/)ЧЧ/)
(6∀6)シカタケル
こちらはカザフスタンの民族音楽家集団『TURAN ethno-folk ensemble』のファンブログである…
あらかじめ閲覧者に念押しをしておくぞ?
ブログ主のあしべはカザフ語もロシア語も全くわからない。そもそもこいつは日本語しか理解できない。
その上あしべは«考察厨»なんだよ。
だからこのブログがどのような内容になるかについては、あらかじめ察してほしい。
ブログタイトルにある«考察厨»というネットスラングは、浅薄な知識と中途半端な理解でしばしばミーム汚染をもたらす輩への皮肉として使われるよな?
まぁ俺と我が后のふたりであしべがそんなことやらかさないように監督するつもりではいるがな。

⊂O–O⊃あしべ
«考察厨»をお好みではない方が閲覧者の中にいらっしゃったら、申し訳ございません…
え〜と、ブログ主のワタシが«考察厨»であるためなのか、前置きがやたらと長いブログです…
…何はともあれ、『太平洋の斜め上な島国に住む考察厨のブログ』は『TURAN ethno-folk ensemble』のファンブログです。



⊂O–O⊃ あしべ ブログ主 顔文字はメガネ

/)ЧЧ/)  シカタケル大王
(6∀6)    当ブログのツッコミ役。顔文字は牡鹿

/")/")  シカハタビ大后
(ŎᴗŎ)  当ブログのブレーキ役 顔文字は牝鹿


/")/") 
(ŎᴗŎ)シカハタビ
ブログカテゴリー「弓と弦楽器、日本とカザフ」では、これらの企画をお送りする予定です。

《TURAN ethno-folk ensembleと日本の文化財のクロスオーバー》
《アメノウズメとаруақ(先祖霊) 〜太鼓と琴と大地〜》
《鳴弦はどこから来たのか》
《弓道とэ т н о с о л ь ф е д ж и о (エスノソルフェージュ)》

これらの企画が日本とカザフスタンのコミュニケーション・ギャップを越える一助になれれば幸いです。

そしてブログカテゴリー「弓と弦楽器、日本とカザフ」では、日本とカザフスタンの文化財を取り上げる予定であります。
その意見はあくまで『太平洋の斜め上な島国に住む考察厨のブログ』の意見であり、文責はブログ主うみひぢ_あしべが負います。
文化財の所蔵者、並びに文化財の研究者、これらの方々と当ブログは全くの無関係であります。
これらの方々のお考えと、当ブログの意見は全く無関係です。
その上で、当ブログの素人丸出しな考えをご笑覧ください。



⊂O–O⊃あしべ
『zither中近東起源理論』。
これが当ブログの最大目的であります。
前々回の投稿では簡単に『zither中近東起源理論』の説明をいたしました。


今回は古代中近東のメソポタミア文明とウクライナについて投稿します。
次回の投稿でこの本について記事にしますが、今回はその前説明の投稿になります。
馬・車輪・言語―文明はどこで誕生したのか[上][下]
デイヴィッド・W・アンソニー 著 , 東郷 えりか 訳
筑摩書房

/")/") 
(ŎᴗŎ)シカハタビ
今回の投稿ではこの曲、«Reminiscens beati sanguinis»を背景音楽としてかけましょう。

TURAN/ "REMINISCENS BEATI SANGUINIS" / "EZBERLENECEK ÇOCUKLAR KUTSANMIŞ KANDIR"
映像の中に立っているのは古代テュルクの石人(balbal / балбал)ですね。石人の背後に遥かな地平線が広がっています。
映像はテュルクが活躍するユーラシアステップなのでしょう。

/)ЧЧ/)
(6∀6)シカタケル
この曲を聴きながらWikipediaにあったユーラシア・ステップのPublic domain画像を見てくれ。
カスピ海と黒海の間にある濃い緑色のあたりはコーカサス山脈のはずで、その向こう側にユーラシア・ステップがあるのを閲覧者には見てほしい。

Eurasian steppe belt (turquoise)

https://commons.m.wikimedia.org/wiki/File:Eurasian_steppe_belt.jpg#mw-jump-to-license
Public domain

⊂O–O⊃あしべ
え〜とですね。
ワタシは«考察厨»です。
前書きにあります通り、ワタシはしばしばネットミーム汚染を引き起こす原因となる属性を持っています。
これから«Reminiscens beati sanguinis»について当ブログが申し上げる内容は、『TURAN ethno-folk ensemble』とその周辺から発信された範囲を逸脱します。
こういうあたりで«考察厨»はミーム汚染をやらかします。
これが考古学のような学問の範疇なら最終的には考察が当たったか外れたかで決着がつきますので、さほどのミーム汚染にはなりません。
しかしこれが白黒の判断ができないアートの範疇だと、ネットに流された«考察厨»の考察は厄介なミーム汚染の原因になります。

/)ЧЧ/)
(6д6)シカタケル
マンガや小説などの作家と«考察厨»の相性は甚だ悪い。
«考察厨»がネットでつぶやいた何らかが、ネットの流れに乗って作家のもとまで行き着いて、その創作意欲を削ぐ話はひんぱんに聞かれるんだ。

⊂O–O⊃あしべ
それでも『zither中近東起源理論』を考察する上で、ウクライナ戦争を無視することはできませんでした。
古代中近東の文化がユーラシア大陸を横断してはるか東の果ての日本まで届くようなことがなぜ可能だったのか。
その結論は今戦場になっている場所で誕生した遊牧文化なんです。
ですので、閲覧者の皆様にはあらかじめお断りしておきます。
これから«Reminiscens beati sanguinis»について当ブログが申し上げる内容は、『TURAN ethno-folk ensemble』とその周辺から発信された範囲を逸脱します。
ぶっちゃけ、赤の他人のワタシが『TURAN ethno-folk ensemble』の心のうちをわかるはずがない。

/")/") 
(Ŏ_Ŏ)シカハタビ
…ここからはウクライナ戦争に関わる地名が多く出てきますが、それらは本来ならばブログ主の理解が及ばない領域です。そのおつもりでお読みください。

«Reminiscens beati sanguinis»の生みの親の中のひとりは、ウクライナ東部を故郷とするウクライナ人の研究者です。
そしてこの曲のもととなった資料は«Codex Cumanicus»というテュルク諸語のひとつのキプチャク語によるキリスト教の古写本で、これが編纂されたのはクリミア半島でした。

/)ЧЧ/)
(6д6)シカタケル
2023年12月5日火曜日のGeorge Washington 大学のLisner Auditoriumでのコンサートを振り返るInstagramの投稿の中に、この曲の説明があった。
コンサートを主催するジョージ・ワシントン大学の告知がこのリンクだ。

Instagramからその部分を引用する。
以下引用。

Сонымен қатар, концертте 1303 жылы Венецияның “Basilica di San Marco” кітапханасынан табылған қыпшақ тіліндегі дұғалар, гимн және жұмбақтар жазылған көне қолжазба «Codex Cumanicus» кітабындағы қыпшақтардың «Reminiscens beati sanguinis» атты бірегей музыкалық туындысы жаңа бояумен қайта жаңғырды. Бұл туындыны композитор @aktotyraiymkulova мен түркітанушы-ғалым Александр Гаркавец бірлесе зерттеп жеткізді. 
(※Google翻訳:さらに、コンサートでは、サン・マルコ寺院の図書館に所蔵されているキプチャク語の祈り、賛美歌、謎を記した古文書«Codex Cumanicus»に収録されているキプチャク族のユニークな楽曲«Reminiscens beati sanguinis»も披露された。 1303年にヴェネツィアで誕生したこの作品が、新しい色で復活しました。 
作曲家 @aktotyraiymkulova とテュルク系学者・科学者のАлександр Гаркавецが共同でこの作品を研究しました。 ) 
引用以上。

⊂O–O⊃あしべ
«Reminiscens beati sanguinis»の生みの親の一人の「作曲家 @aktotyraiymkulova 」は、『TURAN ethno-folk ensemble』の育ての親でもあり、TURAN さんにも楽曲を提供している作曲家のAktoty Raiymkulova(Актоты Раимкулова)博士です。
う〜む、何かもっとスペシャル感のある敬称を使いたいですね。
そうだ「女史」はどうですかね?

/)ЧЧ/)
(6∀6)シカタケル
おーいこのWikipediaみてみろ。
男女平等に反するから今時の日本のマスコミはこの敬称を使わないってさ。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/女史

⊂O–O⊃あしべ
そういうことなら、Yedil Khussainov(Еділ Құсайынов)師とかぶってしまいますけど、
Aktoty Raiymkulova(Актоты Раимкулова)師とお呼びしましょう。

/")/") 
(ŎᴗŎ)シカハタビ
Aktoty Raiymkulova(Актоты Раимкулова)師のInstagramはこちらになります。


/)ЧЧ/)
(6_6)シカタケル
«Reminiscens beati sanguinis»のもう一人の生みの親のАлександр Гаркавец博士についてなんだが….

/")/") 
(Ŏ_Ŏ)シカハタビ
Александр Гаркавец博士の詳細については、こちらのサイトで確認できます。
サイト名は『КЫПЧАК · КИПЧАК · ҚЫПШАҚ · QYPCHAQ · QIPCHAQ · KIPCHAK』のようです。

このページの中にある『ENGLISH VERSION』に張られたリンクをクリックしますと、英語によるこのサイトの説明が表示されます。
このサイトがアメリカの国務省やUNESCOなどのそれぞれの下部組織の後援を受けたサイトであることや、このサイトの主催者がАлександр Гаркавец博士であること、このサイトはテュルク語(おそらくキプチャク語)の古記録の電子公開を目的としていることが記述されています。
このページの下の方にこのリンクがあります。
リンクの文字はАлександр Гаркавец博士のお名前のラテン文字表記です。このリンクの先はАлександр Гаркавец博士の経歴が載せられています。
ページのフッターからこのサイトは2001年に作成されたらしいことがうかがえます。
このページはロシア語表記です。

Александр Гаркавец博士はウクライナ人のご両親のもとにウクライナの国内で生まれ育ちました。
ページの中にロシア語で「Донецкой области(Google翻訳:ドネツク地方)」、「Харьковского государственного университета.(Google翻訳:ハリコフ州立大学)」という地名があります。
ロシア語ですから翻訳すれば地名はロシア語準拠のカナ表記になりますね。
ハリコフはウクライナ語準拠のカナ表記ではハルキウとなります。
博士の故郷は現下のウクライナ戦争の東部戦線にあるのです。

⊂O–O⊃あしべ
ワタシはInstagramの投稿から«Codex Cumanicus»を調べてみようと思い立ち、まずはWikipediaを見に行きました。
ちなみにこの記事の中のReference欄の中にはАлександр Гаркавец博士のお名前がありました。
Wikipediaの記事の中にこのような文章がありましたので引用します。
以下引用。

The codex was created in Crimea in 14th century and is considered one of the oldest attestations of the Crimean Tatar language, which is of great importance for the history of Kipchak and Oghuz dialects — as directly related to the Kipchaks (Polovtsy, Kumans) of the Black Sea steppes and particularly the Crimean peninsula.
(Google翻訳:この写本は14世紀にクリミアで作成され、クリミア・タタール語の最も古い証拠の一つと考えられており、黒海ステップ、特にクリミア半島のキプチャク人(ポロヴェツィ人、クマン人)に直接関係するキプチャク語とオグズ語の方言の歴史にとって非常に重要です。)

引用以上。
Wikipediaはとても便利ですがその情報には裏どりが必要になります。
それで«Codex Cumanicus»がクリミア半島で作成されたのが間違いないのか調べるためネットを漁って、この二つのサイトのページにそれらしい記述があるのを確かめました。

A CODEX CUMANICUS
Kun-kipcsak himnuszok és találós kérdések
Elektronikus kiadás: Terebess Ázsia E-Tár

ТЮРКСКИЕ ЯЗЫКИ
Кыпчакские языки
↑は上記で紹介した『КЫПЧАК · КИПЧАК · ҚЫПШАҚ · QYPCHAQ · QIPCHAQ · KIPCHAK』のサイトの中にあったページです。

«Codex Cumanicus»がクリミア半島で編纂されたのは間違いなさそうです。

/)ЧЧ/)
(6_6)シカタケル
«Reminiscens beati sanguinis» を調べると、ウクライナ戦争に関わる地名が並んでいる。
そしてこの曲が«Codex Cumanicus»をもとにしたと記されているInstagramの投稿は、『TURAN ethno-folk ensemble』がアメリカの政治の中枢ワシントンで公演した後の投稿だった。
ただし、あしべは大事な情報を見落としている。
上記の«Reminiscens beati sanguinis» の動画がYouTubeで投稿された日付は2022年9月20日であるのをこいつは忘れているんだ。

/")/") 
(Ŏ_Ŏ)シカハタビ
2022年9月13日のカザフスタンにはローマ教皇フランシスコ猊下の御訪問がありました。
日程から考えれば«Reminiscens beati sanguinis»は教皇の御訪問に合わせて作られた曲であると判断するのが筋であり、そこにウクライナ戦争を見てとるのは筋違いです。
参照
VATICAN NEWS
https://www.vaticannews.va/ja/pope/news/2022-09/kazakhstan-incontro-autorita-societa-civile.html

⊂O–O⊃あしべ
そうなんですよね、ウクライナ戦争に関わる地名が並んでいるように見えるのは偶然なんでしょうね…
…このワシントン公演をYouTube動画で見つけることはできませんでしたが、Instagramの投稿の様子だと、«Reminiscens beati sanguinis»は上記のYouTube動画のバージョンではない別バージョンで演奏されたと思われます。
この曲のステージバージョンがこちらのコンサート動画の中にありました。
ワシントンでもこのステージバージョンで演奏したようですね。
«Reminiscens beati sanguinis»は1:23:10頃にはじまります。
Aktoty Raiymkulova(Актоты Раимкулова)師がピアノを担当していらっしゃいます。

Abai TV / Абай TV
«BRIDGE OF TIMES». «Тұран» этно-фольклорлық ансамблінің концерті


/)ЧЧ/)
(6∀6)シカタケル
それでもさ。
『TURAN ethno-folk ensemble』の公式Instagramの2022年3月3日の投稿で、彼らがウクライナの友人とともに平和を訴えていることには間違いはないだろう?
この投稿から引用するぞ。
以下引用。

Мы за мир во всем мире! В это сложное время только единство и дружба может стать залогом нашего будущего! И поэтому мы через наше музыкальное посвящение совместно с нашим украинским другом Валентином Лысенко призываем всех остановить войну и сделать шаг к мирной жизни!
(Google翻訳:私たちは世界平和のためにいます!この困難な時期に、私たちの未来への鍵となるのは団結と友情だけです。したがって、私たちはウクライナ人の友人Валентином Лысенко とともに音楽への献身を通して、戦争を止めて平和な生活に向けて一歩を踏み出すよう皆さんに訴えます。)

引用以上。

/")/") 
(ŎᴗŎ)シカハタビ
『TURAN ethno-folk ensemble』のウクライナの友人で、この投稿で美しいバンドゥーラ(бандура)を演奏している方はВалентином Лысенко さんです。
この方のご紹介は別の投稿を予定してますので、今回は公式YouTubeチャンネルのリンクだけ貼っておきます。

Valentyn Lysenko
⊂O–O⊃あしべ
そうですよね、『TURAN ethno-folk ensemble』が平和を訴えていることに間違いはないんですよね。
«Reminiscens beati sanguinis»とウクライナ戦争の繋がりはワタシの勘違いなんでしょう。
勘違いでもいい。
それでも平和への祈りを。

/)ЧЧ/)
(6∀6)シカタケル
安國と平󠄁けく知し食󠄁めすことを。

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(ŎᴗŎ)シカハタビ
祓へ給ひ淸め給たまふことを。



⊂O–O⊃あしべ
それでは『zither中近東起源理論』をメソポタミアとウクライナから見てみましょう。
『zither中近東起源理論』と申し上げますが、中近東の文明であるメソポタミアにはlyreやharpなどの弦楽器の出土品がありますが、しかしzitherだと明確に判別できる出土品の存在をワタシは聞いたことがありません。

/)ЧЧ/)
(6∀6)シカタケル
メソポタミアにzitherの出土品が無くても推測可能な範囲での当ブログの考察が、前々回の投稿で述べたこの図式だ。

『zither中近東起源理論』=「筏状zither(raft zither)」→「板作りのzither(board zither)』

/")/") 
(ŎᴗŎ)シカハタビ
日本からの視点として、『zither中近東起源理論』をユーラシアのlyre文化を背景とした弦楽器がどこかでzitherに変化して古代日本の和琴とその祖型のzitherとなったという考察を当ブログはこちらの投稿しています。


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(6∀6)シカタケル
相川考古館の弾琴男子像氏には、こちらの投稿でウクライナのキーウから始まるキーウ・ルーシに起源をもつスラブ民族の弦楽器グースリと共演してもらった。

⊂O–O⊃あしべ
弾琴男子像さんお久しぶりです。
せっかくなので弾琴男子像さんの画像を貼りましょう。

画像提供
所蔵館『公益財団法人 相川考古館』

©︎公益財団法人 相川考古館

弾琴男子像さんの画像には大変お世話になりました。
当ブログにとっての古代日本の弾琴男子埴輪の代表例として、彼の画像を使って『zither中近東起源理論』のイメージ喚起をさせていただきました。
さらに弾琴男子像さんのzitherをカザフスタンのシルダリア川流域で発掘された紀元4世紀のzither系弦楽器Dzhetyasar(Жетіасар)のqossaz(қоссаз)を結びつけることで、日本の和琴の独特の弦の張り方の考察をしました。
ああっと、彼のzitherに関しては確言できない部分がありまして、その考察は確言できない部分を肯定するという前提が付いています。 

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(6∀6)シカタケル
メソポタミアのzitherと明確に判別できる出土品がない状況だった。
そのため『zither中近東起源理論』を考察するには、相川考古館の弾琴男子像氏のzitherと、北ヨーロッパ系統のlyreと同系統であるDzhetyasar(Жетіасар)のqossaz(қоссаз)の組み合わせから立ち上げる必要があった。

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(ŎᴗŎ)シカハタビ
Dzhetyasar(Жетіасар)のqossaz(қоссаз)についての投稿はこちらです。
⊂O–O⊃あしべ
紀元4世紀のDzhetyasar(Жетіасар)のqossaz(қоссаз)は北ヨーロッパ系lyreの出土品としては現在世界最古です。
またlyreそのものの出土ではありませんが、ウクライナでは北ヨーロッパ系のlyreの特徴、共鳴体から突起状に突き出たstring holderがはっきり判別できる型押し加工をなされた紀元前4世紀の黄金細工が出土しています。
所蔵館
Скарбниця Національного музею історії України
(Museum of Historical Treasures of Ukraine)
この黄金細工についてこの本からキャプションを引用します。

ウクライナ国立歴史宝物博物館 所蔵
黄金のシルクロード展
東西文明の交差を訪ねて
発行 黄金のシルクロード展実行委員会
以下引用

P29
額飾り
展示番号65
前4世紀/チェルカッスィ州サスノフカ村・古墳出土/金/型押し/長36.5cm, 幅9.8cm
引用以上。

/")/") 
(ŎᴗŎ)シカハタビ
『TURAN ethno-folk ensemble』のファンブログという建前のもと、
日本とカザフスタンのコミュニケーション・ギャップを越える」という提議を掲げて、
考古学というファンブログとしては少々無理のある内容の投稿を続けるための企画である《TURAN ethno-folk ensembleと日本の文化財のクロスオーバー》で、
そのその第一弾として相川考古館所蔵の弾琴男子像さんと、
『TURAN ethno-folk ensemble』のドンブラ代表Baurzhan  Bekmukhanbetさんの
共演として?
YouTube動画などのリンクを張り続けさせていただきました。
実態はあしべさんが『TURAN ethno-folk ensemble』を巻き込んで«考察厨»の性癖を全開にしただけですけど。

/)ЧЧ/)
(6∀6)シカタケル
白状しちゃったよw 

/")/") 
(ŎᴗŎ)シカハタビ
このおふたりにつきましては、『zither中近東起源理論』の紹介の投稿の最後に世界のlyreなどの弦楽器と共演?という形で再登場の予定でございます。

/)ЧЧ/)
(6∀6)シカタケル
それにあしべは考古学に夢中になりすぎて、途中から《TURAN ethno-folk ensembleと日本の文化財のクロスオーバー》の企画名を投稿に入れるのを忘れてたよなw

⊂O–O⊃あしべ
それにつきましてはブログ主として陳謝いたします。
話を戻しますよ?
メソポタミア文明は古代文明の代表格の一つで豊かな農業生産力を持つことと青銅器文化の起源の地として知られています。
メソポタミアは高度な文明を営むことができるほどの農業生産力に恵まれていましたが、他の古代文明と違って主要な資源の原料供給地のほとんどが近隣になかったために遠隔地との交易に励む必要がありました。
例えば同時代のインダス文明と交易していたことが判明しています。

参考
都市の起源 古代の先進地域=西アジアを掘る
小泉龍人
講談社

/)ЧЧ/)
(6∀6)シカタケル
交易が盛んになれば情報発信力も大きく育つ。
それはメソポタミア文明が青銅器文化を生み世界に広めた要因のひとつだったんだろう。
これはWikipediaにあった「西アジアの金属資源地」の図だ。

https://commons.m.wikimedia.org/wiki/File:Metal_production_in_Ancient_Middle_East.svg#mw-jump-to-license

CC BY-SA 3.0

⊂O–O⊃あしべ
この図の上部にクリミア半島と「Caucasus」の文字がありますが、その向こう側がユーラシアステップです。
広い交易圏をもつメソポタミアからウクライナは決して遠い場所ではなかったのが、この図からうかがえます。
今回の投稿はこれで終わります。

/)ЧЧ/)
(6∀6)シカタケル
よし、次回の投稿はこの本をもとにしてメソポタミアからウクライナ、ロシア、カザフスタン、そして中国まで一気に進むぞ!
馬・車輪・言語―文明はどこで誕生したのか
デイヴィッド・W・アンソニー 著 , 東郷 えりか 訳
筑摩書房



/")/")    次回の投稿は
(ŎᴗŎ)  「『zither中近東起源理論』と『ユーラシア・ステップの開放』2/3」です。