2019年が開けた1月8日の寒い朝、高千穂神社の猪掛祭に参列しました。
ご訪問ありがとうございます。
お久しぶりです。長らく間が空いてしまいました。
よろしかったらお付き合いください。
高千穂神社では、毎年旧暦の12月3日に猪掛祭が行われます。
(高千穂神社祭神、初代神武天皇の兄神)十社大明神に退治された荒ぶる神、鬼八の魂を鎮める為に生け贄の猪を奉納するお祭りです。
祭壇?に供えられた、一頭の猪…(画像はお借りしました。)
高千穂町長さん?を始め、商工会の会頭さん?や町内各地区の区長さん?の皆さま方ご列席の中、一般参列者ということで、拝殿に通していただき、着席
笹振り神事の舞(地祇の舞)を奉納?する神職(画像はお借りしました)
しのべやたんぐあぁん
さありやさそふ まあどかや
ささふり たちばな
なんとも奇妙な不思議な響き、呪文のような歌(鬼八眠らせ歌)を(7度)唱えながら笹竹?を振る所作を繰り返し、順番に神職、参列者が奉納?していきます。(一般参列者は拝礼のみでした)
何故、このお祭りに参列したのかと言うと、
語りたくはない、口を閉ざしてしまいたい事ではあるのですが…
昨年の11月、高千穂町内のみならず、全国を震撼させたあの悲しい出来事は、何だったのか?と…
神々の里の静かな限界集落で起きた、身の毛もよだつような恐ろしい悲惨な殺戮…
何人もの尊い命が犠牲になりました。
山の神、里の神に一年の収穫の感謝と、来年の五穀豊穣を祈念する、年に一度の、平成最後の夜神楽を目前に控えた時期に…
神話の里、高千穂で何故?あのような出来事が起きたのか?
その答えが見つかるものなら見つからないだろうか?
そんな思いもあったのです。
あの出来事から想起したこと…
それは…
「鬼八」と「生け贄」のキーワードでした。
猪掛祭は、高千穂に伝わる有名な夜神楽の原形とされ、最も古い古代祭祀の様式を伝えていると言われます。
古来、秋の実りは、生死を分かつ、最大の懸案事項であり、特に山あいの寒村である高千穂では、初秋の霜害を回避祈念する為の農耕儀礼が代々、大切に継承されてきました。
収穫を目前に控えた初秋の霜害は、自然への畏敬の念と畏怖、同時に、十社大明神(高千穂神社祭神、初代神武天皇兄神)に撃たれた鬼八(高千穂土着の神?)の怨霊の祟りであると恐れられ、信じられていたのです。
祈り足りねば実り少なく、祈り足りれば実り豊かなり。
現代の猪掛祭では、鬼八に奉納される生け贄は、文字通り一頭の猪ですが、恐ろしいことに、450年くらい?前の天正年間の頃までは、村の処女(おとめ)が差し出されたと伝えられています。
豊臣秀吉の時代の頃まで高千穂でそんな恐ろしい慣習があったのか?と、にわかには信じがたい話しではあるのですが、時の領主の裁量?で、「処女(おとめ)を差し出すのは、あまりにもむげない(可哀相だ)」として、代わりに猪を差し出すようになったと伝えています。
飽食の時代に生きる現代の大多数の日本人にとって、ピンと来ない話しだと思いますが
秋の豊かな実りと来たる年の豊穣は、処女(おとめ)の命と引き換えにしなくてはならないほど切実な願いであり、高千穂に暮らす人々は、それほど、辛く苦しく過酷な暮らしをしていたということだと思います。
猪掛祭も夜神楽も一年の収穫の感謝と来年の五穀豊穣を祈念し神(先祖、鬼八)の魂を鎮める農耕儀礼とされます。
神の魂を鎮めるとは、すなわち先祖の供養でもあり、同時に非業の最後を遂げた先人の魂(怨霊)の供養と祟りの封じ込め(封印)の意味合いもあったのだろうと思います。
鬼八に象徴される高千穂土着の神(民)は、どのように撃たれ、殺戮されたのか…
祈り足りねば災いを成し 祈り足りれば無病息災、家内安全、心願成就?
(祈り忘るれば災いが起こる?)
今を生きる私たちに繋がれて来た命
古から伝わる先人の魂、心、祈り
十社大明神(高千穂神社祭神、初代神武天皇兄神)に撃たれた鬼八に象徴される高千穂土着の神(民)の魂、心、祈り
魂を鎮め怨霊、祟りを封じ込める為に差し出された処女(おとめ)の命、魂、心、祈り
高千穂の歴史を知る人の多くが、あの悲しい出来事の惨劇を伝え聞いて、思い起こしたのではないかと思います。
どんなに時が過ぎても、時代が変わっても、忘れてはならない事があるのだと…
時に目に見える形でハッと気付かされることがあります
この世とあの世は繋がっていないようで繋がっている…
神さまは目に見える形で指し示し、現される
そんなことをふと思ってしまうような出来事、最近見たり聞いたりする事が多くなっていませんか?
最後までお付き合いありがとうございました。
また、続きます…