⊂O–O⊃ あしべ ブログ主 顔文字はメガネ

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/")/") 
(Ŏ_Ŏ)シカハタビ
今回の投稿は、当ブログの最大目的である『zither中近東起源理論』の最初の一歩となります。

その最初の一歩を祝って明るく始めたいところでしたが、残念ながらそれはかないませんでした。

その最初の一歩の舞台はキーウ・ルーシ時代、最初の一歩の試みは、相川考古館所蔵の弾琴弾琴像さんと東スラブ(ルーシ)の民族楽器のグースリ(グスリ)を対照することです。
グースリという弦楽器はBaltic psalteryと呼ばれるzitherのグループのひとつですが、このグループを代表してグースリを、古代日本の埴輪である相川考古館所蔵の弾琴男子像さんと並べて比べて見ることが今回の投稿の内容です。

⊂O–O⊃あしべ
所蔵館の公益財団法人相川考古館の関係者の方々とワタシことブログ主うみひぢ_あしべは全くの無関係です。
無関係の素人の思いつきが、弾琴男子像さんを心苦しい成り行きに巻き込んでしまったことに、申し開きはできません。

/)ЧЧ/)
(6_6)シカタケル
2022年2月24日にロシアによるウクライナ侵略が始まり、今日に至るまでその終結の見通しは立っていない。

グースリのウクライナ語表記は「гуслі」だ。
ロシア語表記では「гусли」になる。
グースリの資料はロシアのものが充実していて、実際にこの投稿で引用したグースリの資料はロシアの書籍の日本語翻訳だったし、考古学資料としてのグースリが発見されたノヴゴロドはロシア連邦の都市だ。
また、YouTube動画の数から判断しても、現代のグースリが現代のウクライナよりもロシアでより盛んに演奏されているのは確実だろうと思われる。

それでも当ブログでは以下の理由により、現在のウクライナの首都にかつて存在したキーウ・ルーシの楽器としてのグースリを、弾琴男子像氏と対照の相手と決めた。

・当ブログが把握できた考古学資料としてのBaltic psalteryはグースリだけで、その年代はキーウ・ルーシ時代だった
・グースリには二つの点でlyre的性質が認められるが、そのうちのひとつがキーウ・ルーシ時代のグースリには存在していた

和琴と«The History of Musical Instruments»の投稿で、和琴がlyreの奏法を用いていることと、埴輪のzitherを当ブログでは和琴の祖形のzitherと呼んでいるのだが、その祖形のzitherもまたlyreの奏法を用いている可能性が高いのを説明した。
つまり、和琴やその祖形のzitherにはlyre的性質があるから、その対照の相手にもlyre的性質を持つことが望ましい。
そもそもが弾琴男子像氏は古代日本の考古学資料であるのだから、その対照の相手もまた考古学資料であれば、より良い対照ができるだろう。

おっと、研究者の間で祖形のzitherにlyre的性質を認めている意見は見たことが無い。
素人のあしべがその可能性があると考えているだけなのを押さえておいてくれ。

ただ、現下のウクライナとロシアの関係で、この両国を併記することには、居心地の悪さがある。
さらに他のBaltic psalteryが存在する国々もまた、ウクライナ情勢のもとでロシアとの関係が以前にもまして厳しくなっているのを、我々は知っている。

⊂O–O⊃あしべ
やっと『zither中近東起源理論』をブログで話せるまでにたどり着いたのに、このような始まり方しかできなかったのが悲しいです。

『zither中近東起源理論』の大きな要点になるのが「ユーラシアステップの開放」というモチーフで、それを生んだポントス・カスピ海ステップは、ウクライナとロシアをつなげるように広がっていて、その東隣にはTURAN ethno-folk ensemble の故郷カザフステップがあります。
ですので、『zither中近東起源理論』の投稿はウクライナとロシアの情勢から全く離れたように進めることができません。

※参照
『馬・車輪・言語  文明はどこで誕生したのか
(The Horse, the Wheel, and Language: 
How Bronze-Age Riders from the Eurasian Steppes Shaped the Modern World)
デイヴィッド・W.アンソニー(David W. Anthony) 著 
東郷えりか 訳 
筑摩書房』

文化と政治は切り分けて存在するべきだとワタシは考えています。
ですので、今回の投稿はウクライナとロシアの資料を合わせて記載します。
ロシアによるウクライナへの侵略が無ければ、今回の投稿はここまで悩ましくはありませんでした。
心弾む歴史浪漫。
そして当ブログの最大目的である『zither中近東起源理論』の祝うべき最初の一歩で、
相川考古館の弾琴男子像さんの画像を『zither中近東起源理論』へのチャレンジの嚆矢としようと素人が考えた。
何事もなかったなら、そんな感じの素人ブログの気楽な試みでしかなかったはずでした。

ウクライナとロシアをまたぐ今回の投稿で、
この情勢下にあるにも関わらず、
相川考古館の弾琴男子像さんを題材にすることは、
ある意味で弾琴男子像さんを現代の戦争に巻き込んでしまうようなものかもしれない、
そんなためらいを覚えます。

そう思いはしますけど、それでも弾琴男子像さんの相手にはキーウ・ルーシ時代のグースリが相応しいとワタシは考えます。

Baurzhan Bekmukhanbetさんと古代日本の弾琴男子埴輪この投稿で、ワタシは相川考古館の弾琴男子像さんについてこのように申し上げました。

>日本の枠を超えた評価を得るに相応しい潜在的実力を秘められています。

弾琴男子像さんの持っている潜在的実力を可視化できるのは、キーウ・ルーシ時代のグースリとの対照しかないとワタシは考えます。

そして弾琴男子像さんとキーウ・ルーシ時代のグースリを並べて比べて見ることは、このブログをご覧の皆さまに、『zither中近東起源理論』を説明抜きでイメージしていただく試みであります。
弾琴男子像さんの画像を見ながら、説明抜きで『zither中近東起源理論』への想像力を掻き立ててもらおうという楽しい試みであります。

いつかきっと、ウクライナに明るい未来が訪れるとワタシは願っています。
その時にはこの投稿を気楽な気持ちで読み返すことができますようにと願っています。

ですので、『zither中近東起源理論』へのチャレンジのために、弾琴男子像さんとキーウ・ルーシのグースリの対照を投稿します。

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(6∀6)シカタケル
明けない夜はない。
さあ前に進め!

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(ŎᴗŎ)シカハタビ
少々のことであきらめてなるものですか。
さあ今こそやりましょう!

…コホン。
いつものご案内をはじめますよ?

当ブログが投稿で開陳する考察と意見はあくまで『太平洋の斜め上な島国に住む考察厨のブログ』の考察と意見でしかありません。
文責はブログ主うみひぢ_あしべが負います。
投稿の題材である文化財の所蔵者、並びに文化財の研究者、これらの方々と当ブログは全くの無関係であります。
これらの方々のお考えと、当ブログの意見は全く無関係です。
その上で、当ブログの素人丸出しな考察をご笑覧くださいませ。

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(6∀6)シカタケル
現在の企画は《TURAN ethno-folk ensembleと日本の文化財のクロスオーバー》で、その第一弾であるBaurzhan  Bekmukhanbet氏と古代日本の弾琴男子埴輪の共演なんだが、今回はちょっともうそれどころじゃなかったなw


⊂O–O⊃あしべ
スキタイ時代ウクライナとキーウ・ルーシと相川考古館・弾琴男子像さん
↑この投稿で、相川考古館所蔵の埴輪である弾琴男子像さんの画像を当ブログに登場していただく理由をお話しました。

◆理由その1
相川考古館所蔵の弾琴男子像さんのzitherの弦がqossaz(қоссаз)と同様に二組に分かれているという前提で話を進めると、北ヨーロッパタイプのlyreからDzhetyasar(Жетіасар)のqossaz(қоссаз)が派生した過程がどのような様子であったのか?に対するワタシの推測の説明がとてもしやすくなるのです。

◆理由その2
Dzhetyasar(Жетіасар)のqossaz(қоссаз)と古代日本の祖型のzitherを繋げることができれば、そこからスキタイ時代ウクライナへ繋げることができるんですよ!

◆理由その3
東スラブ(ルーシ)の民族楽器のгуслі(gusli)、カザフの民族楽器のqossaz(қоссаз)、相川考古館所蔵の弾琴男子像さんのzither、それぞれの楽器の構え方が似ています。

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(ŎᴗŎ)シカハタビ
これらご紹介した理由のうち、今回は理由その3について投稿します。
理由その1とその2は、次の投稿で取り上げる予定です。

⊂O–O⊃あしべ
これはウクライナ共和国の首都に、キーウの建国1500年を記念して1982年に建立された記念碑である『Пам'ятний знак на честь заснування міста Києва』のGoogleマップのリンクです。
つまりウクライナの首都キーウという都市そのものの成立は西暦482年であるのが公式見解です。
その後、西暦9世紀にキーウ・ルーシが創建され、13世紀にモンゴルの侵攻によって滅ぼされるまで東スラブの中心地として栄えました。
「キーウ・ルーシ」とはなんなのか。
こちらの本から引用します。

ニッチジャーニー巻次:Vol.1
ウクライナ ファンブック
東スラヴの源泉・中東欧の穴場国 

『キーウ・ルーシ(キエフ大公国)
9世紀の終わり頃、ハザール・ハン国が衰退する中でキーウ・ルーシ(Киïвська Русь)が誕生した。キーウ・ルーシは、スラブ人のなかで東スラブ系ルーシ人(ウクライナ人の先祖)が最も早く建設した自前の国家である。このルーシ国家は、実は外来のノルマン人(ヴァリャーグ人)が建国したのだが、彼らは建国後、急速にルーシ人と同化したので、実質的にキーウ・ルーシを東スラブ人中心の国家と呼んで問題ない。また、本来の名前は、「ルーシ」だけなのだが、本書では慣例に従い「キーウを中心に発展したルーシ」として使われる「キーウ・ルーシ」を用いる。』
引用以上。



https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784908468414
(書影は版元ドットコムより)


ワタシに現代の政治や経済や社会問題を語る力量は有りません。
だから当ブログはブログルールとしてこの方面の話題に触れることを禁止しています。
しかしワタシは、ブログ主としていささか保持している権限で、今回の投稿と『TURAN ethno-folk ensemble』のウクライナとの関わりを紹介する投稿をブログルールの例外とします。

ワタシがこの本を買ったのはあの事態の後でした。
あの頃、当時の日本のツイッター(現 X)でウクライナの首都Киïв(Kiev)を、ロシア語読みのキエフと呼ぶのか、ウクライナ語読みのキーウと呼ぶのか、と議論になっていたのを覚えています。

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(ŎᴗŎ)シカハタビ
Киïвの日本のカタカナ表記が、それまでロシア語読みのキエフからウクライナ語読みのキーウへ正式に変わったのは、令和4年(2022年)3月31日からです。
この表記変更は、2022年2月24日のあの事態からの日本政府の判断によるものでした。
以下引用します。

外務省 報道発表
ウクライナの首都等の呼称の変更
『ロシアによる侵略は、明らかにウクライナの主権及び領土の一体性を侵害し、武力の行使を禁ずる国際法の深刻な違反であり、国連憲章の重大な違反です。』
引用以上。

でありますので、当ブログとしてはКиïв(Kiev)のカタカナ表記をキーウにしますが、日本のそれ以前の本の中ではキエフ呼びが普通ですし、引用するときはその文章のまま引用いたします。

⊂O–O⊃あしべ
それでは、グースリの予習の代わりにこのYouTube動画のアニメーションを見てください。
この動画を配信している『Medieval instrumentus musicaal』はウクライナの民族楽器を短いアニメーションで紹介しているチャンネルです。
伝統や歴史にご興味のある方はぜひ、この素敵なチャンネルを視聴してください!
そして登録もお勧めします!

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(ŎᴗŎ)シカハタビ
Medieval instrumentus musicaal
Гуслі
この動画について、概要欄ではこのように説明されています。
Гу́слі— найстародавніший щипковий музичний інструмент, що був дуже популярним у Київській Русі.
(Google翻訳:グースリはキーウ大公国で非常に人気のある最も古い撥弦楽器です。)

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(6∀6)シカタケル
アニメーションの奏者の右手の人差し指が上下に動いているのをよく見ておいてくれ。

⊂O–O⊃あしべ
では次にこちらをお読みください。
以下引用

新版 ロシア民族音楽物語 
ポポノフ,V.B.著
広瀬 信雄 翻訳
新読書社 

P17
『グースリという楽器についての話は、六世紀から今日まで伝わっている。ヴィザンチンの歴史家が伝えているところによれば、五九一年に、バルト海沿岸のスラブ人たちはギリシャ人によって、囚われの身になったが、そのとき弦楽器をもっていたという。今日の歴史家たちはその楽器がグースリに他ならないと確信している。』

P25
『キエフの漂白楽師たちの楽器にはいろいろなものがあった。一番多く使われていたのは、グースリである。それは翼の形をした木製の胴(そのために翼型グースリと呼ばれる)と四本またはそれ以上の弦でできている。
(中略)
演奏はひざの上に置いて行った。奏者は右手の指で弦をつまんだり、打ち下ろすようにし、左手でいらない弦の音を消していた。』

P33
『ノヴゴロドの漂白楽師たちがよく使っていたのは、いわゆる兜型のグースリ(グースリの第二バリエーション)だった。その構造は翼型グースリより改良されたものだった。』

P49
『初期のバラライカは、非常に素朴であった。
(中略)
メロディーは細い第一弦で弾かれらニ弦(三弦バラライカの場合は、第三弦も)は、常に一定音でブルドンとして響いていた。おとは爪弾きによって、つまり右手の人差し指で全部の弦を上下に打つことによって出した。このような音の出し方は、この楽器の響きを決定し、他にはない特色と民族的色調を与えた。
爪弾きの方法は、翼型グースリの奏法と関係があったと考えられる。』
引用以上。

P25にある「翼型グースリ」ですが、アニメーションで演奏されているのがその「翼型」と呼ばれるタイプです。

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(ŎᴗŎ)シカハタビ
P49に『右手の人差し指で全部の弦を上下に打つことによって出した。』とありますが、アニメーションの奏者が右手の人差し指で演奏しているのをご覧いただけましたでしょうか。
またこのページにはロシアの民族楽器のバラライカの奏法が翼型グースリに関係があると記載されていますが、その関係があるとされる奏法があのアニメーションで表現されているわけです。
このことはこちらの投稿でカザフスタンのDzhetyasar(Жетіасар)のqossaz(қоссаз)とドンブラの関係を考察する投稿でもう一度触れます。
⊂O–O⊃あしべ
P33の「兜型のグースリ」とは、この後で紹介する動画で演奏されている楽器がそのタイプです。

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(6∀6)シカタケル
紹介したアニメーション動画の概要欄には、グースリがキーウ大公国の楽器であると説明されている。

Файл:Slovisha gusli.jpg



https://uk.m.wikipedia.org/wiki/Файл:Slovisha_gusli.jpg#mw-jump-to-license
CC-BY-SA-3.0

この画像はロシア連邦ノヴゴロドで発見された紀元11世紀頃の、つまりキーウ・ルーシ時代の翼型のグースリの三面図だ。
この楽器はlyreであると判断できるのか?
日本の弾琴男子埴輪のzitherと比較するなら、先にグースリもまたlyreの性質を持っていることを確かめなければならないだろう。

⊂O–O⊃あしべ
上記で、グースリにはlyre的性質が二つあると話しましたけど、そのうちのひとつがこの画像ではっきり描かれてます。
英語では「playing window」、ロシア語では「игровым окном」と呼ばれている空間です。
そしてもうひとつ、「新版 ロシア民族音楽物語」のP25の引用で、弦を左手の指で音消しするlyre由来の「blocking 奏法」が用いられているのが確認できました。
これでグースリのlyre的性質は確認できたと思いますが、まぁ念のためもう少し調べますか?
「新版 ロシア民族音楽物語」のP17の引用は、紀元8世紀のキーウ大公国の建国よりもっと古い時代に、グースリが存在していた可能性を示すものです。
 
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(ŎᴗŎ)シカハタビ
ロシアの博物館のYouTube動画の概要欄に同様の説明があるのを確認しました。

Гусли XIV века
Российский национальный музей музыки
(※Google翻訳:
十四世紀のグースリ
ロシア国立音楽博物館)
⊂O–O⊃あしべ
ロシア語版のWikipediaのグースリの記事に、記録の詳細が載っていました。

歴史家のФеофилакт Симокаттаのが、591年に捕らえられた古代スラブ人が「кифары」をもっていたと記録していたのです。
「кифары」は当時の弦楽器で言うキタラ(кифары、cithara)と呼ばれるギリシャの竪琴を意味します。
おそらく現代の歴史家は当時のスラブ人がギリシャ人の楽器であるキタラを持っていたと解釈するよりも、キタラに似た楽器を持っていたと解釈するべきだと考えているようです。
事件の現場がバルト海なら、ギリシャのキタラを持っていたとするよりキタラに例えられるような現地の楽器を持っていたと解釈するのが自然でしょう。

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(6∀6)シカタケル
バルト海か。それならその弦楽器はグースリだけでなくBaltic psaltery全般の祖形と考えた方が無難かもしれないな。
Baltic psalteryのBalticはバルト海周辺のことだろう?

⊂O–O⊃あしべ
おっしゃるとおり。
でも考古学的資料としてはっきりしているのはキーウ・ルーシ時代のグースリしかありませんからこのままグースリで話を進めます。

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(6∀6)シカタケル
よーし、いよいよ日本の弾琴男子埴輪のzitherとグースリを並べるぞ。
まずは日本代表、相川考古館所蔵の弾琴男子像氏の三面図だ。
背面図を見てzitherが底面を奏者の腹部に押し当てるように保持されているのを確認してくれ。




帝室博物館 編『埴輪集成図鑑』第10,志村鋼平,昭和11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1264691 (参照 2023-10-30)

そしてカラー画像。
画像提供
所蔵館『公益財団法人 相川考古館』


©︎公益財団法人 相川考古館


⊂O–O⊃あしべ
それでは、こちらのウクライナ紳士がグースリを演奏する動画をご覧ください。
「新版 ロシア民族音楽物語』のP33にある『兜型グースリ』がこの動画で演奏されているグースリなんです。

versiicvua
Віктор Перепелюк - Ой чий то кінь стоїть (гуслі)



この動画の概要欄にはこのような説明があります
>День вуличної музики 2014 у Чернівцях
(※Google翻訳:2014 年Чернівцяхのストリート ミュージックの日)

/")/") 
(ŎᴗŎ)シカハタビ
この動画で演奏されているグースリには、英語では「playing window」、ロシア語では「игровым окном」と呼ばれている、lyre特有の空間がありません。
初期のグースリはlyreの構造をしていましたが、後の時代にzitherの構造をするようになりました。

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(6∀6)シカタケル
うん、思ったとおり演奏している様子が弾琴男子像氏と良く似ている。
この動画が撮影された町の日本語のWikipedia記事を見つけたんだが、ここは「チェルニウツィー」とカタカナ表記するようだな。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/チェルニウツィー

「チェルニウツィー」の街についてのページがウクライナファンブックのP72〜73にあったので引用する。

『チェルニウツィー
ルーマニアに近く、文化・言語の入り混じる都市
1408年には既に存在していたことが確認されており、長く複雑な歴史と民族的多様性を抱く町である。チェルニウツィーの最大の特徴は、美しい街並みである。
(中略)
長い期間モルダヴィアやオーストリアに属していたため、規模こそ小さいが、当時の雰囲気を残す美しい建築が維持されており、通りを歩くだけで、この町の持つ歴史の深みがそこここに見られ、心が踊る。』
引用以上。

/")/") 
(ŎᴗŎ)シカハタビ
チェルニウツィーのGoogleマップのリンクを貼ります。
美しい街並みの画像を、皆さまもどうぞご覧ください。
⊂O–O⊃あしべ
こうやって並べてみて良かったです。
弾琴男子像さんがzitherを構える姿とグースリの演奏スタイルは似てますよね〜

/")/") 
(ŎᴗŎ)シカハタビ
ええ、弾琴男子像さんと同じように、グースリも底面を奏者の腹部に押し当てるように保持しています。
似ていますわね。
似ていると言うだけでただ並べて見るのでは興が湧きませんから、あれこれと苦労して調べましたけど、その苦労が報われる思いがします。

⊂O–O⊃あしべ
これはロシアの画像です。
File:Концерт на гуслях. Н.П. Богданов-Бельский.jpg



https://commons.m.wikimedia.org/wiki/File:Концерт_на_гуслях._Н.П._Богданов-Бельский.jpg#mw-jump-to-license
Public domain

他のBaltic psalteryの画像も貼りましょう。
これはエストニアのkannelの演奏の画像です。

File:SUK127 145.jpg

https://commons.m.wikimedia.org/wiki/File:SUK127_145.jpg#mw-jump-to-license

CC BY-SA 4.0

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(6∀6)シカタケル
Baltic psalteryのWikipediaの画像を漁ってみると、カザフのジェティゲンのように膝の上に乗せる構え方…というか、相川考古館の弾琴男子像氏以外の多くの日本の弾琴男子埴輪のzitherも膝の上に乗せるが、それと同じ構え方もあるな。
これはフィンランドのkanteleの画像だ。

File:Väinämöinen kiinnittää kielet kanteleeseen.jpg
https://commons.m.wikimedia.org/wiki/File:Väinämöinen_kiinnittää_kielet_kanteleeseen.jpg#mw-jump-to-license
Public domain

これはロシアのグースリの画像
File:Слепой гусляр, поющий старинку.jpg

https://commons.m.wikimedia.org/wiki/File:Слепой_гусляр,_поющий_старинку.jpg#mw-jump-to-license

⊂O–O⊃あしべ
楽器の構え方も含めて考察をしてみましょうか。

演奏する時の奏者の楽器の構え方を三つに分けて、比較のポイントとします。
その1  
→奏者から見て楽器の弦は、縦方向か横方向か
その2
→奏者の両手は、弦を挟むか弦の上にあるか
その3
→楽器は、側面で立たせるか横たえられているか

その3の「横たえられているか」は、こちらの投稿で、和琴の動画や古代日本の弾琴男子埴輪、さらに東アジアの主なzitherの画像をお見せしましたように、東アジアのzitherの一般的な構え方です。
上の画像にありますように、Baltic psalteryの中にもこの構え方をする奏者がいます。
その3の「側面で立たせる」は、これ以外の構え方を指します。
日本の多くの弾琴男子埴輪の中で「側面で立たせる」構え方は珍しい。
無いわけでは無い。
しかしワタシのような素人が画像を見ただけではっきりと断言できるのは、相川考古館の弾琴男子像さんだけです。

ではありますが、ユーラシア大陸を見渡せばこの「側面で立たせる」構え方は珍しくはない。

上記の三つのポイントから見て、弾琴男子像さんのzitherとгуслі(gusli)は
その1→奏者から見て楽器の弦は、横方向
その2→奏者の両手は、弦の上にある
その3→楽器は、側面で立たせる
※ただしグースリは膝の上で横たえられて演奏される場合もある

ではこの投稿で紹介した楽器を比較してみましょう。

韓国土偶裝飾長頸壺とSiberian lyreと相川考古館・弾琴男子像さん
こちらの投稿で紹介したふたつの楽器をこの方法で比較してみます。
・韓国の新羅琴
・Siberian lyre

その1→奏者から見て楽器の弦は、横方向
その2→奏者の両手は、弦の上にある
その3→楽器は、側面で立たせる
※ただし新羅琴によく似た伽耶琴は床の上で横たえられる

弾琴男子像さんのzither。
韓国の新羅琴。
南シベリアのSiberian lyre。
キーウ・ルーシのグースリ。
このように、これら四つの楽器は構造的な共通性があります。
そして新羅琴以外ではlyre的性質が確認できてます…ワタシとしては新羅琴にもあると予想してますけど。

弾琴男子像さんは、何らかのlyre的性質にによって、韓国・南シベリア・そしてウクライナからバルト海周辺まで構造の類似を見ることができるのです。

相川考古館の弾琴男子像さんに対して

>日本の枠を超えた評価を得るに相応しい潜在的実力を秘められています。

このように申し上げた論拠が、この構造的類似なのです。
そして国立歴史民俗博物館の小島美子名誉教授の『zither中近東起源理論』。
当ブログの最大目的であるこの理論。
相川考古館の弾琴男子像さんの遥かウクライナの遠くまで広がる構造的類似は、今まで何回か軽く触れてきましたが詳しい説明をしていなかったこの理論を、イメージすることができます。

/)ЧЧ/)
(6∀6)シカタケル
ただし、新羅琴がlyre的性質を持つかどうかは今のところ確認はできていない。
素人のあしべが「新羅琴はzitherというよりlyreに似ている」と考えているだけだから、そのあたりは了承してくれ。


⊂O–O⊃あしべ
それでは今回の投稿のおわりになりますが、
いつかウクライナに平和が訪れて、このブログの一連の『zither中近東起源理論』の投稿を気楽に見返すようになれる日が、少しでも早く来ますように、腹の底から願います。

/)ЧЧ/)
(6д6)
素人で凡人なブログ主のあしべにできるのは、ブログ投稿にささやかな願いを載せることしかない。
だがTURAN ethno-folk ensemble のファンにならなければ、ウクライナの地の平和を、あしべはこんなふうに願ったりはしなかった。
これも何かの縁だ。

/")/") 
(Ŏ_Ŏ)シカハタビ
こちらの投稿の繰り返しになりますが、TURAN ethno-folk ensembleという音楽家集団が生んだ『袖擦り合うも他生の縁』なのでしょうね。
デニス・テンさんのファンの方たちと少しばかりの縁があった時もそうでしたが、悲しい時の縁はなお一層に息づかしさが深くなります。

/)ЧЧ/)
(6_6)シカタケル
この投稿ではそこまでの話はしないが、カザフスタンの近現代史はウクライナのそれと共通する部分があるんだ。
同じソビエト連邦構成共和国だったからだろう。

⊂O–O⊃あしべ
TURAN ethno-folk ensembleは公式Instagramで、ウクライナの平和を求める立場を明確にしています。
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(Ŏ_Ŏ)
この投稿の最後にこの曲のYouTube動画のリンクを貼りましょう。
この動画はカザフスタンの苦痛の歴史の曲で、映像は車輪に始まり車輪に終わります。
遠い昔、古代のポントス・カスピ海ステップの人々は馬に騎乗し車輪のあるワゴンを使ってユーラシアステップに進出したと『馬・車輪・言語』は語ります。
それが後の時代の遊牧文化の始まりでした。
しかし動画の中ではもはやカザフスタンの人々は馬に騎乗していません。
しかしどのような苦難な時代でも、遠い昔と変わらずに車輪は人々と共に草原を進んで行くのでしょう。

TURAN ethno-folk ensemble
TURAN / ZAR ZAMAN (The Crying Steppe)