いつもお堅い話ばかりなのもなんなので、雑談でもしますかね。
一昨日八百屋に行くと大きくて立派なゴーヤが三本で150円と安かったので買ってきました。
さっそくそれをゴーヤーチャンプルーにして食べたのだけど、おいしかったな。
ブログに書くつもりだったら写真に撮れば良かったものをすっかり忘れていた。
でも、ゴーヤーチャンプルーはあまり見栄えの良い料理ではないし、別に写真は良かったかもね。
豆腐をなるべく崩れないように炒めるんだけれども、それにも限界があって割とグチャっとした見た目になってしまうんだな。
僕はゴーヤは少し苦いくらいが好みなんだけど、ゴーヤって火の通りが遅いから、普通に炒めるとほどよい苦みになるまですごく時間がかかるんだよね。
だからいつも僕は事前にゴーヤだけ茹でておくんだけど、それが正しい作り方かは知らない。
みなさんはゴーヤーチャンプルーをどのように作るのでしょうか。
三本のうち一本はそのように消費したのだけれども、まだ二本あるんだよね。
ちなみに一本で二食分くらいの量が作れたので、これを消費しきるのは相当の工夫が必要です。
ゴーヤの食べ方は僕はチャンプルー以外にお浸しくらいしか知らないのだけど、ほかに良い食べ方があったら教えてほしい。
しかし僕が子供の頃はゴーヤなんて見たこともなかったし、最初にゴーヤを見た時は何だこの野菜はと思ったものだけれども、こんなに身近に買えるようになるとは、食生活も変わるものだよね。
同じ八百屋で買ったスイカ。
こちらもまるごと一個で380円と破格の値段。
半分に切って半分はラップに巻いて保存中。
甘くて美味い。キンキンに冷やして食べるとまた格別だよね。
前回の記事で取り上げたトクヴィルの「アメリカのデモクラシー」だけど、ネットで全四巻まとめて売っていたのを見つけたので、昨日寝る前に買いました。
まあ、結構読むのに根気が要りそうな本なので、いつ手に取るかは未定ですけどね。
そのまま積読になる可能性も無きにしも非ずかな。
そんなふうにすっかり政治・社会学系に目覚めてしまったのだけど、コロナ禍における異常な社会の在り方を経験してしまったあとでは、社会や政治について考えないわけにはいかなくなってしまったんだよね。
僕にとってそれはいわば「必要に迫られた」結果なのだけど、「考える」にしても積み重ねというものが大事で、自分の中でしっかりとした思考の土台を作るには、やはり読書が大事だと思うんですね。
まあ幸いにして僕は今自営業なので、自由な時間は結構あるのです。
そしてもともと好奇心だけは旺盛な物好きな暇人なんだよね。
そしてまた懲りもせず、高齢者対象にコロナ定期接種が開始される模様です。
接種開始のニュースと時を同じくして、コロナ感染爆発のニュースも出てきましたね。
実に都合よく二つのニュースが出てきました。
まあ接種に誘導するための不安を煽るいつものマスコミのやり方だなと。
僕をはじめ反ワクチン派はもう、ニュースの内容自体よりもそのニュースがどのような意図で出されたのかという見方で判断する姿勢が染みついているので、よもや騙されることはないのだけど、政府やマスコミを信じ切っているいたいけなお年寄りの中には、不安を煽られるままに接種してしまう人も少なからずいるのでしょうね。
個人的に心配なのは、これを受けて医療従事者に再び実質強制の職域接種が進められるかもしれない点についてです。
僕にも医者の友達がいて、この前会った時にワクチンについて話したんだけど、ワクチンの危険性を彼は十分認識していたけれども、仕事柄接種を拒めなかったと言っていました。
周りの同僚や看護師も含めワクチンについて話をして、感触の良かった人達と組んで職域接種反対のグループを事前に作っておくのが良いのではないかと思うんだけどね。
そして職域接種の流れになったら団体で反対する。
病院に労組があるか分からないけど、労組を利用するのもアリだと思う。
コロナ禍でつくづく身にしみて分かったことだけど、政府が言論統制をしたがり、また反ワクチンを陰謀論とレッテル貼りするのは、ワクチンについて自由に話をされ個人同士が団結して反対されるのが嫌だからで、人と人が分断されているのが都合がいいからですよね。
もともと日本人はそのように団結して交渉するという政治的な動きに慣れていないのもあって、ああもやすやすと政府の言うなり思うツボにことを進められてしまったのだと思います。
政治の話をすると煙たがられはしないかとか、ワクチンが危険だなんて言うと陰謀論者、変な奴だと思われないかとか、どうでもいいよそんなこと。
僕にとっては身近の友達や家族がワクチンの危険性に気づいて回避してくれるほうが大事だから、変な奴だと思われたってどうでもいいんだよ。
僕はコロナ禍の時にワクチンの危険性を十分に認識してなかった。
そのために身近な人に伝えることもしなかった。
僕はワクチンを打たなかったけれどど身近な人はだいたい打ってしまったんだよね。
まあ人間不確定な未来に対して最適な行動をとれるものではないにしても、自分だけ免れたみたいな感じが自分の中で引っかかっていて、それを後悔してさえいる。
だから今は後悔のない言動をしていきたいと思うのね。
ということで、皆さまご自愛ください。
とともに、皆さまの身の回りの人たちが少しでも危険を回避することを願っております。
日本を救うだの、世界を救うだの、大それたことはできなくても、身近な人を助けることくらいはできるはずでしょ。