あかり姫と坂本龍馬伝説 -3ページ目

明治維新150年を考えてみた(続き)

前回は、社会が複雑化するにつれて、国や社会の専門分化が進んだため、枠の中で考え、行動することが求められるようになったと書きました。

何でも国家資格になっていて、どこかの省庁が管轄している。その資格の範囲でしか働けないし、それ以上のことは私たちには許されていないということも、多々あるのではないでしょうか。

 

上が決めたことを粛々とやるのは、仕事である以上当然と言えば当然かもしれないけれど、給料が少ないという不満を漏らす同僚も多いように思える。中には、ブラック企業で働いている人もいるだろう。今度は、アジア系の諸国から、安く働く人材が入ってくるらしい。目新しいように思えるが、何のことは無い。百均で売っているような商品を作ってくれていた外国人を現地から連れてきて、日本を現地化するということだ。

 

上が決めたことを粛々とやるのは、日本人は得意です。江戸時代以来、厳然とした身分制度があり、政治のことはお上に任せて、自分たちの仕事のパートをこなして納税することで国を支えてきた。

 

他方、最近は、戦略とかいう言葉がもてはやされている。こんな他人を出し抜くような言葉は、庶民には馴染みは無いものだ。

 

他人を騙して、お金を巻き上げるようなことをみんなが考えている。誰と戦っているのか、もはやお客さんは神様ではなくて、儲けの道具に過ぎないのだろうか。

 

商売を通じて国や社会に貢献するという考え方がなければ、結局は殴り合いや殺し合いの文字通りの生存競争でしかない。

 

自己責任が強調される反面、金のある人や企業は、組織的影響を拡大している。こんな中では、個人の力は全くの非力である。やたらと優れた個人がテレビに映ることが多いけれど、そういう人たちも、大きな組織の支援を受けて活躍しているのが現実だ。

 

社会を賑わせているような大きな組織や行政は、我々に善をなしてくれるとは限らない。身分制度があれば、頑張っても報われない以上、やる気も活力も起きないだろう。社会は活力を失い、発展を止めてしまう。

 

意欲と活力のあるところにしお金は集まる。見知らぬ他人の指示に隷従してひたすら働くよりも、信頼できる仲間を集めた方が、労働意欲は沸くだろう。

 

一人の天才にやれることは限られている。どんなに優秀でも、ジグソーパズルの無数のピースの中で、ピタッと正確にはまるべきところにはまっていても、所詮は全体の一部をなす部品でしかないのである。

もし突然、乱暴者がそのピースの一部をハサミで切ったら、惜しい才能が散ってしまうことになりかねない。一人の天才が戦っていても、馬鹿数十人が横からキックを入れて、集団で殴り倒してしまう方が、はるかに影響力が大きい。

 

一人で戦うのではなく、志のある仲間と共に、大海原に乗り出していく、自分を生かす戦略というものがあるとすれば、このようにあるべきだろう。国や企業が後押ししてくれれば、さらに力強さを増すだろう。

 

そしてこれこそが、坂本龍馬の生き方なのである。どんなに剣術が強くても、算術に秀でていても、大きな権力がバサッと切り捨ててしまう、そんな時代、次々と殺されていく仲間の死を目の当たりにして、志を共にする仲間の大切さを身にしみて感じていたのが龍馬たちだったのではないでしょうか。

 

お上の匙加減で生死すら決まってしまう、そんな武士の縦社会では、自分たちの能力も活力も生かすことは出来ない。自分たちが新しい国を作っていくんだというエネルギーを、小さな集団でこそ発揮出来るのだ、という、そのお手本が亀山社中であり、海援隊です。龍馬たちの生き方は、現代に生きる我々にも大いにヒントを与えてくれるように思います。

 

学校教育が、たい焼きの器を熱して、熱い熱い鉄の枠に我々が流し込まれたのだとします。どんなにきれいに焼けようが、少し焦げて安売りされようが、大して問題は無い。むしろ、大海原に放り込まれた後に、たい焼き同士で力を合わせて行く方が大事なのです。つまり、社会でどう生きるのかです。お上の決めたパズルの部分にピタッとはまっていれば、何とか生きていくことは出来るかもしれない。

 

でも、お上が改革を始めたら、明日のわが身がどうなるかは分からない。武士は、明治維新で身分、職業共に廃止されてしまったのです。武力で抵抗しても、皆殺しにされてしまった。

 

これが歴史の教えるところです。大きな変革を眼前にして、かなり単純化して言えば、お上に身の振り方を委ねるのか、自分たちの道は自分たちで見つけるのか、どちらの方向に進むかによって、人生が大きく変わってくるのではないでしょうか。

 

国の利益、大きな組織の利益に目が行きがちですが、日常生活からは離れることは出来ません。普段接するような身近な人たちの利益といった視点が大事になるのではないかと思います。

 

明治150年を考えてみた

最近、資格の勉強をして、会社でアルバイトをしていると、つくづく決められたレールを走るハムスターのような気分になります。

 

以前も書いたように、社会は「牡蠣殻」と評価したのは坂本龍馬です。

 

考えてみれば、社会にはルールがあり、勉強も、国に必要とされる考え方や知識を身に着けるのが公教育というものだろう。

 

子供はたい焼きの型に沿って、こんがりと立派なたい焼きに焼き上がると、国や社会に評価してもらえるのだ。

 

資格も例外ではなく、牡蠣殻の中で動く能力を身に着けているかが問われる。

 

とにかく現代は社会が複雑化していて、全体の一部を担うという形で働くから、龍馬の言う「牡蠣殻」が「コンクリート」になったと言っても良いかもしれない。

 

国や上の指示を的確にこなす能力が高いことが、出世の条件になったのは、どうやら明治時代に西洋に追いつくための近代化を目指す教育制度が整っていったことのようだ。近代化のための機械を養成する目的だったという話。

 

規格通りに育った正確な人間は、忠実に正確な前例踏襲をする能力が高い人々と言えるだろう。

 

明治維新と言っても、徳川は降伏しました。新政府を作ったのは徳川時代の藩士や幕臣たちであり、社会全体が変わったわけでもない。

明治維新は50人くらいの若者が起こしたことだという外国人の評価もあるそうだ。

 

こう考えると、次の時代が見えてくる。先例踏襲主義なのだから、過去の歴史を見れば将来も同じことが起きるということだ。

手を変え品を変え、同じ政策が取られる。幕末の本を読んでいると、今とほとんど変わっていないのではないかとすら思う。

 

少なくとも、一般の国民には、牡蠣殻の中で動くことだけが求められている。その意味では、幕末も現代も、大して変わっていない。

 

フリーター 坂本龍馬さんを学ぶ 其の四十四

今日も勝塾では、佐藤がせわしく塾の建物建設と、勝の指示で神戸海軍操練所の創設の事務をこなしていた。

 

「佐藤さんは出来るのう。ワシにはとても無理じゃきに」

事務作業は佐藤が行い、龍馬は指示が出る度に手助けはしたものの、龍馬の仕事は、どちらかと言えば皆をまとめる仕事であった。そこには、退屈な事務作業に集中できず、役人になりきれない自分がいた。

 

「天皇様のために尽くすとは、役人になり切ることなのかのう・・・。」

四書五経の勉強を欠かさず、幕府や諸藩の実務に通じ、かといって天子様への忠義を忘れず、国の事務をたんたんとこなす佐藤への引け目を感じていた。

 

「ワシは武士じゃちゅうても、佐藤さんのようにはなれない」

いつしかそんな悩みを口にする仲間が増えました。

 

望月亀弥太が龍馬にこぼします。

「勤王とは、沢村や陸奥のように学業の成績が良く、佐藤さんのように実務を淡々とこなせるということであるとすれば、ワシなどはどうなるのかのう・・・」

望月は憮然とした表情で言いました。

 

「国のために尽くすとは、必ずしも日々の国の事務に長じることではないはずだ。武士にせよ農民にせよ、各人その長じるところを伸ばして活動してこそ、国もまた潤うではないか。メリケンを見れば、もはや牡蠣殻幕府の木端役人の叶うところではない。メリケンに対抗できるとすれば、わしらも蝦夷を開拓してこそ、国も豊かになるというものではないか。」

そんな龍馬の言葉に励まされる望月でありました。

 

そして蝦夷を実際に見て来たという北添佶磨の話は、龍馬たち勝塾生に勇気を与えました。龍馬は仲の良い浪人仲間たちを励ましつつ、北の大地を開拓する夢を膨らませたのです。

 

攘夷など不可能なことに命を懸けるよりも、蝦夷の開拓に挑戦する方が良いのではないかという龍馬の考えは、周囲の仲間の共感を呼んだ一方で、何か変な人たちだなあと感じる向きもありましたが、勝の受けも良く、支持を広げていきました。

 

龍馬と、同郷の望月亀弥太、実際に蝦夷に渡った北添佶磨、甥の高松太郎、そして陸奥陽之助たちが、酒を飲みながら、語り合いました。

「何でもメリケンでは、西部開拓で、金鉱を掘り当てて長者が出てきているらしい」

「掘り当てた男はラッキーストライクとか叫んだちゅう話じゃ」

「ストライクとは何ぞ!」

「金鉱を掘り当てたという意味と聞いた」

「それはすなわち、刀ではなく、鍬ではないか。」

「開拓団は、各自銃を懐に入れて身を守るそうじゃ。」

「メリケンで剣術は全く役に立たぬのか・・」

「剣では国を守るどころか、身を守ることも出来ぬやもしれん」

「日本の西部、それが蝦夷じゃ。」

「蝦夷には佐渡のように金山銀山があるやもしれん」

「ラッキーストライクじゃ、ワシが見つけよう」

「いや、ワシが見つけよう」

「その前に、剣を鍬に持ち替えねばならぬではないか。望月に出来るかのう?」

「・・・」

「ワシは武士としては半端者、農作業には慣れちょるきに、簡単じゃ、ガハハ、ほれ!ラッキーストライクじゃ!」

と北添は鍬を振るう真似をしました。

 

北国への夢を膨らませるの皆の瞳は、キラキラと輝いていました。

 

龍馬は、酩酊の度合いを深めながら、桂浜のエメラルドブルーに輝く海を思い出していました。

 

ーあの海の向こうには、西部開拓に夢を懸ける男たちがいる。黒船が日本を滅ぼすということはなく、攘夷、攘夷と命がけで戦うなどということも杞憂であった。佐藤さんのような寡黙に藩や幕府の仕事をこなす姿を見ておると、役人どもの堅苦しい仕事には向かぬ。自分は元々は商人であるから、商いをやって国を盛んにするのが良い。それは久坂たちの言うことと違わぬであろう。蝦夷地には、何が埋まっておるじゃろうのう。考えると身体がゾクゾクするのうー

龍馬は、仲間と共に鉱山を掘り当てて、船で商いをする姿を思い浮かべていました。

 

突然バンッと龍馬が立ち上がり、叫びます。

「蝦夷へ行こう!。そして、共に蝦夷を開拓せん!」

「坂本さん、ワシも行きます」

「皆で蝦夷に行こうぞ!」

「船は勝先生を通じて、幕府に出してもらえるようワシが交渉してみる!」

 

龍馬は着実に、自分の歩む道を見出し始めていました。それは、まだ見ぬ海の向こうのアメリカでもなく、堅苦しい武士の忠義を貫くことでもなく、自分自身を生かす道を進むことだったのです。