話そうが、ストレスになるだけだ。
LOVE定額で一時的に増えた契約者数も、結局はまた減少していった。
ボーダフォンの音質の悪さには、本当にあきれるばかりだった。
携帯端末はほとんどアドレス帳とめざまし時計の役しか果たさず、重要な用件の場合はケータイ片手に電話ボックスで通話する有様だった。
会社丸ごと買い取ったのだから、ボーダフォンがソフトバンクになったところで、通話品質そのものはまったく変わらないに違いない。
ボーダフォンから au に変えたときには、本当に驚いた。
ケータイなのに固定電話並みの音質で通話できるからだ。
au で本当に満足している。
ボーダフォンがどんどん値下げしていって、 au が追随して値下げしてくれれば、それで何も言うことはない。
我々の社会は、いい方向に向かっている。
テレビのニュースを見ていると、「心の荒廃が進んでいる」だとか、「我々の社会は何かを失ってしまった」というような表現を聞くことがある。
「高度経済成長と引き換えにして、失ったものがたくさんある」という論調だが、本当にそうなのだろうか?
昔を懐かしむ懐古趣味者たちは、「三丁目の夕日」 の時代はよかったなどと言う。
もちろん作品に描かれる人情味は否定しないが、そのころの社会には異質な他者や社会的弱者に対する差別が満ちていたし、職業蔑視もあったし、障害者は社会参加できず、男女雇用機会均等法もなかった。
北野大は当時を、「やっぱり不便だし、不潔だった」と言っている。
現在はどうか?
たとえば手話で会話している人を白眼視する者はいないし、用務員だろうが靴磨きだろうがトイレ清掃だろうが、かつてあった職業蔑視は、もうほとんど消滅している。障害者も社会の一員であるという認識で社会に迎えられているし、女性に対しては採用・昇進などのさいの差別が禁じられている。
たしかに子供が親を爆殺したり、そういう信じられないような事件が年に1回ぐらい起こる。
格差と言われるものの拡大や犯罪の低年齢化などといった、個々の問題もある。
しかし、我々の社会は、「おおむねよい方向に向かってきた」のではないだろうか。
昔はよかったと嘆いても、もう昔には戻れないのだから、今のほうがいい時代だという認識の下で、これからの社会をどうしていくのかという議論のほうが有効であると思う。
留置場の夢を見た。
久々に留置場の夢を見た。
私の身になにか大きなことが起こるときには、絶対に予知夢を見るので(バイク事故の前には病院のベッド上の視点の夢を見たし、逮捕の前には留置場の房内の夢を見た)、何かやらかしてまたブタ箱入るのかなと一瞬思ったのだが、どうも違うらしい。
留置場に入るために5人ぐらい行列を作っていて、そこに私の胸の高さぐらいしかないトンネルのような天井を潜り抜けて、私が冷やかしに行ったりしている。壁に直接作りつけられたベンチに4人ぐらい座って、談笑もしているし、こんな留置場はありえない。
アネハネハ。
川口裁判長は姉歯被告に「ベンツとBMWを持っていながら『生活に苦しくてやった』というのは何か違うのではないか」と質問。姉歯被告が「車はローンです」と答えると「弁解になってない。あなたには切迫感がない」と指摘した。
裁判長、姉歯被告に説教 というニュースのくだりだが、思わず吹き出してしまった。
本当にこの人は、「のれんに腕押し」というか「ぬかに釘」というか、周りがどんなに騒いでも、本人はどこか別次元にいるような感じがある。
善人顔とその雰囲気でもって、メディアも最初は「篠塚支店長の圧力で耐震偽装の構造計算を始めた」という姉歯の言いぶんを完全に信じていたフシがある(宣誓した国会証言で嘘は言うまいという前提もあったが)。
逮捕前には、メディアは「病気の奥さんがいて、子どもたちはグレていたが、最近仕事を手伝うようになった」、「高校卒ながら苦労して一級建築士になった」という大変好意的な姉歯像とでも言うべきものを、垂れ流していた。
結局、夫人は投身自殺してしまったが、打ちひしがれているのではないかという大方の好意的な予想に反し、それでもなお、姉歯の「異次元雰囲気」は変わることがなかった。
かわいそうなのは篠塚明元木村建設東京支店長で、郷里熊本では「会社が潰れたのもお前が姉歯に無理強いしたせいだ」と、かつての同僚に責められたりしていたという。
篠塚を追ったドキュメンタリーを見たことがあるが、メディアスクラムのせいで買い物にも行けず、「しばらくコメを食っていない」と言っていた。
高校の卒業アルバムの写真は神経質そうで、「カメ」というあだ名がつけられていた、 「自分を信じて買ってくれたオーナーさんの顔が思い浮かんで、眠れない」と言うこの責任感の強い人物は、被告となり拘置期間中に20kgも体重が落ちたという(通常は差し入れ品と購入品が一日中食べられるうえに、運動不足だからかなりの確率で太る)。
私はむしろ、この人物の名誉回復にこそ、取り組んであげたい気持ちになる。
対照的な2人
殺害直前?
美容整形外科医の娘が誘拐された事件の、初公判があった。
記事によれば、検察側は「警察が踏み込んだときには、娘は殺害直前だった」という冒頭陳述をしたらしい。
殺害直前??
以前書いたとおり 、警察は踏み込む前に時間をロスしている。
しかも、最初に間違えられた棟の住民が「その後向かいの建物が騒がしくなった」と証言しているのだから、最初に間違えた際にも「犯人の側から見ても騒がしかった」であろうことは、想像に難くない。
ということはもし、時間のロスがなければ「殺害直前のさらに前」、ようするに何もなかった状態の時に踏み込んでいたのだろうし、もしかしたら犯人は、向かいの騒ぎを知って殺害を企図したのではないか?
ということは、時間を意味する「直前」という言葉を使うのは間違っているし、少なくともフェアではないということは言える。



