一般に海外旅行のパックツアーにおいて、


最終日はディナーショーとか、音楽を聴きながら食事をとる、


こういう日程を組まれていることが多いような感じがします。




 


それはなぜかというと、旅行最終日になると、今まで少々のことは我慢していた旅行客が、もう明日は帰るのだからということで、理不尽なクレームを言い出したり、客同士で理不尽なけんかやトラブルが起こったりすることを防ぐために、ディナーショーと銘打って、音楽をかけたり、踊ったりする。


 


それを最終日に持ってくれば、ある程度お客様の理不尽な苦情やトラブルを減らせるからだと聞いております。

中学受験でセンターラインの公式という変な公式がある、果たしてリーマン和まで分かって教えているのかはなはだ疑問である。





以下大雑把な説明である。




尚、面積と弧長をまとめて面線と書いているがどーでも良いことである。


クレンペラー(指揮者)が社会の窓を開けたまま、指揮をして、「それが芸術とどう関係があるのか?」といったくらいどーでも良いことである。






まず。扇型について。円すいの展開図を考えると





中心角/360度=底面の円の半径/母線



というありきたりの公式が成り立つ。






ここで、両辺の定数をキャンセルするときに右斜線(\)と左斜線(/)を使い分けるのは受験講師の常識。生徒が後(6年後かもしれない)でノートを見返した時の理解のためである。







しかし、このような教え方では「中学受験で燃え尽きる頭脳」の育成に他ならない。その場で、分からなくても常に、後々の発展学習に気を配るべきである。










中心角が微小の扇形は二等辺三角形に他ならないから。要は今までの、細かい計算をこねくり回すよりは



高さ×底辺÷2  で(ものの見方を変えるだけで)面積は出てくる。




あれ!2rで良かったかしら?その辺はタダではおしえない!


そこで、円の通った後を扇形で埋め尽くしてリーマン和として中心角→0



と考えれば、面積は扇形の総和に収束するから(?)


センターラインの公式という奇妙キテレツの公式を教える講師が出てくる。





しかし、これは特別な場合しか収束しないことは明らかである。うえのような例を考えれば、面積は減っているのに、センターラインの長さは変わっていないことは明らかである。


このことを考えれば、内側周りでは使えないと教える講師は全く勉強不足である。そもそも図形に内側と外側の区別はどうやってつけるのであろうか?


大変残念ながら,一部の町内会では本人の許可を取らずに個人の名前や住所電話番号等を無断で配布する。またゴミステーションに当番として勝手に名前を記載する・・・・・とのこと。
 
 
 
今次の民法の改正で町内会も個人情報の保護の対象になる方向。

特に町内会長や住民の方々は法令遵守の立場から注目をされたい。

詳しくは;
「民法改正 町内会」
「民法改正 町内会名簿 」 で検索していただきたい。
 
 
 
入学前に黒髪に染めてください。髪を染める事は校則違反ですか?と聞いてください。そんな学校ならだめです、違反ですと答えると思います。しばらくしてもともとの茶髪に戻る時が来ました。黒髪に染めろと言われたら違反だからできません。と答えましょう。

岡山市内の,いわゆる「旧五校」と呼ばれる学校のひとつである岡山芳泉高校(以下「芳泉高校」)には、不思議な慣習があります。(以下、普通科、実業科というのは便宜的な区分である)
 

 

その慣習とは、行事の際に、突然、

 

教頭!教頭!教頭!教頭!

 

というシュプレヒ・コールが生徒から起こり、それにこたえる形で教頭が「岡山芳泉高校バンザーイ!」といって万歳三唱をするというものです。

https://www.youtube.com/watch?time_continue=41&v=QOg0Fc86kzg

 


 

3期生のある後輩には、入学した時にいきなりこれを見せられて、特別な思想に偏った学校ではなかろうかと思って、びっくりした、と言っている人もいます

はたから見れば確かに、とんでもない光景に見えるかもしれません。


 

ではなぜ、このような慣習が起こったのかについて、芳泉高校1期生として最初から最後まで居合わせた私の、一見解を述べます。


 

芳泉高校設立時の県知事は、元自治省事務次官の長野士郎氏でした。

 

革新系知事として、1972年に初当選。その後、6期24年間にわたって、岡山県知事を務められました。

 

長野氏が岡山県知事の職にあった時の岡山県政、すなわち長野県政の功罪については、賛否を問わず様々なものがあり、確かに評価が難しいところではあります。ここでは県立高校の新設についてのみ述べます。


 

長野氏は知事在任中、県南に岡山芳泉、倉敷南、倉敷古城池、岡山一宮、玉野光南、岡山城東、総社南など、普通科を中心とした県立高校を数多く新設しました。

 

一方で県北などでは、津山東高校の実業科の一部を廃止して普通科を新設したということはあったものの、高校はほとんど設立しませんでした。

 

 

芳泉高校の最初の入学式は、長野知事臨席のもと行われました。

その入学式の日は前日から小雨が降っていて、ぬかるみの入学式は今でも語り草です

 

以下:写真は卒アルから。個人が特定できないよう解像度は落としています


一期生だけの入学式、先輩も後輩もいない、椅子も机もないことに注目。



入学して机運びから始まった


全校集会?

 

 

その時には、現在の体育館はまだありませんでした。

校歌さえもありませんでした。

1期生だけの最初の入学式は、格技場で行われたのです。

 

入学してみると、岡大附属中学校、丸之内中学校、旭中学校といった、岡山市中心部の中学校の卒業生が多くを占めていました。

 

 

当新田、泉田、芳田地区は未開発で、一面田園が広がっていました。

なにしろ、現在の日赤病院から芳泉高校が見えたほどです。

 

 

 

 

 

 

 

 

入学式において、当時の名物教頭である佐藤峰雄先生(以下「佐藤先生」)が突如、

 

「長年教員生活をしてきたが、校歌がない入学式というのは初めてだ。しょうがないから、芳泉高校万歳三でもするか」

 

とおっしゃいました。

そしてその場で、私たちは芳泉高校万歳三唱をしたわけです。

 

入学式で、いきなり芳泉高校万歳をしましょうなどと言えば、校長や他の教員がなぜ止めなかったのか、そういった疑問が生じるわけですが・・・


 

 

この佐藤先生は、大変な教育者/人格者でありまして、前任校の岡山大安寺高校では、その異動を聞かされたとき、少なからずの生徒たちが泣き出したと聞いております。

 

それ以前に佐藤先生は、豪放にして不羈、覚悟を決めた、そういった、並々ならぬ教育への不動心を感じたような覚えがあります。

 

 

 

佐藤先生は、男子トイレの小便器を素手で掃除されていたと聞いております。悟りきったような先生でした。

 

その理由は、後になってわかりました。

 

佐藤先生は、旧日本軍の最低最の戦略と言われている、あのインパール作の従軍者で、生きて日本に帰り、日本の再建のために教育の世界に身を投じたと聞いております。

 

 

 

 

インパール作戦で、死線を超えた方であれば、トイレの便器を素手で掃除する程度のことなど、朝飯前のラジオ体操にもならないものだったでしょう。


 

3年生になった年の体育祭でのことです。

 

それまでのもやもや感というか、不完全燃焼な気持ちが、少なからず、くすぶっていました。

そんな矢先に、高校生活の中で、のぬかるみの入学式と万歳三が一番衝撃的な思い出だったのです。格技場の板の間に正座しておこなわれる入学式。椅子もない。上級生もいない。

 

そんなことを思い出したのか、生徒たちが自然発生的に、

 

教頭!教頭!・・・・・・・・・・・

 

と叫びはじめたのです。

 

体育祭だったので、生徒が笛などの応援グッズをもっていました。

たしか、T君が、最初に叫んだように思います。そのうちに、周りの者が笛を吹いたりして・・

これが、教頭コールの始まったいきさつであると、思っております。


 

 

 




 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■ここからは、話は変わる。

 

長野県政下において、財政は極めて危機的な状況に陥ったことは事実です。

 

 

 

それではなぜ、長野知事は在任中、県南を中心に、普通科(進学)高校ばかりを多く新設したのか?


 

一方的な非難はしたくありません。

 

長野士郎氏が在任時に書かれた「桃の咲くころ」(出版社・日本文教出版株式会社、昭和50年発行)という本を読んでみました。

その179ページから180ページにかけて、次のように書かれています。


 

 

『高等学校の新増設論がかまびかしい中で、実業課程の高校をという意見はまず皆無の状態で、高校の新増設といえば普通科高校に決まっている。理由は簡単明瞭で、普通科高校は大学進学に最も有利というか、実業科の学校に進む者は大学入試の受験科目について授業時間が普通科の場合より少ないので、受けにくいところにある。』 (以上、同書179ページより引用)


 


 

本来は多様な進路を確保するということで、実業科高校からの大学進学への道を開くべきであり、それによって新設普通科高校を抑制すべきではなかったのではないか、とも考えられます。

 

しかしながら、大学受験の制度は、地方自治の管轄ではありません。

 

 

地方自治の神様と言われたほどの、超エリート県知事だけのことはあります。

 

現在の岡山県の教育レベルの低下には、ここから始まったのです。例えば、長野氏は、私立高校の普通科は眼中になかったようです。県立の進学校を抑制して私立高校に、大学進学に役割を任せるという発想はなかったようです。

 

もちろん、岡山では「普通科=進学校=県立」

 

という土壌があったことは事実ですが、県民の希望を、そのまま実行するだけなら、知事は必要ありません。

 

 

 

今では芳泉高校も立派になったようです。マンションやビルも立ち並びました。文教地区だそうです。

 

ここである一期生のお話。卒業して県外の大学に進学、その後、海外勤務を経て、岡山に久々に戻ってきた。毎日車で通っている所に高校がある。こんなところに高校があったの?って思ったら・・・・しばらくしてカーナビをつけたら母校だった!

 

北朝鮮が核ミサイルを発射するかどうかとのことで様々な評論家がテレビで好き勝手なことを言っています。

予測してもしょうがありませんね。
 

備えるしか方法はありませんからね。

北朝鮮が核ミサイルを発射すれば絶対にアメリカ合衆国には勝てません。だからそんなことはしないよね。

と言う意見は正しいのでしょうか?

歴史から学ぶことができます。

ナチスドイツでもある時期から絶対に勝てないことがわかった後にも戦い続けて悲惨な結果に終わりました。

イラク侵攻・湾岸戦争においてもサダム・フセイン大統領は米国と真っ正面からぶつかってもかてない事はわかっていました。

でも戦争してしまったのです。日本でもそうです。ミッドウェイ海戦の時点で絶対に勝てないことがわかっても戦い続けました。

インパール作戦もそうです。失敗することがわかっていて無理矢理戦い続けた事実があります。

戦艦大和でも沈没させるために多くの若者を道連れにして出撃させてしまったのです。
 

およそ、歴史上、勝てないからといって戦争しなかった例はありません。

本当に人間は愚かなものですね。その愚かさの極みが戦争なのです

アインシュタインは言っています。

第三次世界大戦でどのくらいの人が死ぬか分からないが、そのあとの戦争では棍棒で人間同士が殴り合うだけのことである。