■ダイビングの世界で、ある一定のレベルを超えてインストラクターを目指す場合、今でもいわゆる徒弟制のようなシステムで訓練されるようです。
私が東京に住んでいた時に師事した沖本インストラクター(神田:アクアク)は、非常にスポーツ理論に精通された方で、こういうことを言われました。
「ダイビングは体を鍛えるものではない。インストラクターは体を鍛えてはならない」
これはどういうことでしょうか?
非常に含蓄の深い言葉であります。
もちろんそのインストラクターは、ものすごく体を鍛えているのでありますが、それでもあえてこのようにおっしゃったわけです。
その意図するところは、
「いったん海が荒れたり、流れが激しくなったりすれば、どんなに体を鍛えても、ちょっと海の流れが激しければ、オリンピック級の水泳選手でも泳ぎ切ることは不可能である。」
これは自然をなめてはいけない。体力を過信するとかえって危険である。
という、大切な教えでありましょう。
ところで、学校教育現場での体罰の問題において、聞くところによると、
文科省は
「なぜその練習をするかということを意識させて練習させることは、体罰ではない」
などという、いまさらながらなぜそんなことを言わなければならないのかという見解を出したそうです。
ダイビングは、徹頭徹尾、理論で行うものです。
東海大学潜水訓練センターで受けた訓練の中に、「ハンディキャップト・ダイビング」というのがありました。
これは大変厳しい訓練でしたが、無理無体ないじめではありません。よくよく理屈を考えてみれば、自分の命を守るための訓練だと思えば、喜んで訓練を受けることができますし、さらに、その訓練にも身が入るわけであります。
ダイビングは、足ひれとか、水中マスクとか、シュノーケルといった道具を使って潜るものでありますが、ハンディキャップト・ダイビングとは、これらを順番に外して、それぞれ1000メートルほど泳ぐという訓練であります。
例えば、足ひれの片方を外して1000メートル泳ぐ。
この場合に、背中に背負っているタンクとか、マスク、シュノーケルはそのままにしておきます。
そうすると、慣れてくると、足を重ねて、ドルフィンキックをして進めば、まだ楽なことがわかります。
次に、足ひれを両方外した時点で平泳ぎをする訓練。
つまり、実際の海洋で器材が壊れたことを仮想して、対応する訓練なのです。
これらの訓練があるわけですが、これら決して、やみくもに体力を消費させ、根性論だけで練習する訓練ではありません。もし水中で足ひれが外れてしまった、あるいは足ひれを固定している部品が壊れてしまって足ひれが使えなくなった、そういう場合に、片方の足ひれで泳いで船まで戻らなければならない、そのための訓練であります。理由があるのです。意味もなくつらい訓練をしているのではありません。意味を理解すれば、どんなにつらい練習でも
「無理やり、やらされているのでなく。自分からしているのです.」
なぜ、こういった、つらい練習が必要か。それは海洋で身を守るためですと意識させて、激しい訓練をさせるのは極めて合理的です。
ですから、試合に負けたから(どちらかが負けるのは当たり前)といって理屈もなく(*)部員を殴るのは単なる暴力・傷害事件で体罰ですらありません。
(*)一応の勝手な理屈は自分のスポーツ界での地位が下がるとか、出世にひびくとかスポーツ推薦とか云々・・こういう人が教えていること自体が問題なのです。
非常に合理的な訓練であり、自分のいざという時の安全性を確保するための訓練であると考えれば、(限定水域=インストラクター監視下でのプールなどで)死ぬほど苦しくても(海で死なないための訓練ですから)耐えられるわけです。
なお、これらの一連のハンディーキャップトスイミングにおいては、常に、背中に十数キログラムのタンクを常に背負っていることになります。
ここで、タンクを捨てればこんな苦労もしなくてもとも思いましたが合理的な理由があるのです
なぜならタンクというのは、ひとりでに外れることがありませんし、タンクを外すというのは自発的な判断です。いよいよ最後の非常手段というわけです。
(大切な警告)タンク(やウエイト)を外せば質量が減り、波の影響も受ける。昔のBCは体について、タンクはハーネスで背負っていました。現在ではタンク・ハーネス一体になっている。
タンクを放擲するべきかは状況によるのであってご不明の点はPADI JAPAN等の専門家および,資格を持ったインストラクターの相談してください。
訓練ではタンクを外さないのは合理的であり、いよいよ命に関わる事態でタンクを外せばよいのですから普段の訓練では、より厳しい条件でタンクを外さないのが基本なのです。
その中で、最も苦しい訓練がありました。
それは、機材を順番に外して、1000メートルずつ泳ぐという訓練において、マスクを外してシュノーケルだけで泳ぐ(背中のタンクは背負っております)。
そうすると、シュノーケルをぎりぎりの高さまで出さなければ呼吸できないという、非常に苦しい訓練でありました。
しかし、納得のいかない点があり、東海大学潜水訓練センターにおいて、日本ダイビング界のインストラクターの第一人者である西村周(ちかし)先生にお聞きしました。
西村先生は、NHKテレビ連続教養講座のダイビング講座でインストラクターをされた方です。
私の疑問は、
「マスクとシュノーケルは一体になっているわけであるから、片方だけがオープンウォーター(実際の海)でなくすことはありえないのではないか」ということです。
その回答は、まことに見事なものでありました。
「万が一、水中マスクが割れたり壊れたりして、中に水が入って、視野が奪われた(重要な警告:まったく見えないわけではない)時のための訓練である」
(重要な警告)今までに水中マスクが割れたのは一度も見たことがありません。想定外のことを想定する訓練です。
これを聞いて私は、この訓練は決して無駄な訓練ではないと判断したわけです。
■ダイビングというものは理論でするものであるから、やみくもに体を鍛えるものではありません。
昔、海洋公園(現在ではIOPと言われているそうです)は、東拓と言われていました。
その時のことですが、ある真冬の日に、どこかの大学の体育会系のダイビングチームが来て、
「**大学・ファイトー!!」
などとわめいて、水着一枚で寒中水泳をしているわけです。
ああ、何と馬鹿な大学だろうと。
まず、少なくとも入念な準備運動、それから心臓から遠い部分から少しずつ冷たい水に慣れていく。
こういうことを一切せずに、やたら大声でわめいて、いきなり真冬に、プールに飛び込むわけです(温水プールではありません)。
もちろんまともなインストラクターは皆、一様に顔をしかめて、
「あれはいったい何をやっているのか?」
「あんなことして、何の意味があるのだ?」
「意味もなく体力を消費しているだけではないか」
と言いましたから、私は、
「もし、海で間違ってウェットスーツが全部脱げたという時のための訓練でしょう」
と、嫌味を言ったら大受けしましたわけです。
(重要な警告)以上の説明は、海洋の状況、機材や技量によって変わるので、ご参考にされる場合は資格を持ったインストラクターにご相談ください。
■さて、私が三宅島でツアーのアシストをした時のことです。
大変残念ながら、2名のダイバーが行方不明になりました(もちろん、私の属しているショップのダイバーではありません)。
なお、この時点において(まだ時間が早かったというよりは、朝早くからダイビングをするのが基本です。)、私どものダイビングチームは、すでにダイビングを中止し、天候が悪いので今回のダイビングツアーの中止を関係各位に通知しておりました。
そのときに、漁協関係者のような方や警察関係のような方が集まって、捜索チームを出すと聞いたような記憶があり、インストラクターの方は集まってくださいという協力要請のようなものがあったようですと聞いたような記憶があったようなことが今から思い出すとあったような気がします。(←口憚った表現については、ご理解ください)
このとき、私の直属の上司であるインストラクターは、はっきりと断りました。素晴らしいことだと思います。
なぜならば、ダイバーが行方不明になったということは、海の流れがダイバーの泳ぐ力よりも強いわけです。
いかにインストラクターが鍛えているといえども、仮に発見しても、その要救助者をその地点から人工呼吸をしながら曳航して帰ることは理論上不可能であります。(たとえば陸上競技の選手に80キロのものをかついで10キロメートルを全力疾走せよというほど不可能です)
また、もし水中に沈んでおれば、もはや死んでいるわけですから、急いで捜索をする必要はないわけです。
ですから、二次遭難を防ぐためにダイバーが行方不明になったという際に、泳いで捜索隊を結成するということは状況によるのです。。
随分冷たい言い方のようですが、これがわからない人には、リスク管理はできません。
さて、この2人のダイバーが行方不明になったということの最大の問題は、ダイビングを強行したこととバディ・ラインを使わなかったことですインストラクターと紐のようなもので結べば絶対に離れ離れになることはありません。
これらの「意識化の法則」は全てに通用する。受験勉強でも三角関数の公式はなぜ重要なのか(積分のため)。受験レベルでは半角の公式は積分でしか使わないと言っても過言ではない。