この前紹介した整体師・永井さんのブログで、最近また急に悪化した腰痛に関する記事ないかなと探していたら、それとは直接関係ないものの、面白い記事を見つけました。
それは、治療においては施術者との相性がすごく大事! という内容の記事です。
この「相性が大事」というのは私も頭ではわかっていたんですが、ここまで強烈な実例は初めて知ったので、そこまで影響あるんかい! とビックリしました。
記事で取り上げられてる例って、FAPで言えば、大嶋先生がずっと解決できなかったクライアントの悩みを、FAP初級のセミナーを初めて受けた人が練習で1回やっただけで解決できちゃった、みたいな話ですから、そりゃもうすごいことです。
となると問題になるのは、自分と相性のいい施術者をどうすれば見つけられるのか? になります。
FAP的には「心に聞く」や「中指ビンゴ」を使えばいい、という答えになりますが、今回はそれ以外の方法を模索してみます。
当然ながら、一番確実なのは、「実際に治療を受ける」ことでしょう。
(実際に受けたけどよくわからないというケースも多々あるでしょうが)
ただそれには金と手間がかかるわけで、それをやる前にできれば相性のいい施術者を見つけたいところです。
で、まず思いついたのは、病院等をふくめた公式サイトで掲載されていることが多い、顔写真を見るのはどうかな? というものです。
単純に顔を見て、「この顔はいいかも!」と感じたなら相性がいい、「この顔はないわー」と感じたなら相性が悪い、となるのでは?
この思いつきについて心に聞いてみたら、「どう思う?」と逆に聞き返されました。
どう思うかと言われれば、案外悪くないのでは? と思います。
人の顔というものには相当な情報が詰まっているので、それを見て直感的に感じたことって、結構当てになる気がするんです。
ただ、実際に会って顔を見るのに比べると、写真の場合は加工とかできちゃうからなー、という問題があります。
とはいえ、写真をひと目見て「この顔はない!」と思った人については、辞めたほうがいいような気がします。
ただ、「これはいい顔だな」と思ったとしても、それだけで自分と相性が良さそうだと判断できるかというと、それはなんとも言えないかもな、とは思います。
では次に、その施術者が書いている文章を読むというのはどうだろう、というのが思いつきました。
顔写真に比べると、そういうのを表に出してる人は一気に数が少なくなるとは思いますが、それでも今はブログやツイッター等があるため、自分の文章を表に出している人はそれなりにいます。
ただこれも、文章の掲載媒体によって話が変わるかも、と思うんです。
まず激レアながら影響力のでかい「本」について言うと、これは正直、相性を測る材料としては当てにしないほうがいい、と私自身の経験から言えます。
昔、私の精神疾患の状態がひどかったとき、ある本を読んで「これは素晴らしい先生だ!」と思い、実際にその先生が治療をしてくれるというクリニックへ行ったことがありました。
けれど、待合室で待っている間、前の患者さんと話しているその声や話の内容がたまたま聞こえてきた時点で、「うわ嫌だ、帰りたい!」となったんです。
(精神科で医師と患者の話が漏れてる時点でどうなのよという話でもありますが、このときは個室の外で医師がなにかを説明しているというシチュエーションだった……はずです)
まあそれでもわざわざ来たんだからと会いはしたものの、結論としては、私の人生においてワースト1かも? というレベルで相性の悪い相手でした。
もう言動の全てに対し腹が立ち、帰ってからそのことで医師の悪口を家で言いまくって、そこまで言うほど悪かった? と同行していた母が呆れたレベルです。
あのときは、「本当にこの本を書いたのはあいつなのか? ゴーストライターじゃないのか?」と疑いさえしました。
実際にゴーストライターによって書かれていることもあるでしょうし、そうでなくても本というのは、出版社や編集者のカラーによって内容が大きく変わったりもするので、著者との相性を測る材料としては当てにしないほうがいい、というのが正直な感想です。
では、今こうして私も書いているブログは? と言うと、これについては顔写真とどっちが当てになるんだろう? と迷うレベルです。
顔写真同様、読んでいてつまらない、なんか合わないというブログの著者とは、相性がよくないと言ってもいいかもしれません。
ただ、ブログが面白いというのは相性がよいという証になるのか? それは顔写真を見ていい顔だと感じる場合と比べてどうなのか? というと、わからないんです。
わからないので心に聞いたら、「ブログのほうが若干マシ」だそうです。
本に比べれば、ブログは本人が外部の編集とかなしでそのまま書いているはずなので、その人との相性を知るための情報の純粋性はまだ高いかな、とは思います。
ただ、人の相性は顔や声、意識では感じないレベルのにおいとかもかなり影響するので、そこらへんがわからない文章だけだと、限界はある気がします。
もっとも、その人がなにについて書いているか、どういう言葉を使っているかという情報は、おそらく一般に考えられている以上に、その人が何者であるかを雄弁に語っているとも思います。
なのでトータルで見た場合、「顔写真より若干マシ」という心の意見は、実際それくらいの信憑性はあるかもな、とは思うんです。
なおブログ以上に利用者が多いであろうツイッターについては、「他の人に読まれることを意識する度合い」がブログよりも強いと思いますし、文字数制限やらなんやらもあるため、書き手の人柄を知る材料としては微妙な気がします。
あとは、ブログよりもさらにやってる人が減りはしますが、動画はどうだろう? というのがあります。
私はやってませんが、大嶋先生や、最初に書いた永井さんなどは自撮りの動画を公開していますね。
動画については、相性を測る道具としてかなり使えると思います。
これは単純に、相手の顔を表情の動き込みで見れるし、声も聞ける、仕草も見れるといった様々な点で、得られる情報量が多いからです。
ただ、動画で撮られることに慣れてるかどうかで変わる部分もあるとは思うので、できればその人の最新の動画を、3本ぐらいは軽くチェックする、ぐらいするのがいいかもしれません。
相性チェックの目的であれば、動画そのものを最後まで見る必要はなく、1本につき10秒ぐらい流して、はい次! と行っちゃうほうが、余計な意識が働かずに無意識レベルで判定できるので、下手に長く見るよりも有効かと思います。
まとめとして言えることは、「なんとなく」感じた印象とかは軽視しないほうがいい、となります。
本については相性を測る材料として使わないほうがいいと思うものの、顔写真やブログ、動画などから得られる情報は結構多いと思いますし、それらから「なんとなく」感じたことは大事にするのがいいんじゃないかなと。
それこそ世の常識として、人は外見ではなく中身だ! などと言われもしますが、実際に他人を見るときって、外見だけじゃなくて中身から生まれている有形無形のいろんなものも込みで、情報として受け取っているものです。
何気ない言葉や仕草にその人の品性が表れる、みたいな話であるとも言えますね。
そしてなにより重要なのは、相性というのは個人的なものであるからこそ、その個人としての「自分の感覚」こそがなにより大事だ、ということです。
人を外見で判断するなんて間違ってる! なんていう、世の常識や他人からの批判なんか、それこそどうでもいい。
某有名マンガのネタゼリフで言えば、「目が弟に似ている」から気に入らないなんてことも実際にあるでしょうが、相手との相性を測る上では、そういうのでいいと思います。
だって、そういう思いっきり個人的な感覚こそが、相性というものを生んでいるのだから。
そして、そういう個人的な好き嫌いの感覚には、本人のトラウマが関わっていることも多くあり、その意味では無意識というより意識(発作)から生まれることが多いかも、とも言えます。
でも、無意識由来のものじゃないからダメ! かというと、そういうものでもないと思うんです。
無意識と意識というやつも、100%明確な区別がつけられるものでもなく、どっちも混ざって存在しているものです。
それになにより、そういうトラウマやらなんやらの問題を治療する上での相性をチェックしているんですから、会うだけでトラウマを刺激されるような施術者をわざわざ選ぶ必要はない、というよりも選ばないほうがいいでしょう。
思いっきりワガママに、他人や自分の理性を納得させられるような説明などできなくていいから、「嫌なものは嫌!」で判断するのが、実は一番当てになるような気がします。
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