||Φ|(T|T|)|Φ||    監獄☆日記    ||Φ|(T|T|)|Φ|| -9ページ目

箱根駅伝の非情さが好きだ

 腰の調子が悪くずっとリハビリに通っているが、私の担当の理学療法士はH大陸上競技部の出身で、スポーツにそれほど詳しくない私にその時々のスポーツについて解説してくれる。

 去年の暮れは話題が箱根駅伝で、いろいろ教えてもらっているうちに、すっかり箱根駅伝のファンになってしまった。

 東京・大手町から箱根・芦ノ湖の往復約220キロを、2日間にわたって10人で駆け抜けるという競技には、競技それ自体が持つ過酷さはもちろんだが、競技を取り巻く諸事情がかもし出す「非情さ」がある。

 その非情に思いを馳せるとき、言いようがなく胸がワクワクする。このワクワク感を、人はロマンと呼ぶのではないだろうか。

 

 芦ノ湖到着までの往路で1日目は終わり、翌朝に復路がスタートするが、選手は1日目のタイム差順に順次スタートしていく。1日目に1着から1分30秒後に2着したなら、2日目は1着校のスタート後1分30秒後に2着校がスタートするという具合である。

 しかし1着のスタート後10分を超えたものに関しては、タイム差をつけずに同時スタートとなる。

 これは大学間の着順や着タイム差をまったく無視するもので、それまでの駆け引きをフイにしてしまう。しかし着タイム差そのものはなくなるわけではなく、全校のゴール後にあらためて精算されるから、復路の着順がそのまま最終結果になるわけではない。だから最終的な順位は、あくまで全校のゴール後でないとわからないのだ。

 

 同じことは最終10区のスタートに関しても言える。

 1位校の10区スタートから20分を経過すると、9区選手の到着に関係なく、10区選手の強制スタートとなる。

 交通規制の関係で、大会を定時に終わらせるための措置だが、その結果「タスキがつながらない」大学が出てくる。

 220キロを10人の走者のタスキでつなげることが、駅伝競走の最大目的だが、その最大目的がかなわない大学が出てくるのだ(今年はそれが神奈川大学であった)。

 

 5区と6区は標高差700メートルの山道の上り下りだが、ここは平地での成績が通用しないという。

 平地で好タイムの選手でも、山道になるとからきしという場合が多々ある。

 だから作戦上、平地でコンスタントに好タイムを出せる選手は平地に優先的に使って、どの大学も山道は実力のよくわからない1年生がギャンブル的に当てられることが多い。

 そこで好タイムなら山ばかり走ることになり、今年の順大今井のように「山の達人」と呼ばれるまでになるが(今井の平地でのタイムはそれほどでもないらしい)、もし失敗すれば東洋大のように、1区間で2位から10位まで成績を落としてしまうようなことにもなる。

 だから5区と6区は、どの大学もかなりのリスクを背負っているのだ(つづく)。

あけましておめでとうございます

 あけましておめでとうございます。


 私の保護観察も折り返し点を過ぎました。

 生活も犯罪とは無縁、かつ安定しているので、今年もつつがなく、平穏に、時間が過ぎていってほしいと思っています。

 

 大晦日に思ったことは、やはりあの紅白、DJ OZMAの演出ですね。

 裸のボディースーツなら、着ても着なくても一緒。

 あんなものは演出とは呼べません。

 OZMAも脱ぐといって脱がなかったし、それでもいつでもカメラをはずせるように構えていたのがご愛嬌でしょうか。

 

 その後テレビをつけたままウトウトしていたら、宮崎哲弥の「外へ出ろってなんだよ!」「共産党!」という怒鳴り声で目が覚めました。

 見かねた田原総一郎に、「おい。品のなさを見せ付けてるぞ」とたしなめられると、「そうだよ! 共産党!」とさらに怒鳴る始末で、大人げない…。

 

 それでは、本年もよろしくお願いいたします。

愛の構造改革って…。

 安倍首相のスローガンが「美しい国へ」だと思っていたら、佐田前行革相の後任の渡辺善美氏は、愛の構造改革 なんだそうである。

 なんかもう、いい加減にしてくれと言いたくなる。気持ちが悪い。

 

 「美しい国へ」が抽象的過ぎて具体的に何をするのかがよくわからないとは言われていたが、私はまぁいいじゃないの、具体的な施策はこれからなんだし…と思っていた。

 しかし、もう批判的なことが言われているところにさらに「愛の構造改革」とは、適当にごまかそうという意図があるのではないかとしか思えない腹立たしさがつのる。

 結果を出せと言われても、美しさや愛は、数字で表しようがない。数字で表せるものがすべてではないことはよく分かるが、総理大臣や大臣の政策結果は、ほんらい数字で表さなければならないものだ。

 

 来年も、こういう流れになるのだろうか?

久々の裁判傍聴。

 久しぶりに、裁判の傍聴に行った。

 用事を済ませての午後からだから、それほど多くを見られたわけではない。

 

 法廷に入り、傍聴席に掛ける。

 裁判官が壇上から入ってくると同時に、全員が立ち上がる。公判が始まる。

 ここに来ると、いやがうえにも緊張感が高まる。

 裁判官・検察官・弁護士・警察官や刑務官、場合によっては被害者や目撃者や情状証人、入国管理官、そして被告人。

 立場の違う人々が、ここに一同に会する。

 とりわけ被告人にとっては、生殺与奪の場だ。

 刑事訴訟法というこの場を規定する法律にのっとり、許された者だけが発言をする。

 不規則発言は許されない。発言以外に聞こえるのは、低くうなる空調の音と、書記官がパタパタと叩くキーボードの音だけだ。

 

 1件目。強制わいせつ。

 21歳。満員電車の車内で、19歳の女の子のパンティーに指を入れ、右手人差し指を第1関節ぐらいまで、10秒ほど膣に挿入した事案。

 被告人は、19歳の少年時にも同様の犯行を行なっている。また弁護人によれば、今回の犯罪は彼女とのセックスの翌日の事件だそうだ。

 被告人は、「寝不足でボーッとしてやってしまった」と弁明する。

 裁判長は、「痴漢犯罪の中でも、ここまでやる人はあんまりいないです」、「この種の犯罪は繰り返すから、医療やカウンセリングなどを本気で考えなさい」と諭した。

 懲役2年が論告され、情状証人の母親は泣き崩れた。

 大学4年らしいが、試験が受けられず、留年がすでに確定している。

 弁護人は裁判長の退廷後、傍聴席の両親に、「判決までに示談する方向だから、300万用意してくれ」と告げた。

 

 2件目。公衆に著しく迷惑を掛ける行為の処罰条例違反。要するに痴漢。

 スーパーで続けざまに3人の主婦の尻をなでた件で、執行猶予の経験あり。

 今回は、朝のラッシュで女子高生の尻を手の甲で撫でた。

 強制わいせつとまではいかず、この罪名。

 裁判長は「今回はいかんともしがたいのですが」と言った。

 「いかんともしがたい」とは、初犯ではないので執行猶予はつけられない、すなわち実刑になるということだ。

 

 3件目。酔っ払いに包丁を突きつけた強盗。

 警察書類に「そんなことは言っていない部分がある」と、証拠採用で少しもめたが、裁判長は弁護人の異議を却下。精神鑑定請求も却下。

 かなり若い弁護人の、直球過ぎるテクは、どうやら通じなかったようだ。

 

 4件目。常習累犯窃盗。

 窃盗での服役、出所後2ヶ月ホームレス生活をしていたところ、「本屋で立ち読みをしていたら続きを読みたくなって」、リュックにまとめてコミックを万引き。

 中学卒業後、土木作業に従事。親族とは没交渉。

 裁判官に「ここでね、70後半の常習累犯窃盗のおじいさんとよく会うんですよ。その人は刑務所と娑婆の往復人生で、娑婆には人生の半分もいない」、「その人にね、今までの人生をどう思うって聞くと、やり直したいって言ったよ。君はまだ30代前半じゃないの」と諭していた。

 検察官にも、「そういう、ホームレスで窃盗をするような人生じゃない生き方をするには、どうしたらいいと思う?」、「そんなに難しいかな。働いて、お金を稼いで、普通に買えばいいんだ」と諭されていた。

 弁護人も、「彼は私には、自棄になっているように見えるんです」と弁論していた。

 

 しかし被告人たちは、揃いも揃って、みな一様に青白い顔をしている。

 初犯ではない人たちだから、過度の緊張ではない。

 日の差さない留置場の長期勾留で、色素が抜けてしまっているのだ。

 私もきっと、2年前はあんな顔をしていたのだろう。

 

 夕方になり、今日の、人生劇場は終わった。

14才の母(2)

 知り合いの医者に、「14才の母についてどう思うか」と聞いてみた。

 「昔なんか14才だったら元服して、子どもだって生んでいたわけだから、14才で子どもを生むことが問題なわけじゃない」

 「問題は、子どもを生んで育てられる14才なのかどうか」

 ということなのだそうだ。

 

 たとえば信長は、幼い頃からあちらこちらで人質生活の連続だった。

 そういう「敵中に信じられるものは自分だけ」という状況での14才は、いやがうえにも早い段階での自立を迫られる。

 反面いまの子どもは、親が手を掛けすぎる。

 なんでも親が先回りしてやってしまい、挫折や自律を知らずに成長してしまうから、プライドばかり高くて打たれ弱い大人ができるのだそうだ。

 たしかに、そうして育った現代の14才には、子どもを生む資格があるのだろうか?

 

 子どもの自立を促し、精神的にタフな人間に育てるためには、「挫折を連続して経験させること」が必要なのだそうだ。

 挫折と言っても、受験の失敗とか、会社をクビになるとか、親友や恋人の自殺とかそういうシリアスなものではない。

 たとえば幼児であれば靴下を自分で履かせてみるとか、小学校低学年であれば夜自分で寝て朝起こされずに起きるとか、ほんの少しだけ本人には高いハードルを常に与え続ける。

 当然最初は失敗するが、いずれそれは本人だけの力でクリアされ成功経験となり、新たな挫折経験と成功経験が繰り返される。

 それがずっと成長の過程で継続されれば、それが自立へのステップとなるのだそうだ。

 

 改正教育基本法には、「自立」という言葉が、あちらこちらに散りばめられている。

 それだけ自立が要請されているということであるが、この場合私にはどうも、「国をあてにせず生きろ」と強いられているように思えてならない。

14才の母

 14才の母 が話題になっているらしい。

 胸くそ悪いので、私は観ていない。

 

 保護司も観ていなかったが、14才の母をどう思うかということについて聞いたら、「反対せざるをえない」ということだった。

 保護司は2人の娘の母親だから、言葉が重い。


 「高等学校を出て社会で働くようになって、それぐらいの年になって、そこでやっと世の中のしくみや雰囲気が分かるようになるもの」

 「14才というのは、子どもを育てるための知恵が、絶対的に、決定的に足りない」

 「もちろん自分の体が未熟だから、母体の危険もある」

 「だから結果的には命を殺すことになるけれど、中絶するしかないと思う」

 

 私は、大仰に言えば教育の敗北だと思う。

 アフリカを始めとして、発展途上国で人口とエイズが大爆発している主な原因は、性教育の遅れによる避妊具の不使用である。

 しかしここは、先進国である日本だ。

 

 14才の少女に対して、家庭も、学校も、地域社会も、なんら教育力を発揮できなかった。

 「愛するために生まれてきた」と信じ込む、14才の「暴走」を、教育は制止できなかったのだ。

 それを考えるとき、私は暗澹たる気持ちになる。

 

 避妊具を使わなかった相手と使わせなかった自分に、落ち度はないのか。

 生んだからといって、今後どうやって育てていくのか。

 5年後10年後に、本当に後悔しないのか。

 未熟な親に育てられる子どもは、本当に幸せなのか…………。

 

 保護司は、帰りにおむすびを3つ持たせてくれた。

 娘さんの旦那が米どころの出身だということで、そこから送られてきた米である。

 私は梅が嫌いなので、塩むすびにしてもらった。

 海苔は、別に持たせてくれた。

誰の仕業だ!

 「現生解決の淫乱女性」

 「高級交際クラブ~招待状~」

 「Re:決定権を参照してください」

 「女性が男性分を負担!?」

 

 ここ数日で私に届いたケータイメールである。

 おそらく出会い系に、メールアドレスを登録したのであろう。

 他人事のように言うのは、私には身に覚えがないからだ。

 

 ずいぶん前にも、こんなことがあった。

 病院づとめをしているときに、看護婦と事務員の二股をかけていたのがばれてやられたのだが、看護婦は復讐のつもりだったのだろう。

 

 その後ケータイを替えて、今のメールアドレスを教えたのは3人で、全員女だ。

 その中の誰かと、トラブッてないと言えば、嘘になる。

 

 くそったれ…。

 誰の仕業だ………。

使い捨てない乾電池、エネループ。

 電池をサンヨーのエネループ に、徐々に替えて行きつつある。

 私のPCは、キーボードとマウスがワイヤレスなので、結構電池を食うのだ。

 唐突にマウスが動かなくなったりするから、買い置きも必要だし、乾電池の分別ゴミも出る。

 しかしながら100円ショップで性能のよく分からないアルカリ電池を大量に買い置いたりするから、本数としての使用量はかなりのものだ。

 そんなこんなで、エネループに変えたのである。

 

 コストは単3電池2本で740円と、まだ高い。

 だからいっぺんには替えられないが、PC、時計、リモコン等々、徐々に替えていこうと思っている。

電子辞書を買った。

 教育現場では、従来の紙の辞書が電子辞書に置き換わっていくことについては、どう考えているのだろうか。

 電子辞書を使って勉強している学生もよく見るから、許可されているのだろうか。

 「辞書は引いて覚えるものだ」とか、「辞書を引くことが勉強なのだ」とか、そういう古臭いことを言わないのかということである。

 

 最近になって多くの機種が、英語機能を重視したイアフォンつきのものに変わった。

 これはもちろん、センター入試にヒアリングが導入されたことの波及効果だから(メーカーはTOEICにも使えるとしているが)、もちろん高校現場でも電子辞書を許可しているのだろう。

 TOEICには以前からヒアリングがあったが、TOEICそのものに対応する電子辞書はほとんどなかった。

 メーカーにとっては、TOEICはマーケットが小さかったということなのだろう。


 遅ればせながら私も電子辞書を買った。

 シャープのPW-A8400 である。

 別に何かの勉強に使うというわけではないが、知らない言葉やうろ覚えの言葉があればすぐ調べられるし、いい年して間違った漢字を書くのは恥ずかしいから、調べてから書くという使い方もある(ケータイで漢字を出してもいいが、ドットが荒いので略字が表示されることもある)。

 単純に読み物だけというコンテンツもあるが、これは結構読みにくい。画面が暗いのと、液晶画面に横書きで字数が少ないという環境に慣れないせいだろう。

 

 なんと100コンテンツもある。

 私たちが現役の学生だったときにコイツがあれば、どれだけ楽だっただろうか。

 私は重い英和辞書だの中日辞書を持ち歩かなくて済んだし、司法試験を目指していたあいつは、判例六法だの模範六法だの、そうした重いものを山ほど抱えて、11階の研究室まで上がらなくても済んだのに。


 5年も経っていないと思うが、以前にも電子辞書を使っていたことがあった。

 英和・和英・漢字のみのもので、パチンコの景品だったのだが、見出し語がとにもかくにも少なく、引いた単語の解説も十分でないから、大変不便だった。

 今は広辞苑にしても百科事典にしても、完全な答えが記されている。

 広辞苑だけで23万語で、ドット表示ながら図表もある。

 すべてはメモリの高容量化だ。そして、値段も下がった。

 たとえば発売当初の2ギカSDは2万以上もしたが、今は4,000円程度だ。 

 

 SDがminiSDになったときにも驚いたが、いまはmicroSD というのまであるようだ。

 メモリの高容量化で、日々持ち歩く機器が、できるだけ少なくなるといい。

 ケータイとMP3ウォークマンとワンセグとラジオと電子辞書とデジカメが一緒になってくれれば、例えば音楽を聴いているときに電話がかかってきても分からないなどということがなくなる。

 

 …となかば冗談で思ってたら、シャープがワンセグの見られる電子手帳 を発売した。

 勉強しなくなっちゃうんじゃないの?




               
                   こんなの

                         こんなのまであるんだぜ


赤ちゃんポスト

 「赤ちゃんポスト」 なのだそうだ。

 「子の命保護」か「捨て子助長」かという議論があって、避妊もせずに作った子どもの世話を他人にさせるのかという不快感はあるが、私は基本的に賛成だ。


 妊娠中絶については、多分に宗教的要素が含まれるから、その点を含めた議論は議論にならないと思う(宗教が問題なのではなくて、分からないことが多すぎるのだ)。

 だから具体的な問題だけに限って考えてみると、メリットが多いことに気づく。

 

 とりわけ捨てられた、里子となるべき子の利益が大きい。

 物心ついてから里子に出されて、環境の変化に混乱したり、のちのち「親に捨てられた」というような無用な心理的な傷を受けるより、嬰児のころから心ある里親に引き取られ、その人たちを実親と認知して成長するほうが、本人にとってはよっぽどいい。

 また里親にしても、物心ついた子どもに「なぜここにいるのか」「なぜ私たちが新しい親なのか」という、デリケートな問題を説明をする苦労と苦悩が省ける。

 

 作ってしまった子どもを虐待する前に、たとえそれが究極的な無責任であっても、虐待の前に他人の手に委ねられるシステムが作られようとしていることは、評価に値する。

 ここへの子捨てが激増し、それによってヒューマニズムが問われる事態になっても、それはそれで新たな議論の材料となりうる。

 

 赤ん坊が公衆便所の個室で生み捨てられたり、コインロッカーから出てきたり、生命の危機に直面した状態で発見されたり、あるいはその後に虐待死したり、死なないまでも心に深い傷を負ったりすることよりも、more better であると考えるべきだ。