とうとう始まりましたね!
牛田くん、2023年秋のリサイタルツアー。
2023年9月1日(金)19時開演
茅ヶ崎市民文化会館大ホール(神奈川)
ベートーヴェンの『熱情』、ショパンのスケルツォ
ツアーが進んでいくと、今度はショパンのエチュードやバラード2番。
初披露の曲のてんこ盛り。
牛田くんの演奏を聴いた後だと、他の人の演奏を聴くのが嫌になっちゃうので
頑張って事前に勉強したけれど
新しい曲がいっぱいありすぎて時間が足りない…
これ、演奏する牛田くんも相当大変だったんじゃないかなあ。
スーパーブルームーンの満月の翌朝は、こんな素敵な空。
朝や夕刻に見える、優しいピンク色の雲が大好きです。
さっそくいい予感しかしませんねえ
この日はお仕事だったので、朝いつもより早めに家を出て
お朔日参り(おついたちまいり)も兼ねて、神社にお参りしました。
よくわかんないけどリポビタンゴールドも持ってきちゃった(〃∇〃)
この日、希望を出してはいたのですが、絶対開演時間に間に合わないシフトになっていて
途方に暮れていた私に、チーフが快く交替してくれました(ToT)神!
午後3時を過ぎたあたりから、何故か突然緊張してきました。
え?何?この心細いようなドキドキは。
初披露だから…?
もしや、図々しくも母心…?
牛田くんの実力だもの、なんにも心配いらないはずなのに。
なんだろう。自分でも説明つかない不思議な緊張感。
仕事の後、もう一度神社でお参りしてしまった(///∇//)
(神様にしつこいと思われてそう…)
会場に向かって乗った電車が途中から大混雑。
そっか。今日は金曜日。ちょうどラッシュの時間なのね
私の今の仕事は曜日は関係ないけれど
1週間、この演奏会を楽しみに お仕事を頑張ってきた方もきっと多いでしょう。
皆さま、お疲れ様です。ご自分への最高のご褒美ですね
さて、茅ヶ崎と言えばサザンです。
茅ヶ崎駅の南口の先には、サザンビーチがあります。
そういえば、1年前の9月の最初のリサイタルも、海のすぐそばの横浜でした。
もうあれから1年かあ…。
会場の茅ヶ崎市民文化会館は、北口をまっすぐまっすぐ行ったところ。
着いた頃、ちょうどいい感じに空が暗くなり始めてました。
平成30年に改修工事をしてリニューアルされたそうです。
ホワイエにあるこれは何?楽器のようにも、貝のようにも見えます。
今回も、ファン有志の方達から贈られたお花。
優しいピンク色が、マリンブルーの壁に映えますね
茅ヶ崎市民文化会館大ホール(1381席)
(画像お借りしました)
白い壁と天井。
特徴的なのは、丸い背もたれの椅子でしょうか。
交互に並んだ半円が、まるで人魚の鱗みたいです。
足元を見ると、家のリビングにいるような木の板の床。
舞台の中央に置かれているのは艶消しスタンウェイ。
装飾のないシンプルな白い舞台の上で、ピアノの美しさが際立っていました。
金色のロゴが漆器の金箔のように、落ち着いた輝きを放っています。
私が席に着いたとき、ちょうど佐々木さんが調律をされていました。
プログラム
♪ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ 第31番 変イ長調 Op.110
♪ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ 第23番「熱情」 ヘ短調 Op.57
~ ~ 休憩 ~ ~
♪ショパン: スケルツォ
第1番 ロ短調 Op.20
第2番 変ロ短調 Op.31
第3番 嬰ハ短調 Op.39
第4番 ホ長調 Op.54
あれ?「熱情」が最初だとばかり思ってたら、31番が先なんだ!
作曲の順番に準じるわけではないのね。
どういう理由かな?「熱情」の方が盛り上がるから?
この中で初披露なのは、「熱情」とスケルツォ1、3、4番ですね。
楽しみ~♪
アンド緊張~
なんで弾きもしない私が何時間も前からこんなに緊張してるんでしょう?(;^ω^)
明るかった客席の照明が暗くなり
反転するように舞台の照明がパッと明るくなりました。
登場しました、牛田くん。
リサイタル初日がいつもそうであるように
今日も少し緊張してるかな?
お馴染みの黒蝶ネクタイのタキシード。
手には紺色っぽいタオル。
ウェーブのかかった髪は茶色です。
彼がピアノの前に座ると、舞台の照明が静かに暗くなりました。
ジャケットのボタンをはずし、膝の間に両手を挟むようにしてから
鍵盤の上に両手を乗せました。
ああドキドキします。
今から自分は何を感じるのか。どんな景色を思い浮かべるのか。
ベートーヴェン:ピアノソナタ第31番
牛田くんが高校生の頃にも、リサイタルで弾いていた曲です。
当時、バッハのシャコンヌと一緒に聴く機会が何度かあったせいか
私の中でこの曲は、絶望 → 再生の印象だったと記憶しています。
艶消しのスタンウェイから生まれた音色は
あたたかく男性的。
冒頭のトリルだけでも、グラデーションのようにさらに奥へと誘う深みがありました。
柔らかで優しいメロディを奏でる牛田くんのピアノは
どっしりとした「父性」を感じます。
タオル地みたいなぬくもり。
ふと、私が幼かった頃大好きだったタオルケットを思い出しました。
3姉妹だった私達には、それぞれ自分専用のお昼寝用のタオルケットがあって
姉と妹のはピンク色。妹のは確か、小鳥のイラストが描いてありました。
私のは白。小さな山小屋を背景に、歩いているクマの親子の絵。
チェックのお洋服を着た黄色い小ぐまの横顔のほっぺたに
なぜか水色の欠片がプリントされていて
涙なの?それとも牙?
そのことがいつも私は気になってました。
こんなかわいいクマちゃんに牙なんて似合わないのだけど
牙だといいな。だって涙としたら、このクマちゃんは悲しい想いをしてることになる。
そんなのかわいそう。泣いてないといいな。
そんなふうに思えば思うほど、さらにくまちゃんがかわいそうで可愛くて
私の大事なタオルケットにくるまれて眠った時の安心感。
頬に触れる少し毛羽立った糸の肌触り。
もう何十年も、すっかり忘れていたことなのに。
第2楽章は、思い描いていたよりも雄々しく荒々しい印象。
民族的な印象のメロディが、スケルツォ(冗談)的なのでしょうか?
解説によると、当時の流行歌の
『うちの猫には子猫がいた』や、『私は自堕落、君も自堕落』
の旋律が使われているそうですが
そうなの?私には、ベートーヴェンが必死で自分の感情と闘っているように聴こえます。
しっとりともの悲しげな第3楽章「嘆きの歌」。
続くフーガに、かつて私は「再生」や「救済」を感じたんですね。
なんだろう。うまく言えないけれど
景色や風景を思い浮かべるというよりは
ベートーヴェンの感情が溢れ出してくるような感じ。
まるで自分をいじめているように
悩んで悩んで苦悩して、それでもどこかで自分を責めているような。
遠くから、希望の鐘の音が徐々に大きく響いてきました。
ああ、これこそが、今度こそが「再生」です。
この前行った、広島の原爆資料館を思い出しました。
暗い展示室で、言葉にならない惨状を目の当たりにしたあとで
一番最後に壁に飾られていた、抱き上げられて笑う子供と母親の眩しい笑顔。
(父親だったかもしれません)
出口に出た途端に視界に飛び込んできた、窓の外から射す光。
「復興」。
そんな言葉が浮かびました。
焼き尽くされ、焼けただれて全てを失って
苦しんで苦しんで苦しみ抜いた暗い記憶。
そこに微かに、やがて大きく頭をもたげる光。
ああ、そういえば、マンガ「はだしのゲン」の最後って
家族を原爆で失って、一人ぼっちになったゲンが
黒焦げの大地から生えた植物の芽を見つけて
泣きながら笑うシーンじゃなかったっけ…?
“苦悩を突き抜け 歓喜に至れ”
そんな、命の底力を見せつけられたようなフィニッシュ。
左手が、ブランと脱力して
同時に拍手が湧き上がりました。
立ち上がり、椅子の向こう側で手を両膝につき深々とお辞儀。
一度舞台の袖に消えました。
ああ、なんかすっごい疲労感。
聴いてるだけなのに、力が入ってしまった。
パラパラと、遅れて席に着く人の姿がありました。
平日の夜。きっとお仕事の後でしょうね。
1曲目のあとで袖に消える。
これって、優しくて助かる演出ですね。
ベートーヴェン:ピアノソナタ第23番「熱情」。
今回も、膝の間に両手を入れて、袖口を直して…
弾き始め、すごく不思議な感じがしました。
ものすごい怒りを抱えた人が、一瞬見せる笑顔のような。
それゆえに、直後に吹き出す感情が半端ない。
イメージしてたのと大分違ったので、虚を突かれました。
ベートーヴェン、めちゃくちゃ怒ってる?
メラメラと激しく燃える怒りの炎というよりは
そう。ほおずきのようなオレンジ色が、背後のあちこちでボッと突然発火するような…。
第一楽章を弾き終えると、タオルで額の汗を拭いました。
ものすごく前のめりになって演奏する第2楽章。
浮かぶ景色は初冬の森。
下から見上げる、まっすぐに伸びた何本もの裸木。
乾いた落ち葉が靴の下で立てる音。
こんな感想を抱いたのは、きっとホール中で私一人だと思うのですが
穏やかなメロディとは裏腹に
なんとも不安で心許ない気分に支配されました。
例えがよくなくて本当に申し訳ないのですが
よく、ドラマなんかで飛び降り自殺する人が
飛び降りる前に一瞬見せる諦観した笑顔のような。
今穏やかに笑っているけれど
この人はもうすぐ目の前から消えてしまうのではないかというような不安。
ああ、もしかしたら、
この曲が作られた時期の「ハイリケンシュタッドの遺書」の存在を、無意識に思い出していたのかもしれません。
自分の足で走るというよりは、制御のきかなくなった馬車の手綱を握りしめているような第三楽章を聴きながら
今日の午後から感じていた緊張や、今感じている不安の正体を突き止めた気がしました。
ああきっと、私は初めて聴くプログラムに人見知りをしてるんだ。
何度も聴いて、知っている道を辿っているような安心感をおぼえた今までの曲と違って
どう捉えていいのか どう解釈していいのか
身の置き場がなくて不安を感じているんだ。
そう。予習のために何度も聴いた他の人の演奏と
今聴いている牛田くんの演奏の世界観が同じじゃなくて
道に迷ったような気分なんだ。
新学期初日の教室みたい。
…って、今日ちょうど9月1日だわ(〃∇〃)
そうだ。思い出しました。
9年前、愛知県芸術劇場でのリサイタルで、初めてプロコの『戦争ソナタ』を聴いたとき
衝撃のあまり、休憩時間にファン友さんと抱き合って泣いてしまったこと。
ショパンのノクターンとか、小犬のワルツとか
可愛らしい曲を弾いていたともくんが
いきなり兵士になって、戦火の向こうに消えてしまったような寂しさと衝撃。
今思えば、超絶ハズ~(///∇//)
単に、聴く側の私が未熟だっただけなのね
そんなこんなで、勝手に疲労した第一部。
休憩時間になると
「ロビーにてCDを販売しています。なお、感染防止のためサイン会はありません。」
と、何度かアナウンスがありました。
佐々木さんが登場して、調律してました。
牛田くんがもっとも信頼している調律師さんとタッグが組めて
安心だね、牛田くん(^^)
さあ、後半はショパンのスケルツォです。
スケルツォも私なりに予習をしてきたのですが
どの曲も、すべて見事に予想を裏切られました。
「ほほ~。こうきましたか!」
という、音楽ツウのような感想を
まさか自分が言う日が来るなんて、思ってもみませんでした(///∇//)
全体的に、私がイメージしていたのより、テンポがかなり速く
サクッと駆け抜けていくような感じでした。
第1番の始まりは、手を滑らせて、うすはりのグラスを床に落としてしまったようなイメージだったのですが
なぜか、小瓶からぶちまけてしまった深緑色のビーズを連想しました。
私が子供の頃、祖母が松本手まりを作っていたのですが
よく、祖母に頼まれて、糸やビーズを買いに行きました。
小さな瓶に入っていた深緑の小さなビーズ。
なぜ、そんなものを思い出したのか自分でもわかりません。
そして、複雑にこんがらかった毛糸。
ショパン、あなたも怒ってるの…?
弾き終わると、続けざまに第2番が始まりました。
スケルツォ第2番。実は元々は苦手な曲です。
なぜなら、音大に行ってた姉がよく練習していたから。
全体を通して聴くと、そんなことはないのですが、
最初の方を繰り返し練習していたことが多かったせいか
最初の動機の部分が、土の中で蠢(うごめ)く虫みたいって、いつも思っていたんです。
陰気くさい曲だなあ、と(^^;)
だから、スケルツォ2番と言って、私の頭に浮かぶ文字は『啓蟄』🤣
でも、何年か前、牛田くんの演奏を聴いて、「こんなに素敵な曲だったの?」と目から鱗でした。
けれど、今回のスケルツォ、あの時のとはまた違う。
滑るように、さらりとスピーディー。
このあたりからピアノの音色が透明度を増して
牛田くんらしい気品でキラキラ輝いているのを感じました。
まるで突き放すかのように、全く感情を入れずに弾いているように見えるのに
そこにドラマを感じるって、いったいどういうこと?
「ブラボー!」と拍手を送りたいのに
タオルで額の汗を拭ったら
ものすごい集中力で続けざまに弾いていきます。
あ、第3番の始まりの方が『啓蟄』っぽいかも。
白い手が縦横無尽に鍵盤を操る様は
とても人間業とは思えない。
光が降り注ぐような「すだれ」部分すら、イメージしてたのと違う。
繊細で細やかな白いサルスベリの花びらだ。
第4番を聴く頃には、なんかもう、ほぼ打ちひしがれてました。
すごい。何かすごいものが目の前で展開されている。
ものすごい速さと正確さで
精密なレースを編んでいくような牛田くんに、つけいる隙はなく
分かったような気になっていた自分は、実は何も分かっていなかったのだな、と。
選曲も関係あるに違いありません。
去年と半年前のシューベルト、シューマン、ブラームスの3曲のソナタは
「こんなに手放しでうっとりしちゃっていいの?」
って思ったけど
今回のベートーヴェンとスケルツォは
うっとりもさせてはくれないの?
牛田くんは知らないうちにどんどん進化して
気がついたときにはずっとずっと先に行っている。
大好きだったシューマンのソナタ1番の第2楽章は
もう聴くこともないのかな…。
なんか、なんていうか私
カモシカとかシマウマに恋をしてしまったドン臭いモグラみたい。
白鳥をお母さんだと思い込んでたウズラみたい。
いーもん。ツアー後半のプログラムにアンスピとかバラード2番とか登場した暁には
存分にうっとりするもん
4曲弾き終わって立ち上がり
お辞儀をする牛田くん。
会場は熱い拍手で沸きました。
アンコールを弾くためにピアノの前に座る瞬間
顔の前でガッツポーズのように一瞬両手を合わせました。
あ…。
木漏れ日みたいなパデレフスキのノクターンだ。
うっとりさせてくれた!
2曲目もありました。
短調のショパンの24練習曲4番。
時々ブラックコーヒーが飲みたくなるように聴きたくなる曲です。
そして、なんとなんと3曲目まで!
このクロスする両手は…
シューマンソナタ1番の第2楽章だーっ!
牛田くんったら、最後の最後にーっ!
(T^T)゚。
会場はあたたかな拍手で満たされました。
私も熱い拍手を贈りながら
自分の人生の中で一番たくさん拍手を贈る相手は
これまでも これからも
牛田くん。この人しかいない。
そんなふうにあらためて実感しました。
もしかしたら、牛田くんも、おんなじようにドキドキしてたのかもしれないな。
新学期初日の転校生みたいに
心地よい場所 顔見知りの友人
そういうのを一つずつ 手探りで見つけていくみたいに
回を重ねていくごとに、今回のプログラムが、彼の中に馴染んでいくんだろうな。
そして私も、聴くたびに
新たな感想を抱きながら、新しい曲との距離を縮めていくんだろうな。
ベートーヴェンの感情を探って顔色をうかがい
予習したショパンのスケルツォで見事に予想を裏切られ
ついていくのが精一杯で、余韻に浸る余裕が全くなかった茅ヶ崎の夜。
この「振り回されてる感」が心地よく
これからが楽しみで仕方ない(≧▽≦)
ありがとう、牛田くん。
お疲れさま、牛田くん。
ホールを出たら、月が綺麗でした。
家に帰ったら、来年1月のプラハ交響楽団のチケットが届いてました。
一番遠くの「幸せ」への距離が、また延長されました