最近はブログでなにを書くかを心に聞いても、「好きに書け」で終わるパターンが大半です。
それでも一応毎日聞いてから書いてるわけですが、つまるところこれは、今日書くことのテーマを求めている、となります。
もっとも私の場合、というかこのブログの場合、出てきた言葉なりイメージなりがそのままテーマになるというより、書き始めのきっかけになるだけで、その後の展開は全然関係なさそうなところへと進む、ということも多いんですが。
さておき、この「テーマ」ってなんだ? というのがなぜか気になったので、これについて心に聞いてみます。
「枠」
実にシンプルな回答です。
枠っているの? と聞いてみたら、「欲しがるやつにはクリスマスプレゼントとしてくれてやればいい」と、いい感じの答えが返ってきました。
メリークリスマス!(一ヶ月先取り)
そしてこの回答だけでテーマというものに対する興味がなくなったんですが、それはそれで不思議なので、なんで? とまた心に聞いてみます。
「テーマという概念に関する支配を斬ったからな」
そういうのがなければならない、という?
「大体そう」
確かに、文章であれなんであれ、テーマがないとダメ! という言説はよくあります。
でもよくある言説というのが大抵そうであるように、それって本当か? という疑わしさもまた、そこには伴うわけです。
テーマ=枠であるのなら、最初に枠がハッキリしていれば、確かにまとまりのいいものにつながりそうではある。
でも、そもそもまとめる必要って必ずしもあるの? とも思う。
まとまっちゃったせいでつまらないものになることもあるよね、と思うんです。
けど、とっ散らかってるよりはいいだろ! というダメ出しが浮かぶんですが、とっ散らかっているように見えて、そこにはそこでなにかあったりするのでは? てなことも思う。
そもそも枠ってどう転んでも生まれるもののような気もするし、見ている側、観測している側が自動的に枠をハメたりもするよね、と思うんです。
なにかを最初から否定する気満々でいると、どんな意見を出されても否定的な感想しか出さない、なんてことはよくあること。
この場合、「否定」という枠が最初から決まってる、となります。
こんな感じで、どうせ勝手に枠なんて作られるんだから、意識して作らなくたっていいよなと思う。
と同時に、どう転んでも枠ができるのであれば、最初から作っておくというのも確かに一つの手かも、とも思ったんです。
自分は枠になんか囚われない! とこだわるのは、その時点で「枠に囚われないという枠」を作ってることになりますからね。