とあるカウンセラーさんの本をAmazonで見かけて、そのレビューを読んで見ました。
高評価の人たちは「この人はすごい!」と褒め称えているのに対し、低評価の人たちは「こいつは詐欺師!」と叩いている。
それを読んで、難しいなあ、と思ったんです。
私は精神疾患がひどかったときに、何人かの医師やカウンセラーを訪ねたものの、結局よくはならなかった。
でも、じゃあその人たちが詐欺師か? と言うと、そうは思わないんです。
最終的に私はFAPのカウンセリングを受けることを選んだものの、このFAPですら、毎回のセッション後に即「よくなった!」という感覚はぶっちゃけ感じたことがありませんし、受けた後の数日間はかえって調子が悪くなったなんてこともザラです。
ただ、なんとなくこれがいいんじゃないかな? と思って数年間受け続けていたら、結構回復してきたな、という感じなんです。
そうして自分自身がカウンセラーを始められるほどに回復はしたものの、でもFAPですらまだまだ足りてない! という感覚があるので、心に聞いて「十三技法」という新たな心理療法を開発しようと思ったわけです。
なんにせよ、心の治療というのは現代においてはまだまだ難しく、深い問題を抱えた人ほど、一発で楽々回復! とはなかなかならない。
どころか、数年単位で治療を受け続けても、全然良くならないじゃないか! ということもあったりする。
純粋な身体の病気なら、良くならないならならないなりに折り合いをつけて日々を過ごす、ということもできるのかもしれませんが、心の病気の場合はなかなか難しかったりします。
なぜなら、その苦痛の度合いが、純粋な身体の病気よりも遥かに強いから。
折り合いをつけて日々を過ごすなんて到底無理! といった感じで、実際には生きること自体にエネルギーのほとんどを費やしている、という感覚になったりするんです。
そして、生きているということに喜びなんて感じられず、ただ必死なだけ、となったりする。
幸せになるための方法としてよく言われている、日常のささやかな喜びに目を向けましょう、なんてことは、「綺麗事言ってんじゃねえ!」となるのが、重い心の病気を抱えた人の心理だと思います。
そのささやかな喜びを喜びと感じられない、もしくはその喜びでは到底埋められないほどの苦痛を抱えながら日々生きているのが、日常だから。
私はカウンセラーをやる以上、理想としては来てくださった全てのクライアントさんに楽になってほしい、それもできるだけ少ない回数のセッションで、と思ってはいます。
けれど現実には、理想はまだまだ遠い。
まあそれこそカウンセラー視点で言えば、そういう高すぎる理想を持ったり、完璧主義に陥っちゃうのはメンタルヘルス的に危険! というのはわかるんです。
なのでそんな理想の呪いで自分自身を苦しめたくはないものの、それはそれとして、もっとなんとかならんかなあ、という思いはある。
そんなことを心に聞いてみたら、「カリスマカウンセラーってどんな人やと思う?」と逆に質問されました。
そりゃ、半年ぐらい先まで予約がギッシリ埋まってる大人気な人なんじゃないの? と答えてみると、「それはさっき書いてた自分の理想と重なってるか?」と言われる。
そこはまあ、別に関係ないかと思います。
てかそれこそ理想で語るなら、数回のセッションで問題解決! なんてことができるカウンセラーなら、クライアントさんも短期間で去っていくでしょうから、半年間も予約が埋まってるなんてことにはならないんじゃない? と思ったりもする。
「その通り。つまりカリスマカウンセラーだろうがなんだろうが、1人1人のクライアントに対しては年単位でじっくり向かい合ってることが珍しくない、てのが現実や」と心は言うんです。
まあ正直、商売という視点で考えれば、継続的な顧客を獲得しているということになるので、そのほうがいいとは思う。
でも顧客の立場で考えると、なるべく少ない回数のセッションで治ったほうがいいよね! となるわけです。
そこの矛盾はどうすりゃいいの? と心に聞くと、「やることをやるだけや」と返事。
ああそうか、理想という幻想も、現実という幻想も全てそれはそれとして、やることをやればいいのか、と思えたんです。