「信頼する」ということ
私には2人の兄がいるが、今は2人ともほぼ絶縁状態だ。
私宛の手紙が手違いで長兄に行ったものを転送してきたが、それは会社から会社の封筒を使ってのものだった。
彼は自分の都合で(私が原因ではなく)転居したが、私に新しい住所を知られたくなかったのだろう。
次兄も似たようなものだ。
なんでこんな奴らにと、悔しいと思う。
私がまだ、10代のころの話だ。
長兄はほんとうに口先だけのお調子もので、軽々しい言葉を私に対して並べ、信じた私をひどく傷つけた。
次兄はある事柄で私やまだ生きていた父親に、ひどい迷惑を掛け、私をひどい人間不信にさせた。
水谷修氏は言う。
「君たち子供は、1人の大人に裏切られると、なんだ大人なんてと、全ての大人に背を向けてしまう」。
そうだ。少なくとも私がそうだった。
世の中に、自分の味方をしてくれる大人など、1人もいないと思っていた。
水谷先生はさらに続ける。
「違う。1人の大人に裏切られたら、周りの10人の大人を信じろ」。
「そうやって、世界観を変えていくんだ」。
そのためにもがいているのが、今の私だ。
私は何度、保護司との約束を忘れただろう。
約束の時間を大きく遅れたり、日時を変更してもらったりしたことが、何回も続いたあとのことだ。
2週間前にした約束を、久しぶりに忘れずに約束の時間通りに訪ねたら、蚊取り線香が焚いてあった。
私が蚊に刺されないようにと、来るか来ないかわからない私に、焚いておいてくれたのだ。
家族を信じることがなく、また家族から信じられることのない私を、信じてくれる人がいる。
そして私はおっかなびっくり、他人を信じようとしている。
「信頼」という、感情を取り戻すために。