先日あるブロガーさんのコメントで、長老妻が末期癌になった開拓者の姉妹を生活保護を受けられるようにしてあげたと誇っていた話が心に引っかかっていました。

その姉妹は何故末期癌になるまで、ほっておいたんだろう。

何故、そんな状態になるまで生活保護を受けられなかったのか。

考えていました。

私は恥ずかしながら生活保護は、生活に困窮した人が申請すれば簡単に受けられるものと思い込んでいました。

そう言えば、生活保護を受けていた人が部屋にエアコンを取り付けた途端に、生活保護を打ち切られた事があって物議を醸したことがありました。

のちに、それは取り消しになりましたが。

そりゃそうだ。

温暖化の影響で日本も熱帯化しつつあるっちゅうのに、エアコン取り付けたら生活保護打ち切りって、熱中症で死ねって言うんかい!腹立つわ〜

 

それで生活保護を受けられる条件を少し調べてみました。

〈条件〉

収入が最低生活費以下(例えば40代120790円以下)

持ち家や土地や車があると受給できない

怪我や病気で働けなくて生活が困窮している人

親族から経済的支援を受けられない人

頼れる身内がいない人や親族も低収入で援助できない場合

 

だそうです。結構厳しいですね。

 

エホバの証人の場合収入においては、裕福な未信者夫の庇護の元にいない限りは大体生活保護を受けられる条件をのんでいますね。

しかし持ち家や車があると受給できない所で引っかかってしまう。

家や土地や車が有れば、手放さなくてはならないそうです。

でも、エホバの証人は奉仕が命ですから車は必須。

車がない場合は、一々、遠慮しながら車に乗せて奉仕場所や集会に連れて行ってくれる人を探さなくてはなりません。あんまり迷惑かけたくない。

だから車は手放せない。

すると生活保護は受けられない。

きっと前述の姉妹も生活を切詰めながら開拓奉仕をして、体調の悪さを感じつつも、もう直ぐ楽園が来るかもしれない。病気で苦しむ事も無くなるのよ!あと少しあと少しって自分を励ましてきたんだと思います。

でも、楽園は来ず、体調は悪くなるばかり。

エホバの証人である為に親族からは縁を切られている。

金銭的援助をしてくれる人はいない。

そうこうしているうちに体調はどんどん悪くなるばかり。

いよいよ働けなくなって収入が絶たれ、車を手放し生活保護を受けられる事になったと言うのが本当の所だと思います。

楽園と言う人参を目の前にぶら下げられて、馬車馬のごとく奉仕奉仕奉仕。

開拓奉仕こそエホバに喜ばれる最善の生き方と教え込まれて、その姉妹頑張ってきたんだと思う。

結果、末期癌でやっと生活保護を受けられる身になって、それでもエホバのご親切だわって感謝しているんだろうか。

ふと、一つの聖句が頭に浮かびました。

 

啓示3-17

わたしは(霊的に)富んでおり(霊的)富を得たのだから何一つ必要なものはない。と言いながら、自分がみじめであわれで貧しく盲目で裸であることを知らない

※かっこ内はうめの付け加えたもの

 

盲目にさせてみじめな状態に導いている事、これってエホバのご意志なんですかね〜

 娘がビリビリに引き裂いためざめよ誌にはこんな記事もあったそうです。

 

「もしも失業したら」に関する記事です。

一つの会社に23年勤続した後43歳で解雇されたフランコは、解雇されて以来、ずっと妻は積極的な態度を持ち大きな励ましの源となってくれました。と述べています。

 

えっ?それだけ?具体策は無いのかね?

今まで開拓奉仕をして夫の働きのみに頼って生活していた妻は、開拓奉仕をおりてパート生活をはじめる事にして家計を助ける事にしましたの方が具体的だと思うよ。

なんだか薄っぺらい助言なんだよね。

積極的な態度だけでは食べていけないんだよね。

また、アルマンドは妻が買い物の際に、うんと倹約してくれた事に特に感謝しています。

ですって。

いっつも爪に火を灯すような生活の連続。

生活に潤いがなくなっていくようだよね。

侘しい。

そう言えば、春になると奉仕しながらつくしを山ほど摘んで、はかまをとって油炒めにしておかずにするって言ってた姉妹いたなぁ。

食べられる山菜にやたら詳しい兄弟もいたっけ。

これ地方の特権かもね😆

 

雑誌の締めくくりには、こうありました。

エホバ神と親しい関係を持つ事です。

エホバは「わたしはけっしてあなたを離れずけっしてあなたを見捨てない」と約束しておられるのです。

時折、エホバの証人を雇いたいと言う人やその正直な働きぶりを褒める人がいるのも不思議な事ではありません。証人たちは聖書の助言に従い怠惰を避け勤勉で信頼できるものになろうとしています。

 

って書いてあるけどさぁ。

昔なんて火曜、木曜の夜の集会があって、残業してくれって言われてもエホバと親しい関係を持つ為には集会を優先させなければならなから断らざるを得ない。

昔は大会も4日もあったから、これまた会社休まなきゃならない。

いくら正直で勤勉でも会社としては戦力にならないから解雇せざるを得ないよね。

エホバ神と親しい関係を持つって事は奉仕を優先させるって言う事で、必然的に正規で働く事よりもパートタイムで働かざるを得ない状況になるわけで。

そう言えば開拓者の姉妹達、サトーココノカドー関連のスーパーに勤めている人、多かったなぁ。

クリスマスシーズンには赤いハッピに赤いサンタ帽子被らなきゃならないんだけど、ハッピだけ着てレジ打ちしてたっけ。

エホバの証人になると、特に開拓者は必然的に慎ましい生活を強いられるわけで。

最終的に、生活保護を受けながら開拓奉仕を続けているエホバの証人もいると聞きました。

めざめよ誌の助言が、さらに薄っぺらいものに感じます。

 

 おためごかしとは、いかにも相手のためを思っているかのように見せかけておきながらその実は自分本位であることを言います。

 

ある日、娘が部屋を整理していたら数年前のものみの塔とめざめよ誌が出て来たそうです。

「ふん!ありえない」と言ってビリビリに引き裂いていました。

それにしても両方合わせても随分薄っぺらい事。パンフレットかと思った。

内容もまた薄っぺらい。

例えば、若い人はたずねるで「もし失恋したら」と言う記事

 

彼とは五年前から友達で半年ほどつきあいました。そのうち彼は私を避けるようになり、口もきいてくれなくなりました。どうしたらいいかわかりません。どこがいけなかったんだろうと考えてばかりいました。

 

それに対する答え

失恋するとそれまで経験した事がないほど大きな傷を負います。そしてこのような心の変化を経て受け入れるようになります。否定、怒り、落胆、受け入れる等です。安心してください。あなたもこの受け入れる段階に達する事ができます。そこに達するまでの間、前へ進む、悲しみを押し殺さない、健康に気を配るそして忙しくしましょう。好きな活動をやめてはなりません。自分を孤立させないように今まで以上に注意しましょう。気遣ってくれる人達と一緒にいれば積極的な事柄に注意を向けられるでしょう。

 

うめさんの答え

これってエホバの証人同士の関係を言ってるんでしょうかね。

まずエホバの証人で世間の人と付き合うなんてまぁありえないからね。

エホバの証人の世界では、世間の人は異邦人ですからね。

その時点でアウト!排斥事案。

友達から「つきあう」に変化してるって事は恋人関係にあるわけで、と言う事は既にエホバの証人的に罪を犯しているので長老に告白しなければならない案件。そして審理委員会にかけられてどんなややこしい事をしたのかネチネチ聞かれて、「悔い改めています」って涙目で訴えても大抵、排斥の烙印を押されて会衆から追い出される。そして親兄弟とも連絡を断たれる。それが何年も続く。

だとしたら上の答えは一体誰に対する答えなんですかね。

たまたま、排斥を逃れた人に対する答えとしか思えない。

その人は奉仕活動をますます熱心に行なって、非難の目を向ける仲間の人達と常に一緒にいなくてはならない。

気遣ってなんかくれませんよ。

「あの姉妹ね、問題起こしたのよ。でも、良いわね。排斥逃れたんですもんね」ヒソヒソと聞こえるように噂する。

もしくは露骨に無視したりする。

排斥にならなくても、その会衆に居づらくなって会衆を離れざるをえなくなる。

回答では、いかにもエホバの証人は物分かりの良い人達ですよ〜って言うかのように書いてますけれど、けしてそんな事ないですからね。

ホイホイ、つきあっても良いんだなんて思ったら大間違い。

精神的地獄が待っている。

こういうの、おためごかしって言うの!

 

 

 君の名は…じゃなくて神の名は…です。

ローマ字表記すると母音がiからaに変わるだけで全然意味が変わって来るんですよね。

何を言いたいかって言うと、神の名前エホバは本当にエホバなのかって話です。

あるブロガーさんが聖書の神の名前が統一されてないっておっしゃってて、そうだよね〜ってあらためて思いました。

エホバの証人の皆さんは、自分にとって(都合の)良い事があると「エホバよね〜」とか「エホバに感謝よね〜」って常にエホバエホバ言ってますけど肝心の神の名ってエホバなんだろうか?

旧約聖書(エホ証的にはヘブライ語聖書)には神のお名前YHWHの子音表記の四文字テトラグラマトンが6220回記されているそうです。

しかし、実際は子音表記なのでその四文字に母音が付与されていないために、どう発音してよいかわからないわけです。

しかしながらエホバの証人の聖書の出エジプト記20-7節には

あなたの神エホバの名をいたずらに取り上げてはならない。その名をいたずらに取り上げる者をエホバは処罰せずにはおかないからである。

とあります。

あれれ〜?おかしいぞ〜!エホバの証人の聖書って十戒の時点で神の次にエホバを入れていたずらに取り上げてるじゃん!共同訳ではエホバではなく主になってます。

ユダヤ人の人達はこの十戒の言葉を重く見て、YHWHをけして発音してはならないものとして「私の主」を意味するアドナイと呼ぶようになったそうです。このアドナイがキーポイントで、ブロガー週間イエスさんによると(勝手に引用してすみません)

おそらく中世あたりのヘブライ語を知らない学者たちが、後代になってアドナイの振り仮名を本当の神の名前と勘違いしてアドナイの振り仮名をYHWHに付け足すことでイェホヴァーとなり、日本語らしく変化させてエホバと呼ぶようになったと言うものでした。

つまり、エホバという呼び名はアドナイと読ませるための振り仮名を間違えてYHWHに当て嵌めて読んでしまった勘違いの結果なのだそうです。

だから、エホバは神のお名前じゃなさそうなんですよ。

むしろギリシャ語の一部の古い翻訳ではヤハウェに近い発言が表記されているそうです。

私は昔、司会者の姉妹から「エホバは一番ポピュラーに使われているから神の名はエホバでいいのよ」って教えられてそのまま、エホバだと信じて来ましたけどね。

何十年もエホバに祈って来た私は、見当違いの名前を祈り求めて来たって事になるわけで。

釣りバカ日誌の浜ちゃんだってはまさきをはまざきって呼ばれるといちいちキーッとなって抗議するくらいなんだから、エホバじゃないのにエホバエホバ言われて来た神様って「処罰せずにはおかない」くらいの気持ちなんでしょうかね。

とんでもない事教えられて来たんだわね。

 統治体の姉妹のスラックスOKや排斥者に挨拶くらいはしても良いの発表があったおかげで、スラックスを履いた姉妹が記念式の招待ビラを持って訪問して来たり、何十年も音信不通だった親が排斥された子供さんの所に突然訪ねて来たそうです。

統治体の言う事なら何でもかんでも聞くんだね〜

まさに統治体教。

あからさま過ぎて、空いた口が塞がらない。ぽっか〜ん。

それはさておき。

前回の子供達と再会できた元姉妹の話です。

元姉妹が追い出された会衆のその後を娘さんが話してくれました。

その会衆には、なんと明石順三氏を知っていると自慢する姉妹がいました。

つまり、かなり高齢って事よね。

今までは家から家を放浪していましたが、現在はすっかり恍惚の人となって徘徊を繰り返し、かなり年下の夫兄弟を困惑させているそうです。

元姉妹の冤罪排斥に深く関わった長老は、現在、重い病気になっているとか。

治療費や入院費用を工面するのだって大変だろうに。

元姉妹の涙の訴えに、耳を貸すどころかサタンの声は聞かないと言って耳を塞いでわぁわぁ言った姉妹は、長老だった夫が亡くなり経済的に困窮している状態に陥っているそうです。

もう一人の、元姉妹を上から目線で見ていた姉妹は、子供達が全員エホバの証人を離れた上に未信者のご主人が亡くなり、老体に鞭打って働かなくてはならなくなって精神的に参っているとか。

惨憺たるもんです。

もうすぐ終わりが来るから働くのは最小限にして、奉仕奉仕奉仕の日々…

「終わりが近いから、あなたも聖書を学んでエホバの証人になって救われましょう」

そうやって何十年も家から家を訪問して断られて、たまに研究生ができて「エホバありがとうございます」って感謝して研究司会するけど、そう簡単にはエホバの証人にはなってくれない。

落胆しながら奉仕の日々が続く。

そんな虚しい日々を過ごすうち、ありゃりゃ?もう還暦過ぎてるじゃんか!もうね!浦島太郎状態。

終わりが近いからって、ろくに仕事もせず蓄えもせず年金なんて毎月1万六千円の支払いだよ!

低収入で払えるわけないじゃん!

開拓者の人達は年金免除申請しているから年金は貰えるけど、受給時期にはほんのわずかの年金が支給されるだけ。雀の涙。焼石に水。

いつまで経っても終わりの日は来ないし、老齢になっても働き続けるか生活保護を受けて老後を生きるしかない未来しか待っていない。

元姉妹の会衆の状況を見ると、統治体に従順に従って来た結果が如実に現れている事がよくわかりますね〜

どこの会衆も似たりよったりなんじゃないでしょうか。

 

※akiさんの情報によりますと(ありがとうございます)年金の免除申請をしていれば貰えるはずの年金の半分が貰えるそうです。

 

※来週は自己都合によりお休みします