[正論(66)~増税論者は否定された①~のつづき]
かつては、財務省でさえ、リカーディアンの考え方には慎重だった。例えば、1989年の消費税創設では、同時に物品税を廃止したので、消費増税は物品税廃止と見合っており、消費増税の影響は中和されている。
1997年も、先行所得税減税しており、レベニュー・ニュートラル(増減税同額)で消費増税の影響を緩和しようとしていた。ただ、その当時、レベニュー・ニュートラルなので、消費増税の影響はありえないと主張する者が大蔵省では支配的だった。筆者は、過去の減税を先食いしても忘れて、今の増税で消費に悪影響が出ると言った記憶があるが、そのようなことを言うなという雰囲気だった。時間差があっても、レベニュー・ニュートラルなら増税の影響はないというのは、リカーディアンの考え方だ。
後日、こうした話は、「今日と明日の違いは、明日と明後日の違いより大きい」という行動経済学の双曲割引だと後で知ったが、実務では当たり前の話である。
ちなみに、先行所得税減税していると。ある程度消費向上効果が持続し、消費増税になってもすぐには消費減退せずに、半年くらい遅れて消費減退になる。このように、1997年の消費行動を説明することもできる。
たまたま、1997年秋にアジア危機があり、そのために景気が後退したというのが、財務省や経済学者の見解であるが、筆者はかねてより疑問を持っている。2012年4月19日付け本コラムに書いたように、アジア危機の震源地韓国より日本の経済パフォーマンスが悪いことが説明できない。消費増税が原因であろう。
今回の消費増税では、財務省や黒田日銀総裁のほか主流派経済学者がそろって増税の影響を見誤ったのは、みんな、リカーディアンだったからだ。しかし、97年も含めて、今回もリカーディアンの考え方は成立しなかったことが明白になった。
■追加緩和・反対論者の自己矛盾
黒田日銀総裁は、消費増税についてはリカーディアンで問題があるが、金融政策ではまともだ。しかし、日銀には、金融政策で首をかしげるような人もいる。
日銀は25日、10月31日の金融政策決定会合議事要旨を公表した。その日は、追加緩和を決めたが、賛成5人、反対4人という僅差だった。その反対論者である。
その議事要旨には、「多くの委員は、原油価格の下落は長い目でみて日本経済にとってプラスであるものの、このところの大幅な下落は、消費税率引き上げの後の需要面での弱めの動きと合わせて、短期的には物価の下押し要因として働いていると指摘した」とある。一応日銀も消費増税の影響を認めている。
ここで、追加緩和賛成の5人と反対の4人のスタンスの違いが出てくる。追加緩和賛成論者は、当然ながら追加金融緩和に傾くが、反対論者は、追加緩和の効果がないかわりに、副作用のリスクを強調する。
反対論者がいう副作用とは、財政ファイナンスになること、大量の資産購入での市場機能の低下、金利低下による金融機関への悪影響である。
財政ファイナンスというと、すぐ禁じ手であると条件反射する人がいるが、英語でいえば、マネーファイナンスとかマネタイゼーション(貨幣化)といわれるもので、禁じ手でも何でもない。バーナンキ・前FRB議長はしばしばデフレなら活用すればいいといっていたくらいだ。問題になるとすれば、それで悪性のインフレが起こる場合だ。しかし、日銀を含め先進国の中央銀行ではインフレ目標があるので、それを無視して、財政ファイナンスが行われることはない。つまり、インフレ目標は財政ファイナンスの懸念を十分に予防している。
ところが、現状は物価の上昇が思わしくないというのだから、インフレ目標を一気に超えて、財政ファイナンスに伴う悪性インフレが起こるとはいいがたい。どうも、反対論者は、財政ファイナンス=禁じ手という発想で、副作用といっているようだ。自己の発言が矛盾しているのさえ気がつかないとは情けない。
市場機能の低下や金融機関への影響は、日本経済にどのような影響があるのか、さっぱり理解できない。金利が低いから短資会社の手数料収入が減るとか、国債という資本市場のコメのようなものを日銀が買いすぎて金融機関が商売できないという一業界内の些細なことに注意をとられて、日本経済が見えないとしたら心配だ。日銀は、一業界のミクロ経済ではなく、もっと高い立場からマクロ経済を論ずるべきだ。
副作用というが、量的緩和はリーマンショック以降、先進国で採用された手法であり、もはや医薬品でいえばジェネリック薬品のようなものだ。先例のある国では目立った副作用も報告されていない。反対論者のいう「副作用の正体見たり枯れ尾花」である。高橋洋一 (嘉悦大学教授)[DIAMOND online]
-----------------------------------------------------------
日本国民は、
いい加減に「経済論議にイデオロギーを絡めるのはやめて」
真っ当な「数字の入った論議をすべき」
ではないでしょうか。