「信頼する」ということ | ||Φ|(T|T|)|Φ||    監獄☆日記    ||Φ|(T|T|)|Φ||

「信頼する」ということ

 私には2人の兄がいるが、今は2人ともほぼ絶縁状態だ。

 

 私宛の手紙が手違いで長兄に行ったものを転送してきたが、それは会社から会社の封筒を使ってのものだった。

 彼は自分の都合で(私が原因ではなく)転居したが、私に新しい住所を知られたくなかったのだろう。

 次兄も似たようなものだ。

 なんでこんな奴らにと、悔しいと思う。

 

 私がまだ、10代のころの話だ。

 長兄はほんとうに口先だけのお調子もので、軽々しい言葉を私に対して並べ、信じた私をひどく傷つけた。

 次兄はある事柄で私やまだ生きていた父親に、ひどい迷惑を掛け、私をひどい人間不信にさせた。

 

 水谷修氏は言う。

 「君たち子供は、1人の大人に裏切られると、なんだ大人なんてと、全ての大人に背を向けてしまう」。

 そうだ。少なくとも私がそうだった。

 世の中に、自分の味方をしてくれる大人など、1人もいないと思っていた。

 

 水谷先生はさらに続ける。

 「違う。1人の大人に裏切られたら、周りの10人の大人を信じろ」。

 「そうやって、世界観を変えていくんだ」。

 そのためにもがいているのが、今の私だ。

 

 私は何度、保護司との約束を忘れただろう。

 約束の時間を大きく遅れたり、日時を変更してもらったりしたことが、何回も続いたあとのことだ。

 2週間前にした約束を、久しぶりに忘れずに約束の時間通りに訪ねたら、蚊取り線香が焚いてあった。

 私が蚊に刺されないようにと、来るか来ないかわからない私に、焚いておいてくれたのだ。

 

 家族を信じることがなく、また家族から信じられることのない私を、信じてくれる人がいる。

 そして私はおっかなびっくり、他人を信じようとしている。

 「信頼」という、感情を取り戻すために。