明治150年を考えてみた | あかり姫と坂本龍馬伝説

明治150年を考えてみた

最近、資格の勉強をして、会社でアルバイトをしていると、つくづく決められたレールを走るハムスターのような気分になります。

 

以前も書いたように、社会は「牡蠣殻」と評価したのは坂本龍馬です。

 

考えてみれば、社会にはルールがあり、勉強も、国に必要とされる考え方や知識を身に着けるのが公教育というものだろう。

 

子供はたい焼きの型に沿って、こんがりと立派なたい焼きに焼き上がると、国や社会に評価してもらえるのだ。

 

資格も例外ではなく、牡蠣殻の中で動く能力を身に着けているかが問われる。

 

とにかく現代は社会が複雑化していて、全体の一部を担うという形で働くから、龍馬の言う「牡蠣殻」が「コンクリート」になったと言っても良いかもしれない。

 

国や上の指示を的確にこなす能力が高いことが、出世の条件になったのは、どうやら明治時代に西洋に追いつくための近代化を目指す教育制度が整っていったことのようだ。近代化のための機械を養成する目的だったという話。

 

規格通りに育った正確な人間は、忠実に正確な前例踏襲をする能力が高い人々と言えるだろう。

 

明治維新と言っても、徳川は降伏しました。新政府を作ったのは徳川時代の藩士や幕臣たちであり、社会全体が変わったわけでもない。

明治維新は50人くらいの若者が起こしたことだという外国人の評価もあるそうだ。

 

こう考えると、次の時代が見えてくる。先例踏襲主義なのだから、過去の歴史を見れば将来も同じことが起きるということだ。

手を変え品を変え、同じ政策が取られる。幕末の本を読んでいると、今とほとんど変わっていないのではないかとすら思う。

 

少なくとも、一般の国民には、牡蠣殻の中で動くことだけが求められている。その意味では、幕末も現代も、大して変わっていない。