朝通勤するとき目の不自由なかたといっしょになることがたまにあります。地下鉄の乗り降りは床に貼ってある突起物の誘導によりお一人でできるようです。
 自分もあまり気にしたことがないので現状についてよくわかりませんが、用を足すとき、個室のなかの便器の方向など設置にある基準でもあるのだろうか?
 日々使用するものでも、障害者の視点にたって見るということはなかなかできないものです・・・
 加賀温泉のとある宿に泊まって来た。その宿に日本の宿?とかいう本がおいてあった。高度成長期には働きづめであった人がわれもわれも観光にいき全国に巨大旅館が建てられ、それをうれいた人達が昔ながらこじんまりとした宿を復活させようというような本でした。
 これは小規模作業所でも同じなのではないかと思います。
 効率を追求すると集権的な作業所を求めてしまいがちですが、その地域にあった小回りのきく地位に密着した小規模作業所のほうがいいのだろうと思えます。ただそういう施設をITなどを利用してバックアップする仕組みづくりは必要だとも思います。
 弱者用の必需品として比較するなら、ベビーカーであろうか。
 ベビーカーは軽量化、使い勝手日々進歩?しているしデザインも優れたものがある。これに対し車椅子はまだまだ改良の余地が多いと思われる。案全対策においても。
 チャイルドシートなどは安全面の評価テストがあるが車椅子はあるのだろうか。
 万博ではめざましく進化したロボットが多数出されるようであり、ロボットの分野では介護ロボットも研究されているようであるが、そういう状況にもかかわらす車椅子は旧態然としているのはなぜであろうか。
 プレゼン受けしない物への研究がおろそかのような気がするのだが・・・

 誰がどこでどのような研究をしているのかデータベースの構築をしようというようなことが行われようとしていたが実現したのであろうか?
 
 車椅子に関連して。体験セミナーの時ですが、某病院の車で入る所に横断歩道がある交差点があるのですが、その交差点の角に病院へ行く人でしょうが違法駐車をした人がいました。車椅子がいるのを知りながらです。また、入院中のひとで散歩で付近を散歩していたのだと思いますが、片足が悪いようでしたが、咥えタバコのため、車椅子の人の目の辺りにタバコがきていました。
 これは障害があるか否かに関係ないことですが、他人に対する思いやりを持てとまではいいませんが、危険を回避するのに最低限のマナーすら守れない人が多すぎるように思います。
 新聞だったと思いますが、マナーを守らない人に強制するよりも、マナーを守る人への喚起をすることにより、トータル的に障害者にとってよりバリアフリーの結果を実現しようというNPOがあったようです。
 これは、スパー関係でも料金を近隣の店よりも安くすよりも、一定の上乗せしたほうが、総売上は減っても利益は増えるということが生じるのと同じ原理のように思います。分析も社会科学的に行いすみ良い社会を創出することが必要だと思います。こういう評価方法や分析方法を明確にするのが学問だと思います。そういう意味で独立法人化が言われる状況下で、大学の地域社会の貢献度がもっとされるべきではないかと思います。
 車椅子を体験しバリアフリーについて見直そうというようなものに参加してきました。 ユニバーサルデザインやバリアフリーが実施されつつあるが、まだまだ車椅子で移動するにはかなりの困難を伴うのが現状のようである。 1つはまだまだ環境整備が不十分である。 1つは車椅子を利用するものへの配慮がない人がおおすぎることである。 こういう車椅子体験をすることによりある程度の効果は望めると思うが、障害者のかたに、海外旅行の体験談で、海外ののほうが移動しやすいといわれなくなるのはいつくるのであろうか。  市バスや地下鉄での車椅子への対応がよくないことがたびたび取り上げられるが、現場で働く人の労働条件への配慮も必要だと思う。詳細は知らないが、労働環境はあまりよくないと思う。 フェアトレード同様に労働に対する適正な対価は払う必要があると思う・・・
 斉藤槙著 社会起業家より

 社会企業家の活躍の軌跡を見ていくと、個人のこだわりが発端となっているという共通点に気がつく。・・・
 市民社会が確立されるということは、人、モノ、金をはじめとする社会資源が「官」から「民」に流れることも意味する。資源を効果的に使うには、国や地域のあり方を行政に任せきりにするのではなく、市民が主体的に方向性を決めるプロセスに参加していかんなければ・・・ こうした動きを引っ張るリーダーになるのが、社会企業家だ。・・・
 同じ目標を掲げる個人や組織が有機的につながって、コラボレーションを展開していく。・・・
 社会企業家は、「働き方と生き方が同じ」・・・彼らの事業活動は、そのまま自己実現や自己表現の手段でもある。事業を通じて自分自身をさらけ出し、その価値観を世に問うているともいえる。・・・

 小規模作業所に参加して何か足りないと感じていたことがこういうことなのだろうか?

 
 「世界中の人と仲良くなろうと努力したが、今はそうでなく、価値観の同じ人と暮らせたらいいのではないかと思っている」 ソトコトのオナーである人の言葉。
 小規模作業所に参加して最近はその言葉にうなづける今日この頃かな。
 ちょっと変わった募金箱が設置してあるのに気づきました。何か置いてあるなと思いつつ見過ごしていましたが、スマトラ沖関係等が二つと、リフトアップ用のがひとつ設置してあります。コインを入れるタイプの箱で、透明なのでコインの量がわかるのですが、リフトアップのものが一番少ないです。
 緊急性とコインの量が比例しているようです。
 何かの意図があるのかないのかよくわかりませんが、誰かに考えさせる契機となるような募金方法もいいのではないかと思います。
 募金の方法がいろいろないのは、そういう行動に携わる人が少ないとことのあらわれでもあるように思えます。
 2003年度に受けた研修の2004年度版でネットワークコミュニティーに関して以下のように紹介されている。

  新しい公共が貢献モデルを基礎として動いています。
  けれどもネットワークコミュニティの活動は、自律的なものですが、とても弱いものです。
  市民の助けたいという想いや助けられたいと思う気持ちによってゆるくつながっています。
  草の根的な活動です。
  だからこそ、ネットワークコミュニティの公共性を行政が支える必要があるのではないでしょうか。
  ネットワークコミュニティの取り組みを支援できるのは、市民だけではありません。
  行政も、もちろんネットワークコミュニティにつながれるはずです。
  この新しい貢献活動を受け入れて、新しい自治体の公共モデルを再構築することが、地方公共団体に求められるのではないでしょうか。
  そのモデルを創りだすのはあなたです。

 これも明確な回答はない。
 2,3日前?の中日新聞であったかと思うが、三重県のほうで旅館を開き収入を得て、それで里山の保存を行い、同時に介護施設も運営し、ゆくゆくは里山で回復可能な良の雑木の伐採等によりエネルギーも調達していくというNPOが取り上げられていた。
 これはITの有効利用かどうかは別に充分自立した成功したNPOであると思う。

 こういうNPOが存在する以上、脳卒中者によるホームページも随分と開設されていることからも、もう一歩の仕掛けというか仕組みがあれば双方向的なネットワークコミュニティーが構築可能だと思うのだができそうでできないのが現実なのだろうか。
 個々のホームページは良くできているものが多いのだが、情報発信的なものが多く、ネットワークコミュニティー的なものは見あたらなようだ。無理してネットワークコミュニティーを構築する必要は無いが、官がそこにかかわっていないというかかかわれていないのが現状なのだと思う?
 日経の経済教室8知識創造共同体で以下のような紹介があった。
 知識創造企業では・・・正しい目的と適切な手段を状況に応じて判断し実践する力を、一部のエリートではなく組織の全員に求める「知の総動員」システムとも言える。 21世紀に社会を動かすのは・・・日常業務のなかで知を創り続ける組織のメンバー全員なのである。 ・・・ひとつの価値が共有されている共同体では、全員の知を総動員し、持続的に知識を生み出していける。しかし、同時に、共同体は個の異質性を排除する可能性がある。個の異質性が排除されれば、異なる主観の総合による新しい知の創造も起こらない。価値観を共有しながらも異能異端の個人を生かす、 ・・・そういう「知識創造の共同体」をどうつくって行くか。 ・・・課題ではないであろうか。

 回答は示されていないが示唆に富んでいると思う。
 小規模作業所に参加している自分はその共同体にとって異質の存在となっているのだと思う。共同体側がその異質の存在をどう受け入れるか、参加する自分が共同体にプラスになるようにどう関わっていくか、いずれも困難な問題であるが自助努力で解決していくしかしょうがないのであろう。自分にとり能力開発して柔軟に参加しているつもりであるが、なかんか状況を見極めるのは難しいものである。