原始社会から古代社会から中世社会へ フランス革命を経て近代社会というゴールに到達したというヘーゲルの歴史観をヒントに 現代のアメリカこそが歴史の終着点だという これまでの歴史は現代のアメリカを目指して発展してきた というのは ある種宗教的な前提に基づく人間中心主義の現代的な姿である 

 という風に宗教的な前提に発した人間理念の帰結がそのような独善的な歴史理解になったと知ることで 逆にこれらの理念から自由になれる 図解雑学構造主義より

 この意味を実感することのほうが あらゆる戦争を回避できるのではなかろうか アートを読み取る力がそういう感覚を養う面もあると思える

 単に人の情に訴え 戦争は悲惨だといくら訴えても インドのジャイナ教のように そういうものは保護され大事にされるが 多くはそこだけにとどまってしまわざるを得ないのだろうと思える・・・

 ゴッホ展で賑わっているが それ以前の企画展では閑古鳥??? どの美術館でもそうなのだが 経営がかなり苦しい

 今日TVでバイラルCMを見てふと思った そういえば昔人の芸術作品をもとにパロディー化した作品があった 同時に芸術文化センターという施設名がわからないしその場所がわからないという人も以前多いそうだ
 ならば 公共の施設では大きな変化はなかなか困難であるので CGを利用し 施設名を設置した 作品を公募するとか 黄金の騎士が そういうものを設置するCMを作成するとかすれば・・・・・

人間自体自然の存在なのだから自然に従うのは当然ではないか しかし 近代人は自らの生命力によって生きる道を選ばず 何らかの理念を目標に掲げ その目標に引っ張ってもらうことで生きようとした
 が その何らかの理念が空しいものだと気がつくにつれて 人間は生きることが重荷になってしまった「図解雑学構造主義より」
 ある目標にむかいまい進するが ふとむなしいものだと気がつき熱が冷めると 倦怠感に襲われる そんな感じかな

 一般の本屋にはないようですが 図書館にはあるところもあるようです

 走り読みしかしていませんが ゴッホの描きかたについてなかなか深く分析されています

 ゴッホに関する書籍は一杯ありますが 実物に限りなく近い色を再現しているものはどれなのかよくわかりません 書籍だけみていると かなり色に違いがあるようです・・・・・ 

 物のまざなし 一応読みおわえました 読解しずらいのですが 訳者のあとがきで納得させられてしまいました 

 ・・・・・芸術家の未来共同体を夢見ながら、美的ノドマとしてヨーロッパを流浪したファンゴッホに彼が寄せる思いは、そうしたアルザス人としての彼自身の精神的彷徨と決して無関係ではないだろう。その意味で本書は、百年の歳月を越えて結ばれたヨーロッパの辺境に発する二つのユニークな個性の融合の所産と言えるだろう。そして、両者に共通する人類の未来に向けてエコロジカルな美的共同生活への希求が、本書をつらぬく導きの糸であることを私は確信している。

佐藤 卓
にほんごであそぼ どや
 こどもからおとなまで 楽しめる アートな本でしょうか こういう本に小さいときにふれるのが 日本人としての心も育てるような気がします
 宮沢賢治の「どっどど どどうど どどうど どどう」 野村萬斎の「ややこしや」 を題材に うまく絵本的に仕上げている 一時朗読を劇場で行うのが行われていたかと思うが この本のような舞台美術を作成して表現する劇?を 見たいものだ もっとも 教育テレビで午後4時からやっているものとは違うものでだが

 ゴッホ展でおそらく売価が一番たかくなりそうな画のひとつである向日葵 物のまざなし に触れられている向日葵は 花瓶の12輪の向日葵 と 4輪の枯れた向日葵 であるがあいかわらず文書が難解であるが

 ・・・・・要するに、色彩が物の核心部におかれた非人間的な目として、そこからみずからに見えるものを見ると同時に、われわれに見るべきものを見るように誘うのである。・・・・・

 ・・・・・向日葵の鉢は孵化を待つ卵のように緊迫し、画布の空間を緊張させる太い線に圧縮されている。そしてその黒い線は鉢がのっている台と壁を分かつ角あるいは境目のところまで延びているのである。この線は鉢の湾曲と同時に遠近法の角度を示し、その集約力がこのセラミックの花 を激しくデフォルメしながら、一本一本のひまわりにとぐろを巻いたような印象を与えるのだ。そこには、背景の緑とオレンジ色の花とのあいだで演じられるドラマ、そのたたかいの全強度がこめられている。・・・・・と感覚的にはわかりかけるが、4輪の枯れた向日葵に記述のほうがわかりやすい

 ・・・・・向日葵の目がわれわれを見つめている。それは青い坩堝のなかの、炎のようなオレンジ色で縁取りされた燃え立つような目だ。花といっても、そこにはもう複雑な葉叢しかない。・・・・フィンセントが少なくともヌエメン時代から念頭におきつつ続けているスコットランド織をもっともよく体現したものいである。・・・・・その爆発と消尽のあとに、無数の金色の塊が現れて世界を満たし、画家はその世界の魂を探索すべくわれわれを誘う。これが出来事というものなのだ。・・・・・

 こうしてみると読書をするひとはあるきっかけがあれば画が読み取れるようになるのではないかと思うのだが

 物のまざなし TABLEAUⅦ 感覚的には何となく解るような気がするが それが何かを説明するには難しい が解りやすいのは次の箇所であろうか?

 ・・・・・つまり、前景はルーペを通して見ているように危険なまでにわれわれに接近するのに対して、後景は双眼鏡を逆から覗いているときにように遠ざかっていくのである。この二つの運動は空間が近づくと同時に遠ざかるような仕方で作品のなかに投入されていて、それは物に接近しながらもそのなかに埋没しないために物から遠ざかるというフィセントの二重の欲望とのたたかいを表している。・・・・・ファンゴッホの独自の遠近法が作り出すこうした表面と奥行きの得意な結合は・・・「夜のカフェテラス」・・・にも現れている。・・・

 ゴッホ展では、ロイヤルコペンハーゲンに板状の陶器の物を販売しているが、夜のカフェテラスはオリジナル作品の特徴を上手に再現したものであると思った。37万円は高いと思うが。

安野 光雅
絵のある人生―見る楽しみ、描く喜び―
 この本にもゴッホが紹介されている ゴッホ以外のところはなかなか興味深く読ませてもらったが ゴッホに関しては 著者がゴッホが好きだということはよくわkるのだが 事実に冠する記載のみで 解読した記述はあまりない 私も著者のようにゴッホの人となりを知り好きになり そういう虚心でない状況で作品を見ているのだが 自分以外にもそういう人がいることがわかっただけでもうれしいのだが・・・
稲賀 繁美
絵画の東方―オリエンタリズムからジャポニスムへ

この本にもゴッホのことが書かれているが かなり難解である 内容はともあれ 「タンギー親爺の肖像」や「アルルの寝室」のゴッホがほかの時期に書いたものが載せてありよく紹介される作品と対比できるのがよいよ思える 解説よりもゴッホは全ての作新を見るのが理解あうる早道だと思う 同じ素材をかなり違う描き方をしているので 努力家というか根気があるというか まあすごいはとおいうことがよくわかるし 紹介される作品の完成度が高いと実感される 企画展でそういうものを見せてほしいのだが・・・・・