近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら
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大のお気に入りの店で昼めしです。
前の訪店時の拙ブログ 初回(塩)→こちら 二回目(醤油)→こちら 三回目(味噌)→こちら

ラーメン由(国道20号から県道113号に入り北上してすぐ)
変わらずの旨さ。鶏、豚、魚介のトリプルスープは、いずれかが前に
出るわけではなくお互いが助け合い調和し旨味を引き出している。
メンマの歯触りは良いし、大判で厚みのあるチャーシューは絶妙な火入れ。
味付けも他の邪魔しない程度に仕上げられており良い塩梅。
しいて言えば、もう少しだけ麺は細い方が「塩」には合うと思うが、
食べ方を工夫すれば問題は解決。本当に旨いラーメンだ。

塩ラーメン(チャーシュー、メンマ入り)麺大盛り

旨いラーメンに大満足し、武田不動尊が祀られている恵林寺に。
前回訪れた時の拙ブログは→こちら

乾徳山(けんとくさん)恵林禅寺の沿革
恵林寺は臨済宗妙心寺派の名刹である。 元徳2年(1330)に、甲斐牧ノ庄(かいまきのしょう)の地頭職(じとうしょく:領主)をつとめていた二階堂出羽守貞藤(にかいどうでわのかみさだふじ:道号は道蘊 どううん)が、夢窓国師を招き、自邸を禅院とし創建しました。
武田信玄の尊敬を受けた美濃の快川(かいせん)和尚の入山で寺勢を高め、永禄7年(1564)には、信玄自ら寺領を寄進し当山を菩提寺と定めました。
天正4年(1576)4月、遺言通り三年間の秘喪の後、武田勝頼は快川国師の導師のもと、父信玄の盛大な葬儀を厳修しました。 しかし天正10年(1582)3月、勝頼は時運を味方につけることができず天目山下に自刃、甲斐武田氏は滅亡しました。同4月3日、恵林寺は織田信長の焼き討ちにあい、快川国師は「安禅必ずしも山水を須(もち)いず、心頭滅却すれば火も自(おのずか)ら涼し」と言葉を残し、百人以上ともいわれる僧侶等とともに火に包まれました。
同6月3日、「本能寺の変」によって信長が斃れて後、徳川家康の手により復興され、また徳川五代将軍綱吉の時代に甲斐国主となった柳沢美濃守吉保の庇護で寺運は発展、柳沢吉保嫡男の吉里の代に柳沢家は奈良大和郡山に転封となるも、吉保夫妻は恵林寺を菩提寺として霊廟をもうけました。
庭園は鎌倉時代、夢窓国師の作庭で、国の史跡・名勝に指定されており、甲府八景「恵林晩鐘」に詠まれています。
-臨済宗恵林寺公式Webより

恵林寺の庫裡(武田不動尊)

前回参拝時ブログ(→こちら)に詳しく載せたので今回はサクッと。


前回は、武田信玄公墓所への立ち入りは出来ませんでしたが、本日は、
信玄公の月命日である12日にあたるので、墓前にて手を合わせることが
出来ました。
信玄公墓所への拝礼後は、綺麗な庭を堪能しました。


武田不動尊 御朱印 月命日限定御朱印
本日2度目の「由」です。

折角甲府まで来たので。というか、ここのラーメンが食べたくて甲府に
来たので「醤油」も食しに。
出汁が旨いのは当たり前だが、こちらは鼻に抜ける醤油の香りが良く、
麺との相性はバッチリ。煮卵は良い塩梅の湯で加減で程良い味付け。
いや~旨い旨い。

醤油ラーメン(チャーシュー、メンマ入り)+煮たまご

本日の旅泊地に到着。

第79日目終了
本日の走行距離 136km
つづく
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