明治維新150年を考えてみた(続き) | あかり姫と坂本龍馬伝説

明治維新150年を考えてみた(続き)

前回は、社会が複雑化するにつれて、国や社会の専門分化が進んだため、枠の中で考え、行動することが求められるようになったと書きました。

何でも国家資格になっていて、どこかの省庁が管轄している。その資格の範囲でしか働けないし、それ以上のことは私たちには許されていないということも、多々あるのではないでしょうか。

 

上が決めたことを粛々とやるのは、仕事である以上当然と言えば当然かもしれないけれど、給料が少ないという不満を漏らす同僚も多いように思える。中には、ブラック企業で働いている人もいるだろう。今度は、アジア系の諸国から、安く働く人材が入ってくるらしい。目新しいように思えるが、何のことは無い。百均で売っているような商品を作ってくれていた外国人を現地から連れてきて、日本を現地化するということだ。

 

上が決めたことを粛々とやるのは、日本人は得意です。江戸時代以来、厳然とした身分制度があり、政治のことはお上に任せて、自分たちの仕事のパートをこなして納税することで国を支えてきた。

 

他方、最近は、戦略とかいう言葉がもてはやされている。こんな他人を出し抜くような言葉は、庶民には馴染みは無いものだ。

 

他人を騙して、お金を巻き上げるようなことをみんなが考えている。誰と戦っているのか、もはやお客さんは神様ではなくて、儲けの道具に過ぎないのだろうか。

 

商売を通じて国や社会に貢献するという考え方がなければ、結局は殴り合いや殺し合いの文字通りの生存競争でしかない。

 

自己責任が強調される反面、金のある人や企業は、組織的影響を拡大している。こんな中では、個人の力は全くの非力である。やたらと優れた個人がテレビに映ることが多いけれど、そういう人たちも、大きな組織の支援を受けて活躍しているのが現実だ。

 

社会を賑わせているような大きな組織や行政は、我々に善をなしてくれるとは限らない。身分制度があれば、頑張っても報われない以上、やる気も活力も起きないだろう。社会は活力を失い、発展を止めてしまう。

 

意欲と活力のあるところにしお金は集まる。見知らぬ他人の指示に隷従してひたすら働くよりも、信頼できる仲間を集めた方が、労働意欲は沸くだろう。

 

一人の天才にやれることは限られている。どんなに優秀でも、ジグソーパズルの無数のピースの中で、ピタッと正確にはまるべきところにはまっていても、所詮は全体の一部をなす部品でしかないのである。

もし突然、乱暴者がそのピースの一部をハサミで切ったら、惜しい才能が散ってしまうことになりかねない。一人の天才が戦っていても、馬鹿数十人が横からキックを入れて、集団で殴り倒してしまう方が、はるかに影響力が大きい。

 

一人で戦うのではなく、志のある仲間と共に、大海原に乗り出していく、自分を生かす戦略というものがあるとすれば、このようにあるべきだろう。国や企業が後押ししてくれれば、さらに力強さを増すだろう。

 

そしてこれこそが、坂本龍馬の生き方なのである。どんなに剣術が強くても、算術に秀でていても、大きな権力がバサッと切り捨ててしまう、そんな時代、次々と殺されていく仲間の死を目の当たりにして、志を共にする仲間の大切さを身にしみて感じていたのが龍馬たちだったのではないでしょうか。

 

お上の匙加減で生死すら決まってしまう、そんな武士の縦社会では、自分たちの能力も活力も生かすことは出来ない。自分たちが新しい国を作っていくんだというエネルギーを、小さな集団でこそ発揮出来るのだ、という、そのお手本が亀山社中であり、海援隊です。龍馬たちの生き方は、現代に生きる我々にも大いにヒントを与えてくれるように思います。

 

学校教育が、たい焼きの器を熱して、熱い熱い鉄の枠に我々が流し込まれたのだとします。どんなにきれいに焼けようが、少し焦げて安売りされようが、大して問題は無い。むしろ、大海原に放り込まれた後に、たい焼き同士で力を合わせて行く方が大事なのです。つまり、社会でどう生きるのかです。お上の決めたパズルの部分にピタッとはまっていれば、何とか生きていくことは出来るかもしれない。

 

でも、お上が改革を始めたら、明日のわが身がどうなるかは分からない。武士は、明治維新で身分、職業共に廃止されてしまったのです。武力で抵抗しても、皆殺しにされてしまった。

 

これが歴史の教えるところです。大きな変革を眼前にして、かなり単純化して言えば、お上に身の振り方を委ねるのか、自分たちの道は自分たちで見つけるのか、どちらの方向に進むかによって、人生が大きく変わってくるのではないでしょうか。

 

国の利益、大きな組織の利益に目が行きがちですが、日常生活からは離れることは出来ません。普段接するような身近な人たちの利益といった視点が大事になるのではないかと思います。